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レコードショップ黎音堂の音楽怪異譚  作者: 甘月
第2話 この子が安らかに眠れますように
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03 異変

 レコードの調査は難航した。なにせ足がかりとなる情報が一切ないのだ。

 葛原は、あの歌を歌っているのは日本人じゃないかと言った。歌詞はないにせよ、歌っているときの発音からそう感じたらしい。俺も同感だった。加えて、録音の音質から70年代の盤じゃないかとあたりをつけた。これも二人の意見が一致した。

 そこで70年代に活躍した日本の女性シンガーのリストを作り、片っ端から二人で聴いてみた。

 該当する歌声の人物は見つけられなかった。


「プロの歌手のテスト音源って可能性もあるかなと思ってましたけど、ここまでくるとその確率は低い気がしますねえ」

 客足の途絶えた店内。レジの奥でパソコンをいじりながら、葛原がため息をついた。

「アマチュアの人が、自主制作で少数作ったレコードとか。残る可能性はそれくらいですよ」

「まあな。でも、だとしたらそんなのどうやって辿れる?」

「調べ方を変える必要がありますね」

 カタカタとキーボードをたたく音が聞こえる。俺はレジの目の前に座って、手元の音楽雑誌をめくった。倉庫の奥に眠っていた中古本で、70年代の女性ロックシンガーを特集した号だ。先ほどからずっと目を通しているが、めぼしい情報は何もない。


 レコードの調査を続けることに、葛原は難色を示した。いくら危険な音が聴こえなかったとはいえ、虫の件が引っかかったらしい。それは俺もだ。完全にビビってしまい、家にレコードを持って帰るのを諦めたくらいだ。なのに時間が経てば経つほど、もう一度あのレコードが無性に聴きたくなってきた。結局耐えきれなくなり、店にいるときに一人で聴いた。そうしたらやっぱりあの女性が見えたし、彼女のことが知りたくて知りたくてたまらない気持ちが強まった。サカキさんに調査を断る理由も思いつかない。渋る葛原を説得して、店に二人ともいるときだけレコードを聴いてもいいことを条件に調査を続行することにしたのだ。


「やっぱりだめかあ」

 背後で疲れた声が聞こえた。

「音以外の情報から攻めようと思って『黒いジャケット』とか『正体不明のレコード』とかで検索かけてみたんですよ。でも何もヒットしないです」

 あれだけ最初は調べるのを嫌がっていたくせに、いざ始めると葛原は俺よりも熱心にリサーチしている。根が真面目なのだろう。有難いことだが、根を詰めすぎていないか若干気にはなった。


「たしかに、外堀から埋めるのも一案だな」

「そのレコードを見つけた人の話も聞いてみたいですよね。大学の部室で見つかったんでしたっけ? 誰がいつそこに持ってきたのかって、瀬崎さん何か聞いてます?」

「いや何にも。俺がその大学生の子と知り合いってわけじゃないからな。親父さんのコウダさんは、うちの常連だけど……」

「じゃあ、そのコウダさんに連絡してみましょ!」

「いや、したんだけどさ」


 ずっと文字ばかり読んで疲れてきた。眼鏡をはずして目頭を揉む。


「何回電話かけても、出ないんだよ。メールもしたけど返信なし。とりあえず、今は待つしかないかなあ」

 俺は雑誌を閉じると、ぐっと一つ伸びをした。

「まあ、サカキさんにもう一回詳しく話を聞くってのはありかもな。ずっとレコードを借りっぱなしなのも悪いし」


「じゃあ、私はコウダさんのご自宅に行ってみますよ。このお店から何回か注文品を発送してるなら、住所が残ってるはずですよね」

「おい、顧客データをそんな目的で勝手に使うなんて、駄目に決まってるだろ」

「あ、やっぱりだめでしたか」


 すみません……と指先を合わせ、葛原が項垂れる。

「何焦ってるんだ?別に、サカキさんから期限を切られてるわけでもないし。きみがそこまで思い詰めることないだろ」

「それは……今回、私の耳がお役に立ててないので……何か他のことでお役に立てないかと」

「役に立ってないわけじゃないだろ。ちゃんとこのレコードを聴いて、危険はなさそうだって判断してくれたんだから」

「……それなんですけど」


 葛原は顔を上げると、いつもはにこやかな口元を不満げに尖らせた。


「私はどうしても、あのレコードが安全なものとは思えないんですよ。うまく言えないんですけど……絶対、深く関わっちゃいけない。そんな気がすごくするんです。だから、なんで私があれを聴いても何も感じないのかが不思議で……」

