胎動
彼女は他のどんな女性とも違っていた。
男性にひけをとらない優秀さも
間違いを正そうとする勇敢さも
誰に対しても分け隔てない優しさも
ふとした時に見せるあどけない笑顔も
どんどん磨きがかかる美しさも
彼女の全てが俺の心を惹きつけて離さなかった。
彼女を知る前も知った後も
彼女以上に俺の心を動かす人間に出会うことはなかった。
彼女もノア同様優秀だったため、飛び級でゼフィロス国の高校に通い始めた。普段どのような生活を送っているかはわからなかったが、学校が終わる時間になるとよく俺たちの通う大学に顔を出していた。
そういうわけで、ノアと四六時中一緒にいた俺も彼女と頻繁に顔を合わせるようになっていた。
ノアのそばで彼女の様子を見ていると、
ノアが彼女を心配する気持ちはすぐに理解できた。
彼女はとにかく社会に逆らって生きている。
学校でもよくトラブルに首を突っ込んでいるようで、その度に増えていったらしい“アン信者”がいつも俺たちの通う大学まで彼女を送ってくれていた。
「また増えた?“アン信者”」
俺はよくからかうようにそう声をかけた。
「信者なんかじゃありません。みなさんお友達です。私が兄の大学に行くと言うと送ってくださると言ってくださるので、お言葉に甘えているだけです。」
彼女は唇を尖らせて抗議の目線を送ってきた。
“アン信者”の友人たちから聞いたところによると、
学校では女性であるにもかかわらず男性と同じ場で学ぶ(しかも誰より優秀な)彼女を煙たがる人たちと、彼女の人格と優秀さを認め、性別は関係ないと受け入れる人たちとで学校が二分化しているのだという。
特に位が高い貴族である程、自分より位が劣る者に対する蔑視が強いようで、そういう人たちは彼女に対する蔑視もなおさら強いのだという話だった。
実にくだらない。
くだらないけれど、そうでもしないと自身のプライドが守れないと信じる貴族はたくさんいるだろう。
彼女は優秀な人間が必ず受けてしまう妬みを女性であるがゆえに一層強くその身に受け止めているのだ。
彼女はそもそも王族なので身分を明かせばそういったトラブルも発生しなかったはずであるが、それをよしとしないのは身分に支配されたくないという彼女の信念もあるのだろうと推測できた。
それでもこうやって“アン信者”が増えているところを見ると、女性蔑視にも身分の格差にも阻まれない彼女の人としての魅力がだんだんと人々の意識に浸透していっているのだろうと誇らしい気持ちになった。
しかし、彼女をよく思わない輩は学校内にも多く存在しており、嫌がらせも少なからず受けているようだった。
そんな状況でも己の信念を曲げず、強きを挫き、弱気を助けることをやめない彼女に俺は敬意の念を抱かざるを得なかった。
――が、同時にそんな彼女のことが心配でならなかった。
「ノアは、アンナのことが心配じゃないの?」
彼女はあまり人に相談しない。
あまりにも周りに頼ることをしないので、堪り兼ねた俺はある日ノアに答えなど決まりきった質問をした。
「心配に決まっているよ。でも、あの子は自分で決めたことは絶対に曲げない。ものすごく頑固者なんだよ。」
「ああ。全く言うこと聞かなそうだね。」
「うん。でも、あの子は最初からああだったわけじゃないんだ。」
「ああ」とは、一般的な令嬢のようにダンスの稽古や裁縫や最低限の読み書きの勉強だけをするだけでは飽き足らず、男性のように学校に通い、剣術を体得し、大学にすら進学しようとしていることを指しているのだとすぐにわかった。
「全く想像できないな。大人しそうな外見からは想像できないほど気が強くて勇ましい男勝りな女の子に育つ原因が何かあったの?」
ノアにとてもよく懐いているし、なんでもノアの真似をしているうちに自然とああいう彼女が形成されていったのかな、俺はそんな風に考えていた。
が、ノアから語られる彼女の姿はもっと悲しみに満ちていた。
「あの子が変わった直接的な原因は母親を亡くしたことかな。アンナの母親は優しくて温かい人だったけれど、父親の愛人で、身分の低い女性だった。アンナが 生まれて王族とも関わりを持つようになってから随分存在を疎まれ、虐められたらしい。それが原因で精神を病んで、自殺してしまったんだ。僕たちは幼かった からもちろん何もできなかったのだけれど。彼女は母を亡くして、自分の存在のせいで苦しんでいた母を救えなかった自分を責めた。そして、出自など関係ない という証明のため、自分の価値を認めさせようと努力を重ねて男性顔負けの強さと教養を身に付けた。」
俺はノアの話を隣でじっと黙って聞いていた。
ノアがあまりにも淡々と話すから大したことではないような錯覚に陥りかけたが、幼い娘が180度意識を変えたのだ。並大抵の決意ではなかっただろう。
