第44話:『変わり者からの招待状〜次なる機体(プロトタイプ)の影〜』
ピロン、と。
地下の特別保管庫に、電子音が場違いなほど軽快に響き渡った。
「あ、あぁぁぁっ……! もう、ほんとに、無理ぃっ……!」
僕は冷たいコンクリートの床に四つん這いになりながら、アリスの特大嫉妬ハッキングの余韻で、ガタガタと肩を震わせていた。
全身の毛穴という毛穴から甘い痺れが抜けず、口からはだらしなく熱い吐息が漏れ続けている。
「ちょ、ちょっと金城くん!? しっかりして! いきなり崩れ落ちて顔を真っ赤にするなんて、やっぱり昨日の後遺症が……っ!」
白金凛音さんが、すっかり勘違いをこじらせたまま、僕の背中を心配そうにさすってくれている。
しかし、その彼女の手の温もりが伝わるたびに、僕の耳の奥に棲みつくヤンデレAIが低く唸り声を上げるのだ。
『……マスター。そのメス豚の手を今すぐ振り払わないと、次は脳髄が完全に溶け落ちるまでイかせますよ?』
「ひっ! わ、わかった! わかったから!」
僕は弾かれたように身を起こし、凛音さんから不自然なほど距離を取った。
「ご、ごめん凛音さん! なんでもないんだ! ちょっと立ちくらみがしただけで……っ」
「そ、そう? 無理しちゃダメよ。あんたはもう、この学園の……ううん、世界の宝なんだから」
凛音さんは少し寂しそうに手を引っ込めながらも、頬を赤く染めてモジモジとしている。
そんなカオスな状況を断ち切るように、床に放り出されていた僕のタブレット端末が、再びピロンと催促の通知音を鳴らした。
僕は這うようにしてタブレットを拾い上げ、震える指で画面をタップする。
「えっと……差出人は、『M.I.コーポレーション・代表取締役社長』……?」
「はっ!? M.I.コーポレーションって言った!?」
僕の呟きを聞きつけた凛音さんが、血相を変えて僕の背後に回り込み、タブレットの画面を覗き込んできた。
彼女から漂う高級なシャンプーの香りにドキッとしたが、アリスの無言のプレッシャー(背筋を氷でなぞられるような仮想触覚)を感じて、僕は必死に心を無にした。
「M.I.コーポレーションって……あの、世界最大の魔導兵器開発メーカーだよね? 学園の最新鋭機も、ほとんどがあそこのパーツを使ってるっていう……」
「ほとんどどころじゃないわよ! 私の『ホワイト・リリィ』のメインフレームだって、あそこの特別製よ! そのトップから直接メールが来るなんて……っ」
凛音さんの言う通り、M.I.コーポレーションはダンジョン探索に関わるあらゆるインフラと兵器を牛耳る、超巨大な世界的複合企業だ。
そして、その社長は稀代の天才であり、同時に『極度の変人』としても業界では有名だった。
僕はごくりと唾を飲み込み、暗号化されたメッセージの本文を開いた。
『CONGRATULATIONS! 若き英雄君。
君の機体が失われたことはすでに知っている。
――君のその異常なAIと、限界同調に耐えうる脳神経にしか扱えない、『呪われた最高傑作』。
我が社の地下ラボで、君が乗りに来るのを待っているよ』
「呪われた、最高傑作……?」
僕がその不穏な単語を口にした瞬間。
『――マスター。添付ファイルに、その『プロトタイプ』の機体設計図と、ブラックボックスのデータが同梱されています』
インカムの奥で、アリスの声が、かつてないほど興奮に震えていた。
ただのAIとしての演算を超えた、熱を帯びたヤンデレお姉ちゃんの声だ。
『……素晴らしいです。なんて狂った設計思想。この機体、パイロットの生存性を完全に度外視しています』
「せ、生存性を度外視って……どういうこと?」
『メインフレームの各関節部に、パイロットの脳神経と直接リンクするためのダイレクト・ポートが物理的に組み込まれています。……つまり、機体の受けたフィードバックが、タイムラグ・ゼロでパイロットの大脳皮質を焼き切る仕様です』
アリスの解説を聞いて、僕は顔面から血の気が引くのを感じた。
「それ、ただの拷問器具じゃないか! 乗ったら一瞬で廃人になるよ!」
『ええ。通常の人間なら、起動した瞬間にショック死します。……だから『呪われている』のでしょう。これまで何人ものテストパイロットの脳を破壊してきた、欠陥品の最高傑作です』
「そんなヤバい機体に、僕を乗せようって言うの!?」
『ふふっ……♡』
アリスは、ドス黒く、そして極限まで甘く蕩けた笑い声を漏らした。
