レコード・ジャケットの美学
見てほしいレコードがある、と言って灰谷が店に来たのは、まだ寒さの残る春先の夜だった。
「聴いてほしい」ではなく「見てほしい」とはどういうことだ、と思うが、今さらこいつにそんなことを突っ込んでもしょうがない。
例の「ユージーン」の件が片付いてからも、こいつはちょくちょく黎音堂にやって来る。本人曰く「オカルトのネタ集め」だそうだ。
人の店を何だと思っているんだと言ってやりたいが、実際ネタの提供元になってしまっているのだから歯がゆい。この前の件でも、ババとS――の事件の関連を取り上げて記事にしたらしい。そこそこ良い反響があったと、以前うちに来たとき嬉しそうに語っていた。
それだけに、俺がユージーンのアルバムを売るときに呼ばなかったことをかなり根にもっている。いまだにネチネチと嫌味を言ってくるほどだ。
さらに悪いことには、落とし前をつけろと屁理屈をこねて、音楽関係のオカルトネタを持ち込んでくるようになった。これは葛原の能力が奴に知れたのも大きいんだろう。断りたくても、葛原のことを記事にしてもいいと脅されてしまってはなす術なかった。
「これ、うちの会社の編集部に送られてきたんです」
そう言って灰谷がカウンターの上に置いたのは、かび臭い古ぼけたレコードジャケットだった。アーティスト名もタイトルの表記もないが、海外の作品だろうか。どことなく、古き良き海外児童文学の挿絵にありそうなタッチの絵だ。
森の中で人間と動物たちがピクニックをしている。動物の種類はうさぎ、犬、猫など様々で、人間よろしくジャケットやワンピースに身をつつみ、紅茶のカップを手に持っている。人間は一人だけだ。ちょび髭をはやした紳士的な男で、動物たちと同じようなスーツを着こなし、一人だけ小高くなった石の上に腰掛けていた。
動物たちが座るシーツの横には大きなバスケットが置かれ、サンドイッチやソーセージ、ビスケット、りんごなどが広げられている。ほほえましい昼下がりの一幕といった光景だ。
「で、これが一緒に送られてきた手紙なんですけどね」
灰谷が一通の便箋を取り出し、レコードの横に広げる。俺と葛原はそろって覗きこんだ。
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いつも『オカルトミステリー』を楽しく拝読しています。
突然のお手紙申し訳ありません。
私ではどうしていいかわからなかったので、御社なら詳しい方もいるのではと思い、こうして送らせていただきます。
困っているのは、このレコードのことです。
見つけたのは一か月ほど前。三か月ほど前に父が亡くなり、遺品整理をしていたときに見つけました。
父がどこでこのレコードを買ったのかはわかりません。生前、そんなに音楽を熱心に聴いていた人でもなかったと思います。
事実、父の遺品にあったレコードは、これを入れて五枚ほどでした。
私自身もレコードを聴くことはないので、家にプレーヤーはありません。
なので他のレコードは処分してしまったのですが、これだけは絵が気に入って手元に残しておきました。
なんとなく、『不思議の国のアリス』や『ナルニア国物語』みたいな、昔の児童文学を思い出させるイラストで素敵だなと思って。
それでしばらく自室に飾っていたんですが、それ以来何かがおかしい気がするんです。
誰かに見られてるみたいで落ち着かないというか。
とにかく、うまく言えないんですけど、よくないことが起きるような気がして毎日不安になってきました。
私がおかしいのかもしれません。でも、やっぱりこのレコードが原因じゃないかと思うんです。
迷った末、こうして御社に送らせていただきました。
処分するなり、記事のネタにするなり、好きに使っていただけたらと思います。
不躾なお手紙で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
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顔を上げると、怪訝そうな表情の葛原と目があった。俺は改めて灰谷に向き直る。
「こういうことなら、さっさとお祓いにでも持って行ったほうがいいんじゃないですか。うちでできることなんて、なさそうですけど」
