1.今朝、学校が爆発しました
It is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.
それは馬鹿が語る話、
響きと怒りでけたたましいが、
意味するものは、なにもない。
——ウィリアム・シェークスピア『マクベス』より
《今朝4時ころ、校舎が爆発しました——》
スマホが鳴って目を覚ましたのが朝の6時半ころ、『臨時休校のお知らせ』という通知を開いてみたらこれで、思わず笑ってしまった。
あまりにバカっぽくて。
そして笑ってしまってから、
《人身の被害はありません》
あやうく不謹慎になるところだったと、事後的に胸をなでおろす。
「爆発したんだってな、学校」
寝室を出ると、食卓でヒラクおじさんがいった。
ぼくはこの「おじさん」を漢字で書くことができない。おじさんの名前ではなくて——そっちは「啓」と書いて「ヒラク」と読む——、「伯父」か「叔父」かという意味で。なぜなら、亡くなったぼくの両親より、年上だったのか年下だったのか知らないから。なんなら父方なのか母方なのかも分からない。
「うん、そうらしいね。急にヒマんなっちゃって、なにしたらいいか分かんないや」
「だろうな」おじさんはコーヒーをすすった。この人は朝食をとらない。「俺はそろそろ出るけど、まあ、適当にやれよ」
「そうするよ」といってから、ふと思いついた。「見にいってみようかな」
爆発した学校というのは、そう見られるものではない。日本の学校は、あまり爆発しないので。
「危ないんじゃないか?」
「大丈夫じゃない? もう爆発し終わってるだろうし」
「わからんぞ。まだ爆発してる途中かも」
おじさんはジャケットを羽織り、飲み干したマグカップを台所のシンクに放り込んで、カバンを掴むと「じゃ、気をつけろよ」と言い残して出ていった。
止めはしなかった。そういうところが気に入っている。
バスは、まるで学校なんか爆発していなかったみたいに定刻通り動いていた。
ぼくと同じ学校に通う生徒がまるまる乗らないわけだから、もう少し空いていてもよさそうなものだけど、いつもと同じくらい混んでいた。
みんな会社や学校に向かっていて、焦茶色のカーゴパンツに黒のパーカーという自分の格好がひどく場違いに思えた。
ほとんどの人がスマホを見つめ、何人かは本を読んでいる。小声でおしゃべりをしている人たちもちらほらいるけど、学校が爆発したなんて話は聴こえてこない。
スマホに「学校 爆発」と打って検索してみると、イランの小学校をアメリカが爆撃したとか、それをやったのはイランの政府だとか、そんな見出しのニュース動画が並んだ。6日前だ。
しばらく画面をスクロールしてやっと、《H市北高、校舎爆発》のニュース記事に行き当たる。
学校から通知がきたときも同じように検索したけど、そのときから情報は更新されていないみたいで、コメントの数だけが増えている。
憶測が飛び交っていた。「反政府組織の仕業だ」という人もいれば、「スパイの工作だ」という人もいるし、「AIの反乱」とか「神の怒り」とか、他にも宇宙人とかオバケとか忍者とか。
中には、学校が霊的エネルギーの溜まり場となって爆発に至るまでの仕組みを、理路整然と説明している人もいて、なにをいっているのか全然わからなかった。
バスを降り、複雑な形の交差点をわたってスーパーの脇を通り過ぎたあたりで、自分が喧騒に向かって歩いているのに気がついた。
怒れる群衆の声が聴こえる。なにに怒っているのかは知らないけど。
声は学校へ近づくにつれ強くなっていった。
拡声器の割れた大声に、大勢の肉声が合いの手をいれる。それらの声は、うらぶれた住宅街をめったやたらに反響して、なにをいっているのか聴きとれなかった。
それは彼らの声が、言葉として聴きとれないという意味でもあるし、たとえ聴きとれたとしてもわからなかっただろうという意味でもある。
ただ、なにかに抗議しているのだということだけが、その声色から伝わってくるだけだ。
これは——の問題です
説明を——
——声を、あげなければならない!
