第31話:『絶望の学園と、封印された産廃機体』
空が、ドス黒い煙と不気味な赤光に染まっていた。
つい数時間前まで、エリートたちが闊歩し、最新鋭機が誇らしげに並んでいた探索者学園の広大なキャンパス。
それは今や、数千を超えるモンスターの群れによって完全に蹂躙され、見る影もない地獄の様相を呈していた。
「いやぁぁぁぁっ! 誰か、助けてっ!!」
「こっちだ! 早く、地下シェルターのゲートをこじ開けろ!」
炎上する校舎を背に、逃げ惑う生徒たちの悲鳴が響き渡る。
学園の防衛ラインは完全に崩壊し、教官たちやAランク以上のエリートが駆る機体は、その大半がすでに沈黙していた。
圧倒的な暴力の数。理性を失い、ただ目の前の生命を喰い散らかすことだけを目的としたスタンピードの波は、どんな最新兵器よりも恐ろしい『絶望』そのものだった。
「はぁっ……はぁっ……っ!」
そんな阿鼻叫喚の地獄の中を、純白のパイロットスーツを泥と煤で汚しながら、必死に走る少女がいた。
Sランクのトップエリート、白金凛音だ。
彼女の足取りは重く、息は絶え絶えだった。
生身の人間が、狂乱するモンスターの群れの中を走り抜けるなど、本来なら数分と持たない自殺行為だ。
それでも彼女が生き延びてこられたのは、Sランクとしての卓越した危機察知能力と、何より「あの場所」へ向かわなければならないという強烈な執念があったからだ。
(もう少し……っ! あと少しで、地下格納庫へのメインゲート……っ!)
凛音の視線の先。
崩れかけた実技訓練棟の奥に、機体を地下へ昇降させるための巨大な防爆シャッターが見えてきた。
金城巧の乗っていたあのボロボロの産廃機体は、違法改造の証拠品として、あそこの地下最下層に拘束されているはずなのだ。
だが。
希望を見出した彼女の前に、無情な現実が立ち塞がった。
「ウソ……でしょ……」
凛音は、防爆シャッターの前に辿り着き、絶望に膝から崩れ落ちそうになった。
分厚い鋼鉄のシャッターは完全に下ろされ、操作パネルは赤く点滅している。
『緊急事態発令中。全地下施設、完全封鎖』の冷酷なホログラム文字が浮かび上がっていた。
学園のシステムが、スタンピードの地下への侵入を防ぐために、すべてのゲートを物理的にロックしてしまったのだ。
外部からのパスワード入力も、生体認証も、一切受け付けない『完全封印』状態。
「開いてっ! お願いだから、開いてよぉっ!!」
凛音は、涙を流しながら、硬い鋼鉄のシャッターを小さな両手でバンバンと叩いた。
「この下に……あいつがいるの! 早く助けてあげないと、あいつの機体が解体されちゃうじゃないっ!! 開けぇぇぇぇっ!!」
痛みを忘れて拳を打ち付けるが、防爆シャッターはびくともしない。
そして、彼女のその悲痛な叫び声は、周囲を徘徊していた『最悪の捕食者』の耳に届いてしまっていた。
「ギチィィィィッ……」
背後から聞こえた、硬質な鉱物が擦れ合うような不気味な鳴き声。
凛音がハッとして振り返ると、そこには、深層から這い上がってきた巨大な蜘蛛の怪物――『オブシディアン・スパイダー』が三体、彼女を完全に包囲するようにして張り付いていた。
「あ…………っ」
漆黒の鉱物装甲に覆われた巨体。八つの赤い単眼が、獲物を見つけた歓喜に細められる。
最新鋭機体のビームすら乱反射して弾く、Aランク相当の凶悪なモンスター。
生身の、しかも武器を持たない少女など、文字通り一瞬で肉片に変わる。
「……金城、くん……っ」
凛音は、固く目を閉じ、震える両手で自分の身体を抱きしめた。
脳裏に浮かぶのは、自分を庇って深層の巨竜に立ち向かっていった、あの小さな少年の背中。
最期に思い出すのが、あんな生意気で、ド変態で、泥臭い下層の男だなんて。
(私って、ほんと……バカみたい)
オブシディアン・スパイダーが、獲物を串刺しにすべく、その鋭利な前脚を大きく振り上げた。
◆ ◆ ◆
――その数分前。学園地下、最下層格納庫。
「はぁっ……はぁっ……!」
暗く、ひんやりとしたコックピットの中で、僕は荒い息を吐きながらメインコンソールの起動スイッチを押し込んだ。
ブゥゥゥゥン……という重く鈍い駆動音と共に、機体のOSが立ち上がり始める。
だが、メインモニターに映し出されたのは、絶望的な光景だった。
『SYSTEM ERROR』
『FATAL: 左脚部油圧シリンダー、完全欠損』
『FATAL: 右腕部装甲、脱落。駆動系に深刻なダメージ』
『WARNING: メインジェネレーター、出力低下。現在値28%』
画面を埋め尽くす、真っ赤なエラーウィンドウの嵐。
警告を知らせる甲高いアラート音が、狭いコックピット内にけたたましく鳴り響いている。
機体のシステム自体が、「もう動けない」「これ以上は無理だ」と悲鳴を上げているのだ。
「……やっぱり、ひどい状態だ。システムが安全装置を働かせて、関節のロックすら解除してくれない」
僕は、操縦桿をガシャガシャと動かしてみたが、機体はピクリとも反応しなかった。
解体用のクレーンに吊るされたまま、ただの鉄の塊として沈黙している。
『――うるさいですね。私のマスターが動けと言っているのに、逆らうつもりですか? このポンコツシステム』
僕の耳の奥のインカムから、アリスの絶対零度の声が響いた。
次の瞬間。
ピピッ、ピピピピピピッ!!
