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レコードショップ黎音堂の音楽怪異譚  作者: 甘月
最終話 レコードショップ黎音堂
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04 お山に棲むもの

 あれから、どれくらい歩いたかわからない。周りは既に真っ暗だ。底なし沼のように捉えどころのない暗闇が、ひたひたと肌に染み込んでくる。いつの間にか木々のざわめきも聞こえなくなり、足の下の柔らかい草の感触も消えた。いま聞こえるのは、ただ音楽だけだ。

 

 ルルル……と最初に聞こえた音は次第に変わり、いまはたしかなメロディを奏でていた。

 この曲は聞いたことがある。この前、灰谷さんが黎音堂に持ってきたLPに入ってた曲で……。


 あれ? 灰谷さんって、誰だっけ?


 暗闇の中、私は初めて立ち止まった。


 黎音堂って、何のことだろう。


 その名前の響きを思い出したとき、ふわりとかび臭い古紙の香りが鼻腔に甦った。決して良い香りではないけれど、自分はこの匂いが結構好きだったような気がする。

 

「葛原さん、新譜の棚、整理しといてくれる?」


 葛原……私の名前だ。この声の主を、自分はよく知っている。誰だったろう。わからないけど、不思議と安心感のある声だ。


「ほんと、きみは……イドが好きだよな。……きっかけとかあるの?」


 途切れ途切れに聞こえる声。私の好きなものって、何だろう。私はこの問いに、何て返したんだろう。

 何か、大切なことを忘れている気がする。


「……さんは、どのバンドが一番好きですか?」

 今度聞こえたのは、自分の声だった。こんなこと、私言ったっけ。いつのことかもう思い出せない。けど、ずっとずっと前のことのように思える。

「ゴング……、あと……サバス、それから……と、……かな」

「その中……一番好き……なら?」

「はあ? ……んで、そんなこと……」

「いいじゃないですか」

「言いたくない」


 どうして私はこんなことを聞いたんだろう。多分、深い意味はなかったんだと思う。けれど相手はどうして、「言いたくない」なんて言ったんだろう。よくわからない。

 心の中に、突き放されたような寂しさだけが残った。

 お前と仲良くする価値はないと、言われたみたいだった。


 でも、それもしょうがないのかもしれない。だって私は、もう自分が好きなものが何かも思い出せないんだから。


 周りに漂う音楽の音が、一際大きくなった。細かいことはどうでもよくなるような、心地いい音色だ。

 そうだ。もう私にはこの音楽しかないんだから。この音楽さえあれば、他はどうだっていいんだ。


 私は暗闇に向かって、再び歩き出した。


***

 ピロリン。

 高速道路を降りてしばらくしたところで、灰谷のスマホが鳴った。手近なコンビニの駐車場に車を止め、灰谷がすばやくスマホを開くと、どこかに電話をかけ始めた。

「あ、もしもし灰谷ですが。運転中だったもので、出れなくてすみません。例の資料の件ですよね?」

 口ぶりからするに、仕事関係の相手らしい。俺としては一刻も早く目的地に向かいたかったが、灰谷は真剣な顔で「黙ってろ」と身振りで示した。

 会話はすぐに終わった。灰谷は真剣な面持ちのまま、スマホの操作を続けている。


「ババが言った“あの方”ってのが何なのか、ずっと気になっていたんですよ」


 白っぽい光に照らされた灰谷の口元が、ボソボソと動く。


「出る前に、同僚に『K--山にまつわる怪談があるなら何でもいいから調べて送ってくれ』って、頼んどいたんです。相手の正体がわからないまま乗り込むなんて、無謀なことだけは避けたいですからね」


 しばらく画面をスクロールしていた灰谷の指が止まる。

「ビンゴ」無精髭に囲まれた唇が小さく動いた。


「ありました、K--山にまつわる怪談−-いや、伝承といったほうがいいですかね。同僚がスキャンを送ってくれたんですが。『関東怪異伝承録』って書籍です。もとは明治頃に発行された本で、当時の物好きなやつが収集していた怪談や伝承なんかをひとまとめにしたみたいで……って、そんなことはどうでもいいですね」


 しばらく黙って、再度スマホの画面に目を落とす。


「K--山にまつわる話は、二つあります。どちらもページの半分もいかないような、短い話です。一つ目は……K--山には、音楽で人を誘き寄せる怪異がいる。とくに標的になるのは女が多いが、男のこともあるらしい。山道を歩いていると、心地よい音楽が聴こえてきて、ふらふらとそちらの方に行ってしまう。音楽に誘われた人間は、二度と戻ってくることはなかった。そんな話です」


