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運命に選ばれなかった盗賊娘は、悪役王子に選ばれる  作者: 篠瀬


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第二十七話 盗賊娘、会わせる道を盗む


 祝祷で盗むものは、封筒より面倒だ。


 封筒なら、紙がある。封蝋がある。隠す手がある。けれど道には形がない。誰かが歩く前にはただの廊下で、歩いた後にはもう「偶然」と呼ばれてしまう。


 しかもそれを、王城の礼拝堂で盗れと言われている。


 盗賊団向きではある。令嬢向きではない。


「指」


 旧訓練棟の一室で、リュクスが言った。


 ディアナは反射で膝の上の手を押さえた。


「動いてない」

「動いてる」

「膝の上で、針金探してる時の癖が出てる」


 見抜かないでほしい。机の上には、白い封筒の写しと、簡単な見取り図が広げられている。昨日、茶会で見た控室。祝祷の席。礼拝堂へ向かう廊下。東棟裏の馬車寄せ。線で結べば、ただの王城の通路だ。けれど、その線の上に人が置かれれば、意味が生まれる。誰かが誰かに会い、誰かがそれを見て、誰かが噂にする。道は、そのために作られている。


「盗るものは覚えているね」


 窓際に立つジークムントが言った。


 今日は、祝祷へ出るための正装ではない。銀白色の髪に、朝の光が淡く差している。深い青灰色の瞳は、机の上の紙ではなく、その紙の向こう側にあるものを見ているようだった。


「誰が誰を会わせようとしているか。どの道を使うか。誰に見せたいか。誰の名を噂に混ぜたいか」

「悪くない」

「褒められても嬉しくありません」

「なぜ?」

「仕事の内容が最悪なので」


 ジークムントは少しだけ笑った。


 少しだけなのに、腹が立つ。


「私は今日は出ない」

「出ないんですか」


 ディアナは思わず聞き返した。


 ジークムントが出ない。つまり、第一王子の視線も、所有牽制も、逃げ道を塞ぐ微笑みもない。ありがたい。とてもありがたい。なのに、少しだけ心細い。それが余計に腹立たしい。


「祝祷の席に第一王子が顔を出せば、場の意味が変わる。菫色の瞳の少女を見る目も、クリスを見る目も、私を見る目に上書きされる」

「……邪魔になるんですか」

「今日はね。それに、私は警衛騎士団の仕事で礼拝堂の外を見ていることになっている」


 ことになっている。


 つまり、表向きの理由はある。裏の理由もある。この人は、いつもそうだ。


「……菫色の瞳の少女と、クリス殿下を会わせる道を見るためですか」

「そう」


 ジークムントは、あっさり認めた。


「そして、その道の横にイレーネ嬢を立たせる意味だ」

「意味」


 嫌な言葉だった。


 人を立たせるだけで、意味が作られる。昨日の茶会で、ディアナはそれを見た。菫色の瞳の少女の噂。クリス殿下の名。イレーネへ向きかけた棘。今日は、それが噂ではなく、現実の場で置かれる。


「止めないんですか」

「止めれば、手は引っ込む。昨日も言っただろう。止める日ではない」

「見せる日?」

「盗る日だよ」


 簡単に言う。


 ものすごく簡単に言う。


「道を、ですか」

「道を」


 嫌な指示だ。けれど、分かる。道そのものを塞げば、作った手は別の道を探す。なら、まずは歩かせる。誰が先に足を出すのか、誰が見ているのか、誰がその先に噂を置くのかを盗る。


