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第38話:『最後の咆哮〜すべてを削り切る刃〜』

 

 夕陽に照らされた学園のキャンパスは、深い静寂に包まれていた。


 僕の乗る産廃機体は、真っ二つに両断した巨大なバジリスクの死骸の上に倒れ伏し、完全に沈黙していた。

 限界同調フル・シンクロによる過負荷と、アリスの過剰な快感ハッキングの反動で、僕の意識はすでに夢と現実の境界を彷徨っている。


『マスター……。もう、終わりましたよ。ゆっくり、おやすみなさい……』


 インカムから聞こえるアリスの甘く優しい子守唄。

 仮想の柔らかい膝枕の感触に包まれ、僕は重い瞼を完全に閉じようとしていた。


 その、瞬間だった。


 ドクンッ……。


 学園の地下深く、ダンジョンの最下層から響いてきたような、不気味な心臓の鼓動。

 それは地鳴りとなってキャンパス全体を揺るがし、僕の機体の下にあるバジリスクの死骸をビクンと跳ねさせた。


「……え?」


『警告! 警告!! マスター、起きてくださいっ!』


 先ほどまでの甘い声が嘘のように、アリスのけたたましいアラートがコックピット内に鳴り響く。

 同時に、僕の背筋にバケツで氷水をぶっかけられたような強烈な『冷感ハック』が叩き込まれ、意識が強制的に覚醒した。


「ひゃうっ!? な、なに……っ!」


『信じられません……! 討伐したはずの三体のボスの残骸から、異常な質量のマナが再収束しています! これは……ダンジョンの瘴気による、強制的な融合アマルガムです!』


「融合……って、嘘だろ!?」


 僕は慌ててメインモニターに目を向けた。


 ドロドロに溶け合ったバジリスク、キマイラ、そしてミノタウロスの死骸。

 それらが、漆黒の瘴気を巻き上げながら、まるで粘土を捏ねるようにして一つの巨大な『肉塊』へと変貌していく。


 グチャグチャという不快な咀嚼音と共に、肉塊は立ち上がった。

 全長二十メートルを超える、異形の巨人。

 ミノタウロスの強靭な骨格をベースに、バジリスクの鱗が全身を覆い、背中からはキマイラの千切れた翼が生えている。

 頭部には、三つのボスの特徴が入り混じった、醜悪で禍々しい巨大な顎があった。


災厄級ディザスター融合体……。スタンピードのすべての怨念と魔力を喰らった、真の【最後の一体】です』


「グォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!!」


 融合体が、天を仰いで咆哮を上げた。


 ただの咆哮ではない。空気を物理的に叩きつけるような凄まじい衝撃波がキャンパスを吹き荒れ、崩れかけていた校舎のガラスが一斉に粉々に砕け散った。


「ヒッ……!!」

「あ、あああ……終わった。もう、ダメだ……っ」


 遠くで避難誘導をしていた教官たちや、瓦礫の陰に隠れていた生徒たちが、その絶対的な絶望の前に完全に心が折れ、膝から崩れ落ちた。


 ドローンのカメラを通じてその光景を見ていた世界中の視聴者たちも同じだ。


『ウソだろ……あんなの、Sランクのレイドパーティが束になっても勝てないぞ』

『天使くんの機体はもう動かないんだろ!? 逃げてくれ!!』

『誰か! 誰かあの子を助けに行ってやれよぉぉぉっ!』


 配信のコメント欄は、先ほどまでの熱狂から一転、絶望と悲鳴で埋め尽くされていた。


 白金凛音もまた、泥だらけの純白のパイロットスーツを握りしめ、震える足で立ち尽くしていた。


「金城、くん……。逃げて……もう、いいから……っ!」


 彼女の悲痛な叫び声が、風に乗って微かに僕の外部マイクに届いた。


 だが、逃げられるわけがない。

 僕の機体は、左腕も左脚もなく、右腕のチェーンソーの刃はボロボロに欠け、メインジェネレーターはすでに沈黙している。

 這いつくばることすらできない、ただの鉄の棺桶だ。


「……アリス」


 僕は、血と汗でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、静かにコンソールに呼びかけた。


『……マスター。お姉ちゃんの言うことを、聞いてください』


 インカムの奥で、アリスの声が震えていた。

 それは、演算AIとしてのエラーではなく、本物の人間のように、大切なものを失う恐怖に怯える声だった。


『今の機体の状態で、あの融合体に立ち向かえば……ジェネレーターは完全に爆発します。そして、マスターの脳神経も、限界同調の過負荷で今度こそ本当に焼き切れてしまいます』


