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運命に選ばれなかった盗賊娘は、悪役王子に選ばれる  作者: 篠瀬


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第二話 盗賊娘、推しの飼い猫になる


 推しに会えた。

 指輪をはめられた。

 記憶を視られたかもしれない。


 つまり、人生終了である。


 ――などと現実逃避している場合ではない。


 パーソン王国の王都。その奥にそびえる白亜の王城は、大陸一美しい城と称されるだけあって、外から見れば優美だった。尖塔は高く、窓飾りは繊細で、庭園には季節の花が整然と咲いている。

 だが、その地下には錆びついた鉄格子の並ぶ牢獄がある。


 綺麗な城の下に、ちゃんと牢屋がある。世の中、そういうものである。


 鎖に繋がれた盗賊団アディンセルは、その地下牢へ連れてこられた。


 頑丈な鎧をまとう騎士たちに押し込まれ、盗賊団の男たちは鉄格子の向こう側へ入れられた。カイルはリュクスの少し後ろで、格子の外に立たされたディアナから目を離さない。ガロは無言で錠前を観察し、ミロは軽口を叩く余裕もなく周囲を見回している。ダンテは黙って壁際に立ち、バルドは仲間たちの怪我の具合を確かめていた。

 その中で、リュクスだけが鉄格子の前まで進んだ。


 触れない。


 鉄格子には、強力な痛覚魔法が施されている。無理に掴めば、焼けるような痛みが走るはずだった。リュクスはそれを知っている。だから、掴まなかった。

 怒りで血走った目だけを、格子の外へ向けている。


 鉄格子の外側。

 ジークムントの隣で、ディアナは一人だけ別の鎖で両腕を縛られたまま立たされていた。


 左手の中指には、花の香りのしない白い指輪がある。森から王城へ連れてこられるまで、何度も試した。引いた。押した。回した。爪を立てた。けれど、指輪は最初からそこにあったみたいに、ぴたりとはまっている。


