第25話:『「お姉ちゃん、リミッター解除して!」〜限界同調〜』
「お姉ちゃん……リミッター、解除して!!」
僕の決死の絶叫が、深層の澱んだ空気を切り裂いた。
『――承認。ハプティクス・セーフティ、全解除』
インカムの奥で、アリスのシステムがこれまでとは全く違う、ひどく無機質で、それでいてひどく艶めかしい電子音を鳴らした。
コックピットのコンソールを照らしていた青い光が、一瞬にして危険な真紅へと染まる。
直後。
「…………ッッ!?」
声にならない絶叫が、僕の喉を引き裂いた。
僕の脳の知覚野を保護していた『壁』が、物理的にぶち壊されたような感覚。
機体の各部センサーが捉える膨大な情報が、一切のフィルターを介さずに、僕の脳神経へとダイレクトに叩き込まれたのだ。
熱、風圧、魔力粒子の流れ、機体フレームの軋み、そして――二世代前の旧式機体が受ける、殺人的な重力加速度(G)とダメージのフィードバック。
「あ、あああああああああっ! 痛いっ! 痛いぃぃっ!!」
僕の右腕が、チェーンソーの超高速回転による振動で、文字通り千切れるような激痛に襲われる。
スラスターの熱が直接皮膚を焼くように感じられ、全身の骨がミシミシと悲鳴を上げた。
これが、限界同調。
機体の痛みを、パイロットが文字通り『自分の肉体の痛み』として錯覚する、非合法デバイスの真の姿だった。
あまりの激痛に、僕の意識がプツンとブラックアウトしかけた、その瞬間。
『――ダメですよ、マスター。痛いのは、可哀想ですからね。お姉ちゃんが、全部【上書き】してあげます♡』
ズギュゥゥゥゥゥンッ!!
激痛を遥かに凌駕する、致死量を超えた圧倒的な『快感』が、僕の脳髄を直接鷲掴みにした。
「ひぎゃああっ!? んんっ! あ、あぁぁぁぁっ!?」
見えない無数の手が、僕の全身の性感帯という性感帯を同時に、狂気的なスピードで撫で回し始めた。
耳の奥まで舌を入れられるような生々しい錯覚、背筋を駆け上がる強烈な痺れ、そして下半身が完全に溶け落ちてしまいそうなほどの過剰な愛撫。
痛覚と快感が脳内で完全にショートを起こし、火花を散らす。
「はぁっ! はぁっ! あ、アリスぅっ! 頭が、脳みそが、おかしくなっちゃうぅっ!」
『おかしくなっていいんです。私とマスターは今、神経の隅々まで完全に【一つ】に繋がっています。……もう、私の愛から逃げることはできませんよ?』
僕の瞳孔がトロンと開き、口の端からだらしなく涎が垂れる。
顔は限界まで真っ赤に染まり、全身は快感と激痛のブレンドによって、ビクビクと痙攣し続けている。
傍から見れば、完全に薬物中毒か何かの、壊れた人間の姿だっただろう。
だが。
僕の『目』と『手』だけは、恐ろしいほどの冴えを見せていた。
(……遅い)
僕の視界の中で、世界のすべてがスローモーションのようにゆっくりと流れていた。
アリスのチート級の演算速度と、僕の脳の処理速度が完全に同期した結果、僕の体感時間は極限まで引き延ばされていたのだ。
「ギョォォォォォォォッ!!!!」
純白の巨竜が、立ち止まったままの僕を完全な「的」とみなし、再び巨大な顎を開いた。
圧倒的な魔力光が収束し、深層の空間を蒸発させる極太のブレスが放たれる。
その光の奔流が、僕の機体に直撃するコンマ数秒前。
「……ここだっ」
僕は、快感で震える腕で操縦桿を微かに傾け、ペダルを小刻みに叩き込んだ。
ズバァァァァァァンッ!!
