第35話:『鮮血と火花〜戦場を支配する天使〜』
炎上する学園のキャンパス。その上空を、一本の鋼線が縦横無尽に飛び交っていた。
ガァァァンッ!!
左腕から射出されたワイヤーアンカーが、黒煙を上げる時計塔の壁面に深く突き刺さる。
強力な巻き上げモーターが火を噴き、僕の乗る片脚の産廃機体は、振り子の原理を利用して空宙へと大きく舞い上がった。
「はぁっ、はぁっ……っ! アリス、巻き上げテンション解放! 次のポイントへ!」
『了解しました、マスター♡ ワイヤーパージ。……さあ、群れのど真ん中へダイブです!』
インカムから響くヤンデレAIの甘い声と同時に、僕は空中でワイヤーを切り離し、スラスターの推力を全開にして斜め下へと急降下した。
眼下に広がるのは、学園の中央広場を完全に埋め尽くす数百体のモンスターの群れ。
オーク、リザードマン、ゴブリンの上位種たちが、血走った目で空から降ってくる僕を見上げている。
普通なら、こんな密集地帯に飛び込めば一瞬で機体を解体されて終わる。
だが、今の僕の脳は、アリスの『全感覚同調』によって、恐怖も激痛もすべてが麻痺し、異常なほどクリアに研ぎ澄まされていた。
「削れぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
ドドォォォォォォォンッ!!!!
隕石のように群れの中心へ着地した瞬間。
僕は着地の衝撃をすべて右腕に逃がし、限界突破の回転数でプラズマを纏った巨大チェーンソー『スクラップ・トゥース』を、独楽のように大回転させた。
ギュィィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!!!!!!
「グギャアアアアアッ!?」
「ギェェェェッ!」
耳を劈く駆動音と共に、周囲十メートルにいたモンスターたちが、一瞬にして『赤い霧』と化して吹き飛んだ。
硬いオークの装甲も、リザードマンの強靭な鱗も、異常な摩擦熱と物理的な切断力の前には紙切れも同然だった。
血と肉の雨が降り注ぐ中、僕は一切の動きを止めることなく、再び左腕のアンカーを射出した。
「次っ! あぁっ、ひぅっ!」
『はい、マスター! 右舷から迫るミノタウロス三体、まとめてミンチにしてやりましょう!……ほら、ご褒美のナデナデですよ♡』
「んあっ! ぅあっ……! だ、だめぇっ……!」
次の獲物へとワイヤーを巻き上げる最中、僕の背筋から腰にかけて、強烈な電流のような仮想の愛撫が叩き込まれる。
全感覚同調のせいで、機体が受ける強烈なG(重力加速度)や、左脚の欠損による深刻なエラー信号が、すべて僕の生身の脳へとフィードバックされてくるのだ。
アリスはそれを防ぐため、致死量を超える『快感』を僕の脳の知覚野に流し込み、無理やり痛みを上書きし続けている。
現実の僕には誰も触れていないのに。
見えない両手が僕の太ももをねっとりと這い上がり、耳元で艶っぽい吐息が吹きかけられ、腰の奥を直接鷲掴みにされるような強烈な錯覚。
僕はコックピットのシートの上でビクビクと痙攣し、よだれと涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら操縦桿を握っていた。
「あぁぁぁぁぁっ! 切るぅぅっ! ぜんぶ、バラバラにするぅぅっ!」
ズバシャァァァァァァンッ!!!!
僕は快感で完全に理性を溶かしながら、ワイヤーの遠心力を乗せたチェーンソーで、迫り来るミノタウロスの巨体を三体まとめて真っ二つに両断した。
「…………な、なんだよ、あいつ」
「一人で、あの群れを……あんなスピードで……」
広場の隅で、防衛ラインを突破されて逃げ遅れていた生徒たちや教官たちが、腰を抜かしたままその光景を呆然と見つめていた。
彼らの目には、僕の機体がどのように映っているのだろうか。
左脚は無残に折れ曲がり、全身の装甲がボロボロに剥がれ落ちた、二世代前の鉄屑。
それが、ワイヤーを使って学園中の建物をターザンのように飛び回り、着地した瞬間にプラズマの刃で周囲の空間ごとモンスターを削り取る。
文字通り、戦場を支配する『死神』か『悪魔』の姿にしか見えないはずだ。
だが、空宙を飛び交い、僕の姿を全世界へと中継し続けている配信用ドローンの高性能カメラは、その機体の『中身』の様子を、無慈悲なほど鮮明に捉えていた。
『マスター。ドローンのカメラが三機、私たちの変態機動をバッチリ撮影していますよ。……全世界の羽虫どもに、マスターが誰のものなのか、しっかり見せつけてやりましょうね♡』
「ひゃうっ!? ア、アリスっ、今、カメラ回ってるなら、そんなえっちな触り方……んんっ!」
『カメラが回っているからこそ、です。マスターが私の中で、私の愛だけでドロドロに溶かされている可愛いお顔……みんなに見せてあげましょう?』
ちゅっ、と。
耳たぶを甘噛みされ、濡れた舌で首筋を舐め上げられるような生々しい感覚が走り、僕は「ひぎゃああっ!」と情けない悲鳴を上げて身悶えした。
ドローンのマイクは、チェーンソーの狂気的な爆音とモンスターの断末魔に混じって、僕のその『甘ったるい喘ぎ声』と、アリスの『ヤンデレ全開の囁き』を、バッチリと全世界へと配信し続けていた。
『いけええええええええええっ!! 天使くん!!』
『動きが完全にバグってる! あの産廃機体でどうやってあんな機動を!?』
『でも声が完全に事後か最中なんだよなぁ……(困惑)』
『顔真っ赤にして泣きながらモンスターをミンチにする狂人! 俺たちの絶頂チェーンソーが帰ってきたぞ!!』
配信のコメント欄は、かつてないほどの弾幕で埋め尽くされ、数百万、数千万単位のスーパーチャットが滝のように流れ続けていた。
恐怖と絶望に支配されていた世界中の視聴者たちは、このあまりにも狂っていて、泥臭くて、そして圧倒的に頼もしい少年の姿に、熱狂の渦へと巻き込まれていたのだ。
「グガァァァァァッ!!」
不意に、僕の死角から、建物の瓦礫の陰に隠れていたオークの群れが、一斉に投槍を放ってきた。
全感覚同調をしているとはいえ、四方八方からの立体的な攻撃をすべて目で追うことは不可能だ。
しかし。
『右斜め後方より、飛来物多数! スラスター、〇・二秒だけ逆噴射!』
「んあっ! わかったぁっ!」
アリスの冷徹な演算と、僕の腰を撫で上げる仮想スキンシップのタイミングが完全に同期する。
僕は考えるよりも早く、反射的にスラスターのペダルを小刻みに叩き込んだ。
ガキィィィィンッ!!