 鍵穴に針を入れるのとは違う。


 これは、廊下そのものを盗む仕事だ。


 リュクスが短く名を呼ぶたび、机の上の線が仕事に変わっていく。


「ミロ」

「使用人区画と噂。昨日の茶会の令嬢付きの侍女も拾う」

「了解、お頭。ついでに余計な尾ひれも拾ってくる」

「余計すぎるのはいらねえ」

「加減するって。たぶん」


 信用できない。ミロはにこにこと笑っている。こういう時のミロは、必要なものも余計なものも同じ袋に入れて持ってくる。


「ガロは控室と廊下」

「曲がり角と柱の影を見る」

「カイルは馬車と護衛」

「分かった」

「バルドは香だ」

「昨日の香袋と照らす。白花そのものじゃねえなら、混ぜ物がある」

「ダンテは荷と席順」

「席控えの箱を見る。必要なら底だけ抜く」


 必要なら、の意味が強い。王城の礼拝堂で席控えの箱の底を抜く盗賊団。頼もしい。頼もしいが、絵面が悪い。


「お前は」


 リュクスがディアナを見る。


「見学席だ。殿下の名で席は用意されてる。だが殿下は出ない。お前一人で見ろ」

「一人で」

「正確には、ロザリア先生が整えた令嬢の足で歩いて、サディアスに入口まで送られて、一人で座って見ろ」

「言い直しても怖い」

「盗賊団の娘だろ」

「こういう時だけ便利に娘扱いしないで」


 リュクスは笑わなかった。けれど、その目は少しだけ柔らかかった。


「見てこい。イレーネ嬢の横で、何が起きるか」

「……うん」


 盗賊団相手に、敬語はいらない。父の前では、ディアナは盗賊団の娘でいられる。ジークムントの預かりものでも、王城の見世物でもない。それだけで、少し息がしやすかった。


「ディアナ」


 ジークムントの声が落ちた。


「はい」

「イレーネ嬢を見るのはいい。でも、彼女だけを見るな」

「分かっています」

「本当に?」

「……多分」


 正直に言うと、ジークムントが目を細めた。


「では、覚えておきなさい。崩れない人ほど、周囲に勝手な意味を作られる」

「イレーネ様のことですか」

「君が見れば分かる」


 見れば分かる。


 嫌な言い方だ。けれど、たぶん分かってしまう。イレーネは崩れない。乱れない。その美しさを、周囲は冷たさと呼ぶかもしれない。


 そうされたくない。


 だから、見なければならない。


「行ってきます」


 ディアナが言うと、ジークムントが少しだけ首を傾げた。


「盗っておいで」

「見学です」

「今日は?」

「……今日は」


 そこを拾うな。


 リュクスが低く笑った。ミロも笑った。カイルは笑っていないが、少しだけ視線を逸らした。サディアスは無表情だった。無表情なのに、たぶん笑っている。そういうところが怖い。


 王城東棟の礼拝堂は、昨日の温室付きの広間よりずっと静かだった。白い花が祭壇の左右に飾られ、磨かれた床に窓の光が落ちている。香炉からは薄く甘い香が上っていた。白花そのものではない。もっと整えられた、祈りの場にふさわしいふりをした香りだ。信用できない。


 サディアスは入口で足を止めた。


「ここからはお一人で」

「サディアスさんは?」

「私は別の場所を見ます」

「別の場所」

「必要な場所です」


 説明が短い。いつも通りだ。ディアナは小さく頷き、見学席へ向かった。ロザリア先生に叩き込まれた通り、歩幅は小さく、視線は落としすぎず、上げすぎず。盗賊の足ではなく、令嬢の足。足にも種類があるらしい。意味が分からないが、今は必要なので使う。


 席に着くと、すぐに視線が集まった。


 第一王子が今日は来ていない。けれど、その名で席を用意された娘がいる。盗賊娘と噂される娘。国宝に似た指輪をはめていると囁かれた娘。昨日の茶会で、少しだけ噂の向きを変えた娘。


 見世物。


 今日は、隣にジークムントがいないぶん、視線の針先がそのまま刺さる。痛い。けれど、立っている時よりはましだ。座っていれば、少なくとも膝が震えても見えにくい。ロザリア先生の授業は、本当に盗賊稼業へ応用が利きすぎる。


 礼拝堂の前方には、すでにイレーネがいた。黒絹の髪は今日も乱れなく結い上げられ、淡い色のドレスの上で、氷青の瞳が静かに前を見ている。隣にはクリスが立っていた。柔らかな笑顔で挨拶を返し、誰かの緊張をほどくように言葉を置いている。


 社交の場で呼吸を崩さない人だ。


 人の本音を、笑顔でほどく人。二人が並ぶ姿は、きちんと美しかった。だからこそ、壊されるのが嫌だった。


 ディアナは視線を少し外し、礼拝堂の端を見る。若草色のドレスの令嬢がいた。昨日の茶会にもいた令嬢だ。その後ろに控える侍女の袖口から、薄く甘い香がする。白花そのものではない。昨日と同じだ。これはバルド行き。


