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レコードショップ黎音堂の音楽怪異譚  作者: 甘月
最終話 レコードショップ黎音堂
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06 呼ぶ声

 音が、聞こえる。


 私は暗闇の中で微睡んでいる。背中には柔らかい感触。土の匂い。落ち葉だろうか。

 目を開けるのが億劫だ。このまま閉じていたい。手先の感覚からすると、私はお腹の上で手を組んで仰向けに寝ているみたいだ。


 頬をひやりとした冷気が撫でる。心地いい。ずっとこのまま、何処かから聞こえてくる音楽に耳を澄ませて、眠っていたい。


 私には、ずっと音楽しかなかったのだから。


 初めて聞いた音楽は何だったっけ。もう覚えてないな。中学生になる頃には、ずっとヘッドホンで音楽を聴くのが当たり前の生活になっていたから。周りの同級生は、変人でも見るような目で遠巻きにしてたっけ。


 どうしてヘッドホンにしたんだろう。


 聞こえてくる嫌な音を遮断したかったから? それもある。いい音で音楽を聴きたかったから? それもそう。けど、一番は……自分だけの音の世界に、没入したかったからだ。


 手のひらに、冷たく滑らかな金属の感触を思い出す。愛用していたDAP。クルクルと円型のボタンを回して、アルバムを選んで……。

 真ん中のボタンを押した瞬間、流れ出す音の世界。私だけの、楽しくてクールで、そしてどこか優しいロックの世界。


 心の中で、何かがざわりと音を立てた。

 ()()()

 そうだ、私はロックが好きだったんだ。ロックを聴いている間は、ちゃんと息ができるような気がしたから。嫌なことを全部忘れて、ときにはあえて忘れないで苦しみに向き合って、それでも生きていこうと思えたから。


 ボタンを回す。DAPの画面に、次々とアーティストの名前とアルバムジャケットが表示されていく。

 レッド・ツェッペリン、クリーム、イエス、ディープ・パープル、ハンブル・パイ、そして……。


「ほんと、きみはフロイドが好きだよな」


 あの声が、今度ははっきりと聞こえた。

 キン……と澄み切った音が、流れている音楽の合間をぬって、深海の底から響くように届いた。

 また、もう一回。

 神秘的なキーボードの音。私は、この音を知っている。


 鼻の奥がツンと熱くなった。目から涙が一筋、流れ落ちる。

 つい最近、この曲を誰かと聴いたんだ。多分、大切な人と、大切な場所で。


 ゆっくりと、目を開けた。

 周りは薄靄に包まれていて、自分がどんな場所にいるのかわからなかった。体を起こす。いつの間にか体の下にあった落ち葉はなくなって、お尻の下には硬くてツルツルした感触がある。

 霧の向こうに、人影が見えた。

「誰?」

 影は徐々に近づいてくる。身構えたけど、その人物が近づいてくるにつれて、私は大きく目を見開いた。


 座り込む私の目の前に佇んでいるのは、私自身だった。


「思い出した?」


 “私”が、問いかけた。少し微笑んで、後ろで手を組んでこちらを見ている。


「何を?」

 私は問い返す。

 “私”は手を前に持ってくると、着ているTシャツの裾を引っ張った。

「いま聴こえてる、音楽の名前」

 黒いTシャツには、アルファベットの文字列が縦に並んでいた。PINK FLOYD。ピンク・フロイドだ。

「……おせっかい」

 呟く私に、立ったままの“私”がにっこり頷いた。視線を落とす。私も『おせっかい』のTシャツを着ていたことに、いま気がついた。 

「誰からもらったか、覚えてる?」

 “私”がまた問いかける。


 何度も聞こえる、あの声。「葛原さん」と呼ぶ、懐かしい声。あの人が、私にこのTシャツをくれたんだ。

 私が、初めてこのアルバムを買った場所で。


「せ……ざき、さん」


 口にした瞬間、何かが胸の奥で弾けた。

 瀬崎さん。

 夢から覚めたみたいに、情報が一気に押し寄せてきた。頭の中がスッキリして、眠気が消し飛ぶ。それまで聞こえていた音楽は、何も聞こえなくなった。


 いま、何時なの? バイトに行かなくちゃ。そもそもここはどこ? どうして私はこんなところに?


 周りはいつの間にか真っ暗だ。何も見えない。わからない。もう一人の“私”の姿も消えた。怖い。不安で不安でたまらない。

 早く、帰らなくちゃ。どこに?

 そんなの決まってる。黎音堂だ。

 あそこが、私の居場所なんだから。


「瀬崎さん!」


 暗闇に向かって、必死に叫んだ。こんなところに、瀬崎さんがいるのかどうかなんてわからない。でもいま呼ぶべきなのは、その名前だと思った。


「瀬崎さん!」


 黎音堂に行かなければ。またあそこで、瀬崎さんとレコードを売って、お客さんを笑顔にして、たまには二人でレコードを聴いて……そんな生活に、戻るんだ。

 こんなところにいちゃ、だめなんだ。


 もう一度、名前を呼ぼうとしたときだ。


「葛原!」


 あの声がはっきりと聞こえて、誰かが強く私の手首を掴んだ。


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