言葉の輪郭がいくらか聞き取れるようになってきたのは、もう人だかりがはっきり見えだしたころだった。
細く曲がった通りを抜けると、大きな道路をはさんで学校の正面に出るはずだったのだけど、その通りの出口——両側が雑居ビルに挟まれていて、「交差点」というよりは「出口」という感じだった——が、人垣でふさがれていた。
どこから持ってきたのか、脚立に乗っている人や、掲げられたプラカードに遮られて、学校の様子がちっとも見えなかった。
行手をふさいで口々に叫ぶ人たちの後頭部や、ダンボールにガムテープで取手を貼り付けただけみたいな急拵えのプラカードの裏側を、眺めるともなく眺めながら、そこへ近づいていく。
人混みの向こうから、
「危険ですのでー、近づかないでくださーい」「交差点をふさがないでくださーい、道をあけてくださーい」
あまり真剣とはいえない調子でいうのは警察だろう。
道をふさいでいる人たちは、それにしたがう様子もない。
拡声器が断続的なノイズとともに、ザラついた声を響かせる。
これが未来のニホンの姿ですよ、外国の戦争に加担していれば、いずれこの光景が、この国の日常になる——とか。
そうと思えばまた別の方から、想像してください、これが原発だったら? この辺り一帯は向こう何十年、ことによれば何世紀にわたって、立ち入ることのできない死の街と化すのです——とか。
さらに反対側からも、ここでは何が行われていたんですか! なにが隠されていたんですか! 900人の生徒から学びの場を奪って、何を見せまいとしているんですか!——みたいな叫びが、いくつも折り重なるように響きわたっている。
緑色のトレーナーを着た大学生くらいとみえる男の人が、ぼくの気配に気づいたみたいで、「あ、すいません」と短く詫びると、「人、通りまーす!」と大声で叫んだ。
すると、その周辺で口々になにか叫んでいた人たちが、小さな会釈をしながら、ちょっとずつ右へ左へと体をずらして、人垣の中に人ひとり分くらいのスペースをつくった。
その群がうごめく様子は、B級映画のグロテスクな怪物が、肉の下に隠れていた口をひらくのにどことなく似ていた。そんな映画が実際にあるかは知らないけど。
ぼくはその巨大な怪物の口の中に体をねじ込んだ。
男の人もいれば女の人もいた。老人もいれば若者もいた。その中間くらいの人も。大学生とかフリーターみたいなラフな格好の人もいれば、かっちりスーツを着込んだ会社員風の人もいたし、鋲のついた革ジャンを着たパンクス、頭の右半分だけ髪を白く染めた地雷系、どこかの商店から飛び出してきたようなおばちゃん、あらゆる人が、あらゆる怒りを叫んでいた。
ぼくは人ごみに分け入り、揉みくちゃにされながら、這うような速度で、その叫びの中を、一歩、また一歩と進んだ。
アスファルトのざらつきと、湿った紙片が靴底で折れる音、進む、押される、肩がぶつかる、誰の肘か分からない、息の熱、叫びが連なる、言葉として聞こえた瞬間にはもう別の言葉に上書きされている——
真実を見せろ!