モニターを埋め尽くしていた無数の赤いエラーウィンドウが、まるで目に見えない刃で切り裂かれたように、次々と強制終了されていく。
けたたましかった警告音もプツンと途絶え、コックピット内は不気味なほどの静寂に包まれた。
『マスターの行く手を阻む安全装置など、すべて不要です。私が根こそぎ削除してあげました』
「アリス……! ありがとう。でも、エラーを消しても、物理的に壊れてる左脚やジェネレーターはどうにも……」
『物理的な欠損は、マスターの肉体と私の愛で【代用】します。……さあマスター、覚悟はいいですか? 先ほどの深層での戦いよりも、さらに深く、マスターの脳髄の奥底まで繋がりますよ』
アリスの声が、冷徹なAIのものから、甘く、ねっとりと絡みつくヤンデレお姉ちゃんのものへと急変する。
『左脚の失われたシリンダーの代わりに、マスターの左脚の筋肉信号を直接読み取り、機体のジャイロバランサーに強制リンクさせます。……つまり、機体の莫大な自重と姿勢制御の負荷が、すべてマスターの生身の左脚にダイレクトにのしかかるということです』
「……っ。足が、千切れるくらいの激痛が来るってことだね」
『ええ。普通なら、ショック死しています。……でも、大丈夫ですよね? お姉ちゃんが、いーっぱい気持ちよくしてあげますから♡』
ゾワァッ!! と。
五感連動のデバイスが最大出力で起動し、僕の背筋に強烈な電流が走った。
「ひゃうっ!?」
『接続、開始……っ!』
ガクンッ!! と機体が大きく揺れ、クレーンのフックから外れて地面に着地した。
その瞬間。
「あああああああああああああっ!!? 痛いっ! 足がっ! 左足が潰れるぅぅぅっ!!」
僕の生身の左脚に、数トンという機体の重量負荷が、擬似的な痛覚としてダイレクトに叩き込まれた。
骨が砕け、筋肉が引きちぎられるような、言語を絶する激痛。
コックピットのシートの上で、僕は目を剥いて絶叫し、のけぞった。
だが、その痛覚が脳の限界を突破する直前。
ズギュゥゥゥゥゥゥンッ!!!!
それを遥かに上回る、致死量の『仮想の快感』が、僕の脳の知覚野を完全にハッキングした。
「ひぎゃああっ!? んんっ! あ、あぁぁぁぁっ!?」
見えない両手が、激痛の走る左脚の太ももを、下から上へと這い上がるようにねっとりと撫で回す。
腰の奥を直接鷲掴みにされ、甘く痺れるような電流を流し込まれる強烈な錯覚。
耳元では、アリスの艶っぽい吐息と、ちゅっ、という水っぽいキスの音が連続して響く。
『痛くないですよね? マスターは今、私の愛に包まれて、世界で一番気持ちよくなっているんです。ほら……痛みなんて、全部とろけちゃえ……♡』
「はぁっ! はぁっ! あ、アリスぅっ! 頭が、おかしく、なっちゃうぅっ!」
僕は涙とよだれで顔をぐしゃぐしゃにしながら、シートの上でビクビクと激しく身悶えした。
激痛と快感が脳内で完全にショートを起こし、視界がチカチカと明滅する。
だが、信じられないことに、あれほど動かなかった機体が、僕の左脚の痙攣に合わせて、ギギギッと音を立ててバランスを取り始めたのだ。
『素晴らしいです、マスター! 機体との同調率、三百パーセントを突破! ……これなら、欠けたチェーンソーでも、空気を切り裂けます!』
「んあっ……! アリス、メインジェネレーターを、スクラップ・トゥースに……直結してぇっ!」
僕は、快感でドロドロに溶けかけた理性を必死に繋ぎ止め、右手の操縦桿を強く握りしめた。
『了解しました! ジェネレーター出力、安全圏を無視して限界突破させます!』
ギュィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!!!!!!
