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それは一年の始まりに城で行われる貴族のみの祝賀、花祭りの時であった。
伯爵家の嫡子として参加していた当時17歳だったマリユスは、その会場で運命的な出会いを果たす。手入れが行き届いた息を呑むほど美しい庭の会場で、彼は一人の少女に心奪われた。
花祭りではその年に10歳を迎える貴族令嬢を妖精にみたて、舞を披露する風習があった。揃いの可愛らしい衣装で身を包み、儀式用の剣を手に踊る姿は誰の心にも幸福と和やかさを生むのだが、その中でもひときわ目立つ存在感を放った少女がいたのだ。
栗色の髪を羽のようにふわりと広げ、最も高い完成度で舞っていたそれこそ妖精としか思えない可憐な少女。当時10歳だったアンジェリーナことロランである。
子爵でありながらけして怒りを買ってはいけない異質な一族の令嬢は、その年の花祭りの注目を一心に集めながらも臆することなく立っており、幼さなど関係ないほどマリユスを魅了した。
「さすが叔母上の娘だな。幼女ッぷりが半端ねー」
学友であったため隣には王太子もいたのだが、彼の品位の無い言葉は重要な部分以外耳に入らない。
それでも無意識に足が出て、小指を容赦なく踏みつけていたのだから、その頃から十分に鬼畜だったことが窺える。
「ということは、ビルクナー家の令嬢ということか?」
「ってー……。そう言っただろうが。まあ俺も直接会ったことはねえけどな。たぶん初めて見る奴がほとんどじゃねえの?」
「そうか。名前は――知らないと。使えない奴だな」
舞が終わっても、マリユスの視線はロランに固定され、どれだけ王太子がちょっかいを出しても外れることはなかった。ちなみに二人は、素を出してのやり取りを誰にも見られずに繰り広げている。
マリユスは今か今かと待っていた。この後は妖精たちが祭りの参加者一人一人に、自分の分身として造花を贈ることになっている。人数が多ければ分担するが、この年はそうでもなかった為、少女たちは手に持った籠を花で一杯にしせっせとそれを配っていた。
途中、周囲をはばからず泣きながら受け取っていたのは家族だろうか。兄らしきものなど親しげに頬へキスしている。
「ちょ、マリユス。なんで俺の腕を掴んで……いた、いたたた! 折れる、折れるから! 俺これでも王太子!」
「……殺してやりたい」
「え?! 俺を? 俺をなの?!」
それを見た途端、マリユスの嫉妬は簡単に爆発した。
王太子の懇願は虚しく無視され、胸の内に蠢くのはどす黒い感情のみ。
あの子の笑顔を独り占めしたい。苛めて泣かせて、羞恥心に悶えさせながら懇願させ、全身余すところなく愛でつくしたい。自分以外であの柔肌に触れた者は、指を切り落とし、目を潰し、二度と陽の下に出られなくするべきだ。
変態を通り越した悪魔が誕生した瞬間である。事実マリユスは、ロランの乙女を散らせた者を秘密裏に葬り去った。それ以降の関係を持った者については、彼女が望んだことだからと温情を与え些細な報復で済ませていたが、その内容は精神衛生上割愛しておこう。
そして、後少し遅ければ王太子の腕が折れていたであろう頃に、とうとうロランがマリユスたちの所へとやってきた。
「お初にお目にかかります、王太子殿下。ならびにマリユス様」
「素晴らしい挨拶をありがとう。名前を窺っても良いかな、小さなレディ」
すぐさま王太子は仮面を被り、マリユスも泣く泣く立場を弁え自分の欲望と嫉妬を抑える。
それでも威圧感はぬぐえなかったのか、王太子は微笑みつつも首の後ろに冷や汗をかいていた。
小さな白い花でできた冠をかぶり、背中で羽にみたてた大きなリボンを揺らすロランは、それはもう可愛らしかった。王太子と血の繋がりがあるなど信じたくないほどに。
「えっと、アンジー……あ、いえ、アンジェリーナです」
ロランは王太子の王子っぷりに照れてしまったのか、困ったようにもじもじとしつつなんとか答えようと頑張っている。この王太子、中身はそこらの不良と変わらないのだが外面だけは良いのだ。
ちなみにロランも、この時はまだ純粋さに溢れていた。
鼻血が出そうだ。マリユスが本気でそう思っていれば、彼女の兄が普通にそうなっている。おかげであれは無いなと冷静さを取り戻すことができた。
その間で王太子が祝福の花を受け取り終わっており、ロランの純真無垢な瞳がマリユスへと向いている。彼は慌てて膝をついて視線を合わせた。
「初めまして、アンジェリーナ嬢。とても素敵な舞い姿でしたね」
「お褒めいただきありがとうございます。マリユス様にも今年一年、幸福がおとずれますように」
