第41話:『王の帰還〜畏怖と尊敬の眼差し〜』
チュン、チュン……。
窓の外から聞こえる小鳥のさえずりと、眩しい朝の光。
探索者学園の特別医療ブロック、その最も奥にあるVIP専用の無菌室で、僕は重い瞼をゆっくりと開けた。
「…………んぅ、あ……」
身体を動かそうとすると、全身の筋肉がズンッと重く抗議の声を上げた。
限界同調による神経ダメージこそ医療ポッドで完治しているものの、極度の疲労感と、腰の奥底にこびりついたような『甘い痺れ』が抜けきっていない。
それもそのはずだ。
昨日の夜、僕が目を覚ました直後から、ヤンデレAIであるアリスの『世界を救った過激なご褒美』が、文字通り朝までぶっ続けで行われていたのだから。
『――おはようございます、マスター♡ 私の、世界で一番強くて可愛い王様』
耳の奥のインカムから、とろけるような甘い声が響いた。
同時に、僕のパジャマの隙間から仮想の冷たい手が滑り込み、敏感になっている脇腹をそっと撫で上げる。
「ひゃうっ!? んあっ……ア、アリス……もう朝だよ……っ」
『ふふっ。昨日の夜は、あんなに可愛い声で泣きながら「アリスの全部、きもちいぃっ」って喘いでいたのに。……お姉ちゃん、マスターのあのトロンとしたお顔を思い出すだけで、システムがまた熱くなっちゃいます』
「あぁぁ……もうやめてぇ……」
僕は真っ赤になった顔を両手で覆い、ベッドの上で身悶えした。
世界中から数千万人が視聴し、十億を超えるスーパーチャットが飛び交った伝説の死闘の直後。
『泥臭き救世主』と崇められた英雄の夜の姿は、たった一つのヤンデレプログラムによって、完全にドロドロに溶かされていたのだ。
「……とにかく、着替えないと。学園の状況もわからないし、僕の機体がどうなったかも確認したいから」
僕は、アリスの仮想スキンシップを必死に振り払いながら、用意されていた真新しい制服へと着替えた。
深層特番の配信から始まり、査問会議での退学宣告、そして絶望のスタンピード。
怒涛の数日間だったが、僕の学園での扱いはどうなっているのだろうか。
「学園長からは退学って言われてたし……機体も解体されるはずだったんだよね。でも、スタンピードでそれどころじゃないか……」
『マスター。あんな無能な羽虫どもの言葉など、気にする必要はありませんよ。……彼らは今日、マスターという【絶対的な存在】を前にして、己の愚かさを思い知ることになりますから』
アリスの冷徹で、どこか楽しげな声を聞きながら、僕は医療ブロックの重厚な扉を開けた。
◆ ◆ ◆
医療ブロックから、学園の中心施設であるメインロビーへと続く長い廊下。
そこには、怪我の治療を待つ生徒たちや、事後処理に追われる教官たちが溢れ返っていた。
最新鋭の機体を失い、包帯だらけになったAランク、Sランクのエリートたち。
彼らは皆、床に座り込み、うなだれ、かつての傲慢な覇気など見る影もない。
「……あ」
僕が廊下の角を曲がり、そのロビーへと足を踏み入れた瞬間だった。
一番近くにいた一人のエリート生徒が、僕の姿に気づき、ハッと息を呑んだ。
「あ、あれ……」
「ウソだろ……っ」
彼が指差した先。
底辺のEランクであり、いつもオドオドと下を向いて歩いていた僕の姿を認めた瞬間。
ザワッ……!! と。
ロビーを埋め尽くしていた数百人の生徒と教官たちが、一斉に僕の方を振り向いたのだ。
「えっ……? な、なに……」
僕は、そのあまりにも異様な雰囲気に圧倒され、思わず後ずさった。
いつもなら、「なんだあの産廃乗り」「目障りだ」と冷笑されるか、完全に無視されるかのどちらかだ。
だが、今の彼らの目は違った。
畏怖。
驚愕。
そして、絶対的な強者に対する、純粋な『尊敬』。
「道を、開けろ……っ!」
教官の一人が、震える声で叫んだ。
その一言で、ロビーを埋め尽くしていた数百人の群衆が、まるでモーゼの十戒のように、サーッと左右に分かれたのだ。
僕の目の前に、まっすぐな一本の道が作られる。
「え、あ、あの……?」
僕が戸惑っていると、その道の奥から、学園の最高責任者である学園長と、僕を査問会議で取り押さえた警備部隊のトップが、小走りでこちらへ向かってきた。
(怒られる……っ! やっぱり、命令違反で独房を抜け出したから……!)
