第30話:『学園襲撃〜崩壊する防衛ライン〜』
ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!!!!!
学園の広大な敷地内に、かつて誰も聞いたことがないほどの、最大音量の非常警報サイレンが鳴り響いていた。
赤いエマージェンシーライトが各施設を毒々しく照らし出し、平穏だったエリート育成機関は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変貌していた。
「撃てぇっ! 第一防衛ラインを死守しろ! ゲートから一歩も外に出させるな!!」
最前線で指揮を執るベテラン教官が、血を吐くような声で怒鳴り散らす。
学園の敷地中央にぽっかりと口を開ける、地下迷宮への巨大なゲート。
そこから溢れ出しているのは、数千を超えるモンスターの大群だった。
深層の主という生態系の頂点が消滅したことで、タガが外れ、極度の飢餓と狂乱状態に陥った怪物の波。
オーク、リザードマン、ミノタウロス、そして深層にしか生息しないはずのオブシディアン・スパイダーの群れまでもが、濁流となって地上へと雪崩れ込んでいた。
「クソッ! なんでこんな数が一気に……っ! シールド出力最大! 押し返せ!」
学園が誇るAランク、Sランクのトップエリートたちが、ピカピカの最新鋭機を駆って防衛ラインに立ち塞がる。
彼らは重武装のビームライフルや肩部マウントのミサイルポッドを一斉に展開し、ゲートから湧き出す黒い波に向かって、持てる火力のすべてを叩き込んだ。
ズギュゥゥゥゥンッ! ドドドドドドッ!!
まばゆい閃光と爆炎が上がり、最前線のモンスターたちが次々と吹き飛ばされていく。
だが。
「グガァァァァァァァッ!!!!」
倒れた仲間の死体を踏み越え、いや、死体を文字通り喰い散らかしながら、後続の群れが一切の躊躇なく突っ込んでくる。
「ヒッ……!? なんだこいつら、狂ってるぞ!」
「弾が! ビームのチャージが間に合わないっ!」
エリートたちの顔から、特権階級としての傲慢な余裕が完全に消え失せた。
最新鋭の光学兵器は確かに強力だ。
だが、それは「想定された戦術」と「少数の敵」に対してのみ絶対的な優位を保つものであり、理性を失った数千の『暴力の波』を前にしては、ただの燃費の悪い玩具でしかなかった。
「シ、シールドが破られるっ! 誰か、カバーしてくれ!」
「ダメだ、こちらも手一杯だっ! うわぁぁぁぁっ!?」
バリィィィィンッ!!
防衛用の強固な魔力シールドが、狂乱したミノタウロスの大斧と、リザードマンの群れによる物理的な質量攻撃によって、ガラスのようにあっさりと砕け散った。
「いやだっ! 来るなっ! 俺はAランクの――」
ガシャァァァァァンッ!!
悲鳴を上げる間もなく、一機のエリート機体がオークの群れに引き倒された。
最新鋭の流線型装甲に、無数の粗末な棍棒や牙が突き立てられる。
分厚い装甲が缶詰のように乱暴にこじ開けられ、内部にいたパイロットの絶叫が通信機越しに響き渡り、そしてプツンと途切れた。
「第一防衛ライン、崩壊! ダメです、抑えきれませんっ!!」
「全機、第二防衛ラインの居住区前まで後退しろ! 時間を稼いで、非戦闘員の生徒たちを避難させるんだ!」
教官たちが必死に指示を飛ばすが、パニックに陥ったエリートたちに高度な連携など取れるはずもなかった。
背中を見せて逃げ出した機体から順番に、蜘蛛の糸で捕縛され、モンスターの群れに飲み込まれていく。
学園の防衛ラインは、開戦からわずか数分で、完全に崩壊の危機に瀕していた。
◆ ◆ ◆
「きゃぁぁぁぁっ! 助けてっ!」
「こっちだ! 早くシェルターに走れ!!」
一方、機体を持たない一般生徒や下位ランクの生徒たちは、地上のキャンパスを半狂乱になって逃げ惑っていた。
その中に、純白のパイロットスーツを着たまま、震える足で必死に走る少女の姿があった。
Sランクのトップエリート、白金凛音だ。
彼女は、先ほどの深層特番で愛機『ホワイト・リリィ』を大破させてしまったため、機体に搭乗することができず、生身で地上に取り残されていたのだ。
「はぁっ……! はぁっ……!」
凛音は、崩れ落ちる学園の校舎と、すぐ後ろまで迫り来るモンスターの咆哮を聞きながら、絶望に顔を歪めていた。
(嘘でしょ……。こんなの、どうしようもないじゃない……っ)
Sランクという学園の頂点に立つ彼女でさえ、生身ではただの無力な少女に過ぎない。
迫り来るオークの群れを前に、スナイパーとしての天才的な演算能力も、誇り高いプライドも、何の役にも立たなかった。
「……っ、あのバカ……金城くんは、地下の独房に……っ」
凛音の脳裏に、ボロボロの産廃機体で神話生物に立ち向かっていった、あの泥臭く小さな少年の背中が浮かんだ。
彼は今、あんなに学園のために命を懸けたのに、上層部のクソみたいなプライドのせいで、地下深くの独房に閉じ込められている。
(助けて……。金城くん……っ!)
