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レコードショップ黎音堂の音楽怪異譚  作者: 甘月
最終話 レコードショップ黎音堂
32/39

01 おせっかい

 聴いてほしいレコードがある。

 そう言って灰谷が店に来たのは、八月も半ばの、鬱陶しさが残る夕刻だった。

 葛原がバイトを始めて、一年が経つ頃だ。この前、ふとした瞬間にそう指摘したら、彼女は「もうそんなに経つんですね」と嬉しそうに笑っていた。


 バックヤードのソファに図々しく座った灰谷は「暑いですねえ」と顔の前で手を仰ぎながら、一枚のレコードを鞄から取り出した。


「瀬崎さん、催眠レコードの話って、聞いたことあります?」


 催眠レコード? 全く心当たりもない。黙って首を横に振ると、灰谷はにやにやしながら取り出したレコードをテーブルの上に置いた。


「私もリアルタイム世代じゃありませんが。その昔、そんな噂が一部の人たちの間で流行ったことがあるそうです。都市伝説ってやつですね」

「……で? その都市伝説の正体とやらが、そのレコードだっていうのか?」

「まあまあ。順番に説明させてくださいよ」


 にやけた顔から視線を外し、改めてテーブルの上のレコードを見る。

 真っ赤なレコードジャケットの左上に、白い文字で「LP」と書いてある。対角線上の右下には、目玉の模様がひとつだけ、やはり白い線で描いてあった。瞳の中が何十にもぐるぐると渦巻きになっていて、気持ち悪い。

 

「これ、うちの編集部の倉庫にずっと眠っていたものなんです。当時、会社にいた人間が購入したみたいですねえ。その当時流行っていた、都市伝説の証明のために」


 灰谷は指先でとん、とレコードに触れると、にやりと笑みを浮かべて


「このアルバム、変わったタイトルだと思いませんか?」

「まあな。LPといえば、Long Playロングプレイの略。一般的なレコードの標準規格のことだし」

「ちなみにこれ、アーティスト名も同じ“LP”です。デビュー作というわけですね。バンドではなく、ソロで活動していたミュージシャンです。ニッチな領域の音楽なのでヒットこそしなかったものの、界隈ではわりと注目されていた新人だったようです。ですが、この“LP”はこのアルバムを1枚出したあと……謎の失踪を遂げています」

「失踪?」

「ええ。アルバムの収録が終わった直後に、行方不明になっているんです。噂じゃ、ギャラすら払えなかったとか」


 あくまで噂ですけどね、と灰谷が肩を竦める。


「それだけだったら、実はそれ以後は別名義のアーティストとなって活動していた……とか、可能性はいくらでもあります。ただ、問題なのはここからです」


 鞄から分厚い資料のファイルを取り出すと、パラパラと捲る。


「そのLPのレコードを聴いた人間が、同様に失踪するという噂が相次いだんです。なんでも、夜中に催眠にかけられたようにふらふらと外に出ていって、それっきりだとか。ほら、これが当時、うちの雑誌で取り上げた記事ですよ」


 灰谷が広げた見開き2ページの記事を覗き込む。でかでかと踊る「催眠レコード」の文字に、「謎に包まれたアーティスト“LP”の正体……その失踪の真実とは?」など、もっともらしい見出しが並んでいた。


「胡散臭いな。大体、失踪した奴が夜中にふらふら出ていったなんて、どうしてわかる? 本当にそのレコードが原因なのかも怪しいもんだ」

「仰るとおりです。当時の編集部員もとっくの昔に辞めて、確かめようもないですしねえ。だからまあ、都市伝説の域を出ない類のものといえば、そうです。実際、この記事を載せるにあたって、うちの編集部もわざわざ実物を購入していたわけですが……それで何か起きたという話は、特に残ってませんしね」

「じゃあ、なんで」

「そりゃあ、葛原ちゃんがいるからですよ」ムカつくほど清々しい顔で、灰谷がヤニで汚れた歯を見せた。

「せっかく、ちょうどいい能力を持った娘がいるんです。どうせなら聴かせてみて、新しいネタが見つかるなら記事にしたいじゃないですか」

「断る」


 灰谷の言葉が終わるか終わらないうちに、俺はきっぱりと言い切った。当然だ。この前だって、彼女を危険な目に巻き込んだ上に助けてもらったばかりだ。これ以上、うちの従業員を危険に晒すわけにはいかない。


