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レコードショップ黎音堂の音楽怪異譚  作者: 甘月
最終話 レコードショップ黎音堂
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07 対峙

 足を引き摺りながら山頂を目指す。さっきまで感じられた温かい血の感触も、今は何も感じない。出血が止まったのか。それとも、足先の感覚がなくなっただけなのか。考えないほうがいい。何度も自分に言い聞かす。


 懐中電灯は、さっきの滑落で落としてしまった。代わりに途中の道で、比較的太くて長い木の枝を拾うことができた。これをステッキ代わりにして、スマホの光を頼りに進む。とはいえ、山頂まではもうあと一本道だ。迷いようはない。


 半分ほど進んだところで、右手にけもの道のような細い道が見えた。茂みをかき分けてそちらを進む。少し開けた場所があって、大きな木が一本立っていた。


 これだ。直感的にそう思った。幹の周りに太い注連縄が絡まっていたからだ。随分古いもののようで、すでに一箇所で千切れており、その断端もボロボロにほつれている。縄の繊維のおかげで、かろうじて木の周りに引っかかっているような状態だ。


 その根元に、葛原が倒れていた。


「葛原さん!」


 駆け寄って抱き起こす。目立った外傷はない。だが、声をかけても目を瞑ったまま起きる気配がない。


「葛原さん!」


 もう一度、強く呼んで揺さぶる。焦りが湧き上がる。大丈夫だ、葛原は死んでない。根拠はないが、そう唱えることしかできない。


「葛原!」


 三度目に呼んだとき、葛原が目を開けた。


「瀬崎、さん?」


 よかった。大きなため息が出る。脱力しそうになる体を支え、葛原を助け起こした。


「ここ、どこですか? 私、なんで……」


 視線を下げた葛原が、大きく目を見開いた。


「瀬崎さん、それ……」

「ああ、見た目ほど悪くないんだ。気にするな」


 何か言おうとする葛原を黙らせ、さっさと歩こうと促す。


「ここはK−-山だ。君は呼ばれたらしい」

「呼ばれた……って?」

「灰谷が持ってきたレコードを聴いただろ」


 歩きながら、道中灰谷と話したことを葛原にも説明する。


「きみは? ここに来て、何もなかったか?」

「私……よく覚えてないんです。ずっと音楽が聴こえてて、なんかふわふわしてて……気づいたら、あそこにいたっていうか」


 話の悍ましさに恐怖したのか、蒼白な顔で俯く。肩が小刻みに震えていた。


 灰谷の顛末は、話さなかった。葛原のことだ。自分のせいじゃないのに、必要以上に責任を感じてしまうだろう。いずれ知ることにはなるだろうが、いまじゃない。まずは、この山から逃げることが先決だ。


 下山したあとはどうするか。登山道に戻り、少し悩んだ。俺たちが来たルートを戻っていけば、早く山から出られる。しかし、その先の足がない。車のキーは灰谷が持っていた。仮に山から出れたとしても、俺のこの足では長く歩くのは無理だろう。とすると、せめてまだ人のいそうな登山道から出るほうが無難だ。