 ちらりとこちらに目を向けると、灰谷はまたスマホに目を戻した。


「もう一つは、K--山で、でかい蛾の妖怪を見たという話です。ある男の妻が、山で行方不明になってしまった。男が探しに行ったところ、山の頂上付近にある一際大きな木に、人ほどもある大きさの蛾がはりついているのを発見した。腰を抜かした男は、木の根元に妻の着物の切れ端が落ちていることに気がついた。思わずそちらに手を伸ばそうとすると、蛾が襲いかかってきた。ほうほうの体で男は逃げ帰り、妻を探すことは諦めた、という話です」


 顔を上げた灰谷は、落ち着かなげに唇を舐めた。


「最後に、この作者の考察が少しだけ書かれているんですが……それぞれ違う怪異の話が、こんな限局的に集まるのは中々ない。したがって、この二つは同じものを指してるんじゃないか、と」

「K--山には、音楽を奏でる蛾のバケモノがいるってことか?」


 ええ、と灰谷が頷く。


「今までの話とも、符号するじゃありませんか?音楽で人を誘き寄せる。集めた人間は……男なら餌にする。女の場合は……」


 灰谷が一瞬言い淀んだ。


「おそらく、孕ませて子供を作らせる。気に入らなければ、男と同様、食べてしまう」


 恐ろしいほどの沈黙が、車内に落ちた。

 話を聞く間、俺でもいやいや想像がついていたことだ。改めて言葉に出されると、悍ましさに全身の血が少しずつ冷えていくような感覚がした。


「葛原は……」

「間違いなく、気に入られたほうでしょう。もしかするとこいつは、相当音楽好きの化け物なのかもしれない。自分が作った音楽を気に入る者を呼び寄せる。少なくとも、“LP”のレコードに関してはそうでしょう。私が何ともなかったのは、男ってのもあるかもしれないが……あの音楽を聴いても、どうも感じなかったからですよ」


 オカルト編集者としてのスイッチが入ったのか、なおも話し続けようとする灰谷を俺は手で制した。


「時間がない。あとは話しながら行こう」


 車が走り出してしばらくしてから、俺は気になっていたことを口に出した。


「さっきの説明で、“LP”とサワベマキのレコードの件は、なんとなくわかった。“LP”は好みの女性を探すため。サワベマキのレコードは……餌にする男を探すためってわけだな」

「ええ。生まれてくる子どもの養分にでもするのかもしれませんねえ」


 ぼそりと呟かれた言葉に、また背筋が総毛立った。

 あのとき、葛原が止めてくれなかったら。俺がその養分になっていたかもしれないのだ。

 実際にサワベマキの歌声に半ばとり憑かれていた身として、他人事とは思えなかった。


「でも、『ネクローシス』の件はどうなる?」

「あれは、より効率良く獲物を集めるための別の方法ってとこじゃないですか? まず、波長の合う男を手先にする。その男に自分好みの女を探させて、食うか犯すってとこでしょう」

「ババは、被害者を『歌にする』って言ってたんだ」

「食べるついでに、被害者の悲鳴を次の作品にしようとしてたのかもしれませんねえ。第二の『ネクローシス』を作ろうとしていたのか」


「もしくは」と、灰谷が何かを思いついたように続けた。


「いま山にいる個体が、そういう音楽を好んでいるのかも」

「どういう意味だ?」

「子どもを作るってことは、化け物も代替わりしてるってことですよ。あくまで私の想像ですが。昔K--山にいた化け物と、いまいる化け物は違う個体ってことです。もしかすると、ある程度成長するまでは、男でも女でも食べるためだけに呼び寄せるのかもしれませんね。前の代が作った音楽を使って。成体になったら、子どもを作る準備をしつつ、次世代のための音楽を作り始めるのかもしれません」


 それが本当なら、悍ましい話だ。

 俺は腕をさすって、駆け上がってくる寒気を抑えようとした。冷房の温度を下げても、灰谷は何も言わなかった。


「しかし、それでレコードを使うとは……随分と、近代的な化け物だな」

「どこかで、知恵をつけたのかもしれませんね。K--山はキャンプ場や登山道こそあるものの、麓のS−-を含めて、観光地化が進んだ場所とは言い難い。山の中で音楽を鳴らしてるだけじゃ、獲物を誘き寄せるのに限界を感じたとか」

「それで、音楽を使って人間を洗脳して……自分好みの音楽を作らせたってわけか」


 随分と手間のかかることをやったもんだ。だが、もとから音楽で人を呼び寄せるほどの力を持っていたのなら、同じ音楽で人を洗脳することもできるのかもしれない。なんとなく納得はできた。


 灰谷がゾッとするような笑顔を浮かべた。

「レコードで、まだ良かったですね。これがサブスクだったら……とんでもない影響力ですよ」


 ああ、と答えて、俺はさすっていた腕をぎゅっと握りしめた。

 それは俺も、考えていたことだった。いまいる化け物が、次にどんな音楽を作ろうとしてるかはわからない。でも、その子どもは? またその子どもは? いつか、そいつらが「サブスクリプション」というもっと便利な道具に気づいたら、何が起きる?

 想像したくはなかった。


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