 痛みはない。締めつけもない。ただ、外れない。


 つまり、非常に腹が立つ。


「おい」


 リュクスの声は低かった。

 怒鳴ってはいない。けれど、怒鳴るよりずっと怖い声だった。


「そいつをどうする気だ」


 ジークムントは、鉄格子越しにリュクスを見た。


 黒い外套は森の土ひとつ残さず整っている。銀白色の髪も、深い青灰色の瞳も、夜の森で盗賊団を地面に縫い付けた男とは思えないほど静かだった。

 思えないだけで、本人である。


 ディアナは左手を握り込んだ。


「リュクス・アディンセル」


 ジークムントが穏やかに言った。


「マデリーナの夫」


 リュクスの動きが止まった。


 マデリーナ。

 ディアナの母であり、リュクスの妻だった女の名だ。十二年前に亡くなった彼女の名を、一国の王子が知るはずがない。


 少なくとも、普通なら。


「……てめえ」


 リュクスの声が、さらに低くなる。

 ジークムントは微笑んだ。


「記憶を視る王子、という噂くらいは知っているだろう」


 地下牢の空気が、一段冷えた。


 ディアナは息を止める。


 知っている。ディアナは知っている。

 ジークムント・ラ・パーソンが隠しキャラである理由のひとつ。彼が、他人の記憶を視る能力を持っていることを。

 けれど、ゲームの設定として知っているのと、目の前で母の名を使われるのは、まったく違う。


 怖い。


 この人は、誰かの過去を取り出せる。言葉にしていない痛みを、こちらが見られたくない場所を、まるで当然のように指先で触れてくる。


 リュクスは奥歯を噛んだ。


 怒りは消えていない。けれど、暴れればディアナが危ないと分かったのだ。鉄格子を掴まず、鎖を引き千切ろうともせず、ただジークムントを睨みつけている。


「娘に何をする気だ」

「見るだけだよ」


 ジークムントは柔らかく微笑んだ。


「今はね」


 その一言で、何ひとつ安心できなくなった。


 ディアナは思わず口を開いた。


「あの、そこは安心させるところでは?」

「安心したい?」

「できる材料がないです」

「正直だね」

「この状況で嘘をつけるほど器用ではないので」


 言い返した瞬間、リュクスがこちらを見た。

 怒っている。心配している。あと、たぶん少しだけ呆れている。


 よし。いつもの父だ。大丈夫。

 いや、大丈夫ではない。全然大丈夫ではない。


 でも、父が理性を失って暴れ出さない程度には、まだ踏ん張れる。


 ジークムントの視線が、ディアナの左手へ落ちた。


「その指輪は、よく似合っているよ」

「似合う似合わないの話ではありません」

「では、何の話?」

「外れない拘束具を、人の指に勝手にはめた話です」

「君が欲しがったからね」

「欲しがってません! 返してと言ったんです!」

「盗賊が獲物を返せと言うのは、なかなか面白い」

「面白がらないでください!」


 格子の向こうで、ミロが小さく吹き出しかけた。

 すぐにカイルが肘で黙らせる。


 今笑うところではない。たぶん。


 リュクスは笑わなかった。

 彼の視線は、ディアナの左手の中指に固定されている。宝石のない白い輪。女神の国宝に似せた、花の香りのしない指輪。


 リュクスの目が、じわりと険しくなった。


「女神の指輪だと?」


 低い声だった。


「笑わせるな。竜の血を引く王子が娘を縛る輪だろうが。そんなもん、女神の指輪じゃねえ。竜の指輪じゃねえか」


 地下牢が、一瞬だけ静かになった。

 ディアナは反射的にジークムントを見る。


 ジークムントは否定しなかった。

 ただ、ほんのわずかに、ディアナの左手へ目を落とした。


 それだけだった。


「面白い言い方をするね」


 穏やかな声。

 けれど、今の一瞬を、ディアナは見逃せなかった。


 何かある。この指輪には、何か。

 そう思ったところで、考えは途中で切れた。ジークムントがディアナの鎖を軽く引いたからだ。


「来なさい」

「どこへですか」

「話をしよう。ここでは、君の父親がうるさい」

「うるさいのは父さんの通常運転です」

「だろうね」

「納得しないでください」


 ジークムントは楽しげに目を細める。

 その顔が綺麗で、腹が立つ。


 リュクスが一歩前に出た。鉄格子には触れない。けれど、目だけで人を殺せそうだった。


「ディアナ」

「大丈夫」


 反射でそう言ってから、ディアナはすぐに首を振りたくなった。


 大丈夫ではない。

 でも、ここで父を余計に煽るわけにはいかない。


 ディアナは精一杯、笑ってみせた。


「たぶん、まだ殺されない」

「たぶんで納得できる親がいるか」

「だよね」


 リュクスの顔が歪む。

 ディアナはその顔を見て、胸の奥が少し痛くなった。


 盗賊団の頭。豪快で、乱暴で、大物ばかり狙って、ろくでもないことばかり教えてくれた父。その父が、今は鉄格子の向こうで、娘に手を伸ばせない。


 こんな顔をさせたくなかった。

 だからこそ、今ここで泣くわけにはいかない。


「もしディアナに何かしてみろ」


 リュクスの声が、低く沈む。

 ジークムントは振り返った。


「覚えておこう」


 約束ではない。

 それくらい、ディアナにも分かった。


 ジークムントは微笑んだまま、リュクスに背を向ける。鎖を引かれたディアナは、自然と前へ進まされた。


 格子越しに、カイルと目が合う。

 カイルは何も言わなかった。ただ、苦しそうに眉を寄せている。ミロも、ガロも、ダンテも、バルドも、全員こちらを見ていた。


 ディアナは左手を握った。


 指輪は外れない。父たちは牢の中。目の前にいるのは、記憶を視る王子。


 人生終了。

 いや、まだ終わっていない。


 終わらせてたまるか。


 ディアナは顔を上げ、ジークムントの背中を睨んだ。

 推しだろうが、悪役王子だろうが、父たちを守るためなら利用してやる。


 そう思った。


 思ったのに、次の瞬間、ジークムントがふと振り返る。


「そういう顔も悪くないね」


 見られていた。

 気持ちではない。たぶん、顔を。


 それでも腹が立つ。


「顔に出てましたか」

「少し」

「最悪です」

「褒めているよ」

「褒め方が最悪です」


 ジークムントは笑った。

 その笑みが、あまりにも綺麗で。ディアナは、また少しだけ心臓に負けた。


 地下牢を抜けると、空気が変わった。

 錆と湿気の匂いが薄れ、代わりに石壁の冷たさと、遠くにある花の匂いが混じる。狭い通路を進み、鉄の扉をくぐり、階段を上がる。鎖は外されない。けれど、引かれる力は強くなかった。


