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11場 悠輝の部屋


荒い呼吸が、 マンションの非常階段に響いていた。


「……っ、はぁ……」


悠輝は壁へ手をつき、 苦しそうに息を整える。


「俺の体…… こんな重かったっけ……」


ネクタイを緩め、 ようやく部屋の扉を開けた。


小林とは途中で別れた。


追っ手を撒くためだ。


見慣れた自分の部屋。


狭いワンルーム。


その空間へ、 悠輝は瑠奈の手を引いて入る。


「ほら、 とりあえず座って」


部屋に一つしかない椅子へ、 瑠奈を座らせた。


悠輝はしゃがみ込み、 瑠奈の足元を見る。


「ヒールで走らせちゃって…… ごめん」


少し眉を寄せる。


「足、大丈夫?」


瑠奈の足首は、 うっすら赤くなっていた。


「……赤くなってる」


悠輝が顔を上げる。


「冷やす?」


瑠奈は、 そんな悠輝をじっと見つめていた。


「……どうして」


小さな声。


「どうして皆さん、 こんなに親切なんですか?」


悠輝の動きが止まる。


「私のために…… 危険なことまでして」


沈黙。


悠輝はふっと笑った。


「正義を信じてるから、かな」


わざと軽く言う。


瑠奈も少し笑う。


だが悠輝は、 すぐに視線を落とした。


「……俺も」


低い声。


「家族、 いないんだ」


瑠奈の表情が揺れる。


悠輝は静かに続けた。


「君が感じてる孤独とか、 不安とか……」


苦く笑う。


「たぶん、 俺にはわかるよ」


その目は、 どこか遠くを見ていた。


瑠奈は何か言いかけ、 やがて小さく呟く。


「……シオンさん、 大丈夫でしょうか」


心配そうな声。


悠輝は一瞬だけ表情を曇らせ、 視線を逸らした。


「先輩なら大丈夫」


そう答えながらも、 どこか寂しそうだった。


沈黙を破るように、 瑠奈がふっと笑う。


「タンゴ…… 踊れるんですね」


悠輝が顔を上げる。


「すごく素敵でした」


悠輝は照れたように笑った。


「探偵たるもの、 あらゆることに長けてないと駄目らしいですよ」


「それ、 先輩の口癖」


瑠奈が小さく笑う。


そしてふと、 あの歌を口ずさんだ。




♪ この広い空の下——


悠輝の表情が変わる。


「……その歌」


思わず聞き返す。


「なんで知ってるの?」


瑠奈は少し首を傾げた。


「わからない……」


静かな声。


「でも、 この歌を歌うと勇気が出るの」


窓の外で、 遠く雷が鳴った。


「小さい頃…… 母が亡くなって泣いていた時に」


瑠奈の瞳が、 遠い記憶を見るように揺れる。


「年上の男の子が、 歌ってくれたの」


悠輝は息を呑む。


「“泣いていたら、 空が曇って見えなくなるよ”って」


静かな沈黙。


悠輝が身を乗り出す。


「……思い出したのか?」


瑠奈はゆっくり首を振った。


「ううん……」


儚く笑う。


「思い出したのは、 この歌だけ」


「その歌、先輩が良く…」


その瞬間——。


バンッ!


勢いよく扉が開いた。


「……っ!」


瑠奈が肩を震わせる。


そこに立っていたのは、 シオンだった。


ネクタイを緩め、 息を切らしている。


「先輩!」


悠輝が立ち上がる。


「大丈夫だったんですか!?」


シオンは短く頷いた。


「ああ」


瑠奈もほっと息をつく。


悠輝が苦笑する。


「よくここだってわかりましたね」


シオンは上着を脱ぎながら答えた。


「敵も、 さすがにお前のアパートまでは把握してないだろ」


そして、 少し笑う。


「だから…… ここかなと思った」


悠輝は呆れたように肩をすくめた。


シオンはゆっくり瑠奈へ視線を向ける。


その表情が、 わずかに柔らかくなる。


「……怪我は?」


静かな声が、 部屋に落ちた——。




シオンは瑠奈へ視線を向け、 静かに口を開いた。


「……とりあえず、 俺たちはここを出る」


悠輝が顔を上げる。


シオンは続けた。


「今日はありがとう」


短い言葉。


だがその声には、 確かな信頼が込められていた。


そして、 ふっと笑う。


「お前は最高の相棒だ」


悠輝の表情が一気に緩む。


思わず笑みがこぼれた。


だが次の瞬間——


「まあ、 ダンスのテクニックはまだまだだけどな」


「はぁ!?」


悠輝が即座に抗議する。


「誰のせいであんな危険なステップ踏んだと思ってるんですか!」


シオンは肩をすくめる。


「俺は完璧に合わせてた」


「うわ、 腹立つ……」


瑠奈が思わず小さく笑った。


張り詰めていた空気が、 少しだけ和らぐ。


シオンは瑠奈を促すように、 そっと手を差し出した。


「行こう」


瑠奈がその手を取る。


シオンは自然に瑠奈をリードしながら、 扉へ向かった。


その背中へ、 悠輝が声を投げる。


「先輩」


シオンが振り返る。


悠輝はニヤリと笑った。


「送り狼にならないようにしてくださいよ」


一瞬。


瑠奈が目を丸くする。


シオンは呆れたように笑った。


「……お前、 余計なこと言う元気はあるんだな」


「誰かさんのおかげで鍛えられてますから」


シオンは苦笑しながら扉を開ける。


「ちゃんと鍵閉めろよ」


「はいはい」


扉が静かに閉まる。


残された悠輝は、 しばらくその扉を見つめていた。


笑っていた表情が、 少しずつ静かに消えていく——。


部屋に残った静寂だけが、やけに広く感じた。

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