表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/39

06 招き

「そのサワベマキって女性の歌声が入ったレコードに、何かあるのは間違いなさそうですね」


 サカキさんとババの話を聞いた灰谷が、缶コーヒーを啜る。軽い金属と木が触れ合う、カンッという音が部屋に響いた。


 壁にかかった時計を確認する。開店一時間前。もう昼時だというのに、バックヤードの明かりは薄暗い。蛍光灯を変えるべきかもしれない。


「サワベがレコーディングした、そのパピ・レコードって会社の社長が何か知ってるかもしれない」


 数カ月前に会った、蝦蟇蛙顔の社長を思い出す。あくは強いが、悪い人ではなさそうだった。あの社長が秘密を握ってるなんてことはないと思うが……。

 そんなことを思いながら、俺も生暖かくなったコーヒーを啜る。酸化してすっぱくなった香りが舌の上に広がった。


 灰谷は俺たちの話を素直に信じた。

 いくら仕事でオカルトを扱っていても、こんな話をすぐに信じてもらえるかは怪しい。そう思っていたが、この男にとっては面白さが最優先なのだろう。恐れる素振りも一切見せなかった。

 この図太い神経と好奇心は、さすが編集者と言うべきかもしれない。


「にしても、瀬崎さんも葛原さんも結構危ない目に遭ってきてるんですねえ。サカキさんの件では、お二人の仮説では『男性が聴くと危ない』ってことでしたけど。瀬崎さんは、よくご無事でしたね」


 葛原との間に緊張が走る。サカキさんとババに起きたことは洗いざらい話したが、葛原の能力については触れなかった。()()()()()()の音が聞こえるなんて知られたら、また厄介なことになりそうだからだ。


 これまでのやり取りでも薄々感づいていたが、灰谷は相当場数を踏んでいるんだろう。着眼点が鋭い。


「それは……なんとなく、普通じゃない感じがしたんで。私が瀬崎さんに、聴かないほうがいいって言ったんですよ。だって怖いじゃないですか? そんな正体不明のレコードなんて」


 俺が答えるより前に、葛原がわざとらしい笑顔を浮かべる。

 最悪だ。

 よりによってこの場で一番嘘の下手な奴が、こんなにわかりやすい誤魔化しをするなんて。

 

 案の定、灰谷は「ふうん」と意味ありげに口角を吊り上げた。


「葛原さんって、霊感みたいなものがあるのかな? そんなことがわかるなんて」


「え」と葛原が大げさに身を引く。


「いやいやまさか……そんな能力があるような人間に見えます? ほら、瀬崎さんも何か言ってくださいよ」


 なんでこのタイミングで俺に振るんだ。

 ため息をつきたいのを堪えながら、俺は灰谷に視線を戻した。


「そんなことはどうでもいい。俺たちの話を聞いて、どう考えます? それが聞きたい」


 そうですねえ、と灰谷が腕を組む。


「同じ曲の入ったレコードを聴いた人間が、そのあとおかしくなった。そこは共通していると思いますが、気になるのはその変化です。

サカキさんは、『曲を聴いている間に見える女性に会いたい』と願い……呼ばれてしまった。

一方で、ババさんは『自分も同じような曲を作りたい』と思い、殺人に手を染めた。そういう認識で、あってますか?」


 俺と葛原はそろって頷く。灰谷は「うーん」と唸って首をひねった。


「私が聞いた話は、ババさんの話とよく似ていますからねえ。それだけだったら、すっきりするんですよ。聴くと殺人を犯してしまう曲がある、なんて怪談にもありそうだ。

でも、サカキさんの場合は違う。同じ曲を聴いてるはずなのに、この違いはどこから生まれたんでしょう? どうも、その辺がすっきりしない」


 もともとの「スナッフ・レコード」とやらを探す話から、随分と逸れてしまった。が、言われてみればそれもそうだ。

 俺も葛原もそろって考え込み、部屋には灰谷がコーヒーを飲む音だけが響いた。


「……もしかすると」


 俯いていた葛原が、おずおずと顔を上げる。


「歌い手が違った、ってことはないでしょうか?」

「歌い手?」

「はい。ババさんは、レコードをネットオークションで買ったって言ってましたよね? 瀬崎さんが『あのレコードにはタイトルがないのに』って言ったら、『いや、あった』って。だから、同じ曲を別の誰かが歌ったものがあるのかも……」

