2.ブレイクダウン・アット・ティファニーズ
父親がチンケなチンピラじゃなかったら、母親がポン中のアバズレじゃなかったら、オレは、もう少しマシな人間だっただろうか?
きっとそうに違いない。
だが実際、父親はチンケなチンピラだったし、母親はポン中のアバズレだった。
だから、オレはせっせと“コイツ”を売っている。世界が、少しでも悪くなるように。
エスカレーターのところでなにか配っていた店員は、オレが通ると手を引っ込めた。女向けの化粧品サンプルだったからかもしれないし、オレみたいな薄汚えガキはお呼びじゃなかったからかもしれない。
オレだってこんな店に興味はない。用があるのは喫煙所だけだ。
エスカレーターに乗ったとき、視界の端に淡い緑色が映って、すぐ後方へ消えていった。ガキのころに食った、アイスクリームの色だ。チョコミントの。
もちろん百貨店の1階にアイス屋があるってわけじゃない。あれは、宝石屋かなにかのテナントだ。
そう、ティファニー。
すこし前にヤった女は、金持ちの“おぢ”からそこの指輪だかブレスレットだかをもらったと自慢げで、そのことが人生で唯一の成功体験みたいだった。
クソくだらねえ。こっちは服ん中の体に用があるんであって、指にハマってんのがティファニーだろうが、カルティエだろうが、そこらで拾った針金だろうが、そんなもんはどうだっていい。
結局、その女とヤったのはオレだ。
そのことが、少しだけオレの優越感を刺激する。
エスカレーターで7階までのぼり、自分じゃ一生買う予定もない財布だのネクタイだのの売り場を抜けて、フロアのはずれにある喫煙所に入った。
オレはここが気に入っている。
平日の昼間は特にすいていて、そこら辺の喫煙所みたいにごちゃごちゃしてないし、清潔で、まるで自分が、気づかわれる価値のある人間みたいな気分になる。
そこに置かれた革張りのソファ——それが本物の革かどうかは知らないし、興味もない——は、オレが座ることを許された椅子の中で、一番上等なものだ。
そしてなにより、監視カメラがない。
喫煙所にはオレしかいなかった。
肩掛けバッグを腹の方に回して抱え、ポケットからくしゃくしゃになったハイライトを取り出すと、中のタバコが一本折れていて、灰皿にそれを放りながら舌打ちした。
曲がって、でこぼこに潰れた、しかしかろうじて折れてはいない一本を新しくつまみ、口にくわえて火をつける。甘ったるい煙を口の中に溜めて、肺に流し込む。
ソファの背もたれに思い切り体重をあずけて、天井に向け盛大に煙をはいた。
金持ちは毎日こんなソファでタバコを吸うんだろうか。それもくしゃくしゃのハイライトじゃない、きっと、葉巻とか。
金が欲しい。そのためなら、誰が不幸になろうが知ったことじゃない。
スマホの画面を開く。
・自転車の絵文字×3
・男
・黒のキャップ
・グレーのパーカー
・黒のスキニー
・白のスニーカー
メッセージアプリに、取引内容と客の外見情報が箇条書きで送られてくる。
オレはそれにしたがって、客にモノを渡し、金を受け取り、その一部を自分のポケットに入れる。
チャリ(コカイン)、3パケ、男、黒のキャップ、グレーのパーカー、黒のスキニー、白のスニーカー。チャリ、3パケ、男、黒のキャップ、グレーのパーカー、黒のスキニー、白のスニーカー。
口の中で2周唱えたとき、喫煙所に人が入ってきた。
男、紺のスーツ、深緑のネクタイ、メガネ、茶色の革靴。
コイツじゃない。
その男が別のソファに座ったところで、もう一人。
男、黒のキャップ、グレーのパーカー、黒のスキニー、白のスニーカー。
コイツだ。
顔に見覚えがあった。何回か売ったことのあるヤツで、間違いなかった。
「よっ、ス」
男は馴れ馴れしくそういい、自然にオレの向かいに座る。
喫煙所には他にスーツの男もいる。そいつが出るのを待たなければならない。
間をもたせるような話題がない。
「こないだのヤツさ」相手がきりだした。「イマイチだったわ」
「どんな?」
「いや、わかんないけど、なんか、ちがった」
「体調じゃね?」と適当に返して、正面から相手の顔を見つめる。
「あー、ね……」男は曖昧にいった。
意味はわからなかった。
オレはただモノを右から左に受け渡しているだけで、それが効くとか効かないとかいうのは知ったことじゃない。
こいつとの会話にいくらか関心があるとすれば、前回はイマイチだったといいながらまた3パケ買うようなヤツは、たぶん他から摘んでいないだろうとか、そんなことだ。
紺色のスーツの男が、喫煙所から出て行った。
オレはポケットから白い布手袋を出して、はめ、
「2」といった。
相手から万札2枚を受け取ると、バッグを開けて中にしまい、代わりに茶封筒の表と中身を軽く確認して、相手に手渡した。