「まあまあ、そう仰らず。せっかく送られてきたものなんだから、私らとしてもネタにしたいんですよ。それで、このレコードの何がおかしいのか、お二人に突き止めてもらえないかと」
ずるがしこい目がちらっと葛原を見る。半ば予想していた展開に、俺は深くため息をついた。
「とりあえず聴いてみてもらえませんかねえ?」
葛原がおずおずと頷くのを見ながら、俺は内心でまた深くため息をついた。
これまでも何度かあったように、バックヤードでレコードを再生する。葛原がレコードをセットしてくれた。針を落とすと、牧歌的なフルートの音が流れ出す。気が抜けるほど呑気なボーカルの声。平和な曲だ。
ちらっと灰谷を見ると、あてが外れたのか渋い顔をしている。奴のそんな顔を見るのは初めてだ。俺は少し晴れやかな気持ちになって缶コーヒーを飲んだ。
「葛原さん、今のところどう?」
横に座った葛原は、意外にも楽しそうな顔をしていた。
「いやあ……全然、変な音とかは聞こえないです。そんなことより、この曲いいですね! 私、結構好きです。ジャケットの絵も可愛いくて素敵だし……なんか小さい頃、キャンプに行ったのを思い出します」
こいつ、キャンプなんて行くのか。意外に思ったが、それを口に出す前に灰谷の表情が目に入る。
葛原の発言が不本意だったのか、ますます歪む顔に、俺は笑い出しそうになって口元を覆った。心底忌々しそうな目がこちらを睨む。
「俺も結構好きだな、この音。ちょっとムーディー・ブルースっぽい感じもあって。これは逆に、灰谷さんにお礼を言わないとかもなあ」
「いや、まだわかりませんよ」
俺の煽りに、灰谷が渋面のまま返す。
「手紙の主は『プレーヤーを持っていない』と言ってるんです。つまり、レコードを聴いたわけじゃない。なのに異変を感じたんですから。音を聴けばその異変の正体がわかるかと思いましたが……そうじゃないなら、他に何かあるのかもしれない」
立ち上がると、目を細めてレコードを睨む。
「音楽に詳しいお二人からすれば、聴きどころが色々あるんでしょうが……私には、よさがよくわかりませんねえ。どうにも嘘くさい気がして。このジャケットも薄気味悪い。どうして人間が、一人だけ高い位置に座っているんです?動物には低い位置に座らせているのに。人間のもつ特権意識が現れているようで、好きになれませんな」
心が荒んでいると、人はこうも捻くれた見方をするようになってしまうらしい。哀れといえば哀れだ。いいものを素直に楽しめないなんて。
純粋にレコードを楽しみはじめた俺たちをおいて、灰谷は帰ることにしたようだ。それならレコードを持って帰れと言ったのだが、初めから置いていく気だったと言う。
「音に問題がないならどんな異変が起きるのか、このままお二人に検証してもらいたいんです。断ってもいいですけど……ね?」
意味ありげに葛原に視線を送る。先ほどの俺の煽りに対する仕返しか。
断腸の思いで、俺は奴の申し出を受け入れるしかなかった。
***
「瀬崎さんは好きなジャケットデザインとかあります?」
灰谷が帰ったあとのバックヤード。帰り支度をしながら、葛原が楽しげな声で話しかけてくる。
「そうだなあ、そりゃ色々あるけど。ベタだけどピンク・フロイドのジャケットはどれも好きだよ」
「わかります! 『原子心母』とか『狂気』とか、めちゃくちゃセンスいいですよねえ。ヒプノシスのデザイン、大好きなんです」
「ヒプノシスはいいよな。ピンク・フロイド以外のジャケットだと、ウィッシュボーン・アッシュの『アーガス』とか」
「アーガス! いいですよね! 裏返すとUFOが見えるのがまた洒落てて……」
完全にスイッチが入ったときの彼女だ。
荷物をまとめる手は止まり、キラキラと目を輝かせながら喋り続けている。だが俺も楽しい話題なので、止める気にはならなかった。
レコードファンにとって、ジャケットは切っても切り離せない重要な要素だ。むしろジャケットだけで一つの芸術領域を作り上げていると言ってもいい。レコード好きなら誰しも、知らないアーティストの作品なのにジャケットに惹かれて思わず購入してしまったという経験があるだろう。「ジャケ買い」というやつだ。
