03 出逢い
「変な話もあるものねえ。そのお友達、大丈夫? 病院連れてったほうがいいんじゃない?」
「やっぱり女将さんもそう思う?」
二日後。高円寺にある小料理屋よしので、俺は仕事終わりのビールと肴を楽しんでいた。
とにかく総菜がうまい店で、仕事終わりにたまに寄る。おかげで女将ともすっかり顔見知りだ。俺より十歳くらい年上で少々お節介なところもあるが、良い人だ。
「こういうのって難しいんだよね。どういう病院に連れてけばいいのか、とかさ」
小鉢に盛られた冬瓜に手を伸ばす。しっかり煮込まれたそれは、抵抗なくすっと箸で切れた。
女将はカウンターの向こうで思案げに顔を顰める。
「そうねえ。それに、瀬崎くんがそこまでしなくてもって気もするね。友達っていっても、今そんなに付き合いが深いわけじゃないんでしょ? どこまで責任とれるのかって話よ」
「そうなんだよなあ」
ガタッと戸が開く音がして、女将が入口に顔を向けた。
「あら、紗瑛ちゃん! いらっしゃい」
入ってきたのは若い女性だ。少し意外に思った。こう言ってはなんだが、あまりこういう店に似つかわしくない外見だったのだ。
年は二十代半ばくらいだろうか。最初に目をひいたのは髪。肩のあたりで切り揃えられたショートカット。毛先が明るい緑と黄色に染められている。
尖ったヘアスタイルに比して、その顔立ちは純粋そうな雰囲気だ。童顔に見えるが学生という雰囲気じゃない。化粧は濃くないが、していることはわかる程度だ。くっきりと引かれたアイラインが丸っこい瞳を際立たさせていた。
俺が最も注目したのは彼女の服だ。イギリスの大御所ロック・バンド、ピンク・フロイドのTシャツ。俺も世代ではないが、彼女ほど若い世代が聴いているのはかなり珍しい。
目があった。丸くて透き通っていて、ガラス玉みたいにキラキラした――綺麗な瞳だった。
「久しぶりじゃないの。さ、こっち座って」
女将に促され、彼女は俺の隣の1つ空いた席に座った。
「最近あんまり来てなかったでしょ。元気してた?」
おしぼりを受け取りながら、「えへへ」と困ったように笑う。
「元気ですよ! でも、バイトはまた辞めちゃいました」
「あら。今度はどうしたの。人間関係?」
「そんな感じです。皆いい人たちだったんですけど、仲良すぎなのがしんどくて。シフト終わりに毎回飲みに行ったり、休みの日にプール行こうとかバーベキューしようとか。断るとノリ悪いなーって言われて……そういうの苦手なんですよねえ」
「あー……そういうのは合わないと辛いわね」
女将と話しながら、彼女がまたガラス玉のような目をこちらに向ける。どこかで会ったことがあるんだろうか。
女将が何かに気づいたように、パチンと手を打った。
「二人とも、話合うんじゃない? 瀬崎くん、この娘、若いのに昔のロックが好きなのよ。いっつもこういう――バンド? でいいのかしらね、Tシャツ着てるの。レコードも集めてんだって」
女性は笑顔でこちらを向くと、葛原紗瑛と名のった。
「レコードショップ黎音堂の店長さんですよね?」
「え。なんで知ってるの」
「何回か行ったことありますから! 私が初めてレコードを買ったお店なんです」
「あ……そうだったんだ。ごめん、全然覚えてないや」
「嘘、こんな可愛い娘が来ても覚えてないの?ほんと音楽ばっかり聴いて、人には興味ないんだから」
「いや女将さんと違って、こっちは客と長話するような商売じゃないし……」
葛原が照れ臭そうに笑った。よく笑う奴だ。
「入ったときから、多分あそこの店長さんだなって思ってたんです。私の好きなアーティストのレコードばっかりで、いいお店だなってずっと思ってました」
「そりゃ……ありがとうございます」
さっきからちらちら見ていたのは、そういうことか。どう答えるのが正解かわからなくて、とりあえずビールを煽った。
職業柄、普段若い女の子と話す機会なんてまずない。気まずかった。今はコンプラだのなんだの色々うるさいご時勢だ。下手なことを言って、面倒ごとに巻き込まれたくはない。
そんな俺の内心をよそに、葛原は喜々として話を続けた。
「黎音堂って、名前も素敵ですよね」
「あれは俺がつけた名前じゃないですよ。前の店主から引き継いだだけで」
「そうそう、瀬崎くんはもともとお客さんだったのよ。それがあんまりレコードが好きで通い詰めたもんだから、前のオーナーとすっかり仲良くなって。その頃からうちにも来てくれてたの。で、オーナーが年で辞めることになって店を継いだのよ」
「わあ」葛原が胸の前で手を合わせた。
「いいなあ、そういうの。あ、ごめんなさい。私も音楽関係の仕事やってみたいなって思ってたんで。実際に働いてる方からしたら、そんな単純なものじゃないですよね」
「いや別に。音楽関係の仕事なんていくらでもありますよ。まだ若いんだし、どうとでもなるんじゃない?」
葛原は入ってきたときと同じ、困ったような笑顔を浮かべた。