凛音が心の中でそう叫んだ、その瞬間だった。
「グガァァァァァッ!!」
一体のオークが、逃げ遅れた生徒たちの中から、凛音の純白のスーツに目をつけ、凶悪な棍棒を振り上げて跳躍してきた。
「ひっ……!」
凛音は足をもつれさせて地面に倒れ込み、恐怖に目を固く閉じた。
最新鋭のホワイト・リリィさえあれば、あんなオークの一匹、一瞬で消し炭にできるのに。
死を覚悟した彼女の耳に、重厚な破壊音が響いた。
ドゴォォォォォンッ!!
「ギャンッ!?」
目を開けると、オークの巨体が横殴りの衝撃で吹き飛ばされ、建物の壁に激突して動かなくなっていた。
彼女を庇うように立ち塞がったのは、学園の警備部隊が操る量産型の警備機体だった。
「白金! 無事か! 早く立て!」
拡声器越しに教官の声が響く。
「きょ、教官……っ!」
「ここは我々が食い止める! お前は早くシェルターへ向かえ! 学園の至宝であるSランクのお前を、こんなところで死なせるわけにはいかない!」
警備機体から放たれる牽制射撃が、周囲に群がってきたモンスターたちを一時的に遠ざける。
だが、凛音は立ち上がると、教官の指示とは全く逆の方向――学園の地下格納庫へと続くエントランスの方へと駆け出した。
「おい、白金! そっちはシェルターじゃないぞ!」
「わかってます! でも、私には……やらなきゃいけないことがあるんです!」
凛音は、涙目でそう叫び返した。
(金城くんの機体が、解体待ちで地下の格納庫に置かれているって聞いたわ。……あいつの機体なら、たとえ大破していても、まだ動かせるかもしれない!)
完全にイカれている思考だ。
二世代前の旧式機体。しかも、神話生物との戦闘で片脚と右腕の装甲を失った、文字通りのスクラップ。
そんなものに乗ったところで、この絶望的なスタンピードをどうにかできるわけがない。
それでも、凛音は走った。
(あいつなら……あの泥臭くて、バカで、変態な『天使』なら! あの産廃機体で、またあり得ない奇跡を起こしてくれるかもしれない……っ!)
彼女の心の中には、もはやSランクの誇りよりも、一人の少年に対する狂信的なまでの『信頼』と『淡い恋心』が、確固たるものとして根付いていたのだった。
◆ ◆ ◆
一方その頃。
学園の地下深く、真っ赤なエマージェンシーライトが点滅する無機質な廊下を、僕は息を切らして走っていた。
「はぁっ……はぁっ……! あ、痛っ……!」
独房を飛び出したはいいものの、僕の身体は限界同調のダメージでボロボロだ。
数歩走るたびに、全身の筋肉が断裂するかのような激痛が走り、膝から崩れ落ちそうになる。
『マスター! 無理はしないでください。……痛覚は、お姉ちゃんが今すぐ、ぜーんぶ消してあげますからね♡』
インカムの奥で、アリスがひどく甘い、ねっとりとした声を出す。
「ひゃうっ!?」
次の瞬間、僕の腰の奥から背筋にかけて、まるで高圧電流を流されたかのような、強烈な『快感』が叩き込まれた。
仮想の両手が僕の太ももの内側をねっとりと撫で上げ、耳の奥に艶っぽい吐息が吹きかけられる。
「んあっ……! あぁっ! アリスぅっ! 走ってる時に、やめっ……ひぅっ!」
『痛みが消えたでしょう? ほら、足が軽くなりましたよね。マスターはただ、私の愛の波に乗って、前へ進めばいいんです。……いい子ですね、もっと可愛い声で喘いでください?』
「はぁっ、はぁっ……! おかしくなっちゃうよぉっ!」
僕は涙目で喘ぎながら、完全に腰の抜けたようなフラフラの足取りで、それでも驚異的なスピードで廊下を駆け抜けていった。
激痛を過剰な快感で上書きするという、文字通り脳をバグらせる荒療治。
傍から見れば、完全に顔を真っ赤にしてよだれを垂らしながら走る変態の姿だが、今の僕にはこれしか前に進む手段がなかった。