「納得いってないってこと?」

「そう、ですね。はい、仰る通りです」

 葛原がまた肩を落とす。

「コウダさんと連絡がとれないっていうのも心配なんです。それに、瀬崎さんのことも……。気づいてます?瀬崎さん、店にいる間にレコードを聴く回数、どんどん増えていってますよ」


 最後の言葉には、俺を非難するような調子が込められていた。

 別に悪いことをしているわけじゃないのに、不正を指摘されたような気持ちになって俺は黙った。彼女の言う通りだ。ここ最近、毎日必ず一回はあのレコードを聴かないと気がすまない。あの曲を聴きたい、いや、もっと正確に言えば――あの女性に会いたい。客がいなくなった瞬間に、足元に置いてあるレコードを取り出して試聴用のプレーヤーの上に載せる。そしてヘッドフォンを使ってレコードを聴く。そんな流れが常習化しつつあった。

 そんな俺を見つけた葛原が、怒ってレコードの針を上げるところまで含めて、だ。


「サカキさんのリサーチのためだよ。誰かに邪魔されるせいで、ほとんど聴けてないけどな」

 我ながら大人げない発言だったと思う。でも、このときの俺は無性に葛原の発言が癇に障った。

 それは単に、自分より十歳以上も若い女の子に心配していると言われて、ちっぽけなプライドに傷がついたからか。

 それとも――お前があのレコードを聴くのはただ彼女に会いたいからだろう、と見透かされた気がしたからか。

 いずれにせよ、彼女の良さもわからない奴にそんなことを言われる筋合いはない。


 葛原もさすがにムッとしたらしかった。

「じゃあ、もういいですよ。私、コウダさんのところには勝手に行きますから」

 俺がさらに言い返そうと口を開いたときだ。

 チリリン、とドアベルの音がして、客が入ってきた。

 結局、その日は最後まで葛原ともう一度会話をすることはなかった。


 サカキさんとはすぐに連絡がついた。

「コウダさんのことは、僕も心配してたんですよ。全然連絡がつかなくなってしまって」

 高円寺にある喫茶店で、俺はサカキさんと向かい合っていた。俺はブラックコーヒー、向こうはカフェラテ。チェーン店だが高級路線で売っているところのためか、価格帯は相場より高めだ。そのおかげか客層は落ち着いていて、ほとんどの席が俺よりも年上の世代で埋まっている。俺は歓迎だった。せっかく外でコーヒーを飲むなら、少しでも穏やかな雰囲気のほうがいい。


「サカキさんも、連絡がついていなかったんですね」

 相槌を打ちながら、俺ははじめて少し不安を感じた。俺からの連絡を面倒に感じて無視するのは、まだわかる。所詮、客と店長というビジネス上でのつながりしかない。仲の良い友人からの連絡にも反応がないなんて、やはり何かあったんだろうか。

 昨日葛原が心配だと言っていたのを思い出す。

 今日は黎音堂の定休日だ。あいつ、まさかコウダさんの自宅に突撃訪問なんてしてないだろうな。

 そんな考えがよぎったが、すぐに俺は打ち消した。あれは売り言葉に買い言葉で口走っただけだろう。そんなことまでする奴がいるとは思えない。多分。


「それにしても」と、サカキさんが口を開いた。

「こんなことを言うのは心苦しいのですが……いつになったらレコードをお返しいただけるんです?このままだと、お店に直談判しに行かなきゃいけないなと思っていたところでして」

「え?」


 ぎょっとしてマグカップをもつ手を止めた。たしかに、件のレコードは十日ほど借りたままになっている。でもそれは、サカキさんが女性の正体がわかるまで借りていていいと言ったからだ。音源自体は自宅のPCに保存したから聴きたくなったときも困らない、いつまでも借りていてくれ。そう笑っていたのに。


 借りっぱなしであることは事実なので強く出れないが、嫌な気持ちになった。そもそも彼の頼みで調べていることだ。こんな言われ方をされる筋合いはない。

 俺の険のある雰囲気に気づいたのか、サカキさんがわざとらしく破顔した。


「やだなあ瀬崎さん、冗談に決まっているじゃありませんか。まあでも、そろそろ手元に戻したい気持ちがあるのは事実です。今度お店に伺いますので、そのときお返しいただいてもよろしいですかな?」