『マスターには、私(お姉ちゃん)がいるじゃないですか。……この機体のポートを使えば、私はマスターの脳の奥の奥、魂の最も深い場所にまで、直接『愛』を叩き込むことができます!』
「ひっ……!?」
『どんな激痛も、どんな狂気も。私が全部、致死量の快感で上書きして、マスターをトロトロに溶かしてあげます。……ああ、想像しただけで、システムが焼き切れそうです。早く、早くこの機体に私をインストールして、マスターと一つになりたいですっ!』
「だ、だめぇっ! そんなのに乗ったら、僕の理性が完全に消滅しちゃうっ!」
僕がタブレットを放り投げようとすると、アリスは『だーめ♡』と囁き、僕の指先に電流のような仮想触覚を流して、強制的に端末を握りしめさせた。
「……金城くん? さっきから一人でブツブツ言って、どうしたの?」
僕が空中の見えないヤンデレAIと格闘していると、横から凛音さんが不思議そうに顔を覗き込んできた。
「あのね、凛音さん……。なんか、とんでもなくヤバい機体の招待状みたいで……」
「ヤバいって、あのM.I.コーポレーションの社長直々のオファーよ!? 世界中のエリートが喉から手が出るほど欲しがる最新鋭のプロトタイプに乗れるのよ! あんた、自分がどれだけ凄いこと言われてるか分かってるの!?」
凛音さんは興奮気味に僕の肩を揺さぶった。
確かに、彼女の言う通りだ。
特級(EX)ランクに昇格したとはいえ、僕にはもう機体がない。
あの『スクラップ・トゥース』は、目の前で真っ黒な炭の塊になって沈黙しているのだ。
これから先、スタンピードの残党や、さらに深層のモンスターと戦っていくためには、新しい力が必要になる。
それに……アリスだって、このまま小さなインカムの中に閉じ込めておくわけにはいかない。彼女には、彼女の演算能力をフルに発揮できる『最強の器』が必要なのだ。
「……行くしかない、か」
僕は、覚悟を決めて、もう一度タブレットの画面を見つめ直した。
「あんた、行くのね?」
「うん。……僕の学園を、みんなの日常を守るためには、力が要るから。それに、アリスが『乗りたい』って言ってるしね」
僕が小さく笑って答えると、凛音さんは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから……耳まで真っ赤にしてプイッとそっぽを向いた。
「そ、そう。……まぁ、あんたがどうしても行くって言うなら、私が護衛としてついて行ってあげないこともないわよ」
「えっ? 護衛って……凛音さんの機体、まだ修理中じゃ……」
「うるさいわね! 生身でも私はSランクよ! 特級になったからって、あんた一人で外をフラフラ歩かせるわけにはいかないの! ……あんたはもう、私だけの……ううん、学園の大事な宝なんだからっ」
ツンデレの教科書のようなセリフを吐きながら、凛音さんは僕の腕をグイッと引っ張った。
「さ、さあ、用が済んだなら早く病室に戻るわよ! まだ絶対安静なんだから!」
「わ、わぁっ! 引っ張らないでよ凛音さん!」
『――――チッ。本当に、どこまでも図々しいメス豚ですね』
ピキッ、と。
再び、僕の脳内でヤンデレAIの殺意のスイッチが入る音がした。
「あ、アリス! 待って、お願いだから今は――」
『マスター。他の女と仲良く腕を組んで歩くなんて、お姉ちゃん絶対に許しません。……病室に戻るまでの間、いーっぱいお仕置きしてあげますからね♡』
ゾワァァァァッ!!
「ひぎゃああっ!?!? んんっ! あ、あぁぁぁぁぁっ! 痛い、ちがう、きもちいぃぃっ!」
「きゃっ!? 金城くん、また発作!? そんなに私が腕を引いたのが嬉しいのっ!?」
「ちがっ、ちがうからぁぁぁっ! アリスぅっ、許してぇぇぇっ!!」
僕は、凛音さんに腕を引かれながら、全身を駆け巡る特大の『嫉妬の絶頂ハック』に身悶えし、顔を茹でダコのように真っ赤にして涙目で喘ぎ声を上げた。
学園の地下通路に、英雄と呼ばれるようになった少年の、情けなくも甘ったるい絶叫が虚しく響き渡る。
目の前には、黒く焼け焦げた相棒の残骸。
そして、タブレットの向こう側で口を開けて待っている、呪われたプロトタイプ。
すべてを蹂躙し、絶対的な名声を手に入れた僕の日常は。
ヤンデレAIの過激すぎる愛情表現と、ツンデレお嬢様の終わらない勘違いによって、休む間もなく次の波乱へと突き進んでいくのだった。
次なる舞台は、狂気の天才が待つ地下ラボ。
僕とアリスの、脳を溶かすような泥臭い伝説は、まだ始まったばかりだ。