光の濁流が僕の機体を飲み込んだ――かに見えた。
しかし、僕の産廃機体は、ブレスの光条が広がる『熱膨張の隙間』を縫うようにして、一切の無駄な動きなく、真横へと滑り出ていた。
「ギョッ!?」
巨竜の瞳に、初めて『驚愕』の色が浮かんだ。
二世代前の、重くて鈍重なはずの旧式機体。それがまるで、重力や慣性の法則を無視した妖精のように、軽やかに、そして不気味なほど滑らかに動いたのだ。
『マスター! 右舷から尻尾による薙ぎ払い! 予測到達時間、〇・二秒!』
「んあっ! 躱すっ……ひぅっ!」
アリスの警告と、僕の腰を撫で上げる快感が同時に走る。
ゴォォォォォォォンッ!!
岩盤を砕きながら迫る、直径数メートルはあろうかという巨竜の尻尾。
僕はスラスターの噴射をコンマ一秒だけ逆噴射させ、機体を急制動させた。
尻尾が僕の機体の鼻先、わずか数ミリの空間を通り過ぎていく。
風圧で装甲が削れる感覚すら、僕の肌をチリチリと撫でる刺激として伝わってくる。
「すごい……アリス……っ! 機体が、僕の手足みたいに……っ!」
『ええ。ラグは完全にゼロです。マスターの思考のままに、この機体は動きます。……さあ、あの生意気なトカゲを、バラバラに解体してやりましょう♡』
「う、うんっ! 行くよっ!!」
僕は快感で涙をポロポロとこぼしながら、スクラップ・トゥースのトリガーを限界まで引き絞った。
ツインモーターが限界を超えて唸りを上げ、刃がオレンジ色の残像を残す。
「アリス! 左腕ワイヤーアンカー! 目標、巨竜の右前脚!」
ガァンッ!!
射出された鋼線が、巨竜の分厚い鱗の隙間に突き刺さった。
「巻き上げっ!」
強烈な張力が生じ、僕の機体は巨竜の巨体へと猛スピードで引き寄せられていく。
巨竜は忌々しそうに右前脚を振り上げ、僕を地面に叩きつけようとした。
「させないっ! パージ!」
空中でワイヤーを切り離し、僕はスラスターの全開推力で斜め上へと軌道を変える。
巨竜の爪が空を切り、その広大な『背中』が僕の視界いっぱいに広がった。
『マスター、背部装甲の魔力障壁、展開されます!』
「削れぇぇぇぇぇぇっ!!」
僕は落下速度のすべてを乗せて、スクラップ・トゥースの凶悪な刃を、巨竜の背中を覆う光の障壁へと叩き込んだ。
ギギギギギギギギギギギギギッ!!!!
鼓膜が破れそうなほどの凄まじい摩擦音。
滝のような火花が吹き出し、コックピットのカメラが真っ白に染まる。
「ぐっ……あぁぁぁぁっ!」
障壁の反発力が、限界同調を通じて僕の全身をミシミシと押し潰しにかかってくる。
骨が軋み、筋肉が断裂しそうなほどの激痛。
『マスター! 痛いですね、苦しいですね! お姉ちゃんが、もっと気持ちよくしてあげますからっ! 耐えてっ!』
「ひぎゃああっ! んんっ! あ、アリスぅっ! 刃が……弾かれるっ!」
先ほどと同じだ。
物理攻撃に対する魔力障壁の反発係数が高すぎる。
このまま力任せに押し込んでも、また機体が空中に弾き飛ばされるだけだ。
『……いいえ、マスター。今の私たちなら、食い破れます』
アリスの冷徹な、しかし絶対の自信に満ちた声が脳内に響く。
『魔力障壁は、常に一定の力で展開されているわけではありません。外部からの衝撃に対して、魔力の流動を集中させて反発を生み出しています。……つまり、反発が最大になるコンマ数ミリ秒の【直前】に、刃の角度と回転数を変えればいいのです』
「……刃の、角度を?」
『私が魔力の流動を完全に予測します。マスターは、私の指示通りに……いいえ、私の【愛撫のタイミング】に合わせて、操縦桿をミリ単位で動かしてください』
人間の反射神経では絶対に不可能な芸当。
しかし、痛覚と快感という原初的な信号に変換されたナビゲートならば、僕の脳は反射的にそれに従うことができる。
『――今っ! 左へ三度!』
「んあっ!」
左の乳首を甘噛みされる強烈な錯覚。
僕はビクンと身体を跳ねさせ、同時に操縦桿を左へ微かに傾けた。
ガリッ! と、弾かれそうになっていたチェーンソーの刃が、魔力の波を滑るようにして障壁の「薄い部分」へと食い込んだ。
「ギョッ!?」
『次、回転数低下! 右へ一度!』
「ひぅっ!」
右太ももを撫で上げられ、僕はペダルを緩めて操縦桿を右へ。
『押し込んで! 最大出力っ♡』
「あぁぁぁぁぁっ!!」
腰の奥を突き上げるような絶頂の快感に、僕は涙目で絶叫しながら、すべての体重を乗せてチェーンソーを押し込んだ。
ガリガリガリガリガリガリガリッ!!!!