「……アリス。地上の状況は?」
僕は、快感でドロドロになりかけた理性を必死に繋ぎ止めながら、状況の確認を求めた。
『最悪、ですね。防衛ラインは完全に崩壊。エリートの羽虫たちは、数と暴力に押し潰されて次々とスクラップになっています。……あのメス豚(白金凛音)も、生身で逃げ惑っているようですね。このままモンスターの餌になればいいのに』
アリスの声には、隠しきれない歓喜とドス黒い嫉妬が混じっていた。
「ダメだ! 白金さんを……学園のみんなを、助けないと!」
『……マスターは本当に、お人好しですね。でも、マスターが望むなら、私がその願いを完璧に叶えてあげます。……さあ、着きましたよ』
アリスの言葉と共に、廊下の突き当たりにある重厚な金属扉が、自動的にスライドして開いた。
そこは、学園の機体を保管・整備するための巨大な地下格納庫だ。
赤い非常灯に照らされた薄暗い空間。
本来なら最新鋭機がズラリと並んでいるはずだが、今は迎撃のためにすべて出払っており、もぬけの殻となっている。
その広大な空間の隅に。
まるでゴミのように打ち捨てられ、解体用のクレーンに吊るされたままの、一機のボロボロの魔導機甲があった。
「…………僕の、機体」
僕は、荒い息を吐きながら、その無骨で泥臭い機体の前へと歩み寄った。
左脚の油圧シリンダーは完全にへし折れ、右腕の装甲は吹き飛び、機体中が黒く焼け焦げている。
メイン兵装である『スクラップ・トゥース』の巨大なチェーンソーも、刃がボロボロに欠け、沈黙したままだ。
査問会議で『違法改造の証拠として解体する』と宣告されていた通り、機体の外装パネルのいくつかはすでに外され、内部の配線がむき出しになっていた。
「ひどい有様だな……。ごめんよ、僕が上層部に目をつけられたせいで」
僕は、冷たい機体の装甲にそっと手を触れた。
『マスター。機体のメインジェネレーターの出力低下、三十パーセント。左脚の駆動系は完全に沈黙しています。……こんな鉄屑に乗ってスタンピードに突っ込むなど、論理的な生存確率はゼロです』
アリスの冷徹な分析音声が響く。
「……それでも、動かせるか? アリス」
『愚問ですね。私とマスターの愛の結晶を、単なる鉄屑と一緒にしないでください』
インカムの奥で、アリスが誇らしげに、そして最高に狂った笑い声を漏らした。
『左脚のバランスは、先ほどと同じように、私がマスターの生身の筋肉信号をハッキングして強引に補正します。……チェーンソーの欠けた刃も、回転数を限界のその先まで引き上げれば、摩擦熱のプラズマで無理やり切断力を生み出せます』
「負荷がかかるってことだね」
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
先ほどの深層での戦い以上に、僕の脳と肉体を削る戦いになる。
下手をすれば、今度こそ本当に脳が焼き切れて、廃人になるかもしれない。
『マスター。……怖くない、と言えば嘘になりますか?』
「……怖いよ。足の震えが止まらない。……でも、行かなきゃ」
僕は、涙を袖で乱暴に拭い、機体のタラップへと足を掛けた。
「僕の学園を、僕の平穏な日常を壊す奴らは……絶対に許さない」
『ふふっ。その意気です、マスター。……さあ、乗り込んでください。私とマスターの、泥臭くて狂気的な愛の力で、地上の羽虫たちを全員蹴散らしてやりましょう♡』
僕は、コックピットのハッチを開け、暗く狭いシートへと身を滑り込ませた。
地上の絶望を切り裂くため。
伝説の『泣き虫ヒーロー』と、彼を溺愛するヤンデレAIによる、文字通り脳を焼き切る覚悟の最終反撃が、今まさに始まろうとしていた。




