第32話 古代エジプトのパンの歴史
僕はノートパソコンに書き込みをしていく。
古代エジプトのパン事情を。
1 ギザの労働者居住区 紀元前26世紀頃
ギザではパンは、現地で大量生産されていた。
1991年に最初に発見されたパン工房では、パン型、大型の容器、炉・火床などがまとまって出土した。
ここでは、円錐形の陶製パン型が大量に出土。
復元研究によると、最大級のパン型の容量は約7.7リットル。
推定では、一つの型から焼かれるパンは8~10人程度で分けられたという。
そしてパンとビールは労働者への配給・報酬の可能性があった。
王の墓だけではない。もっと古い時代、ピラミッドを造った人々もパンを食べていた。
2 メケトレの墓 紀元前1981~1975年頃
この人は王ではなく高官なのだが注目は、隠し部屋から24組の木製模型がほぼ完全な状態で発見され、その中にパン工房と醸造所を一体にした模型があったことだ。
穀物を砕く→女性が粉に挽く→生地をこねる→パンの形を作る→炉で焼く。
約4,000年前の人々がパンをどう作っていたかを知ることができる。
3 ハトネフェルの墓 紀元前1492~1473年頃
ハトネフェルも王ではない。
注目は実際のパンそのものが墓から残っていたことだ。
丸いパン、円錐形のパン、独特な形をした大型の薄いパン。
レーズン、ナツメヤシなども一緒に納められていた。
特に大きなパンは35cm × 21cm × 1.5cmとのことだ。
4 ハトシェプスト神殿 紀元前1479~1458年頃
この神殿での注目は、円錐形のパンが2点出土している。
神殿の基礎埋納に納められたものだった。
5 セネンムトの墓 紀元前1479~1458年頃
こちらも王ではなく有力者。
ここでも実物のパンが出ている。
長さ 27 cm のパンと長さ 12 cm のパンだ。
6 カーとメリトの墓 第18王朝中頃
カーは仕事の監督者でメリトはその妻。
ここでは非常に多様な形のパンが大量に墓に納められていた。
丸く平たいパン、三角形のパン、容器・壺のような形のパン、動物をかたどったパン、溝や穴のあるパン、中には、パピルスの帯で縛られたパンまであった。
動物や三角形など、さまざまな形に成形されているのがポイントだ。
そしてパンだけでなく、肉・魚、野菜、果物、酒などもあったのだ。
7 デイル・エル=メディーナ 新王国時代、特に第18~20王朝
ここは王家の谷の近くにあった王墓建設・装飾職人の村。
特に重要なのは、エンマー小麦の支給の文書。
エンマー小麦 → 製粉 → 小麦粉 → パン。
そしてデイル・エル=メディーナの歴史で有名なのが、穀物支給の遅延と労働者の抗議。
つまり穀物の支給が遅れたことで、ストライキがあった。
8 ツタンカーメンの墓 紀元前1332~1323年頃
ここでは発掘時の写真が残っており、そこには半月形・半円形のパンが5個写っていた。
そして半円形・半月形には、ナツメ属の植物、クリストソーンの果実が入っていた。
古代エジプトのパンは、さまざまな材料を加えたり、形を変えたりする食品群だったことが、ここでもわかる。
そしてパンの一部は、籠のような網状のものに入れられていた。
もちろんパン以外にも大量の食料・飲料があった。
さらに、穀物を入れた小型の穀倉模型もあり実際に穀物が入っていた。
死者が死後も食料を得られるようにするという意味をもつ。
こうして僕は古代エジプトのパンの歴史をまとめた。
豊心君が僕が書いたものを見る。
「いいんじゃないかこれで」
その言葉に僕はホッとした。
「次は俺の番だな」と豊心君。
さて、古代エジプトのパンに近づけることは出来るのか。




