エピローグ
強い命令口調でティナンに付いてくるようにと命じ付けて出ていったキリシュエータの要望に応じ、ルディエラは指定された時刻までに着替えと食事とをすませて――と思ったが、いかんせん着替えが無い。ティナンのことであるから、何か着替えを用意してくれていたであろうとチェストの上を見れば、そこは気配りの兄である。しっかりと用意されていた。
――どこから持ち込んだのか、一人で着れるような単純なドレス。
ぴらりとそれを眺め、ルディエラの目はどんよりと沈んだ。
どう考えても、バゼル兄の見立てだ。襟元を引き立てる精緻なレースはバゼルお手製であるに違いない。
思い切りそれを投げ出し、ルディエラは隣室のクローゼットからティナンの衣類を引き出すと、それを身に着けた。
足の長さであるとか、手の長さであるとかいろいろとモノ申したい感じであるが、無言で袖丈を折り返してすませる。
そうしていったん本来の自分の着替えがおかれている筈のベイゼルとの同部屋へと足を向けた。
もうすでに騎士団内には自分の氏素性が知れ渡っていることだろうと考えていたが、意外と人には遭遇しないし、そんな声も掛けられない。
小首をかしげつつベイゼルの部屋へとたどり着けば、本来であれば勤務の為に不在である筈のベイゼルが寝台の上で鼾をかきつつ寝こけていた。
予想外でおどろき、ついでさぁっと血の気を引かせて寝坊かと慌ててルディエラはベイゼルの腕をゆさゆさと揺らした。
「副長っ、副長まずいですよ!
もう朝ですったら。遅刻っ。遅刻ですっ」
「だぁっ、こっちは夜勤だったっつーの。起こすなっ」
がばりと体を起こしたベイゼルは、ルディエラの姿に怒鳴り声をあげたが――ふと冷静さを取り戻した様子で困ったように顔をしかめた。
「よぉ」
「……はい」
「なんだ、まぁ。ご苦労さん」
「はい」
「今日あたり戻るのか、実家?」
「ええ、きっと。
あの、とりあえず着替えに戻ってきたので」
「あー、んじゃオレ部屋出てようか?」
寝台の脇に放り出された軍靴に手を伸ばして言うベイゼルを引き留め、ルディエラは首を振った。
いつもと変わらずに寝台と寝台の間にあるカーテンでも引いて着替えればよいが、女だと知ったベイゼルも気を遣うのだろう。
自分の寝台の脇に置かれている着替え一式の入った荷物に手を伸ばし「隊長の部屋で着替えますから」と口にした。
殿下の指定した時間にはまだ早い。
朝食を抜くことになるかもしれないが、それくらいいいだろう。
ベイゼルは片足を寝台からおろし、がしがしと頭をかいた。
「ま、何かあったらいつでも来いや。
職にあぶれたら雇ってやるって言ったろ?」
自分の言葉に肩をすくめてみせるベイゼルは、口元を歪ませて苦笑を浮かべているようだ。
その様子に話半分でうけとめて、ルディエラはぺこりと力いっぱい頭をさげた。
「また、来ますから」
今までのように気軽にベイゼルと会うことも、一緒に食事をとったり騒いだりすることも無くなってしまうと思うとやたらとしんみりとした気持になる。ベイゼルはよいせっとと勢いをつけて立ち上がると、ぐりぐりとルディエラの頭を撫でた。
「元気でな」
「はい。副長もあまりさぼらないでがんばってください」
ベイゼルはべしりとルディエラの頭をはたき、最後のセリフはいつも通りの「うるせーよ」という軽口でしめられた。
ほっこりとした気持で退出し、荷物を抱えて王宮へと戻る――その道すがら、ルディエラはぽんっと肩をたたかれて呼び止められた。
第二隊のクロレルと、そしてフィルド・バネット。
「アイギル」
「フィルドさん」
「昨日は大変だったな」
フィルドが言いかけた言葉をさえぎり、がばりと頭を下げる。
「ごめんなさい。フィルドさん。クロレル副長。
色々とお二人に黙っていることがあって。