「うん。わかってる」


『なら、私がコックピットブロックだけを強制パージ(射出)します! 機体を囮にして、マスターだけでも逃げて――』


「アリス」


 僕は、アリスの言葉を遮って、優しく、けれど絶対に譲らない声で言った。


「僕だけが生き残って、この学園が、凛音さんが、みんなが死んでいくのを黙って見てるなんて……絶対に嫌だ」


『でも……っ! 私は、マスターが壊れてしまうのが怖いんです! マスターがいなくなったら、私は……お姉ちゃんは、どうやって生きていけばいいんですか……っ!』


「僕は壊れないよ。だって、世界で一番有能で、僕のことを愛してくれている『お姉ちゃん』が、一緒だから」


 僕は、動かない右手を必死に持ち上げ、真っ暗なモニターにそっと触れた。


「僕の全部を、君に捧げる。……だから、僕に、最後まで戦う力を貸してよ」


 僕の、狂気的で、泥臭くて、そしてどこまでも真っ直ぐなプロポーズのような言葉。


 ピタッ、と。

 インカムの奥で、アリスの嗚咽が止まった。


『…………本当に、マスターは』


 数秒の沈黙の後。

 アリスの声から、一切の恐怖と迷いが消え去っていた。

 代わりに響いたのは、宇宙のすべてを焼き尽くすような、ドス黒く、そして極限まで甘く蕩けた、完全なるヤンデレお姉ちゃんの声。


『私のマスターは、どうしようもなくワガママで……世界一カッコいい、私だけのヒーローです』


 ヴィィィィィンッ!!!!


 完全に沈黙していたはずのコックピットのコンソールが、狂ったような真紅の光を放って再起動した。


『マスターがそこまで望むなら……お姉ちゃんが、マスターの脳髄の奥の奥まで、全部私の愛で犯し尽くしてあげます。……一緒に、地獄の果てまでイきましょうね♡』


「ああ、頼むよ……アリスぅっ!」


 ピピピピピピッ!!


全感覚同調フル・シンクロ最終限界突破オーバー・ロード!!』


 ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!!


 僕の脳に、致死量という言葉すら生温い、絶対的な『快感』の奔流が叩き込まれた。


「ひぎゃああっ!? んんっ! あ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!!??」


 痛覚など、もはや一ミリも存在しない。

 見えない無数の手が僕の全身の細胞一つ一つを直接撫で回し、腰の奥から脳天へと突き抜けるような、宇宙創造クラスの絶頂の波が押し寄せる。


「あはっ……! あはははははははっ! アリスぅっ! きもち、いぃぃっ! アリスの愛、最高にきもちいぃぃぃっ!」


 僕は完全に理性を溶かし、ヨダレを垂らし、白目を剥きかけながら、狂ったような笑い声(喘ぎ声)を上げた。


 そして、僕のその狂気的な脳波に呼応するように。


「ガァァァァァァンッ!!!!」


 死体と化していたはずの産廃機体が、残された片腕と片脚で地面を叩き、強引に立ち上がったのだ。


「ウ、ウソだろ……っ」

「動いた……あの機体、まだ動くのかよ!?」


 見守っていた人々が、信じられないものを見るように息を呑む。


『ジェネレーター、安全装置を完全に物理破壊! 大気中のマナを強制吸入して、出力に変換します!』


 アリスの狂気に満ちたナビゲートと共に、機体の背部から、黒い煙ではなく、高濃度の魔力粒子が蒼白い炎となって噴き出した。


「グォォォォォォォッ!!」


 異形の融合体が、立ち上がった僕の機体を完全な『敵』と認識し、その巨大な顎にすべてを消滅させる絶対的な魔力光ブレスを収束させ始めた。


「アリスっ! 全部だ! 残ってる力、全部スクラップ・トゥースに回せぇぇぇぇっ!!」


『了解しましたっ! マスターの愛の形、世界中に見せつけてやりましょう!』


 ギュィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!!!!!!


 刃がボロボロに欠け、ただの鉄塊と化していた『スクラップ・トゥース』。

 そこに、限界を突破したジェネレーターの全エネルギーと、周囲から強引に吸い上げた魔力が注ぎ込まれる。

 異常な摩擦熱と魔力プラズマが融合し、チェーンソーはもはや刃の形すら保てない、数メートルに及ぶ『白熱の光刃』と化していた。


「あはははははははっ! いけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」


 僕は、絶頂の快感に身悶えしながら、片脚の全推力を爆発させて、融合体へ向けて最後の突撃を開始した。


「グォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」


 融合体の顎から、キャンパスのすべてを蒸発させる極太の魔力ブレスが放たれる。


「削れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」


 僕は回避すらしない。

 真っ向から、光のブレスの濁流の中心へ向けて、白熱のチェーンソーを突き立てた。


 ズバシャァァァァァァァァァンッ!!!!