 侍女は祈祷書を抱えている。その間に、薄い白い紙が一枚挟まっていた。封筒ではない。封筒から抜いた中身かもしれない。視線を向けすぎるな。盗る時は、手元を見るな。相手の目と足を見る。


 侍女は礼拝堂の奥へ向かうふりをして、途中で一度足を止めた。止めた先には、教会の侍祭がいる。年若い男で、香炉を運ぶ手つきは慣れているが、王城の礼拝堂には慣れていない。足の置き方が少し浅い。迷っている。誰かに言われた位置で止まろうとしている。


 侍女が祈祷書を持ち替える。侍祭の手が、香炉の布を直すふりをする。


 受け渡し。


 侍祭の目が、紙の方へ戻りかけた。まずい、と思った瞬間、柱の影からガロが一歩ずれた。香炉布の端が床へ落ち、侍祭の視線がそちらへ流れる。風が布を揺らしたような、ほんの小さな動きだった。


 その一拍で、別の手が伸びる。ダンテだった。


 荷運びの男に紛れ、祈祷文の箱を抱えたまま、紙の端だけを抜いた。あまりにも自然で、あまりにも雑用のふりがうまいので、侍祭は何も気づかなかった。


 身内ながら、手際が怖い。紙は消えた。けれど、道はまだ残っている。


 礼拝堂の入口が、静かにざわめいた。


 空気が変わる。


 噂というものは、本人より先に入ってくる。昨日の茶会で聞いた言葉が、礼拝堂の中でまた形を変えているのが分かった。菫色の瞳。女神の祝福。地方で見出された清らかな娘。誰かが囁き、誰かが受け取り、誰かが勝手に飾る。


 そして、その少女が入ってきた。


 白い礼服に身を包んだ、まだ若い少女だった。背筋を伸ばそうとしているが、緊張が肩に残っている。隣には教会の女官らしき人物がつき、少し後ろには王妃宮の控えの侍女がいる。


 菫色の瞳。


 本当に、菫色だった。


 綺麗だと思った。思ってしまった。


 崇めている者もいるのだろう。祈りの顔で見ている者もいる。けれど、その視線の中には、祈りだけではないものが混じっていた。


 まるで、飾り物のようだ。そう見えた。


 礼拝堂の視線が、一斉に動いた。


 少女へ。そして、クリスへ。


 クリスは、いつもの笑顔のままだった。


 社交の場で誰かが入ってくれば、王子は見る。相手を不安にさせないために、柔らかく目を向ける。だから、その視線が少女へ向かったこと自体は不自然ではない。


 不自然ではない。けれど。


 笑顔は崩れていない。声も出していない。礼儀としては、何ひとつ乱れていない。けれど、盗賊は人の目を見る。手より先に動く視線、足より先に止まる息、戻るはずの意識が一拍だけ遅れる、その隙を見る。


 クリスの視線は、ほんの一拍、戻るのが遅れた。


 今の、何。


 ディアナの胸の奥が、ひやりとした。


 冷えたのは指輪ではない。手袋の下の指輪は静かなままだ。ただ、胸の奥だけが、細い針で突かれたように冷えた。


 クリスはすぐに戻った。次の瞬間にはいつもの王子らしい笑みで少女へ挨拶をしていた。柔らかく、礼儀正しく、誰にも不自然に見えない。


 見えないはずだった。けれど、ディアナには見えてしまった。


 誰も悪くないのに、誰かの作った道の上で、勝手に並べられていく。


 何かが、ほんの一拍だけ、人の目をさらった。


 嫌だ。


 その言葉だけが、はっきり浮かんだ。


 クリスの隣で、イレーネは崩れなかった。黒絹の髪も、氷青の瞳も、きちんと前を向いたままだ。少女へ失礼のないように、わずかに会釈する。その所作は美しく、正しく、誰にも責められるものではない。


 だからこそ、怖い。


 崩れない人には、周囲が勝手に意味をつける。冷たい。堅い。祝福の少女を受け入れない。婚約者の視線を気にしている。そうやって、本人が何もしていなくても、棘の形を作られる。


 昨日、ひとつだけ棘の先はイレーネから逸れた。でも今日は、もっと大きな手が、別の棘を用意している。


 ディアナは礼拝堂の端へ視線を走らせた。ミロは使用人の列の後ろで笑いながら話し、ガロは柱の影で廊下の奥を見ている。カイルは馬車寄せへ続く扉の近くで護衛の顔を覚え、バルドは香炉の煙に眉を寄せ、ダンテは荷運びの男たちに紛れて席控えの箱を確認していた。