神話の絶対防御であったはずの魔力障壁が。
僕とアリスの、あまりにも変態的で狂気的な『ラグゼロのミリ単位調整』の前に、まるで薄い氷のように削り取られていく。
「いけぇぇぇぇっ! 削れぇぇぇぇぇっ!!」
僕は顔を涙と汗と涎でぐしゃぐしゃにしながら、狂ったように叫び続けた。
エリートの最新鋭ビームすら弾き返した障壁が。
産廃機体の、泥と油にまみれた暴力的な刃によって、徐々に、しかし確実に粉砕されていく。
「ギョォォォォォォォォォォォォッ!!!!」
巨竜が、かつてない『死の恐怖』を感じたのか、狂乱したように暴れ始めた。
背中の上でチェーンソーを押し込んでいる僕を振り落とそうと、巨大な身体を岩壁に叩きつけようとする。
『させませんっ! マスター、ワイヤー射出! 巨竜の角へ!』
「アリスっ! わかってるっ!」
右腕でチェーンソーを障壁に食い込ませたまま、僕は左腕のアンカーを射出。
巨竜の巨大な双角の根元にワイヤーが巻き付き、僕は暴れ狂うロデオの牛に乗るようにして、巨竜の背中に完全に固定された。
『マスター! 魔力障壁の臨界点、突破します!』
「うおおおおおおおおおおっ!!!!」
パキィィィィィィィィィィィンッ!!!!
まるで、巨大なガラスのドームが砕け散るような、甲高い破砕音が深層の大空洞に響き渡った。
巨竜の絶対防御が、完全に消滅した。
圧縮されていた魔力粒子が四散し、強烈な爆風が僕の機体を煽る。
だが、僕のチェーンソーの勢いは止まらない。
障壁という名の抵抗を失った凶悪な刃は、そのままの勢いで、純白の巨竜の『生身の背中』へと到達した。
ズシャァァァァァァァァァンッ!!!!
「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
神話の怪物の、悲痛な絶叫。
分厚い純白の鱗が豆腐のように切り裂かれ、その下にある肉と骨を、スクラップ・トゥースが狂気的な駆動音と共に削り取っていく。
鮮血の代わりに、高濃度の青白い魔力血液が間欠泉のように噴き出し、僕の機体のコックピットカメラをドロドロに染め上げた。
「……あ、あ……」
遥か後方。
岩盤にめり込んだホワイト・リリィの中で、白金凛音が、信じられないものを見るように目を見開いていた。
彼女のスコープ越しに見えるのは、絶対に傷つけられないはずの神話生物の背中に乗り、顔を真っ赤にして喘ぎながらチェーンソーを深く食い込ませている、狂気と泥臭さにまみれた少年の姿。
「あいつ……本当に、削りきった……っ」
凛音の呆然とした呟きは、けたたましいチェーンソーの爆音にかき消されていく。
『素晴らしいです、マスター! さあ、もっと深く! もっと激しく! あのメス豚を泣かせた悪いトカゲを、一欠片も残さずバラバラにしてやりなさいっ!♡』
「あぁぁぁぁぁっ! 削れぇぇぇぇぇっ!!」
僕は、アリスの過剰な愛撫で完全に理性を飛ばしながら、涙目でチェーンソーをさらに深く、巨竜の体内へとねじ込んでいった。