「だけど、根本の性格は変わらない。本当のあの子はとても女の子らしい女の子なんだ。だから、いつかアンナらしいアンナを自分の意思で取り戻してほしい。この先必ず本当のあの子を救い出してくれる人が現れると信じているんだ。僕にはそれができなかったから。」
ノアはそういって悲しそうに笑った。
「本来ならば僕の口から話すことではないのだけど。君には知っておいてほしかったんだ。アンナには僕たちがお互いの正体を知っていることは秘密にしているからね。」
思えば、ノアはこの頃には俺のアンナに対する想いに気付いていたかもしれない。
だから、こんな話を俺にしたのかもしれなかった。
「だから、あんなに社会に反発するような生き方をしているんだな。」
「そうなんだ。僕の知らないところで傷付いて、その傷が癒える前にまた前線へ駆けてゆくんだ。心配するなという方が無理な話だろう。」
「違いない。俺も全然関係ないのにまんまと気にかかっているよ。…いや、親友の大事な妹だから関係ないことはないのか。」
ノアは俺の言葉を聞いて嬉しそうに目を細めた。
「はは。だから、こうして布教活動をしているんだ。1人でも多くの人がアンナの味方をしてくれるようにね。」
俺はノアと顔を見合わせて笑った。
「俺も親友の大事な妹君を陰ながら見守らせてもらうよ。」
それから俺とノアはお互いの将来の話をよくした。
それぞれ自分の国に帰ったら王座に着いてお互いの国同士で同盟を結ぼう。争うことなく、奪い合うこともなく、性別にも身分にも拘らない平等な社会を実現させよう。その結果アンナが幸せになってくれればいい。話すのはいつもそんな内容だった。
そんな風に日々を過ごし、ノアと俺が16歳で大学院へ進学した年、アンナは14歳で俺たちと同じ大学へ進学した。
大学では高校の時のような大きなトラブルは起きていないようだったが、彼女の美しさは多くの男を魅了していた。常に複数の男からアプローチを受けていたようだが、全て断っていた。
そんな状況を憂慮したらしい父親がある日アンナに手紙を寄越してきた。内容は『ルイスと婚約してはどうか』というものだった。
その日はアンナの14歳の誕生日で、ノアと俺とでささやかながらお祝いをしようと準備をしていた。こっそりと準備を進めていたため、大学から帰った彼女は俺の存在には気付かず、とぼとぼとノアの元へ歩み寄った。
「お兄様。今日、久しぶりにデニスが会いに来てくれてね。お父様からの手紙を届けてくれたの。」
「そうか。デニスは元気だったか?僕も会いたかったなぁ。」
「うん。相変わらずだったわ。ちょっと身長が伸びてた。」
アンナは父親からの手紙を手に、弱々しく佇んでいた。ノアはアンナの様子を見て、優しく声をかけた。
「それで?お父様は手紙で何を言ってきたの?」
少し間を空けて、迷っているように彼女は言葉を口にした。
「ルイスと婚約しなさいって。お兄様もご存知だったのでしょう?これは決定事項なのですか?」
「お父様はアンナに甘いから。そうしなさいって話じゃなくて、単純にそうした方がアンナの幸せに繋がるんじゃないかって思ったから言ってきたのだと思うよ。ルイスとアンナは昔から特別仲が良かったし。」
アンナはわからない、というように首を傾げた。
「お父様は本当にそうした方がいいって思っているのかしら…。」
「アンナはそうは思わない?」
「はい。だって、私の“王女”という立場を使えばたくさんの国民を守ることができるでしょう?せっかく授かったこの立場を私は余すことなく有効に活用した い。だから私の結婚も、政治的に最大限のパフォーマンスを発揮できる時まで取っておきたい。いまルイスと結婚を決めてしまったら、いつか必要となった時に 後悔するかもしれません。」
彼女はまるで溢れる想いを急いで言葉に紡いでるかのように、一気に告げた。
ノアはその言葉を受け、悲しそうに眉を寄せた。
「多分、お父様はアンナに好きな男性と結婚してほしいと思ってるんじゃないかな。僕も、もちろんお父様だって、アンナの結婚に頼らずに国を守っていける程度には有能なつもりなんだけど?」
ノアの諭すような言葉に怯むことなく、アンナは微笑んだ。
「お父様やお兄様と私とでは担うべき役割が違います。私は、権力は弱い者を守るために存在しているのだと思っています。王女には王女の役割というものがあります。私はそれを全うしようとしているだけです。」
ノアは降参というように小さく両手を挙げた。
「わかったよ。アンナの思うようにしたらいい。お父様には僕から話をしておくよ。」
アンナは頬を紅潮させ、興奮気味にノアへ抱きついた。
「お兄様ありがとうございます!最高のお誕生日プレゼントをいただいた気分です!私、きっと素敵な結婚相手を見つけますね!」
この自分の幸せを顧みない不器用な子を、自分の手で幸せにしてやりたい。
いつか彼女の結婚相手として俺を選ばせてみせる、そう決意した瞬間だった。




