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07 虫のわくレコード

「人が死ぬときの音を使ったレコード……ですか」


 丸眼鏡をかけた髭面の店主が、黒いツルを押し上げる。冷たい目が一瞬俺たちを見据えると、カウンターの下からノートを取り出し捲り始めた。


 大小さまざまな判型の古書。薄汚れたビスク・ドール。不気味なホラー映画のポスター。


 俺と葛原は、灰谷に教えられたオカルト系・アングラ系の古本屋や雑貨屋を巡っていた。この店は三軒目だ。古書を専門にしているが、店主が趣味で集めたアンティーク品も扱っているらしい。壁にかかっている不気味な仮面や人形、ポスターなんかはその一部だろう。


 調べものに熱中しだした店主は置いておき、俺は改めて店内をぐるりと見渡した。一見雑然と物が置かれているようだが、古本屋だけあって本の陳列は丁寧だ。


 本棚の一番上にはシールが貼ってあり、「幻想文学」「呪術」「オカルト」「実録犯罪」などなど、ジャンルごとに細かく分かれている。このあたりはうちの店とシンパシーを感じるが、俺は普段から本を読まないし、ましてやこのあたりのジャンルは専門外だ。おかげでいま一つピンとこない。


 葛原もそれは同じなのか、コートの袖をさすりながら居心地悪そうにしている。

 もっとも、灰谷の奴なら目を輝かせてあれこれ物色するのかもしれないが。


「申し訳ないけど、心当たりがないですね。うちの店で扱ったという記録もありません」


 気づけば、店主がノートを閉じて顔をこちらに向けている。俺は慌てて礼を言って頭を下げた。


「いえいえ。灰谷さんの紹介なのに、こちらこそお役に立てなくて。

うちは古本中心だから、音楽関係は疎いんですよ。“死”をテーマにした書籍だったら、たくさんあるんですけど。

そこの本棚にも、ほら。死体の写真集なんかもあるんです。見ていかれます?」


「い、いえ……そういうのは、大丈夫ですから」


 本当に、世の中色々な趣味の人間がいるものだ。

 店を出るとき、出口まで送りにきた店主がぼそりと呟いた。


「たまにうちにいらっしゃる方で、タドコロさんという方がいらっしゃるんですが。その方なら、もしかするとわかるかもしれません。音楽に詳しいとお聞きしたことがあるので。今度いらしたときに、聞いてみますよ」

「そうですか。それはぜひ」

「いえいえ、いいんですよ。それより、詳細がわかったらぜひ私にも教えてください。興味があるので」


 にこりと、気難しそうな顔が初めて笑顔を浮かべる。邪気のない笑みに却って背筋が寒くなりながら、俺と葛原は店をあとにした。


「いやー濃ゆいお店でしたねえ。もう、今日は朝からずっとああいうお店ばっかりで、疲れましたよ」


 助手席で葛原が大きく伸びをする。シートベルトをつけながら、俺は同意の相槌を打った。


「灰谷の知り合いだからな。癖のある店や人間が多いんだろ」


 車を発進させる前に、コートのポケットからメモ帳を取り出す。中には灰谷からもらった店のリストがあった。上二つにはすでに線が引いてある。そのさらに下、いま行ってきた店の名前にも線を引く。残りはあと二軒だ。


「あの店主も、なかなか良い趣味してるよな。人が死ぬときのレコードって聞いて『興味がある』だなんて……」

「そういえば瀬崎さん、どうして今日はそんな言い方してるんです?」


 シートベルトをつけた葛原がこちらを見る。俺はゆっくり車をバックさせた。


「灰谷の指示だよ。『人が殺された』ときの音が入ったレコードなんて言ったら、明らかに犯罪行為だろ。仮に持っていたとしても、素直に言うわけないからな」


 タイヤがコインパーキングのロック板を越え、車体が小さく上下する。ハンドルを回し、車体を回転させていく。車を運転するのなんて久しぶりだ。しかもレンタカーと来ては、慎重にならざるをえない。


 横で葛原が「なるほど」と感心したように腕を組んでいる。呑気なもんだ。

 バックミラーをちらりと確認し、俺はゆるやかに車道に躍り出た。


「次はキンクスでもいいですか?」


 葛原がスマホをスクロールしながら訪ねる。好きにしろ、と手を振った。

 ブルートゥースでスマホの音源を再生できるステレオだったため、葛原はずっとこうして好きな音楽をかけている。俺たちの音楽の好みは大体一致しているから、俺も止めはしない。