「なるほど」


 灰谷が顎をかくと、胸元に手を入れる。すぐに、はっとしたように俺を見て苦笑いを浮かべた。


「瀬崎さん、一本だけ構やしないですかね? どうも吸ってないと考えがまとまらなくて」

「だめです。吸うなら外で、どうぞ」


 チッと小さな舌打ちの音がして、灰谷が立ち上がる。奴が出ていくのを見計らって、俺は葛原に話しかけた。


「奴の調査力は大したもんだ。でもこんなことばっかり考えてても、肝心のレコードには一向に辿り着かないな」

「いや、そうでもないと思うんです」


 澄んだ瞳が、ローテーブルの上の缶コーヒーをじっと見つめている。


「クラブ・テラゾーで、私、殺人現場の音を聞いたんです。おそらく、ババさんが被害者を殺しているときの音を。酷い音でした。本当に……。殺す前に、拷問していたんだと思うんです」


 語尾が震える。一瞬口を引き結ぶと、葛原は気丈に続けた。


「ババさん、言ってましたよね。自分はあのレコードと同じものを作りたいんだって。“あの方”が被害者たちを歌にするって。“あの方”が誰かはわからないですけど……。

ババさんは、被害者の悲鳴で曲を作ろうとしていたんじゃないですか? それこそ、()()()()()()()()()として。

もしかすると、ババさんが聴いたレコードは……今回のお客が要求している『ネクローシス』だった可能性はないでしょうか」


 俺は小さく唸った。荒唐無稽な話だが、彼女の言っていることも一理ある。


「だが、そうだとして肝心の『ネクローシス』をどこで調達する? ババのレコードは全部警察が押収しちまったんだし」

「本当に、そうでしょうか」


 葛原は固い表情のまま前を向いている。白い顔がいつもよりさらに白くなって、部屋の中に浮き上がる。


「『ネクローシス』が、聞いた通り死体の写真を使ったジャケットなら……さすがに警察も調べるんじゃないでしょうか。そこまで行かなくても、噂は立つ気がするんです。あれだけ、事件自体がワイドショーで騒がれてたんですし」

「それは……ああなる前に、ババが誰かに『ネクローシス』を譲ったってことか?」

「もしくは、誰かが盗んだとか」

「それだと、灰谷が言ってたS――の事件と何から何まで一緒じゃないか」


 葛原が怯えたように目を開く。

 そのとき、カチャリと音がして灰谷が扉を開けた。


「いやあ、やっぱり吸わないと冴えないですねえ。あ、そうそう瀬崎さん。早速ですけど、今からパピ・レコードに電話をかけちゃもらえませんか」


 断る理由はない。俺も、灰谷が戻ってきたらそう提案するつもりだった。

 頷くとスマホを取り出す。その横を、灰谷がすっかり慣れた様子で通り過ぎていく。焦げついたようなタバコの臭いが鼻をついて、思わず顔を顰めた。葛原が同情するような顔で俺を見る。

 もはやいちいち指摘するのもあほらしい。


 俺は黙ってパピ・レコードの番号を検索した。以前かけたのはわりと前のことだ。電話番号なんていちいち登録していない。

 コール音がしばらく響く。プツッと音がして、年配の男性の声が聞こえた。


「はい、パピ・レコードです」


 前に会った社長の声じゃない。別人だろう。横で葛原が何か身振り手振りしている。スピーカーにしろと言っているらしい。


 スマホを耳から離してボタンを押す。そのまま手の中で薄っぺらい金属体を傾けて、俺は話しかけた。


「黎音堂の瀬崎という者です。以前、そちらの代表取締役のミネカワさんにお会いしたことがありまして。実は……」


 そちらが出したレコードの件で聞きたいことがある。そう伝えたところ、先方の反応は意外なものだった。


「恐れ入りますが……ミネカワはいま、長期療養中です」


 俺はすぐに言葉を発することができなかった。

 葛原も、灰谷も。全員が息を潜めて、俺の手の中のスマホを凝視した。


「……長期療養って、大丈夫なんでしょうか。体のほうは」


 不吉な予感を体から絞り出すように、なんとか言葉を紡ぐ。電話の相手には伝わらなかったのか、向こうはなんてことのない調子で続けた。


「ああ、申し訳ありません。深刻なものではないんです。先日事故にあって、足を骨折してしまったとのことで。いま、入院しておるんですよ」


 俺は静かに息を吐いた。

 その様子なら命に別状はなさそうだ。もちろん足の骨折は本人にとっては一大事だが、恐れていた事態とは違うらしい。小さな安堵が、血流にのって全身を巡っていくようだった。

