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09 死因

 例の客は、きっかり二日後にやって来た。


 今回も前と同じように、閉店間際の来訪だ。店内に他の客はいない。俺と葛原と、この客の三人だけ。そろそろ来るだろうと予想はしていたから、俺と彼女の間に驚きはなかった。それでも奴が店の扉を開けた瞬間、店内の温度が一、二度下がったような気はした。

 

 前に来たときと同じように、スーツとコートにきっちりと身をつつみ、ぜんまい仕掛けのような動きで店内を進む。ピタリとカウンターの一歩前で立ち止まると、冷徹な瞳が俺を見据えた。

 俺の横でパソコンをいじっていた葛原が、びくりと肩を震わせる。


 灰谷には、今日この男が来るかだろうことは伝えていなかった。そもそも「ネクローシス」を手に入れたことすら報告していない。奴のことだから、そんなことを知れば絶対に今日だって店に押しかけてきたに違いないからだ。これはただの直感でしかないが、なんとなく、この男と灰谷みたいなタイプは絡ませないほうがいいと思う。葛原も同意見だった。


 それでも、いざこうして相対してみると、灰谷がいたほうが幾分か心強かったのではないかという気がした。


 葛原が静かに立ち上がると、何も言わずバックヤードへと入っていく。

 男は瞬きもせず俺を見つめたまま、淡々と言葉を吐き出した。


「二週間経ちました。『ネクローシス』は、見つかりましたか」


 さびついた金属の扉が軋むような、ざらついた声。

 俺が頷くと、男は視線をそらさないまま、口角だけ上げて笑顔の形を作った。


「それは素晴らしい。一体、どこで?」

「……すみませんが、個人情報に関わることなので。お答えできません」


 男の表情は変わらない。何を考えているかはわからないが、少なくとも気分を害した様子はなさそうだ。むしろこちらを見る目の中には、先ほどまではなかった興味が浮かんでいるような気もする。


 唾を飲み込もうとしたが、渇いた口内には何も出てきてくれなかった。


「……お客さんこそ、どうやってあのレコードのことを知ったんです? 本当の殺人の音を使ったレコードなんて、調べても簡単には出てこないようなものを」


 しまった。

 口に出した瞬間、そう思った。

 男の顔から形ばかりの笑みが消える。目がぎょろりと大きく見開かれた。感情のこもらない視線が俺を刺す。虫の羽を一枚ずつ毟って、どうなるかを冷静に観察している研究者のような冷たい視線。


 俺は一歩後ずさった。底なし沼のように黒い男の瞳が、一瞬いくつもの細かい瞳の集合体のようになり、昆虫の眼のように見えた。


 男はゆっくりと、壊れた歯車が回るようなぎこちない動きで首を傾けた。


「それ、本当に知りたいですか?」


 どうしてあんなことを聞いてしまったんだろう。


 知りたい。知りたくない。どちらが正解なのか、わからない。答えようとしても、舌が顎に引っ付いたようになって声を出せなかった。男はじっと俺を見続けている。

 まずい。手に汗がじっとり浮かぶ。何か、とりあえず何か答えなければ。


 そのとき、背後でドアの開く音がした。葛原が例のレコードを取ってきてくれたのだ。

 助かった。

 俺は少しだけほっとして、葛原からブツを受け取った。


「お待たせしまして。これが、『ネクローシス』です。包装については、すみませんがご勘弁を。前の持ち主がやっていたままになっているんです」


 レコードを受け取った男は、目の前に黒いビニール袋と白いテープの塊を持っていくと、ためすつがめつ眺めた。


「申し訳ありませんが、ここで開封するのはご遠慮ください。……前の持ち主から、ジャケットを見るなと言われてるので」

「かまいませんよ。この状態でも、ちゃんと本物だとわかりますから」


 こともなげに言い放ち、男は満足げに息を吐いた。


「素晴らしい仕事をしてくれました。礼を言います。お代はいくらです?」


 俺はそっと葛原と目を合わした。よかった。これで、この件は解決だ。もうこれ以上、この客にもレコードにも煩わされることはない。


 こんどこそほっとした気持ちで、俺は手早く会計を済ませた。かなりの手間賃がかかったので金額は多めに見積もったが、男は文句も言わず支払った。

 あとは、この店からさっさと出て行ってもらうだけだ。


 そう思ったのに、男は扉の前で突然振り返った。


「さきほど、ジャケットを見るなと言われたと仰いましたね」

「……ええ、まあ」


 嫌な予感がぞわりと首筋を撫でる。


「知りたくはないですか? どんなジャケットになっているのか」

「い、いや、別に……」

「では、このジャケットの彼女がどんなふうに死んだのか……それは知りたくありませんか?」


 男の唇が邪悪な弧を描く。聞きたくない。そう思っても、止められなかった。

 いや、止めたとしても、きっとこの男はこうして淡々とした調子で話し続けたんだろう。

 俺と葛原に聞かせるために。


「食べられたんですよ。()()()()()()()、ね」


 男の笑顔は、これまで俺が見たどんな笑顔よりも醜悪だった。

 顔中に楽しさを浮かべ、歯を剥きだして笑っている。頬が奇妙によじれていた。とても人間とは思えない、奇怪でグロテスクな笑顔。

 まるで外側を包んでいた人間の皮が破れて、醜怪な中身がその隙間からはみ出してきたような。


 その笑顔を最後に残し、男は店から立ち去った。


 俺は葛原を見た。葛原も、俺を見た。

 彼女の顔は死人にように真っ青だったが、俺も似たようなものだったろう。


 静まり返った店内に、ギ、ギギ、と、何かが不気味に笑う声が反響した気がした。

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