17
恐らくはリリの父親よりも年上の男だった。
明らかに高級な布で作られた服に、宝石が埋め込まれた指輪とネックレス。
恰幅のいい体格に整えられた髪型を見るに、明らかに一般の人間でないとリリでも分かる。
「…………暗殺?」
「おっと。子供には少し刺激が強すぎる言葉かな。とはいえ、何も知らずに片棒を担がせるのは少々野蛮がすぎる」
猫を撫でるような、子供だと舐め切った口調。
飄々と語る口調の割に、濁り汚れた瞳はリリを一瞬たりとも外そうとはしない。
「君に頼みたいのは簡単だ。飲み物か食べ物に、この小瓶に入った液体を仕込んでほしい」
そういって懐から出された小瓶には、無色透明な液体が極僅かに入っていた。
コップの底すら満たせない量しかないそれは、大層立派な蓋で密封されている。
「これはとある筋から入手したものでね。確かに量は少ないが、数滴でも人を殺すことができる代物なんだそうだ」
「…………あの「魔王」に効くとは思いませんが」
ぎょろり、と。
まるでその問いは受け付けていないと言わんばかりに、男はリリを睨みつけ一つ咳き込む。
「失礼。どうも最近は些か気が短くてね。こう、歳は取りたくないと思うことが随分と増えた」
すると男は、小瓶を持たない手に一冊の書物を携えると。
「だから、無闇にこちらを怒らせるような言動は控えてもらうと助かるよ。協力者である君のことを、頼みごとの前に怪我させたくないからね」
手足の先から血の気が抜ける感覚。
途端それは、目の前の男に対する恐怖だとリリは理解する。
「だが、先ほどの質問を聞いた限りでは、君はこの頼みごとに協力的に聞こえたんだが」
「…………理由に、よります」
怖い。
ぬめりとした冷たい感覚が心臓の端を撫でる感覚。
経験したことない悪寒が、足元から這いあがり背中を縛る。
「私は、つい二週間前に「魔王」の弟子になった身です。その私に頼むのもそうですが、どうして彼を殺そうとしているのか。その理由を教えてください」
「なるほど。欲しいのは動機か」
リリが話し終えるよりも先に、目の前の男は一方的にこう語りだす。
「君を選んだ理由は、かの「魔王」の弟子で最も歴が浅いからだ。まだ洗脳が浅いほうが、こちらとしても説得ができると踏んだ」
洗脳。
何かドロリとした、例えるなら沼底にある泥のような。
明朗な口調とは裏腹に、その四文字には昏い何かが滲み出ていた。
「そして、どうして彼を殺そうとするのか、だったかね」
そしてそれは。
「簡単な話だ。「魔王」は殺すべきだからだ」
どす黒い嫌悪と共に、濁流となって男の口から溢れ出る。
「彼は人類の敵だ。存在するだけで人に危害を加え、人間社会に悪影響を与える。だからこそ、一刻も早くこの世界から抹消しないといけない。いや、する必要が絶対にある」
リリにとって、それは初めての経験だった。
「この国の連中も、教会の連中も随分と平和ボケしすぎている。彼らは「魔王」、何をどうしても人類の敵でしかない害悪そのもの。それが無垢なる少女を大量に搔き集め、自らの根城に誘拐している。これは決して許されることではない」
完全に振り切った善意の恐ろしさを。
自分が間違っていると疑わない、間違いがあるとすら思っていない。
「これは、この国のためのことなのだ。一刻も早く排除しなければ、より多くの人間に被害が及ぶ。そしてそれは、他でもない君にしかできない善行である」
盲目であるが故に真っすぐで。
聡明であるが故に歪に捩れた。
大義名分を得てしまった、正義という名の横暴を。
「人間、誰しも間違いはするものだ。特に君みたいに若い子供であれば猶更にそうであろう。だが、人は悔い改めることができる。正しい道へと引き返すことができる。その決断に遅いなんてことは決してない」
リリは、いわゆる箱入り娘だった。
地方の出身とはいえ、生活に困ることは一度だってなく、むしろ贅沢ができる余裕のある家で生まれ育った。
まして末娘だった彼女は両親や姉妹に蝶よ花よと愛でられ、おおよそしたいことは全て叶えてもらってきた。
レクスへの弟子入りも、「魔王」という悪名を考えれば許可が貰えたのは奇跡だと断言していい。
そしてリリもまた、聡明で聞き分けのいい子供であった。
唯一の我が儘を除けば、無理を言ったことも、反抗したことだってない。
「さぁ、これを。全てを使えば流石に怪しまれるだろうから、仕込む際は量を調節して…………」
「ふざけないでください」
だからこそ、リリの回答は決まっていた。
受け取った小瓶を即座に叩き割り、中に入っていた液体には視線すら向けなかった。
「…………どういう、つもりかな?」
そして。
小瓶の破片を踏み砕くと、意志を示すように魔法用の杖を構える。
「言った通りです。ふざけないでください」
リリの出した答え。
それを見た男は、深い吸気の後で顔を大きく歪めた。
「それは、あぁ困るなぁ。幼女を痛めつける趣味はないのだが」
「私はレクスの弟子です。師匠を売ることは絶対にできません」
まして、と言いかけたところで、リリは思わず口を止めた。
(…………ほんとうなら、一番の理解者だって言ってあげられたらよかったのに)
けれど、それは言えない。
どれだけリリが努力したところで、リアの一番にはなれない。
なにしろそこは、悩むまでもなく既に埋まってて。
他でもないリリ自身が、そうであることを心の底から願っているのだから。
(リアにとって、私ってなんなんだろう?)
疑問が脳をよぎるが、途端にその余裕がないと五感が訴える。
状況は深夜の森の中。
目の前の男は、恐らく魔法使いとして遥か格上。
ましてリアと違い、リリには魔法の才覚はない。
「よろしい。であれば、これは指導だ」
リリの思案の間に動きを止めていた男は、二カリと大きく破顔しこう宣告した。
「大人として、道を誤った子供を正しく導く。これもまた、大人のすべき義務であろう」
絶望が迫る。
リアは未だ眠りから覚める気配はなく。
今のリリに、リアを起こす手段は、ない。