そして、小さな手が一輪の花を差し出してくれた。
桃色のそれはまさしくロランにぴったりだった。贅沢を言うならば、造花ではなく本物が良かったが。
余談だが、これは十二年経っても大切に保管されることになる。しかし贈った本人は、それを見ても全く記憶が蘇ることがなかったそうだ。
マリユスは満面の笑みを浮かべ受け取る。隣で王太子が驚愕しているのには気付かない。
「スイートピーですね。花言葉は小さな喜びですが、知っていましたか?」
「はい! 皆様に小さくても喜びが訪れますようにと思って選びました」
「少なくとも私は、アンジェリーナ嬢のおかげでそうなれましたよ」
さらには親愛のキスまで贈るのだから、この時に王太子は、できることなら否定してもらいたい可能性を抱いてしまった。マリユスがアンジェリーナに恋をしてしまったという最悪な可能性を。
残念ながらそれは正しく、アンジェリーナが去ってからもその背中を見つめ続けるマリユスは、いつもの彼に戻りながらもひっそりと呟いていた。
「あと5年……。7歳差か」
「マリユス? あのさ、もしかして、まさかだよ。間違ってたら殴ってくれて良いんだけどさ」
「簡潔に言え」
「アンジェリーナ嬢を見初めたとか……」
けれど、王太子の耳にはしっかりと届いてしまっており、恐る恐る尋ねる。
するとマリユスは、ゆっくりと彼の方へ視線を移すと鼻で笑った。
だからこそ安堵したのだが――
「当たり前だろうが」
「そうだよなー、いやあ安心…………は?!」
「まさかお前もそうなら、俺は明日には反逆者だな」
「いやいや違うから、そんなわけないから! ていうか、そうでなくとも俺は許さんからな!」
最悪に夢であってほしい現実をさも当然のように宣言され、王太子は嘆き決意した。
マリユスは最初から側近候補として出会っており、その有能さは学生の頃から信頼できるものだったが、その反面友人としてはとてもじゃないが良い奴とは言えなかった。
冷酷、極悪、非道、鬼畜。そういった単語はマリユスの為に存在するといっても過言ではない。あのようないたいけな少女を毒牙にかけるなど、親類でなくとも王族として防がなければならなかった。
「別にお前の承認など必要ないだろ」
「いいや、従兄として正当な権利を主張させてもらう!」
「叔父ならまだしも、交流もないくせに」
「だとしてもだ! 王太子として、俺の許しなくアンジェリーナと婚姻することを禁じる! 安易な接触もだ!」
まさかそれが、後にロランの逃げ道を塞ぐとは思いもせず、また友人の変態度合いを引き上げてしまうとも予想しえず、王太子は言い切った。
難色どころか暴力で非難してくると思っていた分、マリユスが少し思案しただけであっさりと頷いたのが逆に怖かった。
けれど、あの一家が易々とアンジェリーナを手放すとは考えにくいしと、取り越し苦労になるのを期待していたのも事実。
マリユスがこれから先、そこらの暗殺者よりよっぽど腕が良い二つ目の才能を開花させたり、自分たちを倒さなければ婚約者候補に名乗りを挙げるのも許さないと豪語した子爵一家を唯一捻じ伏せるなどは、神ですら分からなかっただろう。
ただし、彼もまたその頃は欲望を叶えるための地盤固めに手一杯で、ロランの失踪を阻止できなかった。
おかげで見つけた頃には、簡単には攫えない実力者となっており、楽しみにしていた諸々も儚く崩れてしまったのだが、12年も費やしたのだからもはや逃がすつもりはない。
おそらくマリユスほどロランを知っている者はいないだろう。天才的な技術をただのストーカー行為のために惜しげもなく使い、興味を引くためならばプライドもなにもかもを捨てヘタレを演じるほどなのだから。
はたしてロランはこの強敵を撃破することができるのか。背後にはこれまた規格外な家族が味方に控えているせいで、希望的観測で逃げるのが精一杯な気がするが、騎士になることについては彼女の夢が叶ったといえよう。
「陛下、今回の解決策を提示する代わりに、昔の約束のお許しを頂いてもよろしいでしょうか」
「本当か?! 覚えてないが許す! 許すからさっさと話せ!」
「ありがとうございます」
まさかこのような流れで唯一力を貸してくれそうだった相手が引導を渡していたなど知れれば、日々ロランの苛立ちのとばっちりを受ける部下たちは一斉に蜂起するだろう。
この国の命運は、鬼畜な羊と愛らしい狼によって左右されるというわけだ。
さあ――勝利の女神はどちらに微笑む?
「まあ、すでに本人の言質も取ってあるんだがな」
傭兵上りの騎士で構成された部隊が出来てからというもの、城は今日も賑やかな一日を迎えていた。