 だが、俺の横でスマホを見続ける葛原の顔は蒼白だ。


「よろしければ、代わりにご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか。私どもの方で解決できそうな内容でしたら」

「ありがとうございます。えっと……御社で、1970年代の後半にレコーディングしているバンドについてお伺いしたくて。ユージーンというバンドです」

 

 この前のりまきさんにも伝えた方便をここでも述べる。相手は一応納得したようで、「はあはあ」と相槌を打ちながら考え込んでいる様子だ。


「それですと、私どものほうではわからないかもしれません。なにせ、その時代にいた社員なんてもう残っていないものですから。一応お調べしてみますが……念のため、連絡先をお伺いしてもよろしいですか」

「助かります。連絡先は……」


 そのとき、突然横から葛原の手が伸びてきた。スマホを持つ俺の手首を、細い指が勢いよく掴む。俺は抗議の声を上げようとして、


「おい、急に何す」


 続きを飲み込んだ。


<おいでよー おいでよー おいでよー おいでよー おいでよー おいでよー>


「あれ? もしもし? こちらの声聞こえておりますか?」


 パピ・レコードの社員が話すのに被せて、絶対に人でないとわかる声が機械的な音を出し続けている。


「もしもし? もしもーし」


<おいでよー おいでよー おいでよー おいでよー おいでよー おいでよー>


 録音した人間の声をスローで再生したときのように、間延びしてぼやけた声。なのに、何を言っているかははっきりわかった。

 抑揚のない声が、延々と同じ調子で同じ言葉を繰り返す。


<おいでよー おいでよー おいでよー おいでよー おいでよー おいでよー>


 反射的に通話ボタンを押した。音声が切れる。葛原の指が、痛いほど手首に食い込んでいる。


 深く息を吸おうとしたが、うまくできたかわからなかった。唾を飲み込もうとしたのに、口の中が渇いて何も出てこない。

 泣きそうに震える葛原の瞳と、目があった。


「あの、声って……」

「前にタカハシさんのレコードで聞いた声と……同じだと思います」


 心臓の中に氷の塊が落ちてきたみたいだった。


 あの声。最後に、タカハシがここに来たときのことを思い出す。充血した目。絶望した泣き顔。そして、あいつがはっきりと聞き取れたと言っていた言葉……「まずは右腕」。


 葛原がゆっくりと、俺の手首から手を外した。 


「パピ・レコードには……もう連絡をとらないほうがいいと思います」


 蝦蟇蛙顔の社長を思い出す。

 多分、本当は骨折なんかじゃないんだろう。

 葛原に頷いて、俺はそっとため息をついた。


「ちょっとちょっと、いま何が起きたんですかあ?」


 場にそぐわないやけに明るい声に、俺も葛原もすばやく顔を上げた。いつの間にか灰谷がデスクチェアから立ち上がり、興奮にぎらついた目で俺たちを見つめている。

 葛原が胸元で、ぎゅっと手を握った。


「いま、明らかにお二人には私に聞こえていない音が聞こえてましたよね? それも瀬崎さんは、葛原さんに手を握られたあたりから」


 灰谷が唇をなめる。目が、せわしなく俺たちの間を行き来する。


「やっぱり、葛原さんには特殊な能力があるんでしょ? そんな気がしてたんですよ」


 荒い呼吸音がここまで聞こえる。灰谷は、俺たちがこれまで見たことがないような満面の笑みを浮かべてみせた。口角がつり上がり、歯が剥き出しになる。もともとは中々男前な顔立ちをしているはずなのに、その笑顔は醜悪だった。

 俺には、それが悪魔の笑顔のように見えた。


「ぜひ、詳しく教えてもらいたいなあ。悪いようには、しませんから」


 頭上で、暗くなった蛍光灯のライトがチカチカと点滅した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