「音楽聴くくらいの楽しみがなきゃ、やってられないしな。あいつのおつかいなんて」

「でも、灰谷さんには色々調べてもらってますし……私たちにもできることがあるなら、お手伝いしないと」


 そもそも君の能力がバレなきゃ、こんなことにはならなかったんだが。

 喉元まで出かかった言葉は飲み込んで、ぞんざいに頷く。葛原の行動は危険を感じたゆえの咄嗟のものだ。責めるわけにはいかない。


 それに、灰谷のような奴に彼女のことがばれてこの程度で済んでいるのは、だいぶマシと言えるだろう。もっとも、これをネタに、今後さらに踏み込んでくるのではないかという嫌な予感はあるが。

 

 次の目的地に向けて、三十分くらいドライブを続けたときだ。窓の外を見ていた葛原が「あ」と声を上げた。


「どうした?」

「瀬崎さん、運転し続けで疲れてないですか? ちょっと休憩しません?」


 ちょうど赤信号で止まったところだった。葛原の指す方向を見ると、古ぼけた喫茶店が目に入った。ガラス張りのドア。茶色い看板。白く太い書体で書かれた「喫茶カサブランカ」の文字。いかにも純喫茶という店構えだ。


「葛原さんにしては、いい案だな」

「ちょっと、どういう意味ですか!」


 ああいう店なら美味いコーヒーが飲めそうだ。信号が変わったところで左に曲がり、俺はまた車を停めるためのコインパーキングを探した。


 重いガラス扉を開く。流れてきた音楽に、俺も葛原も驚いて足を止めた。


 キンクス。ちょうどさっき聴いていたバンドだ。


 こういった、いかにも純喫茶という店構えの喫茶店では、大体ジャズがかかると相場が決まっている。こんなゴリゴリのイギリスのロックをかけているとは。しかも、レコードで。


 「うわあ」と葛原が感激した声を漏らす。

 店主が立つカウンターの奥には、壁一面の棚にぎっしりとレコードが並んでいた。


 店内は薄暗く、さして広くない。カウンター席が5つと、ボックス型のテーブル席が4つだ。カウンター席には二人、ボックス席に一組、他の客がいた。俺たちは一番扉に近いボックス席に案内された。


「すごい。いいところですね」


 葛原が目を輝かせながらコートを脱ぐ。水を持ってきたマスターが、一瞬ブラック・サバスのTシャツに目を留めたが、何も言わなかった。


 コーヒーは予想通り美味かった。浅煎りと深煎りを選べたので、深煎りにした。浅煎りは酸味のあるフレッシュな味が楽しめると言われているが、コーヒーは酸っぱくないほうがいい。深煎りの、こくのあるまろやかな味わいがたまらなかった。


 せっかくこんなに美味いコーヒーが飲めるというのに、葛原はココアなんて飲んでいる。おまけに猫舌なのか、飲むスピードも遅い。

 おかげで変な間ができた。


 話をしていないのに見つめるのも変な感じで、目をそらす。いつもは仕事の中で流れで会話をしてきたから、こうして改めて向き合うと、何を話していいかわからない。普段は何の話をしていたんだったか。仕事のことか、店に来る怪異の話か。はたまた、好きな音楽か。


 カウンターの後ろでカップを拭く、初老のマスターに目を向ける。自分の店のBGMにするほどこだわりのある人間の前で、気軽にその音楽の話をするのも躊躇われる。となると打つ手なしだ。


 諦めて、俺は流れる音楽に耳を傾けた。こうしてみると、俺は葛原のことを何も知らないのだと思う。別にそれでいい。ただの仕事仲間なんだから。そう思っていたはずだ。なのに、なぜかこのときは落ち着かない気持ちになった。


 先ほどのキンクスのアルバムは終わり、今はプロコル・ハルムが流れている。店主はイギリスのロックが好きなのだろう。渋い趣味だ。


 ココアを一口ずつすすりながら、いつの間にか葛原はスマホを開いていたらしい。瀬崎さん、と小さく呼ぶ声が聞こえた。


「これ、見てください」


 葛原がテーブル上に差し出したのは、SNSのタイムラインだった。


「葛原さん、SNSなんてやってるんだ」

「私だってSNSアカウントの一つくらい、持ってますよ! 自分で投稿することはまずないですけどね。ライブとか新譜の情報を集めるのにいいんです」


 意外だな。心の中で呟いたつもりが、口に出ていたらしい。葛原が丸い瞳を不満げに尖らせた。


「SNSなんて、いまどきみんなやってますよ。瀬崎さんが興味なさすぎるんです。黎音堂にしたって、SNSアカウント作ればもっとお店の宣伝ができるのに……」

「面倒くささのほうが上回るんだよな」

「もう……もったいない」


 まあそれは今はいいです、と緑色の頭を振る。


「これ、私がフォローしている人の投稿なんですけど。どう思います?」


 ===

 せいご

 最近、家にめっちゃ虫がわくわ。マジきめえ。


 せいご

 電気消してスマホ見てたら、その明かり目がけて蛾が飛んできた。心臓とまるかと思った。明日バルサン焚くか。

 ===


 最近虫が多い。蛾。


 嫌な予感にわき腹のあたりを撫でられる。クラブ・テラゾーでババと初めて会ったとき……オーナーも「虫がよく出る」と言っていた。それに、サカキさんのレコードから出てきた芋虫……。