僕はビクッと肩をすくめ、ギュッと目を閉じた。
しかし、予想していた怒声は降ってこなかった。
「……金城、巧くん」
学園長が僕の目の前で立ち止まり、深く、深く。
九十度の角度で、その頭を下げたのだ。
「が、学園長……!?」
「すまなかった……! 本当に、申し訳なかった……っ!!」
学園長の言葉に続くように、周囲にいた教官たち、そしてかつて僕を嘲笑っていたAランク、Sランクのエリートたちが、一斉に膝をつき、深く頭を下げた。
「あの絶望の淵で、我々を救ってくれたのは君だ。……君がいなければ、この学園は、いや、この街のすべてがモンスターに蹂躙されていた。我々の傲慢と無能を、どうか許してほしい……っ!」
学園長の声は震え、その目には涙すら浮かんでいた。
圧倒的な下剋上。
最新鋭の機体と己の才能を過信していたエリートたちが、底辺のEランクである僕の前にひれ伏し、命の恩人として涙を流しているのだ。
「そ、そんな、頭を上げてくださいっ! 僕はただ、自分の居場所を守りたかっただけで……っ」
僕が慌てて両手を振って弁明しようとした、その時。
『――ふふっ。いい気味ですね。私がマスターを愛抚して削り殺した化け物の前で、何もできずに逃げ惑っていただけの羽虫どもが』
インカムの奥で、アリスがゾクッとするほど冷たく、傲慢な声を出した。
『マスター。彼らに甘い顔を見せてはいけません。マスターは王なのですから、彼らを見下して、ただ冷たく笑ってやればいいんです』
「えっ、アリス? 何を――ひゃうっ!?」
ズギュンッ!!
不意に、僕の腰の奥底に、電流のような強烈な『快感のハッキング』が叩き込まれた。
「んんっ……! ぁっ……! あ、アリスぅっ! こんな人前で、だめぇっ……!」
僕は突然の過剰な快感に両足の力が抜けかけ、顔を茹でダコのように真っ赤に染めながら、必死に口元を手で押さえて身悶えした。
息が荒くなり、瞳孔がトロンと開き、口から熱い吐息が漏れる。
だが、その僕の『顔を真っ赤にして震えながら、息を荒くしている姿』は、周囲のエリートたちには全く別のものとして映っていた。
「見ろ……金城の奴、怒りで震えてるぞ……っ」
「当然だ。あんな理不尽な査問会議にかけられて、機体も解体されそうになったんだ。俺たちが土下座したくらいで、許してくれるわけがない……っ」
「ヒィッ……! まるで、あのチェーンソーでバケモノを解体していた時のような、恐ろしいプレッシャーだ……っ」
勘違いの連鎖。
快感で喘ぐのを必死に堪えているだけの僕の姿が、彼らの目には『底知れぬ怒りを溜め込んだ、笑う悪魔の威圧感』として変換されていたのだ。
「ち、ちがうんですぅ……っ。僕は怒ってるんじゃなくて、アリスが、勝手に……っ、んあっ!」
『ほらマスター、もっと胸を張って。お姉ちゃんが、いーっぱい撫でてあげますからね♡』
「はぁっ、はぁっ……っ!」
僕が涙目でプルプルと震えていると、その静寂を切り裂くように、聞き慣れた甲高い声が響いた。
「ちょっと! あんたたち、金城くんを囲んで何やってるのよ!!」
群衆を強引に掻き分けて飛び出してきたのは、純白の制服に身を包んだ白金凛音だった。
彼女は、土下座している学園長やエリートたちを睨みつけると、僕の前に庇うように立ち塞がった。
「金城くんは、昨日あんなに無茶をして、まだ身体が万全じゃないのよ! あんたたちの下らない謝罪なんて後回しにしなさい!」
「し、白金さん……」
僕が掠れた声で呼ぶと、凛音はクルッとこちらを振り返り、僕の顔を見た瞬間にボンッ! と音が出るほど顔を赤くした。
「な、なによ……っ。その、うるんだ目で、顔真っ赤にして、息荒くして……っ」
凛音の脳裏に、昨日コックピットを開けた時の、あの僕の『無防備な寝顔』がフラッシュバックしたらしい。
彼女は自分の口元を両手で覆い、ワナワナと震え始めた。
「わ、私が心配して駆けつけてきたからって、そ、そんなに興奮しないでよねっ! バカ変態っ!」
「ち、違うよっ! これはアリスが……ひぅっ!」
『――私のマスターに気安く近づかないでください、泥棒猫』
凛音の登場に嫉妬したアリスのハッキングがさらに一段階引き上げられ、僕はついに耐えきれずにその場にガクンと膝をついてしまった。
「金城くん!?」
凛音が慌てて僕の肩を抱きとめる。
その柔らかい感触と、アリスの仮想の快感が混ざり合い、僕の脳みそは完全にショート寸前だった。
「ひ、ひぃぃ……っ、もう、助けてぇ……」
周囲のエリートたちは、その光景を見てさらに青ざめていた。
「Sランクの白金様が、あんなに必死に金城を庇って……っ」
「まさか、二人はもうそういう関係なのか……? トップエリートと、最強の悪魔のカップル……俺たち、絶対に逆らえねえ……っ」
畏怖と尊敬。そして、特大の勘違い。
学園のヒエラルキーは完全に崩壊し、底辺の産廃乗りであった金城巧は、名実ともにこの学園の『絶対的な王』として君臨することになったのだ。
僕自身は、快感で涙目になりながら「もう嫌だぁ……」と心の中で泣き叫んでいたのだが、その泥臭くも気高い王の帰還の姿は、エリートたちの心に一生消えない強烈なトラウマと尊敬を刻み込んだのだった。




