皇国人としての自覚
イコリはおごっていたのかもしれない。
たった数か月滞在しただけで、この地域になじめた気がしていた。
少しは言葉が上達し、わかった気になっていた。
ペロセポネとも、ある程度胸襟を開けていると思っていた。
いや、ある意味、心を開いてくれているのか。
ペロセポネはイコリに中央の言葉で相談していた。
「すべての領が『国』となったら、どう思いますか?」
すべての領が『国』?
通訳を通じて問い返した。
「それはこの地方の領が一つになり、国家を名乗るということですか?」
もしそうなら、神教国側が、それをどう受け取るかという意味だろう。
ペロセポネは答える。
「そうです。これまでは各領がそれぞれ個別に中央政府とばらばらに交渉してきましたが、その交渉の窓口をまとめられるようになります」
イコリは、これまでなるべく穏当な言い方で長官に報告してきた。
しかし…。
国家を名乗ってしまえば、どうにも言いつくろえなくなる。
いや、これまでもとくには「言いつくろった」つもりはない。
イコリ自身が、ペロセポネの考えを理解できない。
「これまでどおりではダメなのですか? なぜ国家を名乗る必要があるのですか? 交渉も全体にかかわることについては代表者を決めればいいのではないでしょうか」
「内部はバラバラです。意思を統一するには、名乗りを変えるというのも一案だと思いいたりました。もちろん、各領の区分は維持しますし、独立するという意味ではありません」
「それをやってしまうと、私も政府にどう報告すればいいかわからなくなります。いや、私の報告に関係なく、中央は確実に反乱の意志ありとみなすでしょう」
「武力派兵もありえるでしょうか」
「そこまで聞くということは、本気なのでしょうか?」
「いえ、こちらには敵対する意思はないので、どういったものの見方をするだろうと参考意見をお聞かせ願いたいのです。
それにこれは、ただの一案です。もしこうしたらどうなるだろうという、夢想のようなものでしょう」
本当に悪意がないからこそ、こんなだいそれた相談をできるのだろう。
だが、それと神教国の見方は関係がない。
「もし国家を宣言とした場合、もう一度言いますが、まちがいなく反乱とみなします。当然、武力行使も辞さないでしょう。…ただ、食事も一緒にした仲です。正直に言います。すぐには派兵できないでしょう。お聞き及びの通り、本国は西方との会戦に備えており、実は物資援助の話が進まなかったのも、それが主な原因です」
宣言を…いや、将来の戦争を回避するには言うべきことではなかったかもしれない。言ってから焦ったイコリは、「自分は軍事部門ではないので、実際のところはわからない」と通訳に付け加えてもらった。
イコリは通訳ではなく、ペロセポネの方を見ながら話した。
ペロセポネもイコリの目を見つめている。心を見透かそうとしているのだろうか。
実は、正直に話してしまったのは、そのせいもあった。
この人に嘘は、見破られる。
短い付き合いだが、そんな印象を持っていた。
「ただ、お互いの仲が決定的に険悪になるのは間違いありません。今は中央との人の往来も増えています。西方のように敵対関係となれば、それも難しくなるでしょう。それは残念でなりません。
私もあなたの人となりを見てきたつもりです。まさか本気とは思いませんが、中央から見ればかなりの重大事だということは、強く伝えておきます」
「…はい、もちろん、弊害があるのでしたら。ただ、一案として、頭の中に浮かんだだけです」
イコリは半信半疑ながらも、ホッとしている自分に気づいた。
そうか。自分は神教国の人間なんだ。
いくら南方の人々に親しみを感じるとしても、その思想・行いが神教国の利害に関係するのであれば、平静ではいられない。
いったん、自分に貸し与えられた住まいに戻った。
すこし落ち着くと、
途端に、孤独と恐怖を感じた。
通訳も神官…つまり公務員だが、あまり政治的なことに強い関心がないようだ。
北方からきている人間もこの街にいるが、こんな悩みを民間人に打ち明けられない。
ここは、敵地だ。
味方はいない。
本当に、先ほどの相談は戯れだったのか?
風通しようの穴から外を覗いてみた。
監視されているかもしれない。
この通訳もペロセポネに篭絡されたのでは?
だれも信用できない。
まず気持ちを落ち着けよう。
公務で来ている自分を殺せば、ペロセポネが懸念していた開戦になる。
少なくとも、その可能性を危惧するだろう。
そもそも自分から勝手に相談しておいて口封じというのも、彼女の人物像に合わない。
それから数日間、疑心暗鬼になりつつも滞在を続けた。
長官にはどう報告をすればいいんだ。
そしてある日、ペロセポネから伝言が届いた。
「今回の領主たちので、ある重大な決定がなされた。今後、私の目が行き届かないところで、皇国の公職にある貴殿に心得違いの行動をとるものもいるかもしれない。貴殿が自身や同行者の身を守るための行動を起こすなら、それを支援する」
伝言役は路銀と馬車を示した。
ペロセポネは立国を決意したということだろう。
そのとたん、自分の身を案じなければならなくなった。
そうか。
そうだったのだ。
路銀は必要な額だけ受け取ったが、馬車の貸与は辞し、自分で脚を手配した。
遠慮したのではない。
念には念を入れた。
自分は、ここでは外国人だった。
どれだけ打ち解けたと思っても、神教国の人間であることは避けられない。
優しくしてくれた住民たち、慣れてきた食事。
中央にいては味わえない現地の新鮮な果物。
その思い出が、かえって彼をみじめにさせた。
まとまらない思考の中、イコリは通訳とともに、帰路につくことになった。
彼は、皇国、いや三国の中では、きわめて南域に同情的だった。
最初から、皇国の利益の代表者としての自覚がつよければ、このように悩むこともなかっただろう。
だが、彼の優柔不断を、私は責める気にはなれない。
彼はただ、目の前にいる人々を大事に思える、そして同時に故郷を守りたいと思う、一人の良き人間だった。
それだけのことだ。
ペロセポネやその周辺のバハリク朝への不満が和らいだのは、
まぎれもない、彼と彼が連れた通訳の功績だった。
だが、ペロセポネが独立を選んだ以上、
その功績は彼自身も無自覚に終わったし、皇国のだれもがそれを評価できなかった。
むしろ、現地に居ながらにして、この大事件を察知できなかったことで、能力や忠誠心を問われるだろう。
しかし、私は知っている。
彼は、真摯だった。
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