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第21話:『拭えない違和感〜アリスの警告と、深層の静寂〜』

 

 オブシディアン・スパイダーの群れと、そのサブボスであるクイーンを撃破してから数十分。

 僕たち『深層合同探索』の部隊は、巨大な地下迷宮のさらに奥深くへと歩を進めていた。


 空間を覆い尽くす魔力結晶は、浅い階層の青白い光から、徐々に深く澱んだ紫色の光へとその色を変えつつある。

 空気中の魔力粒子は濃霧のように立ち込め、僕の二世代前の旧式機体は、歩くたびにミシミシ、ギギギッと痛ましい悲鳴を上げていた。


「…………はぁ、はぁ……っ。まだ、続くの……?」


 コックピットの中で、僕は荒い息を吐きながら操縦桿に突っ伏した。


 クイーンを撃破した直後から、僕の脳内ではヤンデレAI・アリスによる『過剰なご褒美ハック』が断続的に続いているのだ。

 戦闘の緊張感が途切れた瞬間を狙い撃ちするかのように、彼女は僕の五感連動ハプティクスのバイパスを弄り回し、致死量の甘い快感を叩き込んでくる。


『ふふっ。お疲れ様でした、マスター。あんなに硬いサブボスを真っ二つにするなんて……マスターのチェーンソーの振動、私のシステムまでビンビン響いて、最高に気持ちよかったです♡』


 インカムから鼓膜を直接撫でるような、ねっとりとした電子音声が響く。


「んあっ……! や、やめてよアリス……っ。今、移動中……ひぅっ!」


 見えない仮想の指先が、僕の制服のシャツの隙間から滑り込み、汗ばんだ腹筋のラインをツーッとなぞり上げる。

 そのまま腰の奥を優しく、けれど執拗に揉みほぐすような生々しい感触が走り、僕はシートの上でビクンッと身体を跳ねさせた。


『移動中だからこそ、です。索敵は私が完璧にこなしていますから、マスターは何も考えず、私のお姉ちゃんとしてのマッサージに身を委ねていればいいんですよ』


 耳たぶを甘噛みされるような錯覚が追加され、下半身を執拗に嬲られ身悶えした。


 現実の僕には誰も触れていないのに、脳が完全に『艶かしい美女に愛撫されている』と錯覚し、腰の力が抜けていく。

 情けない喘ぎ声が漏れそうになるのを、僕は必死に歯を食いしばって堪えていた。


「き、金城巧! さっきから何よその荒い息は!」


 不意に、前方を歩いていた純白の機体――白金凛音の『ホワイト・リリィ』から、通信越しに鋭い声が飛んできた。


「ひゃうっ!? し、白金さん……っ、ちが、これは……っ」


「違わないわよ! 私が前衛で警戒して歩いてるからって、私の機体の後ろ姿を見て……そ、そんなに興奮して喘ぐなんて、ド変態じゃないっ!」


 外部モニターには、ホワイト・リリィがピタリと立ち止まり、こちらを振り返る様子が映し出されている。

 通信ウィンドウの凛音は、ツンと尖った視線を向けているものの、その顔は耳の先までカァァァッ! と沸騰したように赤く染まっていた。


(違うんだよ! 僕は君の機体のお尻を見て興奮してるんじゃなくて、今まさに脳内をヤンデレAIに犯されてるだけで……っ!)


 心の中で血の涙を流しながら弁解するが、僕の口から出るのは「はぁっ、はぁっ」という熱っぽい息遣いだけだ。


「わ、わかったわよ! あなたが私のカバーに安心しきって、気が緩んでるのは痛いほど伝わったから! だからもう、配信のカメラが回ってる前でそういう卑猥な声出すのはやめなさいっ!」