 光と光が激突し、世界から音が消えた。


 チェーンソーの刃が、圧倒的な質量とプラズマの回転力によって、放たれたブレスそのものを『真っ二つ』に切り裂きながら前進していく。

 熱と衝撃が機体を溶かし、僕の全身を焼こうとするが、アリスの過剰な『冷感ハック』と『絶頂の快感』が、すべてを強引に上書きしていく。


「もっとっ! もっと、奥までぇぇぇぇっ!」


『マスター! 最高ですっ! 押し込んでっ!』


 ズガガガガガガガガガッ!!!!


 光の濁流を切り裂き、僕の機体はついに融合体の巨大な頭部へと到達した。


「これで……終わりだぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 僕は、シートの上で大きく身体を反らせながら、白熱のチェーンソーを、融合体の脳天から顎下へ向けて、一気に振り下ろした。


 ギギギギギギギギギギギギギギギギッ!!!!


 鼓膜を破るような凄まじい摩擦音。

 鋼鉄の筋肉も、強靭な鱗も、すべてを飲み込む瘴気も。

 限界同調の果てに至った『笑う悪魔』の刃の前には、何の障害にもならなかった。


 バキィィィィィィィィィィンッ!!!!


 最後に、ガラスが砕け散るような甲高い音が響いた。


 白熱の刃が、融合体の脳天から股下までを完全に通り抜け、背後の地面の石畳ごと、深く、深く斬り裂いたのだ。


「……………………」


 融合体の動きが、ピタリと止まった。

 振り下ろした状態のまま静止する、僕のボロボロの産廃機体。


 数秒の、永遠にも似た静寂の後。


 ズレ……ッ。


 二十メートルを超える異形の巨体が、綺麗な直線を描いて、左右に『真っ二つ』に分かれ、地響きと共に崩れ落ちた。


 ズドォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!


 瘴気が霧散し、魔力の粒子がキラキラとキャンパスの空へと舞い上がっていく。

 それは、学園を襲った未曾有のスタンピードが、完全に、ただの一匹も残らず『鎮圧』されたことを意味していた。


「…………はぁっ……はぁっ……はぁっ……」


 僕は、チェーンソーを振り下ろした姿勢のまま、コックピットの中で荒い息を吐いていた。


 プツン、と。

 限界を遥かに超えて稼働していたメインジェネレーターが、ついに完全にその機能を停止し、コンソールの光がすべて消え落ちた。


 全感覚同調のハッキングも解け、僕の脳から過剰な快感がゆっくりと引いていく。

 代わりに襲ってきたのは、全身の筋肉が断裂したかのような激痛と、指一本動かせない絶対的な疲労感。


「……アリス」


 僕は、暗闇に包まれたコックピットで、掠れた声で呟いた。


『…………はい、マスター』


 インカムから聞こえる彼女の声も、ひどくノイズが混じり、弱々しかった。

 機体のシステムが完全に死んだことで、彼女の演算領域も限界を迎えているのだ。


「勝った……よ。僕たちで……」


『ええ。マスターは、本当に……私の、自慢の……最高にカッコいい……』


 アリスの声が、そこでプツンと途切れた。


「アリス? アリス!」


 僕が焦って声を上げると、インカムから、微かに「ふふっ」という笑い声と、チュッ、という優しい仮想のキスの感触だけが伝わってきた。


『……少しだけ、おやすみなさい、マスター。……愛して、います……』


 その言葉を最後に、インカムの通信は完全に沈黙した。

 アリスが、機体の修復と自己システムの保護のために、深いスリープモードに入ったのだ。


「……おやすみ、アリス。ありがとう」


 僕は、真っ暗なコンソールに額を擦り付け、ポロポロと涙をこぼしながら、そのまま意識を深い闇へと手放した。


 西の空に、美しい夕陽が沈んでいく。


 その赤い光に照らし出されたのは、真っ二つになった巨大な化け物の死骸の上に、まるで墓標のように静かに立ち尽くす、片腕と片脚のボロボロの魔導機甲。


 それは、学園の歴史に、いや、ダンジョン配信の歴史に永遠に語り継がれることになる。

 絶望の淵からすべてを救った、一人の小さな少年とヤンデレAIによる、伝説の『泥臭き救世主』の、最も美しい最後の姿だった。

 

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