第3話 パン狂のパン教
月曜日の放課後、酸っぱい匂いのする部室で、豊心君が僕と真奈美さんに話し始めた。
「2人はパニス・クアドラトゥスというパンを知っているか?」
僕と真奈美さんは首を振る。
「これは古代ローマで日常的に作られていたパンだ。今日はこれを作る」
僕はそんな大昔のパンが食べられるのかと少し興奮した。
どうやら真奈美さんもである。
「ポンペイの遺跡は知っているかな。火山で埋没した都市なんだが、そこでパニス・クアドラトゥスが炭化した状態で発見されている。だから当時のパンの形が、かなりよくわかるんだ」
僕は初めて聞いたその話に少し興奮した。
「レシピについても色々研究されていて、今回はそれに基づき作ってみようと思う」
僕と真奈美さんは拍手をした。
「これが私が復元レシピを参考にいろんな資料を見た結果だ」
スペルト小麦粉 405g
全粒小麦粉 405g
発酵種 400g
水 約500〜530g
塩 24g
イースト 12g
「この発酵種400グラムというのは、二日前に仕込んでおいたものだ」
豊心君が小さな容器を持ち上げる。
蓋を開けた瞬間、酸っぱい匂いが部室に広がった。
「スペルト小麦と水を同量で混ぜて、室温に置いておく。二日ほどすると気泡が出て、酸味のある匂いになる。今回はこれを発酵種として使う」
「これ、食べられるの?」
真奈美さんが恐る恐る尋ねる。
「もちろん。むしろ、これがないと始まらない」
豊心君は平然としている。
そして、粉を合わせ、発酵種を加えた。
水を少しずつ加えながら、手で生地を捏ねていく。
塩とイーストを加え、さらにこねる。
やがて生地を発酵させる。
膨らんだ生地を取り出すと、豊心君はそれを丸くまとめた。
「ここからが重要だ」
豊心君はパンの側面に紐をぐるりと巻きつける。
そして上面に、放射状の線をつけた。
「これが、出土したパンに見られる特徴的な形だ」
「へえ……」
僕は、まだ焼いてもいないパンを眺めた。
丸い生地の上に、花びらのような切れ込みが並んでいる。
豊心君はそれをオーブンに入れた。
200℃前後で30〜45分焼く。
3人がオーブンを見つめる。
茶色い大きな丸いパンの完成だ。
パンを切ってみる。
ザクザクと音がする。
断面は現代のパンと比べると膨らみが弱いものの、間違いなく見た目はパンである。
3人でそのまま食べてみる。
「パン!」と豊心君。
「いやこれパンだから」と僕が言う。
「これは興味深い」と真奈美さん。
「若干モサモサするが、おいしい」と豊心君。
これには僕も同意した。
古代ローマのパンは、二千年近い時間を越えて、僕たちの目の前に戻ってきた。
*これは完全再現レシピではありません
さて、いい話風になったが、この話はまだ終わっていない。
豊心君がまたパニス・クアドラトゥスを作り始めたのだ。
「何やってるの?もうお腹いっぱいで食べられないよ」と僕が言う。
豊心君はニヤリと笑う。
「これは別目的だ」
そしてまたパニス・クアドラトゥスが完成した。
豊心君がそれを持つ。
そしてなぜかイタリアンレストランに向かう。
真奈美さんが一声かけると、中に入れて「どうぞ」と言って窯を貸してくれた。
僕は何が何だか分からなかった。
なんで店が貸してくれるんだ?
そして豊心君が窯にパニス・クアドラトゥスを入れる。
「何してるの?」と僕が聞く。
「炭にするんだ。ポンペイのに近づける」
少し経つとパニス・クアドラトゥスは真っ黒になった。
豊心君は真っ黒なパンを眺めながら、嬉しそうに笑った。
そして3人で学校に戻る。
部室に行くと、この前届いた大きな荷物を開封するように言われた。
「こ・これは!」
祭壇というか祠というか。
そして豊心君はガラスケースに先ほどの炭化したパンを入れた。
そして拝み始める。
パン教の誕生である。




