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02 焦燥

 誰かの家で飲むなんて何十年ぶりだろう。学生時代はサークルの仲間内で集まることもあった。もっとも、ノリが合わないと判断した俺は早々にそういった集まりと無縁になったが。


 俺が本格的にロックを聴き始めたのは高校生のときだ。洋楽ロックを好んで聴いたが、周りに趣味の合う友人は一人もいなかった。大学に行けばきっと話の合う友人ができる。そんな期待を持って上京し、思った通り洋楽多めの軽音サークルがあると聞いたとき、俺の夢は現実になるのだと確信した。


 その期待はあっけなく打ち破られる。

 軽音サークルとは名ばかりだ。音楽をやるより恋人探しに来ていた奴のほうが多かったと思う。一人だけロックの話を真剣にしていた俺は完全に変人扱いだった。実際そうだったのだろう。


 トニー・アイオミみたいになりたいと思って始めたギターも、ちっともうまくならなかった。次第に、俺は音楽をやらなくても聴くだけで満足なんだと気づいた。


 レコードを集め出したのはそれからだ。音響設備にも凝るようになり、一人暮らしの部屋に無駄に豪華なステレオセットを揃えた。軽音サークルには滅多に行かなくなり、バイトをしては資金を貯め、レコードを買い漁った。


 音楽業界の仕事に就きたい、とは考えていなかった。精神的にも肉体的にもハードな業界だ。自分に向いていると思えなかった。だから卒業後は他の皆と同じように就職活動をして、IT系の会社に就職した。だが結局、そこも向いていなかったらしい。

 三十歳のときに脱サラして、高円寺でレコードショップを始めた。今年で7年目だ。

 

 タカハシが初めてうちに来たのは二年前。向こうが気づかなかったら、俺は永遠に気づかないままだったに違いない。他のサークルメンバーと比べたら仲が良かったが、卒業して以来連絡はとっていなかった。


 それからタカハシは三、四か月に一回くらいの頻度で店に来てくれるようになった。連絡先も改めて交換し、日程が合えばこうして一緒に飲みに出る。誘うのは大体向こうからだ。


 タカハシの家は、都内にしては広めのワンルームだった。床には空き缶や脱ぎ捨てたシャツが散らばっている。これだから男の一人暮らしは。……もちろん、俺も人のことを言えた義理じゃないが。


 まあ座れよ、と座椅子をすすめられる。タカハシはデスクチェア。コンビニで買った缶チューハイで乾杯した。

「さて、その例のレコードとやらを聴かせてくれよ。終電までには帰りたいんだ。この年で、男二人で雑魚寝なんて嫌だぞ」

「あ、ああそうだな。すまん、ちょっと待ってろ」


 デスクの横に置いてあるレコードラックをごそごそと漁り出す。見慣れたレコードジャケットが取り出された。メンバーの写真がべたべたと、節操なく貼られただけのジャケット。内容がいいだけにカバーのセンスは残念だ。もっといいデザインにしていたら、もう少し売れた気もするんだが。それでも、この作品が90年代以降のオルタナティブ・ロックを代表する一枚であることは変わりない。


「……ナカノが好きだったんだよな、このバンド」


 タカハシがつぶやいた。椅子に座ったまま、手に持ったアルバムを凝視している。なんと返したらいいかわからなくて、俺は次の言葉を待った。


――ナカノが死んだ。

 久しぶりにきた友人からの連絡は、サークルの後輩の訃報だった。既に通夜も葬式も済んだという。俺はまったく知らなかった。在学中話したことも二、三度しかないし、ましてや卒業してからは一度も連絡を取り合っていない。それでもショックではあった。卒業して二十年近く経つといっても、まだまだ働き盛りの年だ。


 俺ですら衝撃を受けたのだから、タカハシはやりきれなかったに違いない。在学中は何かと目をかけ、可愛がっていた後輩だった。俺が彼のことを名前だけでも知っているのは、タカハシから話を聞いていたからだ。