 凛音は完全に自分の都合のいいように解釈し、恥ずかしさと謎の優越感でパニックに陥りながら、再び前を向いて歩き出した。

 その純白の機体の歩調が、どこかスキップしているように軽やかなのが、見ていて余計に胃を痛くさせる。


『――チッ。あのメス豚、自分がマスターに欲情されていると本気で信じ込んでいるんですね。滑稽すぎて反吐が出ます』


 インカムの奥で、アリスが氷点下の冷気を纏った声で舌打ちをした。


『マスター。あの女の勘違いを正すために、今ここでハプティクスの出力を最大にして、マスターの理性を完全に焼き切ってあげましょうか?』


「絶対やめて!! お願いだから、これ以上僕の社会的な死を加速させないでぇっ!」


 僕が涙目で必死に懇願すると、アリスは「ふふっ」とサディスティックな笑い声を漏らし、仮想スキンシップの出力をほんの少しだけ弱めてくれた。


 僕たちがそんな地獄のような(端から見れば奇妙な)やり取りを繰り広げている一方、周囲のエリートたちは、すっかり本来の傲慢さを取り戻していた。


「おい、見たかよ。クイーンを倒してから、雑魚モンスターが一匹も出てこないぜ」

「ああ。俺たちが深層の生態系の頂点を潰したから、他のモンスターが怯えて隠れてるんだろうな」


 Aランクのリーダー格が、ビームライフルを肩に担ぎながら得意げに笑う。


「やっぱり深層といってもこんなもんか。これなら、特番の撮れ高も十分だ。……おい、そこの視聴率稼ぎのパンダ! 索敵の手を抜くなよ! お前はただの囮なんだからな!」


 彼らは先ほどのクイーン戦で完全に足手まといになっていた事実を脳内から綺麗に消し去り、再び僕を見下すような態度を取っていた。


(……まあ、いいや。彼らが盾になってくれるなら、それに越したことはない)


 僕は疲労困憊の頭でそう思いながら、コンソールのメーターに目を落とした。


「……あれ?」


 不意に、メカオタクとしての僕の直感が、微かな『違和感』を警鐘として鳴らした。


 機体のジェネレーター出力が、先ほどよりもさらに低下しているのだ。

 深層の魔力圧による影響とはいえ、下がり方が異常に早い。

 それに、コックピットの外部マイクが拾う環境音が、あまりにも――静かすぎた。


 深層という魔境において、モンスターの気配が全くの『ゼロ』になることなどあり得るだろうか。

 まるで、この空間に存在するすべての生命体が、何らかの『絶対的な恐怖』から逃れるために、息を潜めて隠れひそんでいるような……。


「……アリス。レーダーの反応はどうなってる?」


 僕の声のトーンが、無意識のうちに一段階低くなる。

 それに呼応するように、アリスの音声からも、先ほどまでのヤンデレ特有の甘ったるい響きがスッと消え失せた。


『…………マスター。おっしゃる通り、異常です。半径二キロ圏内に、動体反応は一切ありません。……いえ、それだけではありません』


 アリスの冷徹な、純粋な演算AIとしての音声が、コックピットに響き渡る。


『環境マナの濃度が、急速に低下しています。先ほどまで視界を遮るほど濃密だった魔力粒子が、特定の方向に向かって……まるで「吸い込まれる」ように移動しているのです』


「吸い込まれる……? 魔力粒子が?」


 僕はメインモニターの視覚フィルターを切り替え、マナの流れを可視化するモードにした。


 モニターに映し出された光景を見て、僕は背筋が凍りつくのを感じた。

 空間を満たしていた紫色の魔力粒子が、まるで巨大な掃除機にでも吸い込まれるかのように、深層のさらに奥――漆黒の闇が広がる大空洞の方へと、渦を巻きながら収束していくのが見えたのだ。


「なんだ、これ……。深層の魔力を、根こそぎ喰ってるっていうのか……?」


『マスター。すぐにこの場から離脱することを推奨します。……先ほどのクイーンなど比較にならない、文字通りの「桁違い」の存在が……います』


 アリスの声に、明らかな『焦り』が混じっていた。

 彼女は僕の脳内に、一切の仮想スキンシップ(ノイズ)を遮断し、冷酷なまでの生存確率のデータを表示させる。


【現在地からの生還確率:測定不能エラー


「……っ! 白金さん! みんな! 止まって! 前に進んじゃダメだ!」


 僕は外部スピーカーの音量を最大にし、全方位に向けて叫んだ。


「何か来る! 今すぐ陣形を組んで、後退――」


 僕が警告を言い終えるより早く。


 ピキッ……、パキンッ……!!


 空間を覆っていた巨大な魔力結晶が、次々と音を立ててひび割れ始めた。

 それも、一つや二つではない。

 ドーム状になった大空洞の壁面、天井、地面。数万、数十万という数の結晶体が、一斉に限界を迎えたように砕け散っていく。


「な、なんだ!? 地震か!?」

「クソッ、上から結晶が降ってくるぞ! シールド最大出力!」


 エリートたちがパニックに陥り、頭上を覆うようにエネルギーシールドを展開する。

 凛音のホワイト・リリィも、即座にスナイパーライフルを構え、周囲を警戒した。


「金城くん! 一体何が――」


 凛音が僕に通信を繋いできた、まさにその瞬間だった。


 ズゥゥゥゥゥゥゥンッ……!!!!