フィルドさんなんて、せっかくぼくの秘密を守ってくれると言ったのに、結局ばれてしまいました」
「え?」
その言葉には驚愕が混じり、いまだフィルドの元にはルディエラの話が回っていないのかとちらりと浮かんだが、いうべきことは留めずにそのまま言葉にした。先ほどの反応を見れば、少なくともクロレルには自分から告げるべきだ。
「今まで本当にありがとうございました。
クロレル副長。ぼく、実は騎士団顧問であるエリックの末娘で、本名をルディエラといいます。今まで騙していてすみません」
頭をぐっと下げたまま続ける。
「昨日、女であると知られて、急きょ騎士団見習いもやめることになってしまって……でも、フィルドさんはぼくが女であっても黙っていてくれたのに。ぼく、きっともうお会いすることはないかもしれないけれど、お二人の幸せを祈っていますから」
がばりと顔をあげ。がしっとフィルドの手を片手で握り、相手を力任せに引き寄せてそっとその耳にささやきかけた。
「きっとフィルドさん好みの従卒とか新兵のかわいい男の子がきっと見つかりますから、がんばって!」
ルディエラは激しい激励を残し、キリシュエータとの約束の時間を思い出して極上の笑顔で手を振った。
「お元気で!」
――ルディエラと握手したままの形で固まったフィルドに、クロレルはぽんっとフィルドの肩をたたいてしんみりと「はじめから最後まで、弓矢のような子だね」とつぶやいた。
クロレルは当然、フィルドの胸の痛みなどちっとも知らない。
「いや、だから……そうじゃ、なくて!」
***
従僕の案内でキリシュエータの執務室に通されたルディエラは、その部屋に一歩踏み込んで自分の記憶が過去へと引き戻される感覚に陥った。
約三か月前に、この場所でキリシュエータに騎士団見習いとなることを許されたのだ。鼻の奥がつんとするようなせつない感覚がよみがえり、それと同時にティナンに手ひどい言葉を突き付けられ、毛髪をばっさりと斬られてしまった痛みまでも思い出してしまった。
思わず無表情になり、心持ち唇がとがってしまった。
それをとがめるようにティナンが厳しい眼差しを向けてくる。
子供のようにべーっと舌を出してしまいたい気持ちになったが、もちろんそんなことはしない。
第三王子殿下の御前だ。
執務机の向こうで指を組み、こくりとうなずくキリシュエータの前に進み、ルディエラは跪いた。
――自らの恰好は騎士団見習い。
ならば、形だけでも最後までそれを貫く。
三か月前にキリシュエータは自分は主ではないと言った。
だが違う。
間違いなく、ルディエラにとって主といえばこの第三王子殿下なのだ。
「いくつか言わなければならないことがある。まずは――」
キリシュエータはゆっくりとした口調で言葉をあやつり、穏やかに続けた。
「すまない」
「――?」
思わず小首をかしげてしまいたくなるが、それは留めた。
騎士見習いとして、最後まで立派に成し遂げる――そう決めたのだ。最後の最後に無様を晒したくはない。
「さて、次だ……次も、まぁ今はいい。
まだ、な――もう少し、落ち着くまで……そう、もう少し」
謝罪の言葉を向けたくせに、いったい何に対しての謝罪だかまったく判らない。
主語はいったいどこに落として来たのでしょうか、殿下。
そう口にしたいが、ここでもやはり無言を貫いた。
謝るべきは、自分だ。
あと数日であった筈だというのに、ここにきてボロを出してしまった。ティナンが冷ややかに告げた言葉の通り、本当に、あと片手程でしかなかった筈なのに。
その悔しさに唇をぐっと引き結ぶ。
ともすると涙がにじんでしまいそうだが、それも絶えた。
ぶつぶつと言うキリシュエータは、なぜか心持ち目元を赤らめて空咳を一つ。
「殿下」