「実は、あいつが死んだの……俺がこのアルバム買った、すぐ後なんだ」

「そうなのか? もっと最近の話かと思ってたわ。お前ナカノくんと仲良かったし、あんまり根掘り葉掘り聞くのもあれかなと思って」

「ああ……まあ、うん」


 煮え切らない感じだ。じっと見つめていると、観念したようにため息をついた。


「あんまり人に話すのもどうかと思ってな。ナカノの奴、いろいろあって結構おかしな感じになってたんだ。ほら、大学時代に付き合ってた彼女いただろ? 同じサークルの萌美ちゃんって、すげえ可愛かった子。俺らの二個下の」

「全然覚えてないな。俺、幽霊部員だったし」

「そんなんだからギター弾けるようにならなかったんだ」


 呆れたようにタカハシが鼻を鳴らす。


「その彼女と卒業してからもしばらく付き合ってたんだけどさ、結局別れちゃったんだよ。で、それからあいつ、ちょっと精神病んじゃったみたいで。たまに俺に鬼電してきたりとか、色々大変だったんだ」


 さっき言っていた、他に話したかったこととはこれなのか。俺はもぞもぞと足を組み直した。


「全然知らんかった……すまんな」

「いや、いいんだ。そういうことじゃない。最終的にナカノの奴、仕事もやめて家に引きこもるようになったんだよ。俺も心配でちょいちょい連絡入れてたんだけど、正直ずっと付き合い続けるのもつらくてな。薄情かもしれんけど、こっちもメンタル引きずられるだろ、そういうの。で、なんとなく疎遠になってたとこだった」


 俺なら、そんな状況になったらもっと早くに手を引いている。むしろ面倒見のいいほうじゃないかと思った。


「あの日は、ほんとたまたまお前の店に行って、このアルバムを見つけて。そういえば前にナカノが好きって言ってたなーって思ったら、なんかたまんなくなっちまって、それでこれを買ったんだ。そしたらそのあと……」


 俺はまた、なんと言えばいいのかわからなかった。ナカノくんの死因は聞かなかったが、おそらく「そういうこと」なんだろう。あえて確かめることで、友人を追い詰めたくなかった。

 だが違和感を覚えたのはタカハシの反応だ。

 ジャケットを持つ手がわずかに震えている。

 後輩の自殺を止められなかった後悔を必死に抑えこんでいるのかと思った。しかし違う。アルバムを見下ろす顔は蒼白で、いつもにやにやとだらけている口元は強く引き結ばれ、瞬きもせずアルバムを見つめている。


 タカハシは泣くのを堪えているんじゃない。

 何かに怯えているんだ。

 でも、何に?


「なあ、とりあえずそれ聴いてみようぜ。だから俺のこと呼んだんだろ」


 俺の言葉に、タカハシははっとしたように頷くと、ジャケットの中に手を入れてレコード盤を引っ張りだした。ラックの上に置かれたプレーヤーに円盤をセットする。針をA面の端に落とすと、学生時代に何度も聴いたリフが流れ出した。


「おお、懐かしいな」

「そうかい」

「久しぶりに聴くからな。別に、普通じゃねえか。変な音なんて入ってなさそうだけど」

「いいから、黙って聴いてくれよ」


 やけくそみたいなギターソロが、俺たちのいる空間を満たしていく。

 レコードショップの店長なんてやっていると、昔はまったアルバムをじっくり聴き返す暇なんて中々ない。思えば青臭い曲にはまっていたものだ。たまにはそんなノスタルジーに包まれるのも悪くはない。


 A面が終わった。タカハシは納得していなさそうな顔で、レコード盤をひっくり返す。

「お前の気のせいだったんじゃないか?」

「うるさい。いいから、とりあえず最後まで聴けって」


 B面が始まって、しばらくしたときだ。

「……今の、聞こえたか?」

 タカハシが顔を上げた。何のことかわからなくて、俺は柿の種をとる手をとめた。レコードは相変わらずくるくると回り、曲はそのまま続いている。


「いや、別に何も聞こえなかったけど」

「嘘だろ、おい……あ、ほら! 今聞こえただろ、この音だよ!」

 俺は困惑して相手の顔を見返した。タカハシは懇願するような表情でこちらを見ている。

「……本当に、聞こえないのか?」


 俺は不安になった。どう耳をすませても、タカハシが言う”変な音”とやらは俺には聞こえない。こいつ……後輩の死のショックで、どこかおかしくなったのか?