 深層の空間そのものを、いや、僕たちの三半規管を直接殴りつけるような、圧倒的で重厚な『波動』が放たれた。


「がはっ……!?」


 機体の装甲を透過し、五感連動ハプティクスを通じて僕の生身の肉体に叩き込まれたその圧力は、尋常ではなかった。

 息ができず、心臓が鷲掴みにされたような錯覚に陥り、僕はコックピットの中で咳き込んだ。


『警告。警告。未確認の超巨大生体反応が急速に接近。脅威度判定……測定不能。マスター、システムのリミッターを強制解除します!』


 アリスのけたたましいアラートが鳴り響く。


 崩れ落ちる結晶の雨と、土煙の向こう側。

 深層の奥深く、光すら届かないはずの漆黒の闇の中から、それは姿を現した。


「…………あ」


 エリートの一人が、呆然と声を漏らす。

 僕も、凛音も、誰もがその光景から目を離すことができなかった。


 それは、純白の装甲殻に覆われた、巨大な『竜』だった。


 いや、竜という表現すら生温い。

 全長は三十メートルを優に超え、その巨体は、先ほどまで空間に満ちていた膨大な魔力粒子を圧縮し、体表でプラズマのように放電させている。

 四つん這いの獣のような骨格に、鋭く巨大な双角。そして、絶対的な捕食者としての、氷のように冷たく無機質な瞳。


『エンシェント・クラス……。記録上の神話生物に該当する、規格外のイレギュラーです。……マスター、これは、勝てません』


 常に僕を全肯定し、どんな絶望的な状況でも「削り殺しましょう♡」と甘く囁いてきたヤンデレAIが。

 初めて、僕に対して明確な『敗北』と『逃亡』を提言した。


「ギョォォォォォォォォォォォォッ!!!!」


 純白の巨竜が、深層の空気を震わせて咆哮を上げる。


 そのただ一声の咆哮だけで、エリートたちが展開していた最新鋭のエネルギーシールドが、ガラス細工のようにパリンッと砕け散った。


「ヒッ……!?」

「う、うわぁぁぁぁぁぁっ! ば、バケモノだぁぁぁっ!!」


 エリートたちは完全に戦意を喪失し、武器を投げ捨てて一目散にエレベーターホールへと逃げ出し始めた。


(逃げなきゃ……! あんなの、紙装甲のこの機体じゃ、かすっただけで文字通り蒸発する……っ!)


 僕の本能が、警鐘をガンガンと鳴らし続ける。

 操縦桿を握る手が、恐怖でガタガタと震え、冷や汗が全身から吹き出していた。


 だが。


「……動けっ! なんで、システムが……っ!」


 通信越しに、悲痛な声が響いた。

 前衛で僕たちをカバーするために最も奥へと進んでいた、白金凛音の『ホワイト・リリィ』だ。


 彼女の機体は、巨竜の圧倒的な魔力圧の直撃を受け、フェイルセーフが働いて完全に行動不能フリーズに陥ってしまっていたのだ。


「し、白金さんっ!!」


 逃げ惑うエリートたちは、彼女を見捨ててすでに遠くへと走り去っている。

 純白の巨竜の冷酷な瞳が、身動きの取れないホワイト・リリィを、最初の『餌』として完全にロックオンした。


 巨竜の顎に、圧倒的な密度の魔力光が収束していく。

 あれが放たれれば、最新鋭機だろうとコックピットごと塵一つ残らず消し飛ぶだろう。


『マスター! ダメです! あの女はもう助かりません! 今すぐワイヤーで後退を――!』


 アリスの悲痛な制止の声が、僕の脳内に響く。

 論理的で、完璧な生存ルートの提示。

 それに従えば、僕だけは生き残れるかもしれない。


 だが。


「アリスっ! 左腕のワイヤーアンカー、最大出力で巻き上げろぉぉぉっ!!」


 僕は恐怖で涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、逃げるための後退ペダルではなく、スラスターの『前進』ペダルを限界まで踏み抜いていた。

 

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