 父たちは、ちゃんと道を盗っている。


 なら、ディアナも見落とせない。


 少女がクリスの前に立つ。その少し後ろで、王妃宮の控えの侍女が満足げに目を伏せた。教会の女官は祈りの形に手を組む。若草色の令嬢は、その場にふさわしい程度の驚きだけを表情に乗せていた。


 全員が少しずつ、道に手を添えている。


 一人ではない。一つの悪意ではない。綺麗な言葉で包まれた、たくさんの小さな手だ。


 祈りの鐘が鳴った。


 白い花が揺れ、甘い香が薄く広がる。クリスは少女へ穏やかに言葉をかけ、イレーネは美しいまま隣に立っていた。誰も声を荒げない。誰も明確に傷つけない。なのに、見えない手が少しずつ、誰かをどこかへ押していく。


 ディアナは、手袋の下の左手を握った。指輪は静かだ。色は差さない。冷えもしない。けれど、迷いの森で淡く菫色を帯びた記憶だけが、指の奥に残っている。


 この少女も、いつかあの視線の中から盗み出さなければならないのかもしれない。イレーネを守るために。少女本人を、飾りにされる場所から遠ざけるために。


 けれど今は、まだそこまで言葉にできない。


 今、盗るのは道だ。


 噂ではなく、紙でもなく、香でもなく。人を動かす道。


 そしてその道の上で、クリスの視線だけが一拍、戻るのを遅らせた。


 祝祷が終わる頃には、礼拝堂の空気は何事もなかったように整えられていた。


 少女は教会の女官に連れられ、王妃宮の控えの侍女と共に別の扉へ向かった。クリスは数人の貴族に声をかけられ、いつもの笑顔で応じている。イレーネはその隣に立ち、乱れない姿勢で場を支えていた。


 何も起きていない。そう見える。だから、余計に嫌だった。


 礼拝堂を出たところで、イレーネと目が合った。ほんの一瞬だった。言葉を交わす距離ではない。周囲には人がいる。クリスもいる。礼拝堂の扉の外には、次の噂を拾おうとする人たちがいる。


 それでも、イレーネは小さく頷いた。昨日のお礼の続きのように。今日も崩れなかったという確認のように。


 ディアナも、ほんの少しだけ頭を下げた。


 大丈夫です。とは言えない。大丈夫ではないからだ。


 でも、見ています。


 それくらいなら、言葉にしなくても伝わってほしかった。


 東棟の外廊下に出ると、サディアスが待っていた。相変わらず無表情で、何も聞かない。


「戻ります」

「はい」


 聞かないのか。聞かないらしい。


 いや、聞かなくても報告させる沈黙だ。


 旧訓練棟へ戻ると、机の上にはすでに紙が増えていた。ダンテが抜いた紙。ガロが写した廊下の動線。ミロが拾った使用人区画の噂。バルドが包んだ香布。カイルが書き留めた馬車の紋と護衛の顔。


 盗賊団の仕事が、机の上に並んでいる。


 ジークムントは、その全てを見たあとでディアナを見た。


「何を見た?」


 労いも、からかいもなかった。その方が、今はありがたかった。


「会わせる道です。控室から礼拝堂へ向かう曲がり角。東棟裏の馬車寄せ。王妃宮の控えの侍女。教会の女官」

「他には」

「若草色の令嬢についていた侍女の香。席控えの紙。どちらも、今日の道に混ざっていました」


 ディアナは一度、息を吸った。言葉にするのが嫌だった。けれど、言わなければならない。


「クリス殿下が、菫色の瞳の少女を見ました」


 リュクスの目が鋭くなる。カイルが顔を上げる。ミロの笑みが消える。ジークムントだけは、表情を変えなかった。


「それは、見るだろうね」

「はい。見るのは自然です。王子として、相手を不安にさせないように見る。挨拶もする。だから、普通なら何もおかしくありません」


 ディアナは手袋の下の左手を握った。


「でも、一拍だけ長かったんです」

「一拍」

「はい。礼儀は何も崩れていませんでした。でも、視線だけが戻るのを遅らせました。盗みに入る時、人の意識が手元から逸れる、その一拍を見るんです。あれと、少し似ていました」