 やがて視界が開けた。


 王城より少し離れた場所に建てられた、白亜の離宮。整えられた庭には常緑の木々が並び、低い花壇には淡い花が咲いている。王城の華やかさとは違う、静かで、少しだけ閉じた空気のある場所だった。

 ディアナは、その離宮を知っていた。


 幽居の庭。


 迷い込んだヒロインとジークムントが出会う、隠しルート始まりの場所である。

 まごうことなき聖地だった。


 胸の奥がほんの少し震える。

 けれど、感動している場合ではない。


 父たちは地下牢。自分は鎖つき。目の前にいるのは、記憶を視る王子である。


 聖地巡礼どころではない。


「座りなさい」


 ジークムントが庭の椅子を示した。

 先ほどまで前を歩いていたはずなのに、いつの間にかすぐそばにいる。ディアナは肩を跳ねさせかけ、どうにかこらえた。

 この男の前で、余計な反応を見せてはいけない。


 庭の中央には、暗緑の丸型ガーデンテーブルとチェアが置かれている。ゲーム背景イラストと同じだ、などと考えないようにしながら、ディアナは言われた通り腰を下ろした。


 向かいに座るジークムントが、肘をついて微笑む。

 綺麗な顔だった。だから余計に怖かった。


 ほどなくして、ジークムントの従者らしき男がティーカートを押してきた。


 無表情で紅茶を置く従者を、ディアナは知っている。ジークムントの腹心、サディアス・ロウズだ。

 黒に近い髪に、冷えた灰色の目。攻略対象ではないものの、その冷淡さとジークムントへの忠誠ぶりで、一部のプレイヤーから人気があった人物である。


 確かに顔はいい。

 だが、今は顔の良し悪しを採点している場合ではない。


 ディアナが視線を上げると、サディアスと目が合った。ゴミでも見るような視線が返ってくる。心が痛い。


「さて」


 ジークムントが、柔らかい声で口を開く。


「君は、ずいぶん興味深いものを見てきたんだね」


 ディアナは息を止めた。

 やはり、見られている。


 全部ではない。そう思いたい。けれど、見られてはいけないものに触れられたのは確かだった。


「見慣れない文字。画面。私の名前。オールトの指輪。断罪台」


 ジークムントの視線が、ディアナの左手へ落ちる。


「複数の記憶か。面白いね、ディアナ・アディンセル」

「……どこまで見たんですか」

「全部ではないよ。断片だ。けれど、君が何かを知っていることくらいは分かる」


 彼は甘く笑った。


「私に関わることまで含めてね」


 優しい口調だった。

 けれど、その内容はまったく優しくない。


「便利だ。だから危険でもある」


 ディアナは膝の上で縛られた手を握った。


 ジークムント・ラ・パーソン。


 パーソン王国第一王子にして、警衛騎士団の団長。

 古代竜の血を引くと囁かれる、災いの王子。

 生まれながら他人の記憶を視る能力を持ち、その力を不気味がられ、王位からも遠ざけられた男。


 魔法にも剣にも長けていながら、王国から与えられた役目は、玉座ではなく、国を守るための剣であることだけ。


 そして『女神の微笑み』では、条件達成で解放される隠しキャラ。


 ディアナは知っている。

 彼が、ただの美しい王子ではないことを。必要なら人を殺すことにも躊躇しない、危険な男として登場したことを。


 最推しである。でも危険人物である。

 両立しているのが非常に厄介だった。


「君の指輪についても話しておこうか」


 ジークムントが言った。

 ディアナの左手が、わずかに強張る。


「君たち盗賊団が王城から盗んだ指輪は、本物ではない」

「……知っています」


 ジークムントの目が細まった。


 しまった。

 ディアナは口を閉じた。今のは余計だった。だが、もう遅い。


「本物は花の香りがする。そうだね?」


 心臓が跳ねた。

 この男、分かっている。


 いや、王子なら本物の条件を知っていてもおかしくはない。おかしくはないが、こちらがそれを知っていると見抜かれるのは、まったく別の話である。