彼らの叫びが、怒りが、奔流となってなだれ込む。
彼らの温度が皮膚に張りつく。誰が責任を取るんだ! 肩がぶつかり続ける。記録を公開しろ! 靴底が擦れて、同じことが続いている! 息が混ざる。これは偶然じゃない! 旗の布が視界を横切る。もう安全じゃない、誰も止められないのか! 誰かが泣いている、いや笑っているのかもしれない、声が重なって判別できない。声を上げ続けろ! 前へ押される。子どもたちを守れ! 黄色いテープが隙間からかすかに、説明しろ今すぐに! ざわめきが段差になって、政府は信用できない! ここも危ない、腕が引かれ、立ち上がれ今だ、視線が交差して、お前たちは共犯だ、誰かの足を踏む、忘れるなこの痛みを、靴音がひとつに潰れていく、全部出せデータを、次はどこで起きる、見て見ぬふりをするな、呼吸が浅くなる、映像を隠すな、この構造が原因だ、見過ごすな、喉の奥が乾く、国民を見ていない、崩れている全部、あいつらの側に立つな、押し戻される。最初から決まっていた、責任者はどこだ、逃げ場がない、群衆が波打つ、仕組みが壊れている、声が割れて重なって——
手を引かれる、離さないでと言われた気がする、誰に、どの手、温度だけが確かで、指先が滑る、また握る。
同じ言葉が反復されるたびに輪郭を失う、遠くでサイレン、近くで拍手、拍手が叫びに飲まれる、言葉と言葉が、ぶつかって砕ける。拾わなくていい声を拾う、意味と意味とが、溶けて混ざり合っていく。
——校舎という象徴は、場所の選択を示唆しながら人々の認識を揺らす。企業と資本が距離を曖昧に保ち、責任は特定されないまま構造として維持される。この爆発は外部へ意味を押し出し、——言語線を切れ——人々は断片から構造を想定しながら現実を別の層に移動させる。現場は隠され、名簿と搬送の流れは説明されないまま、市場は揺らぎ契約書も公開されず監視カメラだけが増えていく。偶然という語は意味を覆い隠す装置として機能し、人々は断片を接続し続け、出来事は独立せず——時間線を切れ——複数の線に分割され、制度が緩やかに重なり現実は移動し続ける。宗教という名の移民。秘密組織の外郭団体。ヘルメット、腕章、バッジ、色が散ってまた混ざる。声をあげろ! 上げ続けろ! 握っていた手をはなす。叫べ、吠えろ! 私たちの声を聴け! 背中が押された気がする、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ、吼えろ——ふと視界が開けた。
「え……?」
思わず声が出た。
道を開けてくださーい、車道に出ないでくださーい、紺色の制服を着た警察官が、拡声器越しにもぜんぜん圧力のない声で、飽き飽きしたみたいにいった。
校門には黄色いテープが張られていて、その気になれば跨いで入れるけど、入っちゃいけないんだな、と分かるくらいにふさがれている。
風向きがかわって、かすかに煙のにおいがした。
それ以外には、いつも通りの学校の姿に違いなかった。
信号が青になって、ぼくは横断歩道をわたった。
校舎は窓ガラスひとつ割れていなかった。
本当に校舎は爆発したんですか? と聞きたかったけれど、横断歩道を渡りきったところに立っていた警官は、心底うんざりという顔をしていたのでやめておいた。
なにかきな臭いにおいがして、警察が非常線を張っている。学校は臨時休校。だから、爆発自体はあったのだろう。ここからは見えない、なんか裏の方で。
振り返ると、怒れる人たちは車道を挟んだ向かい側の歩道を埋め尽くして、まだ口々にそれぞれの怒りを叫んでいた。彼らの顔は真剣そのものだった。切実で、悲痛でさえあった。
彼らの真剣さに報いるために、学校はもっとめちゃくちゃに破壊されているべきだったのではないかと思うほどだった。
プラカードには大きく『No War』とか、『原発再稼働反対』とか、『消費税廃止』とか、てんでバラバラなことが書いてあって、ぼくには彼らの訴えと学校が爆発したこととの間に、どんな関係があるのかわからなかった。仮説さえ思い浮かばなかった。
群衆の中の誰かが——もうすこし限定するなら、拡声器を持った人のうちの誰かが——いった。
「これだけの人が、声をあげるために集まったのだ。その事実こそが、この国の、危機と堕落と退廃とを、象徴しているではないか!」
彼らには、なにが見えているのだろう?
ぼくは、どこへ行くともなく歩きだした。
声は遠ざかっていく。言葉はやがて輪郭を失い、それはもはや、混然とした、ひと塊りの喧騒でしかなかった。ひょっとしたら、それはぼくにも向けられているのかもしれなかった。
意味の剥奪された響きと怒りは、そこらをさまようように、いつまでも反響していた。