そもそも、サブスクが主流となったこのご時世において未だにレコードを愛する人間がいるのは、「でかいジャケットを楽しめるから」という理由も大きい。音楽は、そのカバーデザインと合わせて楽しんでこそ、真髄がわかるものだ。スマホの小さい画面で見たところで、ジャケットの真価は全く伝わらない。
そのとき、間断なくジャケット愛を語り続けていた葛原がふと話すのをやめた。
「いま、なんか聞こえました?」
不思議そうな顔で振り返る。視線の先にあるのは先ほどのレコードだ。
それこそジャケットデザインがよかったのでなんとなく棚にしまう気になれず、デスクの上にたてかけたままになっていた。
「いや、俺は何も聞こえなかったけど」
うーん、と葛原が首を傾げる。
「そっちの方から、笑い声みたいなのが聞こえた気がしたんですけど……気のせいですかね」
灰谷から読まされた手紙の内容が頭をよぎる。一瞬不安になったが、すぐに俺は肩をすくめた。
「あいつから変な話を聞かされてるから、過敏になってるんだろ。ほら、もうさすがに帰るぞ」
葛原を急き立て、俺たちはそのまま帰路についた。
次の日。開店前にバックヤードに来た葛原が、デスクの上のレコードを見て妙なことを言った。
「あれ、これ……こんな絵でしたっけ?」
「は? ジャケットのデザインが変わるなんてこと、あるわけないだろ」
「でも……動物たちの場所がちょっと変わってるような」
葛原が絵に沿って人差し指を動かす。
「昨日は、うさぎの隣が犬だった気がするんですよね。でも、今は狐になってる……あと、ねずみはもっとシーツの端のほうにいたような……」
「そうか? 俺は全然覚えてないな」
そんなことより開店時間がせまっている。俺はさっさと表に看板を出しに行った。葛原も、それ以上は何も言わなかった。
次に何かがおかしいと感じたのは、俺だった。
「……こいつら、こんなもの持ってたっけ?」
数日後のこと。バックヤードに入った俺は、たまたま目にとめたレコードに違和感を覚えた。
ナイフだ。
シーツの上で円になる動物たちのうち、何匹かの手にナイフが握られている。たしか、前に見たときは紅茶のカップだったような気がするが……。
とはいえ自信はない。前に聴いたときにいいジャケットだとは思ったが、細部までとことん観察したわけではない。丁寧な線画で細かく描き込まれている絵だから、些細な点を見逃した可能性は十分にある。
近くに見に来た葛原もそれは同じなようで、眉根を寄せるばかりで大したことは思い出せなかった。
そんなことが、しばらく続いた。
ある日は葛原が。また別の日は俺が。絵の細部が変わっている、と互いに口にした。
動物たちの持っているものが違う。位置関係が変わっている。背景の木の色が違う。
しかしそのどれも、あとに必ず「気がする」と続いた。要は二人とも確証はなかったのだ。
正直に言って、この程度で「異変がある」とは言いすぎな気がする。仮に、本当に絵が変化しているのだとしても……それくらいの異変なら可愛いものだ。このレコードを送ってきた主はやたら不安がっていたようだが、少し敏感すぎやしないだろうか。
まあ、俺が色々経験しすぎて麻痺しているだけなのかもしれないが。
葛原も同じように感じていたようだ。俺たちはとくに何もせず、いつしかデスクの上にレコードがあるのも当たり前の光景になっていった。
そんなある日のことだ。
バックヤードで休憩していたはずの葛原が、不安そうな顔で店に戻ってきた。
「あれ、どうした? まだ昼休憩してていいのに」
「それが……なんとなく、バックヤードにいると誰かに見られてるみたいで落ち着かなくて」
気になったので俺もバックヤードに入ってみる。
何も感じない。
「気のせいじゃないか?」
振り返りかけたとき、例のレコードが目に入った。瞬時に首の動きが止まる。そのまま、二歩、三歩と、俺はおそるおそるデスクに近づいた。
ジャケットの絵が、明らかに変わっていた。
今度ばかりは見間違いじゃない。どう考えても、最初に見たときはこんな絵じゃなかったはずだ。
森の中で動物たちがピクニックをしているという構図に変化はない。めいめいがシーツの上に座って食事を広げ、和気あいあいと談笑している。
違うのは、彼らが食べているものだ。