「さっき、君は香りを探した」


 ジークムントは穏やかに言った。


「記憶を視たわけではないよ。ただ、反応を見ただけだ」

「……そういうところ、本当に嫌です」

「そう」

「褒めていません」

「分かっているよ」


 ジークムントは、紅茶のカップを優雅に持ち上げた。サディアスが無言で控えている。ディアナだけが、縛られた手を膝に置いたまま、どうしていいか分からない。


 場違いなほど優雅な庭。

 場違いなほど綺麗な王子。

 場違いなほど、最悪な状況。


「よくできた偽物だろう?」


 ジークムントは何でもないことのように言った。


「私が用意した」

「……あなたが」


 ディアナは、左手の指輪を見た。

 香りのしない、宝石のない白い輪。見た目だけなら、ゲームで見たオールトの指輪とほとんど同じ。


 それを、この男が用意した。

 そして、盗賊団が盗みに来るのを待ち、ディアナの指にはめた。


「何のために」

「王国が守る象徴に、誰が食いつくか見たかった」

「……それだけですか」

「使えるなら、手駒にする」


 あっさりと言われた。

 あまりにもあっさりしていて、ディアナは一瞬、言葉を失う。


 手駒。


 その言葉は冷たい。けれど、嘘ではなかった。


 王位から遠ざけられ、災いの王子と呼ばれ、国を守る剣として使われながら、王国の中心には置かれなかった男。


 その男が、王国の象徴に罠を仕掛けた。


 ただの防犯、で済むはずがない。


 ディアナには、まだそこまでしか分からない。

 けれど、分かることもある。


 ジークムント・ラ・パーソンは、王国が大切に守っているものを、素直に守るだけの王子ではない。


「父たちも、ですか」

「そうだね」

「私も」

「君は、想定以上だった」


 ジークムントは微笑む。


「だから、処分するには惜しい」


 嫌な言い方だった。

 殺さない理由が優しさではない。興味と利用価値だ。


 分かっていた。

 分かっていたけれど、胃が重くなる。


「選びなさい」


 ジークムントは目尻を和らげた。


「このまま危険な記憶を持つ盗賊娘として処分されるか。私のものとして生きるか」

「……はい?」


 間抜けな声が出た。


 処分されるか、私のものになるか。


 そんな二択を、推しの顔面で突きつけられて、まともな反応ができる人間がいるなら連れてきてほしい。

 だが、浮かれている場合ではない。


 父たちは牢の中にいる。

 自分の指には、外れない指輪がある。

 目の前の男は、甘い声で脅しながら、逃げ道を塞いでいる。


 ディアナは喉を鳴らし、慎重に口を開いた。


「……あの、それは愛の告白ではないですよね?」

「違うね」

「ですよね」


 即答だった。

 分かっていたけれど、少し心が痛い。


 いや、そこではない。


「では、私たちの弱みを握れたから、手駒になれと仰っているんですね?」


 見慣れない記憶を持つディアナ。

 王家の国宝を狙ったリュクス率いる盗賊団。

 表社会では動きにくい場所にも入り込める、裏社会の手足。


 そう考えれば、ジークムントが自分たちを生かす理由はある。


 ジークムントは、一瞬だけ目を瞠った。

 やがて、堪えきれないというように軽く息を漏らす。


 笑っている。


 その姿が少しだけ幼く見えて、ディアナの胸がうっかり高鳴った。


 やめてほしい。命の危機である。


「そうだね。よくできました」

「……褒められている気がしません」

「褒めているよ。状況を正しく理解できる子は好きだ」

「好きの意味が怖いです」


 ジークムントは楽しげに目を細めた。

 傍に控えていたサディアスが、またゴミを見るような目を向けてくる。心が痛い。二度目である。


 けれど、ここで怯えて黙るわけにはいかない。


 相手は危険だ。

 甘い声で脅し、微笑みながら逃げ道を塞ぐ男だ。


 だからこそ、言葉を選ばなければならない。