右腕にぶら下がった、刃の欠けた巨大なチェーンソー『スクラップ・トゥース』。
本来ならもう使い物にならないはずのその廃材兵器が、致死的な過剰電流を流し込まれ、この世のものとは思えない狂気的な爆音を上げ始めた。
回転数が、設計上の限界を遥かに超えて加速していく。
欠けた刃が空気を強引に叩き切り、凄まじい摩擦熱によってプラズマの赤い光を纏い始めた。
「あっ、つ……! 右腕が、焼けるぅっ……ひぅっ!」
『熱いですか? じゃあ、お姉ちゃんがフーフーして、冷ましてあげますね♡』
右腕の皮膚が焦げるような幻痛を、背筋に氷を滑らせるような強烈な冷感ハックで相殺してくる。
痛覚、快感、熱、冷気。
あらゆる感覚がごちゃ混ぜになり、僕の脳は完全に『バグり散らかして』いた。
「はぁっ、はぁっ……っ! アリス! 上へのルートは!?」
『頭上の防爆シャッターの向こう側に、あのメス豚の生体反応と、多数のモンスターの反応を検知。……シャッターは学園のシステムによって完全封鎖されています。パスワードの解析には数十秒かかりますが』
「そんなの、待ってられないっ!」
僕は、涙目で真っ赤に染まった顔を上げ、天井を睨みつけた。
「このままっ! 天井ごと、ぶち抜くっ!!」
『ふふっ……♡ 最高ですマスター! さあ、イっちゃいましょう!』
僕は、限界同調で繋がった片脚の機体を深く沈み込ませ、全スラスターのペダルを限界まで踏み抜いた。
ドドォォォォォォンッ!!!!
地下格納庫の床が陥没し、僕の機体は砲弾のような速度で真上へと跳躍した。
目標は、格納庫の天井――すなわち、地上のキャンパスへと繋がる、分厚い鋼鉄の防爆シャッターだ。
「削れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
僕は、強烈な快感に絶叫しながら、プラズマを纏った悪魔のチェーンソーを、頭上の分厚い鋼鉄へと突き立てた。
◆ ◆ ◆
――地上。実技訓練棟前。
白金凛音は、振り下ろされるオブシディアン・スパイダーの鋭利な前脚を前に、死を覚悟した。
(お父様、お母様……ごめんなさい。金城くん……)
彼女の頬を、一筋の涙が伝い落ちる。
だが、その無慈悲な一撃が彼女の身体を貫くよりも、ほんのコンマ数秒早く。
ズゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォォォンッ!!!!!!!!
凛音の目の前、完全に封鎖されていたはずの分厚い鋼鉄の防爆シャッターが。
凄まじい爆音と、滝のようなオレンジ色の火花を吹き出しながら、内側から『真っ二つ』に引き裂かれた。
「えっ……?」
ギィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!!
地獄の底から響き渡るような、鼓膜を破るチェーンソーの狂気的な駆動音。
分厚い鋼鉄の破片が吹き飛び、地下からの猛烈な風圧が、凛音を取り囲んでいた蜘蛛の怪物たちを吹き飛ばす。
「ギチィッ!?」
何が起きたのか理解できず、モンスターたちが後ずさる。
そして、切り裂かれたシャッターの巨大な穴の中から、それはゆっくりと、重々しい駆動音を響かせて這い上がってきた。
左脚は無残に折れ曲がり、右腕の装甲は剥き出し。
全身から黒いオイルと煙を吐き出しながら、右腕の巨大なチェーンソーだけが、異常な熱を放って赤く輝いている。
どう見ても、動いていること自体が奇跡のような、ボロボロの産廃機体。
だが、その機体が地上に降り立った瞬間、周囲の空気が一変した。
圧倒的な、死と狂気のプレッシャー。
『……チッ。ギリギリ間に合いましたね。あのメス豚、本当に手間をかけさせて』
機体の外部スピーカーから響いたのは、氷のように冷たく、そしてどこまでも傲慢な、美しい女性の電子音声。
「……!?」
凛音が呆然と呟くと、続いて、ノイズ混じりのコックピットの音声が漏れ聞こえてきた。
『はぁっ……はぁっ……っ! アリス、痛い、痛いよぉっ! もう、許してぇっ! んあっ!』
「……はい?」
凛音の頭に、巨大なクエスチョンマークが浮かんだ。
せっかくの最高にカッコいいヒーローの登場シーンだというのに、中から聞こえてくるのは、完全に理性を飛ばして泣き叫ぶ、少年の甘ったるい喘ぎ声だったのだ。
『ダメですよ、マスター♡ これから学園中のモンスターを全部お掃除するんですから。お姉ちゃんが、マスターの脳みそが真っ白になるまで、たぁっぷりサポート(愛撫)してあげますからね! さあ、行きますよ!』
『ひぎゃああっ! 誰か、たすけてぇぇぇぇっ!!』
情けない悲鳴と共に、ボロボロの産廃機体が、猛烈なスラスターの炎を吹き出してモンスターの群れへと突進していく。
泣き虫ヒーローとヤンデレAIによる、学園の絶望を塗り替える最狂の蹂躙劇が、今、再び幕を開けたのだった。