 だが灰谷は動じたふうもなく、鼻先で笑った。


「そう来ると思ってましたよ。ま、でもそれなら、私が彼女に直接交渉するまでのことです。彼女なら、直接頼めば嫌とは言わないでしょうしねえ」


 ちょうどそのとき、なんとも間の悪いことに葛原がバックヤードの扉を開けた。

「瀬崎さん」と困った顔で俺を呼ぶ。

「いま来てるお客さんが、レコードの査定のことで聞きたいことがあるみたいで……すみません。私だけじゃ、対応できそうになくて」


 俺が舌打ちするのと、灰谷が手を打つのが同時だった。


「葛原ちゃん! ちょうど頼みたいことがあったんだよお。いま、いいかな?」

「え? あ、はい……別にいいですけど」


 やめとけ、と手を振る俺に、灰谷が「どうせ何もないですって」と声をかける。


「あくまで都市伝説。今まで扱ってきた案件に比べたら、よっぽど確証の低い話なんですから。そんな神経質にならなくても」


 すれ違いざま、俺は再度葛原に念押しした。


「あいつの言うことなんか、無理に聞く必要ないからな。嫌ならちゃんと断れよ」


 いま思えば、俺は甘かった。どうしようもなく甘かったのだ。いままで、俺も葛原もあれだけ危険な目に遭ってきたというのに。

 灰谷の言うとおり、「ただの都市伝説だ」という油断がどこかにあったのか。

 このあと何が起こるか知っていれば……俺は絶対、このとき葛原を置いていかなかっただろう。


***

「結局、灰谷が持ってきたレコード聴いたのか?」

 客のいなくなった店内。すっかり暗くなった通りの景色を背に、蛍光灯の下で床を掃く葛原に声をかける。

 葛原は手を止めると、少し上目遣いになってこちらを見た。


「聴きましたけど……何もなかったですよ!」

「嫌なら断れって、言っただろうが」

「だって……ちょっとは気になるじゃないですか。それに……」

「それに、なんだ?」

「あ、いや、聴いて何事もなかったんだから、いいじゃないですか。それに、意外と悪いアルバムじゃなかったですし」


 すぐそばにある、ヨーロッパ諸国のラックを指差してへらっと笑う。


「例えるなら、カンみたいな音楽で……かっこよかったです」


 カンというのは、ドイツのロック・バンドだ。ダモ鈴木という日本人が在籍していたことでも有名で、ニッチなバンドだがカルト的な人気を誇る。


「ボーカルは一切なくて、インストだけだったんですけど……あれ、全部一人で演奏して録音してるって凄いですよ。パンクでサイケで、グルーヴ感もちゃんとあって、中々よかったですねえ。あれ一枚で終わっちゃったなんて、勿体ないです」


 楽しそうに目を輝かせ、「アルバム欲しいんですけど、どこにも売ってないんです」なんて言っている。そんな様子を俺はしばらく呆れて見ていたが、結局小さくため息をつくだけにとどめた。葛原らしいと言えばらしい。まあ、何事もなかったんならいいだろう。

 掃除が終わった段階を見計らって、俺は彼女を手招きした。


「ほい、これ」


 怪訝そうにカウンターに近づいてきた葛原は、俺が差し出したものを見た瞬間、驚きのあまり後ろにひっくり返りそうなほど仰け反った。


「せ、瀬崎さん! これ! ピンク・フロイドの『おせっかい』のTシャツじゃないですか!」

「おう。バイト1周年記念の、お祝い」


 一瞬、葛原は何を言われたのかわからなみたいだった。ゆっくりと、目が大きく丸くなる。徐々に、頬に赤みがさしていき……次の瞬間、細い手が勢いよくカウンターの端を掴んだ。


「これ……いただけるんですか?」

「うん。いつも頑張ってくれてるし。バイトこんなに長くもったの、初めてなんだろ? だからお祝いにと思って」


 ぽかんと、葛原の口が情けなく開く。目の端が小さく震える。何か言おうとして、口が閉じたり開いたりする。


「わ……あ、あの……ありがとうございます! こんなの初めてで、なんて言ったらいいか……でも、めちゃくちゃ嬉しいです!」

「つっても、すぐそこの古着屋でたまたま見つけたから買っただけだぞ。そんな大したもんじゃない」

「いや、それ聞いたら余計に嬉しいですよ……」


 慎重な手つきでTシャツを持ち上げると、目の前で広げて、葛原は幸せそうに微笑んだ。


「家宝にします!」

「んな大袈裟な」


 まあ、喜んでくれたなら何よりだ。

 さっき言った、駅前の商店街の古着屋でたまたま見つけたってのは嘘じゃないが……もともと、1周年のお祝いは何かしようと思っていたところだった。それだって、以前の俺なら柄じゃなかっただろう。

 でも先日彼女の話を聞いて、俺にも思うことがあったのだ。

 

 この店で初めて『おせっかい』を買った。そしてそれがきっかけでレコードにはまった。


 レコードショップの店長として、これほど嬉しい言葉は中々ないだろう。俺は人と関わるのはあまり得意じゃないが、それでもロックを愛する身として、自分の好きな音楽を広めていきたいという想いは人並みにある。ましてや、それが誰かの音楽とともに生きる生活を支えられているのだとしたら。


 レコードショップ冥利に尽きるというものだ。


 だから、葛原にはその感謝を伝えたかった。それで、とりあえず商店街をあてどなく歩いていたとき……ある店の軒先でこのTシャツが飾られているのを見て、ぴったりだと思ったのだ。


 まさかここまで喜ばれると思ってなかったので、ちょっと首筋がむずむずするような気もするが。顔を真っ赤にして何度も頭を下げる葛原を見ていると、まあいいかと思った。


 いつか彼女がこれを着て、店に来ることもあるんだろう。

 そう考えると、悪い気はしなかった。


 葛原が失踪したのは、その次の日だった。

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