オレの取り分は2千円。
金が欲しい。
次の取引まで時間があったから、いちど百貨店を出て、牛丼屋でその日最初の飯を食った。
バッグから万札を出して金を払うとき、その店にいる他の客に向かって、あるいは目の前の店員に向かって、お前らが高校で甘ったるい青春とかいうのをやってたような歳に、オレはヤバい取引でこんな金を稼いでんだぜ、って気分になる。
その金のほとんどはオレのもんじゃないし、さっきのオレの取り分は、特盛の牛丼で半分くらい消えたけど。
百貨店にもどり、ティファニーを横目にエスカレーターに乗り込む。
——こんなんで、200円もすんのよ?——
200円のチョコミントに文句を言った母親は、0.2グラム1万円の覚醒剤を血管に詰まらせて死んだ。
甘くて、冷たくて、スースーするような匂いがした。
喫煙所に居座り、タバコを吸い、客を待ち、白い手袋をして、金を受け取り、モノを渡す。
バツ(MDMA)、12個、女、金髪ショート、赤のジャケット、手に星のタトゥー、黒のヒール。
紙(LSD)、4枚、男、カーキのハット、紫/黒ボーダーのニット、ジーンズ、赤のハイカット。
チャリ、2パケ、女、右白/左黒のツインテ、上ピンク/下黒のワンピ、厚底のブーツ、下唇にピアス——
「この前の」と、女はいいさして、こちらが妙に感じる一瞬手前くらいのタイミングで続けた。「すごかった」
「どんな?」
「いや、わかんないけど、なんか、すごかった」
口のピアスに引っかかるのか、不器用な感じでタバコを吸う女を見るともなく眺めながら、オレは、
「そう」とだけいった。
この女に前回売ったのは、今日最初に引いた男と同じものだった。
男はそれをイマイチだといった。女はそれがよかったという。
女が出ていったあと、オレはひとりバッグの中をごそごそやって、その中にあるはずのものが、少なくとも見かけの上だけでも本当に存在しているのかを、確かめずにはいられなかった。
紙、3枚、女、茶髪のウェーブ、白のブラウス、ベージュのショートパンツ、茶色のサンダル。
リキッド、50cc、男、ハゲ、サングラス、黒の七分袖、グレーのスウェット、黒のスニーカー。
草、10グラム、男、ツーブロ、首にトカゲのタトゥー、モスグリーンのトラックスーツ、オレンジのバッシュ。
タバコを切らして、買いに出た。
エスカレーターをくだって、ティファニーのそばを通るとき、店員が接客しているのが遠目に見えた。店員は白い手袋をはいて、なにかをつまんで客に見せているみたいだった。指輪だろうか、ほんのちっぽけな金属片を、さも大事なもののように。指紋がつかないように。
携帯が鳴った。指示役の男からだった。
すぐに出た。3コール以内に出なければ、ひどく腹をたてるので。
男の話は、要約すれば次のようなことだった。
・市内の学校が爆発した。
・デモが起きた。
・クスリが売れる。
・パーティーが企画されている。
それぞれのエピソードの間に、「だから」とか、「ってことで」みたいな言葉が挟まっているところをみると、少なくとも指示役の男の中では話がつながっているらしかった。
「なんだっていいのさ」男はいった。「デモだろうが、宗教だろうが、シャブやハッパだろうが、なんでも——」
男の話は長々と続いた。自分で自分の言葉に興奮するようで、説教を垂れ始めると勝手にエスカレートして罵倒を浴びせかけた。オレは相手の気が済むまで適当に相槌をうってやり過ごし、タバコを買い、例の喫煙所に戻った。
紙、2枚、女、外巻きロング、カシミヤ風コート、ロングスカート、ブーツ。
オレはまた、白い手袋をはいて——
草、3グラム、女、切りっぱなしボブ、グレーのオーバーサイズT、バイカーショーツ、スリッポン。
バツ、6個、男、無精ひげ、チェックのネルシャツ、ベージュのチノ、ワークブーツ。
ティファニーの店員みたいに、指紋がつかないように——
チャリ、4パケ、男、前髪だけブリーチ、ボンバージャケット、ダメージデニム、ハイカット。
アイス、1パケ、女、外はねボブ、黒のライダース、チェックのミニ、網タイツ、ショートブーツ。
母親の、肌の感じを、思い出せるように——
アイス、3パケ、女、オールバック、黒のキャミ、サテンのロングスカート、ミュール。
アイス、1パケ、女、低めのポニーテール、アイボリーのニット、タイトスカート、パンプス。
ミント色の静脈にアイスが溶けて——
DMT、1cc、男、パーマのロング、ベージュのシャツ、チャコールのスキニー、黒の革靴。
アイス、3パケ、女、茶色のベリーショート、白のワイドパンツ、ピンクのニット、赤のパンプス。
世界が、悪くなるように。