前に見たときは、シーツの上に広がっている食べ物はもっと種類豊富だった。サンドイッチや果物など、いかにも外国のピクニックに持っていきそうな食事が並んでいたはずだ。
だが、いまジャケットに描かれた動物たちが手にしているのは一種類だけ――肉の塊だ。それも骨付きの。
肉を手に持つ動物たちの口の周りは、赤く汚れていた。血の跡のように。
ぬらぬらと濡れた赤黒い口の中から、鋭い牙が見え隠れしている。楽しげな絵のなかで、そこだけが異様な雰囲気を放っている。
嫌な予感が背筋を這いあがってきた。
すぐに店に戻ると、俺はレジに立つ葛原に、今夜灰谷に連絡することを告げた。
***
いつものごとく閉店後に来た灰谷は、上機嫌でバックヤードに入ってきた。
「いやあ、楽しみですねえ。音に異常はないのかと思っていたら、まさか絵のほうだったとは。これは良い記事になるなあ。早く見せてくださいよ」
デスクの上に目をやる。そこにあるレコードには、いまはタオルがかけられていた。俺の話を聞いた葛原が、ジャケットを確認したあとにすぐかけたものだ。
当の本人は、気が進まなそうな様子でデスクのそばに立っていた。
「やめておいたほうがいいと思いますけど……」
「何言ってんの葛原ちゃん。それでやめるような奴なら、オカルト雑誌の編集者なんてやってないって」
いつからそんな馴れ馴れしい呼び方をするようになったんだ。気にはなったが、葛原本人が抗議しないなら俺が口を挟むことじゃない。
俺は少し離れたところで、腕を組んで二人のやりとりを眺めた。
「そういえば、この部屋にいるときに視線を感じたんだって? 送り主と同じようなこと言ってるね」
「でも自信はないですよ。なんとなく、このレコードのほうから視線を感じたような気がしただけで」
「ふうん。ま、いいや。とりあえず、まずはジャケットを見せてよ」
「……じゃあ、外しますよ?」
葛原がレコードの上にかけたタオルを取り払う。次の瞬間、「きゃっ」と悲鳴を上げて飛びのいた。灰谷も「うわ」と声を漏らす。俺は息を呑み、組んだ腕を強く握りしめた。
最初に見たのどかな一幕が信じられないほど、残酷な光景が広がっていた。
動物たちがピクニックをしている。その構図は変わらない。ただ一人、その輪の中にいない者がいた。
人間だ。
彼は、動物たちが作る輪の中央に……腹を裂かれて横たわっていた。血があちこちに飛び散り、木の葉や周りの動物たちの顔を赤く染め上げている。
足元で、ねずみが白っぽい色の腸を引っ張り出している。頭のほうでは、犬がちぎれた腕にかじりついている。中央ではナイフとフォークを取り出したうさぎが、前歯を剥きだして笑っている。
「ひっ」
葛原が短く叫び、その場に凍り付く。
レコードに目を戻して、すぐに俺にもその理由がわかった。
動物たちが、全員こちらを見ていた。
後ろを向いて腸をかじっていたはずのねずみも。舌なめずりをして腹を見下ろしていた狐も。ナイフとフォークをかまえたうさぎも。
黄色く光る冷徹な瞳が、俺たち三人を捉える。
いつの間にか、絵の中の空は血のように赤黒い夕焼けに変わっていた。薄暗くなった闇の中、獣たちの目だけが残忍に浮かび上がる。
やばい。これはかなりやばい。そう思うのに体が頭に追いつかない。冷たい汗が背筋を伝う。動け、今すぐここから逃げないと――。
「逃げましょう!」
灰谷が叫んだ。その声が合図だった。
俺も葛原もはじけるように動き出し、這う這うの体で店の外に逃げることができた。
***
次の日の朝に見たときには、ジャケットは前に見た絵に戻っていた。いや、前に見た絵がどんなものだったか正確には思い出せないが……少なくとも、ありきたりなピクニックの光景に戻っていた。人間も無事だ。
結局、件のレコードは灰谷に引き取ってもらった。今回の一件で奴も懲りたかと思ったが、おかげで良い記事にできたと有頂天だった。ほとぼりが冷めたら、編集部のほうで然るべきところに持って行って処分するそうだ。
まったく、あいつのせいで大変な目に遭った。とはいえ、あの夜灰谷がいなかったら。俺と葛原だけで、即座にあの場から逃げ出せたかは怪しい。認めるのは癪だが。
ともかく、あれ以来、黎音堂のバックヤードにレコードを飾ることは、俺と葛原の間で暗黙の禁止事項になったのだった。