低く呼ばわるティナンの言葉に、いやそうに視線を向けた。
「うるさい。お前は黙っていろ。
とりあえずコレはあとだ――次」
ふんっと照れを隠すように言い、そして体制を整えてゆっくりと口を開いた。
「――ルディ・アイギル。
昨夜わが副官が告げた通り、騎士見習いとしての身分を剥奪する。腰の剣を前へ」
吊るされた細剣は官給品だ。
かちゃりと音をさせて剣帯から引き抜き、そっとキリシュエータと自分との間に横たえる。それらはすべて厳かな神事のようだった。
伏せたままの顔で、ただ静かに相手の言葉だけを受け止める。
悔しい、悔しい。悲しいっ。
だが、すべての結果は自分か招いたのだ。
「これで、騎士団見習いルディ・アイギルはいなくなった」
「――」
「では、次の話だ」
執務用の机の向こう側にいたキリシュエータが机を回り、黒檀の一枚板の机に腰を軽くあずけて立つ。
その時、カチャリとわずかな金属音が静かな部屋に響いた。
「にんじん、いや
……ルディエラ。これを下賜する」
いきなりの言葉と同時、ひゅっと鋭い音が耳につく。慌てて顔をあげると、顔面にぶち当たる勢いで細長いものが降りかかり、慌ててそれを受け止めた。
「私の十代のおりに使っていた剣だ。年若い頃のものだから、いくぶん剣身が短い。おまえの手に合うだろう」
「……殿下?」
無言をつらぬくつもりが、あまりのことに思わず目を見開いて問いかけた。
見上げる形になる先にいるキリシュエータは、極上の微笑を浮かべてひとつうなずいた。
「次の士官学校の騎士入校試験から女性を受け入れようと思う。
これは、女の身であろうとも訓練に励むおまえへの褒美だ。多少無茶ではあるが、すでに陛下と皇太子にも話は通した。官吏達は多少ごねるだろうがねじこんでやる。もともと警備隊には女性が登用されているのだし、騎士団の方も同じように組織することは無理ではないだろう。まぁ、多少調整は必要であろうが」
「殿下っ」
きつい口調のティナンが割って入ろうとしたが、キリシュエータは「控えろ」と鋭く突き付けた。
「ティナン、口出しはするなと言っておいた筈だ」
「ですが」
「言っておくが、もともとにんじんを見習いにした時にも女であることを隠せだの、氏素性を知られるななどという条件を私はつけていない」
きつい口調の言葉に、ティナンが押し黙る。
それを確認するように一つうなずき、キリシュエータは口元を緩めた。
「その剣をもって、私の元に戻れ。
お前をこのまま騎士団に戻すよりも、士官学校での一年はきっと実り多いものとなる。何より、縁故だの七光りだのとやかましい言葉の中で進むより、騎士という地位を自らの実力でもぎとってみせろ」
「はいっ」
下賜されたばかりの細剣をぎゅっと胸に抱いて、ルディエラは元気に応えた。
キリシュエータがうながすようにその白手に包まれた指先を向けてくる。
「一日も早く、この手に戻れ。
私はその日を待っている」
ぱぁっと眼前に光が広がるように、心がふんわりと軽くなる。
キリシュエータのどこか得意げな顔を見ていると、ふと先日自分が口にしてしまった言葉が思い出された。
「殿下」
「なんだ?」
「大嫌いなんて言ってごめんなさい。
大好きです!」
元気いっぱいに言うルディエラに、キリシュエータはどこか遠くを見るように目を細めた。
「……そういわれているうちはまだまだなのだろうな」
ぼそりと呟いた言葉にルディエラが小首をかしげる。
精一杯騎士見習いらしくなどと思っていたことも忘れ、その胸にしっかりとキリシュエータに賜った剣を抱きしめて。
その年の終わり、多少の反対はあったものの初の女性騎士下士官を受け入れるべき試験は粛々と行われたが、ルディ・アイギルではなくルディエラはものの見事に筆記試験で落ちるまでが、王道――