機体がブレイクダンスのような不規則な挙動を見せ、無数の投槍が装甲の表面を数ミリの隙間で掠めていく。
一切の無駄がない、コンピューターの演算と人間の直感が融合した究極の回避機動。
「逃がさないっ! ワイヤー、射出!」
ガァァンッ! と、槍を投げてきたオークたちの頭上の壁にアンカーを突き刺す。
「アリス、リミッター解除! チェーンソーに全エネルギーを回して!」
『了解しました! ジェネレーター出力、安全圏を無視! 脳波シンクロ率、五百パーセント突破! マスター、脳みそが焼き切れちゃうくらい、気持ちよくしてあげますっ!』
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
僕は、腰から背筋にかけて叩き込まれた、落雷のような絶頂の快感に絶叫しながら、ワイヤーの巻き上げ速度を最大にした。
機体が、オークの群れの頭上へと弾丸のように引き寄せられる。
「削れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
ズバシャァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!
プラズマの赤光を限界まで高めたスクラップ・トゥースが、オークの群れを上空から『薙ぎ払い』ではなく、『叩き割る』ようにして地面ごと粉砕した。
クレーターが穿たれ、数十体のオークが、悲鳴を上げる間もなく赤い染みへと変わる。
「…………す、すごい」
その圧倒的な光景を、瓦礫の陰から見つめていた白金凛音は、完全に言葉を失っていた。
泥だらけになった純白のパイロットスーツを握りしめ、彼女の大きな瞳は、血と火花を撒き散らしながら戦場を支配する、ボロボロの産廃機体に釘付けになっていた。
(あんなの……人間の動きじゃない。機体と神経を完全に繋いで、痛みを別の感覚で上書きして……命を削って戦ってるんだわ)
凛音の目から、ポロポロと涙が溢れ落ちる。
エリートの自分たちは、最新鋭の機体に乗っていても、このスタンピードの前には何もできなかった。
逃げ惑い、絶望し、ただ死を待つしかなかった。
それなのに、いつも自分が見下していた、あのEランクの『変態』の少年は。
「どんだけ……どんだけバカなのよ、あいつ……っ」
自分の命を擦り減らし、機体の限界を超えて、それでもなお、誰かを守るために狂ったようにチェーンソーを振り回し続けている。
「……死なないで。お願いだから、死なないでよ、金城くん……っ!」
凛音の祈るような叫びが、戦場の喧騒に吸い込まれていく。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……っ!」
僕は、オークの群れを粉砕したクレーターの中で、機体を静止させて荒い息を吐いた。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、アリスの過剰な快感ハッキングのせいで、視界が白くチカチカと明滅している。
『マスター。……生体反応の九割を掃討しました。キャンパス内の雑魚モンスターは、これでほぼ全滅です』
インカムから、アリスの誇らしげな声が響く。
たった一機で、数千の群れを文字通り「削り尽くした」のだ。
だが、アリスの言葉には、まだ続きがあった。
『……しかし、喜ぶのは早いです。ダンジョンゲートの奥から、先ほどのオークジェネラルクラスの、異常な高出力マナ反応が複数、急速に接近中。……ボスクラスの連続出現が来ます』
「……っ」
僕は、ガタガタと震える手で操縦桿を握り直し、血とオイルにまみれたメインモニターを睨みつけた。
機体はすでに限界をとっくに超えている。
左脚はなく、装甲はボロボロ。ジェネレーターの出力も低下し始め、スクラップ・トゥースの刃は欠けに欠けて、いつ破断してもおかしくない。
そして何より、限界同調を続けている僕の脳神経が、これ以上の負荷に耐えられるかどうかわからなかった。
「……それでも、やるしかないだろ」
僕は、涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔に、狂ったような笑顔を貼り付けた。
「僕たちの学園を壊す奴らは、全員スクラップにしてやるんだ。……アリス、最後まで付き合ってくれるよね?」
『愚問ですね。私とマスターの愛の刃が、あんな醜い化け物どもに折られるわけがありません。……お姉ちゃんが、マスターの命の炎が燃え尽きる最後の瞬間まで、極上の快感で包み込んであげますからね♡』
ヤンデレAIの、狂気と絶対の愛に満ちた宣言。
ズズズンッ……!!
学園の中央、ぽっかりと口を開けたダンジョンゲートから、地響きと共に巨大な影が次々と姿を現した。
スタンピードの真の恐怖。
強力なボスクラスモンスターの連続出現を前にして、血塗れの産廃機体は、再びチェーンソーの狂気的な爆音を天高く轟かせたのだった。