「就活で大失敗しちゃって、それからずっとフリーターみたいなこと続けてるんです。こんなこといつまでも続けらんないし、どうにかしなきゃとは思ってるんですけど……」
「そうだ、瀬崎くんの店で働いてみたら?」
と女将。
「は、ちょっと、何を勝手に……」
「いい案じゃない? あんた、前に1人で全部回すのはさすがに大変だって言ってなかった?」
たしかに人手は欲しいが、サラリーマン時代からとかく俺は人と働くのが苦手だった。ましてや自分より十くらいも若い女性なんて、冗談じゃない。うまくやれるとは、とても思えなかった。
「ま、それは半分冗談にしてもさ。葛原ちゃん、この人から仕事の話いろいろ聞いてみたら?今後の参考になることもあるかもしれないし」
「わ! それはぜひ! 聞いてみたいです!」
「まあ、話すくらいならいいけど……」
一時間後、俺の目の前にあるビール瓶はすっかり空になっていた。
話してみたら、俺たちは驚くほど音楽の趣味があった。彼女が好きなバンドは大体俺も好きだし、好きなポイントも似ていた。
俺が好きで彼女が知らないバンドも、いくつか紹介した。葛原はそのどれも嬉しそうに聞き取って、すぐその場でスマホに登録していた。熱心な娘だ。
好きなものの話をするのは楽しい。最初に感じていた苦手意識は次第に薄れていった。酒もまわり、いい夜だった。
葛原はチューハイのおかわりを頼みながら、ご機嫌な笑みを浮かべている。
「いまハッピー・ルインズのレコードを探してるんですよ。サブスクでも聴けるけど、やっぱり物として持っておきたくて」
「ああ、それならちょうど……」
うちにある、と言おうとしてやめた。思っていたより酔っていたらしい。
俺自身はあのレコードを何でもないものだとは思っている。それでも、何も知らない相手に気軽に売りつけるのはさすがに躊躇われた。
俺が誤魔化そうとする前に、すかさず女将が口を挟んだ。
「紗瑛ちゃん、そのレコードならやめといたほうがいいよ。わけありみたいだから」
「わけあり?」
きょとんとした瞳がこちらを見つめる。
初対面の相手にする話じゃない。かと言って、何も言わず切り抜けられるような雰囲気でもない。
しぶしぶ、俺は口を開いた。
「わけありというか、まあ、そうだな……」
話さなきゃよかった。すぐに後悔した。
タカハシの話を聞いた葛原の雰囲気は一変した。ガラス玉のような瞳が光を失い、俺の視線を避けるように伏せられる。唇を噛み締めて何事か考えている様子だ。
少々面食らった。たしかに不気味な話ではあるが、そこまで塞ぎ込むようなことだろうか。
「ま、そういうわけで、レコード自体は問題ないと思うんだけど、店には出してないんだ。なんとなく気味も悪くて」
わざと明るい調子で言った。
突然二人の間に落ちた重たい空気を払拭したい。そんな思いからだったが、全く効果はなかった。
「そう……ですね。それが、いいと思います」
葛原はこちらを見ようともしない。
深刻そうに眉間に皺を寄せ、手元のおしぼりを所在なさげにいじっている。俺の言葉が聞こえていたかも怪しい。
何かまずいことでも言ってしまったか。
助けを求めてカウンターに視線を送ったが、女将は三十分ほど前に入ってきた客の対応に忙しく、こちらを見ていなかった。
「……うちの部署に新卒で入ってきた子が、もうやめるなんて言うんだよ。最近の若い子はわかんねえなあ」
日本酒ででき上がったおっさんたちが、赤い顔で泣き言を並べている。
本当にそうだな。俺は一度も話したことのないおっさんの事情に同情した。
必死に就活して入った会社を三か月で辞めると言う。にこにこ機嫌よく会話していたと思ったら、突然塞ぎ込む。若い子たちの考えていることなんて、俺にはさっぱりわからない。
「瀬崎さん、すみません。私、ちょっと用事を思い出しちゃって。もう帰ります」
葛原が突然立ち上がった。時刻は夜の十時過ぎだ。せめてもう少し上手い嘘をつけばいいのにと思ったが、何も言わなかった。相手がこれ以上話したくないというなら、引き留める理由はない。
せっかく楽しくなってきた夜を最後に台無しにされた気分で、むっとしてはいた。とはいえ年下相手に怒るほどのことでもない。
葛原はそそくさと会計をすまし、店を出ていった。これ以上、俺と同じ空間にはいたくないとでもいうように。
「紗瑛ちゃん、急にどうしたの。あんた何か変なこと言ったんじゃないでしょうね」
女将が半分以上残ったチューハイを片付けながら、眉をひそめて俺に聞いた。
「別に、何もしてないよ」
「本当に? あんた、結構言葉キツいときあるんだから。そんなつもりなくても、女の子は傷つくときがあるよ」
女将のその言葉は俺に対してキツくはないのか。そう思ったが言い返しはしなかった。女将の歯に衣着せぬ物言いは今に始まったことじゃない。無用な争いは避けるにかぎる。
肩を竦めると、俺はビールのおかわりを注文した。