 言ってしまうと、胸の奥がまた冷えた。指輪は静かだ。冷えているのは、自分の中だ。


「イレーネ様は崩れませんでした。声も、姿勢も、目も。けれど、だから余計に、周りが意味を作れます。冷たいとか、動じないとか、祝福の少女を受け入れないとか。……そういう棘を作るために、あの場へ置かれていたんだと思います」


 ジークムントは黙って聞いていた。記憶を覗いているわけではない。ただ、ディアナの言葉と、息の継ぎ目と、握った左手を見ている。この人は、言葉にしなかった部分ほど拾う。


「あの場にいた人たちが、自分の足で立っているのに、誰かが置いた場所から動けないみたいに見えました」


 ジークムントの青灰色の瞳が、わずかに深くなる。


「そう」

「否定しないんですか」

「君が見たものを、私が否定しても意味がない」

「でも、笑うかと思いました」

「笑ってほしい?」


 嫌な聞き方だ。ディアナは眉を寄せた。


「今は嫌です」

「そう」


 ジークムントは、そこで初めて薄く笑った。からかう笑みではなかった。だから、余計に落ち着かない。


「なら、笑わない」


 そんな言い方をしないでほしい。


 考えるな。


 今はそこではない。


 リュクスが机を指で叩いた。


「つまり、会わせるだけじゃねえ。見せるためだな」

「はい」


 ディアナは頷いた。


「菫色の瞳の少女と、クリス殿下が同じ場に立つところを。クリス殿下が彼女を見るところを。……イレーネ様が、その隣で、何も崩さずに立っているところを」


 言葉にすると、胸の奥が少し痛んだ。


 白い花。甘い香。席控え。控室。馬車。王妃宮。教会。そして、視線。


 盗るべきものは、見えた。


「次はどうする」


 リュクスがジークムントを見る。


 ジークムントは、机の上に置かれた白い紙へ指を伸ばした。触れはしない。ただ、その上に影を落とす。


「道は見えた。次は、誰がその道を作ったかを見る」

「王妃宮か」

「教会か」

「その両方か」


 ジークムントの声は穏やかだった。穏やかなのに、紙の上の白さが逃げ場をなくしたように見えた。


「あるいは、どちらも自分の手だと思わされているだけかもしれない」


 嫌な可能性を増やさないでほしい。


 けれど、これもたぶん正しい。


 ディアナは、手袋の下の指輪をもう一度押さえた。指輪は色を変えない。静かなまま、硬い輪郭だけを返してくる。


 今日、噂ではなく現実の場で見た。菫色の瞳の少女は悪くない。クリスも、きっと悪くない。イレーネも、何も悪くない。それなのに、誰かが道を作れば、人はそこへ歩かされる。


 運命が人を動かす。


 その可能性が、初めて形を持った。


 ディアナは顔を上げた。


「盗ります」

「何を」


 ジークムントが聞く。


 ディアナは、机の上の見取り図を見た。白い封筒。礼拝堂。控室。馬車寄せ。王妃宮。教会。そして、イレーネの崩れなかった横顔。


「誰かを誰かの隣へ置いて、イレーネ様へ棘を向ける道を」


 言ってから、自分でも少し強すぎたと思った。けれど、撤回はしない。


 リュクスは何も聞かなかった。カイルも、ミロも、口を挟まない。ガロは黙って見取り図へ視線を落とし、バルドは香布を畳み直した。ダンテは抜いてきた席控えの紙を、ディアナの方へ少しだけ寄せる。


 理由を知らなくても、ディアナがそこへ手を伸ばしたいことだけは、もう伝わっている。


 ジークムントの目が、ほんの少し細くなった。


 理由までは渡していない。けれど、必死さの端までは隠せなかった。


「悪くないね」

「またそれですか」

「では、続けて」


 続ける。


 そうだ。


 止めるのではない。まだ壊すのでもない。まずは盗る。誰が道を作り、誰をその上へ置き、どこへ棘を向けようとしているのか。


 噂ではなく、道を。


 ディアナは机の上の白い紙を見下ろした。清らかそうな白。祈りの顔をした白。けれど、そこに隠された手は、もう少しだけ見えている。


 次は、その手が誰へ伸びるのかを盗る。


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