 

 葛原は頷くと、細い指でさらに画面をスクロールした。


「これ自体、結構前の呟きなんです。一か月くらい前かな。たまたま、他のワードで検索したらこの人の投稿が出てきたので、それでこの人のタイムライン辿ってたら、この投稿も見つけて。で、私が見つけたもともとの投稿なんですけど……」


 ===

 せいご

 PAやってる友達から、ヤバそうなレコード押しつけられた。ジャケットが黒いビニールでぐるぐる巻きにされて見えねえんだけどww何だよこれって言ったんだけど、とにかく中身がいいから聴いてみろって。いや聴く気になれねーwww

 ===


「ババさんが、他の誰かにレコードを預けた可能性はないかなって思って。『レコード 借りた』とか『友達 レコード』とかで色々検索してたんです。そしたら、これが出てきました」

「その、虫が出るって投稿は……レコードを借りた後なんだな?」

「そうです」


 葛原が真剣な顔で頷く。


「私、この人にDM送ってみようかと思うんです。相互フォロワーなので、送れる設定になってますし。それで……何て送るのがいいかと思って」

「そうだなあ」


 もう一度画面を覗きこみ、ふと何かが気になった。葛原が表示しているのは、「せいご」というアカウントのタイムラインの一番上。つまり、そいつのプロフィール欄が表示される画面だ。そのせいか、先ほどよりアカウント画像を大きくはっきり見ることができた。

 そのアカウント画像に、見覚えがあったのだ。


「……この人、俺の知り合いかも」

「ええ⁉」


 自分のスマホを取り出すと、素早くLINEアプリを起動する。とはいえ、相手がどんな名前で登録していたかは思い出せない。連絡先を表示し、同じ画像のアカウントが見つかるまでひたすら下にスクロールした。


「あった。ほら、同じじゃないか?」


 今度は葛原が俺のスマホを覗きこむ。

 地面に写った影を切り取った写真。夕暮れ時なのだろう、アスファルトがぼんやりオレンジ色に染まり、足がやたらと長く伸びている。既存の製品や何かの写真と違い、明らかに自分で撮った写真だ。そんなものが違う人間同士で被るとは、考えづらい。


 おまけに、LINEに登録されている名前もSNSと全く同じだった。「せいご」だ。


「中西君か……」

「どういう知り合いなんです?」

「ブロード・ミュージックってレコード会社あるだろ? あそこの社員で、イベント系の部署なんだよ。うちにもよくチラシ配りにきたりで、なんとなく仲良くなってな。ライブで会ったりとか」


 プロフィール欄を見ると、好きなバンドの名前が羅列されている。間違いない。彼が好きだと言っていたバンドと一致する。


「よし、じゃあ、このあと中西君に連絡して……」

「お客さん、スマートフォンの使用はやめてもらえますか」


 いつの間に近づいていたのか、テーブルの脇に店のマスターが音もなく立っていた。白髪眉を顰め、かなり嫌そうな顔をしている。蔑むような視線が、葛原の頭の上をちらりと撫でた。


「え、でも、スマホ禁止なんてどこにも書いてないし……」


 通話をしていたわけじゃないし、他の客の迷惑になるとも思えない。いきなり頭ごなしに叱られるようなことかと思ったのだが、マスターはちらりと俺を見ると、すぐに視線を葛原に戻した。


「店の雰囲気が壊れるので。うちの店は、音楽を真剣に聴く方だけに来てもらいたいんです」


 まるで悪いのは葛原と言わんばかりだ。葛原は慌てた様子で、「すみません」と頭を下げる。


 不味いコーヒーを飲んだあとみたいに、喉元のあたりがむかついた。

 このおやじは、典型的な「女にしか強く出れない」タイプだ。勘違いしたまま年をとった偏屈な奴にはたまにいる。そもそも、カウンター席に座っている別の男性客はいまもスマホで何かを見ている。スマホ禁止なんてのは嘘で、単に葛原の髪の色が気に入らなかっただけだろう。


「出よう」


 俺は立ち上がると、会計分を乱雑にテーブルの上に置き、さっさと葛原を引き立てて店の外に出た。

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