「え、ええ。それは、もちろん」


 冗談だとは思えなかった。

 改めてマグカップを持ちなおし、コーヒーを啜る。サカキさんはそんな俺を、にこにこと紳士的な笑みを浮かべながら見つめている。何かがおかしい。

 苦味のある液体が舌の上に広がり、消える。

 サカキさんの目は、全く笑っていなかった。


「瀬崎さん、あのレコードを聴いてどうでした?」

 俺から視線をずらさないまま、サカキさんが聞いてくる。

「あ、いや、はい、いい作品だと思いましたよ」

「見えたんでしょう? 彼女のこと」


 俺は黙った。サカキさんはわが意を得たりとばかりに唇を吊り上げる。

「瀬崎さん、毎日彼女と会っているでしょう」

 そうだ、と答えるのはまずい気がした。サカキさんは手元のカフェラテに手を付けようとしない。貼り付けたような笑みを浮かべたまま、ただ俺を見据えている。


「わかりますよ。私もそうですから。彼女、美しいですよね。いやお顔は見えないのですが……あんな美しい歌声の持ち主なんです。きっと、さぞかし容姿も美しいに違いない……そう、瀬崎さんも思いませんか? 思うでしょう」


 俺は答えなかった。答えたくなかった。サカキさんの瞳孔が開いていく。底なし沼のように大きくなった黒目が、まっすぐに俺を見据える。


「彼女は、どんな顔をしていると思いますか?」

 俺が返事をしないのも意に介さず、サカキさんがねちっこい調子で続ける。首筋のあたりがざわざわした。瞬きもせずこちらを見つめる瞳は、黒目の部分がどんどん大きくなっていくように見える。


「私はね、彼女に振り向いてもらいたいんです。どうしてもね。彼女の顔が知りたいんですよ。あの歌を、こちらを見て、私だけのために歌ってほしいんです。私が彼女の一番になるんです。私だけが、彼女の理解者になってあげられるのだから。あれほどの才能が世に出なかったとは、全く嘆かわしい損失です。私がいれば、そんなことにはならなかった。現に、彼女は私が発見しました。私が、あなたにも彼女のよさを啓蒙したのです。そうでしょう?」


 ここで初めて、サカキさんは声を出してフッと微笑んだ。

「コウダさんではない」


 背筋を嫌なものが駆け上がった。何が起きているのかわからないが、この人はどこかおかしい。いや、完全にイカれている。

 これ以上一緒にいたくない。伝票を掴んで帰ろうとする俺の袖を、サカキさんが掴んだ。


「瀬崎さん」

 ヒッと声が出そうになるのを堪えた。俺を見上げるサカキさんの目は、不自然なほど黒目が大きくなっていた。

「彼女が抱いているものは、何だと思いますか」


 サカキさんが袖を掴む手が強くなるのを感じる。ギリギリ、と音がしてシャツが引っ張られる。

 脳の奥で警戒信号がけたたましく鳴り始めた。だめだ。早くこの人から離れなければ。だが、その老いた腕のどこから力が出てくるのかと思うほど、強く握られた手が離してくれそうにない。


 乾いた唇を舐め、俺は必死に声を絞り出した。

「……赤ん坊、じゃないですか」

「本当に、そう思いますか」


 その声は静かだったが、熱にうかされたような異様な雰囲気があった。


「本当に、ただの赤ん坊でしょうか。あんなにも熱心に歌いかけているんですよ、あの彼女が……。一体何なんでしょう。知りたくはありませんか」

「い、いや、俺は……」


 脳内に彼女の後ろ姿が浮かんだ。白い布に包まれた、赤ん坊くらいのサイズの何か。彼女が屈んで――その”何か”にキスでもしたんだろうか――白い布の下で何かが蠢く。布が少しめくれ、隙間から黒い何かが……。


 不意に、サカキさんが俺の袖を離した。

「いや、失礼しました。彼女のこととなると、年甲斐もなくつい熱くなってしまいます」


 朗らかに笑ってそう言うと、カフェラテのカップを手に取る。背もたれにゆったり凭れかかり、「どうしました」とこちらを見つめる顔は、いつものサカキさんだった。目のサイズも元に戻っている。


「瀬崎さん、顔色が悪いですよ。大丈夫ですか」

「あ、いえ……」


 サカキさんになんと答えたのかは曖昧だ。それ以上その場にいたくなかった俺は、さっさと会計を済まして店の外に出た。


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