「父たちを殺さないでください」


 ディアナは、はっきりと言った。


「治療も。食事も。拷問や尋問も、勝手にはしないでください」

「要求が多いね」

「飼うなら、餌代くらい払うものでは?」


 言ってから、しまったと思った。

 ジークムントの目が、楽しそうに細まる。


「そうだね」


 ものすごく嫌な予感がした。


「なら、まずは君にも餌をあげようか」

「……はい?」


 聞き返した瞬間、ディアナの身体がふわりと浮いた。


「ひゃっ」


 鎖が鳴るより早く、細い腰と膝裏に手を添えられた。縛られた腕ごと、空気のように軽々と持ち上げられる。そのままジークムントの膝の上に座らされ、ディアナは理解が追いつかないまま固まった。


 近い。近いどころではない。

 目の前に、ジークムント・ラ・パーソンの顔がある。

 銀白色の髪。深い青灰色の瞳。整いすぎた顔立ち。前世で何度も画面越しに見た最推しが、今は鼻先が触れそうな距離にいる。


 推しが近い。推しの膝の上にいる。推しに捕まっている。


 情報量が多い。


「この顔が好きなんだろう?」


 ジークムントは、柔らかく笑った。


「ほら。君が要求した餌だよ」


 最低だった。

 最低なのに、顔が良かった。


「い、いりません」

「そう? 君の記憶では、ずいぶん熱心に見ていたようだけれど」

「見ないでください!」

「もう見たよ」


 終わった。

 心の中の祭壇を本人に見学された人間の気持ちを、誰か法律で守ってほしい。


 ディアナは反射的に目を閉じた。

 見てはいけない。今この距離で見たら、心臓が負ける。


「目をあけろ」


 低い声だった。

 それまでの柔らかい語調とは、まるで違う声。短く、冷たく、逃げ道を許さない命令。


 紳士的な王子の仮面が剥がれたような響きに、ディアナの肩が跳ねる。


 従わずにはいられなかった。

 ゆっくりと瞼を上げる。


 そこには、先ほどまでの優しい王子ではなく、青灰色の瞳でこちらを見下ろす男がいた。


「ちゃんと覚えろ」


 ジークムントの声が、さらに低くなる。


「今日からお前は、私のものだ」


 言葉が出ない。


 ジークムント・ラ・パーソン。


 普段は物腰柔らかな紳士として振る舞うが、ふとした瞬間に、その奥にある傲慢さを覗かせる男。


 外見も好きだった。声も好きだった。設定も好きだった。

 けれど、ディアナが一番弱かったのは、この落差だった。


 画面越しなら、何度でも悶えられた。ボイスを聞き返して、スチルを眺めて、好きだと騒いでいられた。

 でも今は違う。


 これはイベントではない。

 自分に向けられた命令だ。


 父たちは牢の中にいる。

 自分の指には、外れない指輪がある。

 目の前の男は、それを分かったうえで、ディアナの弱いところを正確に踏んでいる。


 最悪だ。

 最悪なのに、心臓が負けそうになる。


「分かったら返事をしろ」


 鼻先が触れそうな距離で、ジークムントが告げる。

 ディアナは震える唇を開いた。


「…………はい」


 情けない声だった。


 ジークムントが満足げに口角を吊り上げる。

 そして、何事もなかったかのように紳士の顔へ戻った。


「良い子だ、ディアナ」


 名前を呼ばれた瞬間、ディアナの意識がどこかへ吹き飛びかけた。

 この男、分かってやっている。


 自分がどの声に肩を跳ねさせ、どの顔に息を止め、どの距離で黙るのか。見た記憶と今の反応を合わせて、全部分かって使っている。


 本当に最悪だ。なのに、尊い。


 ディアナ・アディンセル、十七歳。


 国宝を盗んだ夜に前世を思い出し、最推しの悪役王子に捕まり、父たちを人質に取られ、外れない指輪をはめられた。

 そして、どういうわけか。


 今日から王子の飼い猫である。


 意味が分からない。

 いや、本当に意味が分からない。


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