 二人で並んで歩いていると、葛原が「ごめんなさい」と呟いた。


「別に、葛原さんのせいじゃないだろ」

 こんなやり取りも、もう何回目だ。苦笑いを浮かべたくなる気持ちを抑えて、肩をすくめた。

「謝られるより、礼を言われたほうが助けがいはある」

「はい……ありがとうございます」


 沈黙が落ちる。俺たちの歩く音と、コオロギの鳴く音以外、何も聞こえない。 


「目が覚める前、瀬崎さんの声が聞こえたんですよ」

 葛原が小さく呟いた。

「それで、あ、バイト行かなきゃ。黎音堂に帰らなきゃって思ったら……目が覚めました」

「何だそれ」

 思わず突っ込むと、葛原もふふっと軽く笑みを浮かべた。

「やっぱり、好きなものって大事ですね。私にとっては、ロックと黎音堂の仕事が大切だから……正気を取り戻せたのかなって思います」


 聞けば、意識を失っている間、断片的に俺との会話が聞こえていたらしい。


「瀬崎さんの『きみはフロイドが好きだよな』って声が聞こえて……それで、急に色々思い出して、意識がはっきりしたんです」

「へえ」


 あの時の会話か。たしかに、俺にとっても印象的な会話ではあったが……少しこそばゆいような、妙な気持ちだ。

 まあそれで葛原が助かったのなら、いいことなんだろう。


「あと、私が瀬崎さんに好きなバンドのことを聞いてる声も聞こえました。でも途切れ途切れで、よく聞こえなくって」

「ああ、そんな話もしたかもな。かなり前のことじゃないか?」

「私が入ってすぐくらいの頃ですかね? 一番好きなバンドはどれですかって聞いたら、瀬崎さんが『言いたくない』って……」


 そんなこと言ったか。全然覚えてないな。

 葛原が入って間もない頃と言えば……最初のうちは俺もどう接していいかわからなかったし、プライベートな情報をひけらかすのが嫌だったのかもしれない。

 一番好きなバンドというのは難しい質問だ。複数挙げてよければいくつか挙げることはできるが、その中の一つと言われると……相当思い入れも強くなるし、軽々しく人に話すのは抵抗がある。少なくとも俺は。


「いくつかあるけど、一つに絞れって言うなら……」


 突如、葛原が素早く後ろを振り向いた。反射的に俺は彼女の手を握る。


 ……いない


 ざらついた声が、はっきりそう言うのが聞こえた。

 気づかれたのだ。

「瀬崎さん!」

 葛原が俺の手を強く握り返す。


 ……にげた

 ……にげた、にげた、にげた、にげた、にげた


 葛原が倒れていたところからここまで、まだあまり距離はない。暗闇で足元がおぼつかないし、何より俺の足のせいで早く歩けないからだ。どこかに隠れてやり過ごすか。だが、この道は左右が斜面になっていて、下手に登山道から逸れるのは危険だ。

 もう少し行った先に岩場がある。隠れるならあの陰がいい。


 足が動かせる範囲で、懸命に歩調を速める。遠くで、ジジジジ……という鳴き声が聞こえる。


「瀬崎さん、あともうちょっとです。頑張ってください」


 バサバサ……


 微かな羽音。足が冷たい。感覚がない。

 二人で岩陰に滑り込んだ。手に触れたジーンズが、ぐっしょり濡れている。

 反対の手を、葛原がまた強く握りしめた。


 ジジジジジジ


 音が大きくなった。少しずつ、こちらに近づいている。鳴き声に混じって、時折気味の悪い声が切れ切れに聞こえる。


 にがさ……ない……わたしの……おと


 俺の手を握る葛原の手が震える。

 羽音が、だんだんはっきりと聞こえるようになってきた。


 きれい……いってくれた……はじめて


 横でハッと息を呑む音が聞こえた。葛原がもう片方の手を口に当て、目を見開いている。

 開いた指の隙間から、恐怖の滲んだ掠れ声が漏れ出た。


「あのときの……」

「黙ってろ」


 ジジジジジジ


 大きな鳴き声がして、黒い影が登山道に降り立った。すぐに頭を引っ込める。どんな形をしているのかはっきり見えなかったが、平たい影だ。蛾が羽を広げて止まっているときのように。

 櫛に似た形の触角が、長く空に向かって伸びていた。


 ズッと、地面を重い体が這う音。


 ズ……ズズ……ズズ……


 俺たちを探している。このあたりにいるとバレたのか。

 葛原の手に力が入って、握られた手が痛いほどだ。でも俺も気持ちは同じだった。

 どうか、どうか見つかりませんように。このまま気づかずにどこかに行ってくれ。


 岩陰に隠れている俺たちからは、奴の姿が見えない。どこにいるのか、どこを見ているのか。

 何もわからないが、不用意に動いて見つかるのだけは避けたい。

 

