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レコードショップ黎音堂の音楽怪異譚  作者: 甘月
第2話 この子が安らかに眠れますように
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04 イッシーさんの思い出

 その日、「よしの」でイッシーさんに会ったのは全くの偶然だった。

 イッシーさんは「よしの」の常連だ。ロック好きのおじさんで、白髪の混じったグレーの長髪に赤いバンダナと、外見もバンドマン崩れのような風貌をしている。昔はそこそこ有名なバンドでベースを弾いていたらしいが、俺は信じていなかった。いつもべろべろに酔っているこの人の話はあてにならないし、バンド名を聞いても教えてくれたことはない。


「おう、瀬崎さんじゃないか。久しいね」

 俺がよしのに入ると、イッシーさんは赤くなった顔を綻ばせて手を挙げた。俺も笑顔で会釈し、勧められるがまま隣の席に座る。一人で飲みたいときは面倒だと思うこともあるが、今日にかぎってはありがたかった。昼間のサカキさんの件が頭から離れない。情けない話だが、はっきり言ってしまえば不安だった。


「どうだい、最近なんか面白いレコードは入ったかい」

 いつものようにイッシーさんが俺に聞く。この人はいつもこうだ。いわばお天気の話のようなものなんだろう。その証拠に、こうして毎回聞いてくるわりに一度も俺の店に来たことはない。俺が直近で入荷したアーティストの名前を挙げると、目当てのものがないのか大体「ふうん」とつまらなそうに興味をなくすだけだ。だから俺も最近は真面目に捉えず、「あー初期のブラック・サバスが何枚か入ったかな」なんて適当に答えることが多かった。


 今日がいつもと違うのは、そこに女将が入ってきたことだった。

「瀬崎くん、また変なレコードのこと調べてるんでしょ。この前、紗瑛ちゃんが来て心配してたわよ」

 葛原の名前を聞いて顔を顰める。そんな俺を見て、女将が「ま」と眉をひそめた。

「あんたたち、ちゃんとうまくやれてるの? 紗瑛ちゃん、ああ見えて傷つきやすいとこあるんだから。年上のあんたがちゃんとサポートしてあげないと……」

「わかってるって女将さん。こんなとこまで来てそんな話、聞きたくないよ」

 この前の自分の大人げない対応を思い出す。と同時に、こんなところまで来て俺の心配アピールか、と醜い苛立ちも芽生えた。その感情が自己嫌悪の裏返しだとはわかっている。自分よりも年下の女の子に八つ当たりするなんて情けない話だ。でも、だからこそ、認めるのは癪だった。


「変なレコードって、何のことだ?」


 日本酒の冷やをちびちびとやるイッシーさんに、俺は今回のレコードのことをかいつまんで話した。もちろん、今日のサカキさんのことは言わずに。

 正体不明の女性ヴォーカルのレコード、という話に、イッシーさんは「ふうん」と呟くとぐるりと首を回した。この「ふうん」は、いつものつまらなそうな「ふうん」とは違うものだ。


「それ、どんな歌なの?」

「イッシーさん、心当たりあるんですか」

「いや、全然わかんねえけどさ。気になるじゃん、瀬崎さんがそんなにはまるなんて。もしかしたら俺が若い頃に対バンしたバンドにいた女の子かもしれないしよお。知ってる? 荻窪にあったベンジーってライブハウス。そこで昔よくライブしてたんだけどさ……」


 五十回は聞いたような与太話は置いても、たしかにイッシーさんは日本のロックバンドに詳しい。洋楽中心の俺と比べると、今回のレコードに関しては分があるように思えた。

 だめでもともとだ。


 俺は件の曲を鼻歌で軽く歌ってみた。

 とはいえ、イッシーさんに期待していたわけではない。所詮飲んだくれのおっさんだ。いくら邦楽ロックに詳しいと言ったって、俺と葛原があれだけ調べてもたどり着けなかったアーティストをこの人が知っているとも思いがたい。話の接ぎ穂になれば、くらいの気持ちだった。


 しかし、その俺の予想は見事に裏切られた。それも、全く予期しなかった形で。


「その歌、知ってるよ」

 おちょこを手にそう言ったイッシーさんの顔は、いつもの飲んだくれの顔ではなかった。頬は赤いし目も潤んでいるが、視線はしっかりしている。

 驚愕して彼を見つめる俺と同じくらい、イッシーさん自身も驚いているようだった。

「俺の地元で、近所に住んでた姉ちゃんが歌ってたんだ。そうだ、たしかにその歌だったよ。いつも家の前を通るときに聴こえてきてな。綺麗な歌だなーって思ってたんだ」


 へえー、レコードデビューなんてしてたんだなあ、としきりに感心している。俺は椅子を引くと、半身になってイッシーさんのほうを向いた。


「どんな人だったんですか、その姉ちゃんって」

「俺も小さいときの話だから、あんまり覚えてないけど。美人だったよ。近所でも評判のな。結構でかい一軒家に、家族と住んでて……旦那はいなかったはずなんだが、あるとき赤ん坊が産まれたんだ。どこでこさえたかしらねえけど、へへへ。当時はそんなこと気にもしなかったけどな。で、それからさっきの歌が聞こえてくるようになったんだ。子守歌として聴かせてたんだろ。俺もだけど周りの友達も皆、綺麗な歌だって聴きたがってね。学校帰りに、家の近くまで行って塀越しに聞き耳立てたりしてたなあ」


 間違いない。彼女だ。

 興奮して息を潜める俺に構わず、イッシーさんは腕組みをして遠い目をする。


「あんまり俺たちが家の周りに集まるもんで、学校から注意されたこともあってね。でも原因は俺たちじゃないぜ、あとから聞いた話だけどな。大の男でも彼女の歌声に惹かれるのか、何人も男が家の周りをうろついてるって通報が結構あったんだと。どいつも目つきが普通じゃなかったらしい。そんなところに子どもが行くのは危険だってんで、俺たちに禁止令が出されたわけだ。今聞くとバカバカしいよな。どんだけいい歌声なんだって思うだろ?」


 イッシーさんは懐かしそうに笑い声をあげたが、俺は笑わなかった。


「その人はどうなったんです? 今も、そこにいるんですか」

「いや。俺が小学校卒業するちょっと前くらいに、引っ越したんじゃなかったかなあ。気づいたら空き家になってた。何でか親に聞こうと思ったんだけど、さっきの禁止令の件もあって、俺ん家ではあの家の話は禁句になっててよ。友達ん家も皆そうだったらしい。今となっちゃ、それもわかるよ。田舎は体裁を気にするからなあ。その姉ちゃんの相手が誰かわかんねえってだけでも腫れ物扱いなのに、さらに男が集まる家ときちゃあ、大人は子どもを遠ざけたがるわな」


 そういえば、と腕を組んだままイッシーさんが首を傾げた。


「今話してて思い出したんだけど。子どもが産まれたって言われてたわりに、誰も赤ん坊の姿を見てねえんだよなあ。いや、そもそも姉ちゃんの姿もあんまりちゃんと見てないんだ、子どもが産まれてからは。外に出てくることもなかったし。俺が覚えてんのは、窓から見えた後ろ姿だけで……いつも、赤ん坊を抱きかかえてさ、こっちに背を向けて歌を歌ってたんだ。それが、やけに印象的でね」


 俺は唾を飲み込んだ。口の中はカラカラに乾いていたが、ビールを飲む気にはなれなかった。

「その人……なんて名前ですか」

 なんてったっけなー、とイッシーさんが頭を抱える。ややあってパッと顔を上げると、俺を見て得意げに言った。

「サワベ。サワベマキだ」


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