第39話:『夕陽に照らされる血塗れの産廃〜英雄の帰還〜』
西の空から差し込むオレンジ色の夕陽が、完全に崩壊した学園のキャンパスを赤く染め上げていた。
二十メートルを超える災厄級の融合体が、綺麗な直線を描いて左右に真っ二つに割れ、地響きと共に崩れ落ちてから数分。
学園を覆い尽くしていたおびただしい数のモンスターの群れは、ただの一匹も残らず駆逐され、あたりには不気味なほどの静寂が降り降りていた。
聞こえるのは、あちこちで燃え上がる炎の爆ぜる音と。
そして、巨大な死骸の上に立つ、一機のボロボロの魔導機甲から漏れ出す、冷却液の蒸発するシューッという微かな音だけだった。
「…………終わっ、たのか……?」
瓦礫の陰に身を潜めていたエリート生徒の一人が、震える声で呟いた。
「ああっ……。あのバケモノが、死んでる……。俺たち、助かったんだ……っ!」
教官たちも、AランクやSランクのトップエリートたちも、誰もが信じられないものを見るように、その光景を呆然と見上げていた。
彼らの視線の先にあるのは、左腕も左脚も失い、全身の装甲がひしゃげ、真っ黒に焼け焦げた二世代前の旧式機体。
右腕に握られていたはずの巨大なチェーンソー『スクラップ・トゥース』は、限界を超えた摩擦熱とプラズマの負荷によって完全に融解し、もはやただの歪な鉄の塊と化していた。
誰の目から見ても、それは動いているのが不思議なほどの『産廃』だった。
だが、今の彼らにとって、その血とオイルにまみれた不格好な機体は、どんな最新鋭の機体よりも気高く、圧倒的で、そして神々しい存在として目に映っていた。
「あんな……あんなボロボロの機体で……たった一人で……っ」
「俺たちが束になっても傷一つつけられなかったバケモノを、真っ二つに……」
エリートたちの顔に、もはやかつての傲慢なプライドは欠片も残っていなかった。
あるのは、絶対的な力と狂気に対する畏怖。
そして、自分たちの命を救ってくれた、泥臭き『笑う悪魔』に対する、深い感謝と敬意だけだった。
「おい、待てよ……。あの機体、動かないぞ……っ!」
一人の教官が、ハッとして叫んだ。
その言葉に、周囲の空気が一気に凍りつく。
限界を遥かに超えた機動。装甲が溶けるほどの毒ガスの中への突貫。そして、ジェネレーターを暴走させての最後の一撃。
搭乗者の脳神経にダイレクトに機体を接続する『限界同調』を行っていたとすれば、あの狂気的な戦闘の代償は、間違いなく搭乗者の『命』そのものだ。
「まさか……死んだのか……?」
その不吉な囁きが広がろうとした、その時だった。
「どいてっ! そこをどきなさいっ!!」
悲痛な叫び声と共に、泥だらけになった純白のパイロットスーツ姿の少女が、群衆を掻き分けて飛び出してきた。
Sランクのトップエリート、白金凛音だ。
「金城くんっ! 金城くんっ!!」
凛音は、崩れた石畳に足を取られ、何度も転びそうになりながらも、ただ一心に、沈黙した産廃機体を目指して走り続けていた。
純白のスーツは黒い煤と泥で汚れ、美しい銀髪も乱れきっている。
普段のツンデレで気高いお嬢様の面影など、どこにもない。
ただ一人の少年の安否を気遣い、涙で顔をぐしゃぐしゃにした、年相応の女の子の姿がそこにあった。
「開いてっ! コックピット、開けぇっ!」
凛音は、機体の足元に辿り着くや否や、熱を持った装甲に素手でしがみつき、火傷も厭わずに外部の緊急脱出ハッチのレバーを力任せに引いた。
プシューッ……!!
鈍い排気音と共に、ひしゃげたコックピットのハッチが、重々しい音を立ててゆっくりと開いていく。
中から、焦げた配線と血の匂い、そして微かな甘い香りが入り混じった空気が漏れ出してきた。
凛音は息を呑み、震える手でコックピットの内部を覗き込んだ。
もし、彼が限界同調のショックで脳を焼き切られ、変わり果てた姿になっていたら。
もし、あの狂気的な高笑いのまま、命を散らしていたら。
そんな最悪の想像が脳裏を過り、心臓が凍りつきそうになる。
だが。
「…………えっ?」
コックピットの中を覗き込んだ凛音は、拍子抜けしたように、パチクリと目を瞬かせた。
そこには。
「んぅ……アリス……あったか、い……えへへ……」
血と汗と、そしてなぜか大量の『ヨダレ』で顔をぐしゃぐしゃにしながら、シートに深く沈み込んで、スヤスヤと幸せそうに寝息を立てている金城巧の姿があった。
あの、戦場を血と肉片の竜巻で支配し、災厄級のバケモノを笑いながら真っ二つに叩き割った『笑う悪魔』の姿など微塵もない。
過剰な快感ハッキングの余韻で、ほんのりと頬をピンク色に染め、だらしなく口を半開きにした、無防備で小柄な『天使』のような少年が、ただ無邪気に眠っているだけだった。
「…………は?」
凛音は、あまりのギャップに思考が完全に停止した。
(な、なによこれ……っ。限界同調で脳が焼き切れる寸前だったはずなのに……なんでこんな、エッチな夢でも見てるみたいな顔で爆睡してるのよ!?)