 ズズ……ズ……


 地を這う音に混じって、ジュルジュル……と粘液っぽい嫌な音が聞こえる。シュー、と荒い息の音。苛立っているのだろう。

 唇を噛み締めて、叫び声を堪えた。


 ジジジジジ


 短く鳴き声をあげると、バサっという音がして化け物が飛び立つ音が聞こえた。


 ひとまず、見つからなかったらしい。

 安堵して隣を見ると、葛原は真っ白な顔をして、目に涙をいっぱいに溜めていた。


「私が……」


 大きく息を吸って、潰れそうな声で囁く。


「私が昔、ここにキャンプしに来たとき、会ってるんです。私が、目的なんだ……帰れても、私がいるかぎり、また……」

「そんなこと考えるな」

 続きを言わせたくなくて、言葉を遮る。

「でも、私がいたら、また黎音堂に変なレコードが……」

「そしたら、またきみが聴き分ければいいだけだ。今までだって、そうしてきたんだから」


 言いながら、他にもやり方はある、と頭の片隅で考える。葛原なら思いつきもしないようなやり方が。

 左手で、そっと太ももに巻いたシャツを触る。川にでも落ちたみたいに、どこもぐずぐずに濡れていた。血は全然止まってないみたいだ。

 それはそうだろう。さっきから、足だけじゃなく全身が冷えてきた気がする。来たときには暑いと感じたのに、いまは寒い。


「黎音堂に必要なのは、俺だけじゃない。きみもいないとな」


 そう。俺は黎音堂を愛している。レコードが、自分の仕事が好きだからだ。だからあの店を守りたい。けど、それには……必ずしも、俺がいる必要はない。店を守るために絶対しちゃいけないことは、ここで二人で共倒れになることだ。


「きみは逃げろ」

「そんな……! 絶対だめです! 嫌です!」

「わがまま言うな」


 文句を言おうとする葛原をピシャリとはねつける。


「きみの言うことにも一理ある。このまま二人で無事に帰っても、またあいつがちょっかいをかけてくるかもしれない。なら、いまやるべき最善のことは……あいつを殺すことだ」


 そばに置いていた、杖代わりの枝を手に取る。落雷か何かで折れたのか、断端は鋭く尖っている。武器としては通用するだろう。


「それなら、私も……」

「きみがいても、足手まといにしかならん。虫が苦手なくせに」


 余裕そうに見えるように願いながら、肩を竦めて見せた。


「俺が一番嫌なのは、黎音堂が閉店することだ。わかるだろ?」


 葛原は静かに泣いていた。涙の滲む目が月明かりを反射して、キラキラと輝いた。相変わらず瞳の綺麗な奴だな、なんてどうでもいいことを思う。やがて、葛原は一回だけ頷いた。


「そういえば」


 登山道に戻ろうとする葛原に、俺はさっきの話を思い出して声をかけた。


「好きなバンド一つだけ挙げるならって話。俺の場合は、ユーライア・ヒープだな。『対自核』が好きなんだ」


 ビー玉みたいな瞳が揺れて、少しだけ細くなった。


「じゃあ、帰ってきたら聴きましょうよ。待ってますから」

「ああ。蛾くらい、さっさと退治してやるよ」


 ただし、人間サイズのな。心の中だけで、そう付け加える。

 

 葛原の姿が完全に見えなくなるまで待って、俺は登山道に出た。

 スマホを取り出すと、サブスクのアプリを立ち上げる。最後に聴く音楽がレコードじゃないのは残念だが、無音よりはずっといい。そうじゃないと、足が震えて立ってられないかもしれない。


 音量を最大に。画面には『対自核』のジャケット。再生ボタンを押す。


 でかい音で激しいロックが流れ出す。街中ならそうでもないが、こんな山の中なら十分目立つ音だ。化け物がこの音に気づかないわけはない。ましてや、音楽好きの怪異なら尚更な。


「ロックとレコードのことなら、俺の方があの()より詳しいぞ。来いよ、相手してやる」


 血に濡れた手で、太い枝をしっかりと握りしめる。

 俺の言葉に呼応するように、近くでバサバサ……と重い羽音が聞こえた。


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