「聞こえるってのは、どういう音なんだ?もしかすると俺が気付けてないだけかもしれない」

「さっきも言ったけど、はっきりしなくて言葉にしづらいんだよ。なんていうか、カサカサって感じの……虫の羽音みたいな……これだよ、今聞こえたやつ!」

「……すまん、全然わからん」


 ふと、俺はタカハシがやたらと右腕を触っているのに気づいた。

「おい、右腕どうかしたのか」

「あー? おう、なんかな、痒いんだよ。右腕だけ」

「お、おい、タカハシ」

「痒いんだ、痒いんだよ。この音聞いてると、どんどん、どんどん右腕が痒くなってくんだ。なんなんだこれ?くそ、痒い」

「おい、もうやめろ。傷になるぞ」


 タカハシの様子は明らかにおかしかった。俺の言うことなんて耳に入らないみたいに、一心不乱に腕を掻きむしっている。最初は、ただ腕をさすっているだけにしか見えなかった。そのうち、爪を突き立て引っ掻くみたいにして、手が激しく動き始めた。皮膚に赤い線が何本も走る。一部は破けて出血し始めている。

 なのに、タカハシは気づかない。ひたすらステレオを凝視して「痒い、痒い」と呟いている。


「もう、その辺でやめとけって。ストレスで疲れてんじゃねえか?落ち着けよ」

「お前は聞こえねえからわかんねえんだよ。あー痒い、この音のせいなんだよ。くそっ、こいつが何て言ってんのかさえわかれば……遠くてよく聞こえねえ」

「血が出てるぞ、もうやめろって」

「また聞こえた。ボワンボワンってこもった音が聞こえる……囁き声みたいな」

 

 B面最後の曲に入った。ギターが切なくも激しいメロディを歌い上げる。このなかで俺が一番好きな曲だ。なのにタカハシは右腕を掻きむしりながら、ステレオの前でブツブツ言っている。


「ああ、そうだ……人の声だ。何か言ってやがる。ちっ、もう少しで聞こえそうなのに。ちょっと音量上げるぞ」

「おい、もうやめろって。ご近所にも迷惑だぞ」

「うるせえ、ちょっと黙ってろ。もう少しなんだ。だんだん聞こえやすくなってる。あと、あとちょっと……」

 ギターが最後の高音を高らかに響かせる。プツ、というくぐもった音。レコードの針が上がる。


 部屋の中は静寂に包まれた。

 タカハシはステレオの前で、雷に打たれたみたいに硬直している。

 さっきまであんなに音楽が響いていたのに、今はお互いの呼吸音すらわかるくらい不気味に静かだ。

 窓の外を、車が走っていくのが聞こえた。


「タカハシ?」

 タカハシがゆっくり振り返る。俺はギョッとした。その顔は、死んだ魚の腹みたいに真っ白だった。

「今の、最後の……聞こえたか?」

「いや。何にも」

「そうか……」

「どうした。何か聞こえたのか?」

「……いや、聞こえなかったならいいんだ」

「何だよ、気になるじゃないか。何が聞こえたんだよ?」


 どれだけ聞いてもタカハシは答えてくれなかった。血走った目を深海魚みたいにまん丸に開いて、小さく震えるだけだ。

 挙げ句、とんでもないことを言い出した。


「瀬崎、このレコード買い取ってくれねえか?」

「はあ?」

 急に言われても、査定や書類の記入もあるし簡単にはいかない。そう断っても、相手は引き下がらなかった。

「だったら金は払わなくていいから。ただでいいから、とにかく引き取ってくれよ。その後売るなり処分するなり、お前の方で好きにしてくれればいい。な、いいだろ?」


 やれやれとため息が出る。

 タカハシの言う音は、俺には一切聞こえなかった。いたって普通のレコードだ。なのに、こいつはどうあってもこれを手放したいらしい。何をそんなに神経質になるんだとも思うが、色々あってまいってるんだろう。続くようなら病院だ。


 ひとまずこのレコードを手放すことで、彼が安心できるなら。友人としてやれることは一つだ。

 結局、俺はレコードを持ち帰ることになった。

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