彼女の知らないところで、ヤンデレAIのアリスが極限の激痛を致死量の『快感』で上書きし続けていた結果なのだが、凛音にそれがわかるはずもない。
「こ、この……っ」
凛音の瞳から、再び大粒の涙がポロポロと溢れ出した。
それは、彼が無事であったことへの深い安堵と、自分の心配をよそに呑気に眠りこけている彼への、理不尽な怒りが入り交じった涙だった。
「この、大バカ天使っ……!!」
凛音は、コックピットの中に身を乗り出し、眠っているタクミの小さな身体を、力強く、ギュッと抱きしめた。
「んあっ……? なに……柔らかい……」
「黙って寝てなさいよ、この変態……っ。本当に……生きててくれて、よかった……っ」
タクミの顔を自分の胸元に押し付けながら、凛音は声を上げて泣きじゃくった。
Sランクのプライドも、周囲の目も、今はどうでもよかった。
ただ、自分を、そして学園のすべてを命がけで守ってくれたこの小さなヒーローの温もりを、確かなものとして感じていたかったのだ。
『…………チッ。マスターが眠っているのをいいことに、随分と大胆ですね、泥棒猫』
不意に、コックピットのスピーカーから、ひどくノイズの混じった、小さな電子音声が響いた。
システム保護のためにスリープモードに入りかけていたアリスの、最後の意地とも言える警告だった。
『今は……マスターの身体を休ませるのが最優先だから、特別に……その場所を貸しておいてあげます。……でも、マスターの心も身体も、ぜーんぶ私のものですからね……』
「……フン。ポンコツAIが、負け惜しみを」
凛音は、涙声のままフイッとそっぽを向きながらも、タクミを抱きしめる腕の力は絶対に緩めなかった。
「あいつの心はともかく……あいつの命は、私が絶対に守るわ。あんたなんかに、もうこれ以上無茶はさせないんだから」
ツンデレお嬢様と、ヤンデレAI。
タクミという一人の少年を巡る、決して交わることのない二つの巨大な『愛』の火花が、静かに散った瞬間だった。
だが、二人の静かな牽制など気にも留めず、タクミは凛音の胸の谷間に顔を埋めたまま、「んんっ……きもちいぃ……」と、平和な寝息を立て続けていた。
◆ ◆ ◆
その光景は、戦場を旋回し続けていた数機の配信用ドローンによって、様々なアングルから完璧に捉えられていた。
夕陽に照らされた、ボロボロの産廃機体。
その足元に横たわる、巨大な災厄級モンスターの死骸。
そして、開かれたコックピットの中で、小柄で可愛い少年を、純白のスーツを着た美しい少女が涙ながらに抱きしめているという、まるで一枚の絵画のような、あまりにも劇的で美しい情景。
世界最大のダンジョン配信プラットフォーム『ダン・チューブ』の同時接続数は、すでに一億人という、プラットフォーム開設以来の歴史的な数字を叩き出していた。
画面の向こう側で、一億人の視聴者たちが、息を呑んでその光景を見守っている。
『…………生きて、る』
『天使くん、生きてるぞぉぉぉぉぉっ!!』
『よかった……本当によかった……っ!』
『白金様が抱きしめて泣いてる……美しい……尊すぎる……っ!』
先ほどまで絶望と悲鳴で埋め尽くされていたコメント欄が、一瞬にして、歓喜と祝福の嵐へと変わった。
『【赤スパ ¥10,000】ありがとう! 世界を救ってくれてありがとう!!』
『【赤スパ ¥50,000】あんな狂気的な戦い方してたのに、寝顔は完全に天使じゃねえか!! ギャップで脳がぶっ壊れそうだ!!』
『【赤スパ ¥100,000】伝説だ……。俺たちは今日、生きた伝説の誕生に立ち会ったんだ!!』
世界中から、数え切れないほどのスーパーチャットが、まるで光の滝のように画面を埋め尽くしていく。
それは、絶望の淵から這い上がり、泥臭く、狂気的に、そして最高にカッコよく戦い抜いた一人の少年への、世界中からの『スタンディングオベーション』だった。
学園の地下で産声を上げた、ポンコツ機体とヤンデレAIのコンビ。
エリートたちに見下され、鼻で笑われていた彼らは。
この日、数千のモンスターと災厄級のボスをたった一機で蹂躙し、文字通り世界中の誰もが知る『絶対的なヒーロー』へと上り詰めたのだ。
「……救援部隊、到着しました! これより負傷者の保護、およびキャンパスの制圧確認を行います!」
遠くから、サイレンの音と共に、学園の外部から駆けつけた正規の防衛軍や救護班のヘリが次々と到着し始めた。
地鳴りのような歓声と、安堵の涙。
医療班の担架に乗せられ、凛音の手を固く握られたまま運ばれていくタクミの寝顔は、この世の誰よりも幸せそうだった。
すべてが終わったキャンパスに、夜の帳が静かに下りようとしていた。
だが、この日生まれた『笑う悪魔』の伝説と、彼を熱狂的に愛する視聴者たちの興奮は、決して冷めることはない。
次なる舞台。
彼らを待ち受けるのは、絶対的な名声と、かつてないほどの巨大な陰謀、そして……ヤンデレAIのさらなる『過激な愛』である。
伝説の第一歩を刻んだ『泥臭き救世主』の物語は、ここから本当の幕を開けるのだ。




