05 灰谷の記憶
「進展があった」と灰谷から連絡があったのは、その日の夜。俺が自宅に帰ってからだ。
「できれば明日、相談したいことがあるんですけど。朝からそちらに伺ってもいいですかねえ」
スマホ越しに聞こえる灰谷の声には妙な熱がこもっている。俺はすぐには答えなかった。
黎音堂の開店時間は遅い。昼の十二時からだ。朝に店に来てもらえば、話す時間は十分にある。この男もそれを見越していたんだろう。癪な話だ。
それでも結局、俺は奴の申し出を承諾した。承諾せざるをえなかった。
通話を切って、スマホに表示されている時間を確認する。午後十時三十分過ぎ。少し迷った。灰谷のように電話をかけるには非常識な時間帯だ。でも、メールならまあいいだろう。
連絡先一覧を開くと、簡潔にメールを作成する。数分後には、葛原から「自分も行く」と返信があった。
次の日。バックヤードの椅子に腰かけた灰谷は、俺の手元を見て意地悪く片方の口角を上げた。
「ご自分はコーヒーを飲まれるっていうのに、客人には何も出さないんですか。この店は」
「うちは喫茶店じゃないんでね。それに、マグカップも俺と彼女の分しかないし」
葛原が「外の自販機で何か買ってきましょうか」と腰を浮かせる。俺は手を振ってそれを止めると、灰谷に向き直った。
「で、進展があったってことでしたけど。何がわかったんです?」
「つれないなあ、瀬崎さん。葛原さんの思いやりを見習ったらどうです」
ふざけた奴だ。さっさと店から追い出したい気持ちに蓋をして、もう一度同じことを繰り返した。横で葛原が困ったように俺たちの顔を見比べているが、無視する。
灰谷はやれやれと肩を竦めると、分厚いファイルを鞄から取り出し、
「思い出したんですよ。よく似た話ってやつをね」
ちらっと葛原に視線を送る。葛原は遠慮がちに微笑むと、「瀬崎さんから話は聞いてます」と言った。
灰谷は満足そうにうなずき、ファイルを開く。
「昔――もう十年以上前になるかなあ。実際に起きた殺人事件にオカルトが絡んだ実話怪談を集める、みたいな企画をやったことがあるんですよ。
『実録!殺人事件の背後に隠された闇』とかなんか、そんな感じのタイトルでね。大体が、事件が起きた現場に肝試しに行って怖い思いをした、みたいな不謹慎な内容でした。ま、私もあのときはそういう内容で一本書きましたけどね。
あとは――事件が起きるまでの経緯をただまとめただけの、ネット記事のコピペみたいなやつとか。これも、最初はそんな感じかと思って読んでたんですけど」
灰谷がファイルから取り出したのは、雑誌のある一ページをコピーしたものだった。見出しにでかでかと、「婦女連続バラバラ殺人事件の謎――何が犯人を凶行に駆り立てたのか」とある。
横で、葛原が大きく息を吸うのが聞こえた。
「ぜひ全文読んでもらえたらと思いますが、長いんでね。要約すると、ある田舎で音楽好きの青年が起こした事件なんです。
もう何十年も前――平成初期の話ですが。自分と同じ年ごろの女性に声をかけては、家に連れ帰って殺していたらしい。しかも殺したあと死体をバラバラにしてたってんだから、恐ろしい話じゃないですか。
なんだか、この前杉並区で起きた事件と似てますよねえ」
俺も葛原も答えない。張り詰めた空気が場を支配している。息苦しいほどだ。
「この事件が杉並区のと違うのは、犯人はバラバラにした遺体を捨てるんじゃなく、家に置いてたってところでしょうか。もう、凄い臭いだったようですよお。事件が発覚したのも、それが原因のようです」
ここからが本題ですが、と灰谷が記事の後半を指さす。
「ほら、ここに書いてあるでしょ。とにかく、近隣住民からの苦情が絶えない家だったようです。いま言った悪臭じゃなく……騒音でね。
なんでも、あるときから毎日レコードを大音量でかけるようになったらしい。両親をその少し前になくして独り身で、面と向かって注意する人は誰もいなかったとか。
で、ここが肝心なんですが……悪臭がするようになったのはそのあとからなんですよ」
灰谷の指が、赤丸で囲まれた部分に辿り着く。そこにはこう書かれていた。
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犯人Xは、逮捕されたとき『あの音楽を聴かせてくれ』と泣き叫んだという。それができないなら殺してくれ、とも。結局、彼は逮捕から十日後に獄中で自殺を遂げた。最後まで犠牲者に対する悔恨を示すことはなかったらしい。取り調べに対してもまともに受け答えができなかったため、動機も不明のままだ。
この話を、単に精神疾患を患ったXが起こした不幸な悲劇として終えることもできる。だが、オカルト的な観点からは別の見方で捉えてみたい。
気になるのはレコードの存在だ。彼は犯行に至るその少し前から“何か”のレコードを聴いている。このレコードが、犯行のトリガーとなった可能性はないだろうか。そうでなくとも、Xの精神を狂わせた要因となりはしなかっただろうか。
残念なのは、その“レコード”が誰のどういった作品だったのか、一向にわからないことだ。事件後に押収されたXのコレクションはありふれたものばかりで、とくに目立つレコードもなかったという。
ここに一つの噂がある。事件後、Xの家に何者かが窃盗に入った。そのときに件のレコードを持ち出して売り払った。そういう噂だ。
たしかにありえない話ではない。一人の人間の人生を狂わせるほどの力をもつ音楽を、聴いてみたいと思う人間は決して少なくないだろう。
しかしそれが本当なら、恐ろしい話だ。Xを決定的に狂わせたレコードは、いまどこにあるのか。
レコードは中古で売買されることの多い品だ。前の持ち主がどんな人間だったか、買い手にはわかるよしもない。
問題のレコードのタイトルがわからない以上、あなたが持っているレコードがそれでないという保証は、どこにもないのだ。
……あなたの持っているレコードは、本当に大丈夫だろうか?
===
「最後の窃盗うんぬんのくだりはフェイクも入っていると思いますがね」
灰谷は足を投げ出しながら、デスクチェアの背もたれに身を預けた。
「どうです? これ読んで、何か思うところはありました?」
「瀬崎さん!」
ふいに、葛原が俺のシャツの袖を掴むと引っ張った。
「おい、急に引っ張るなよ」
「いいからここ読んでください!この事件が起きた場所……栃木県のS――って……」
俺は息を呑んだ。まだシャツの袖を掴んでいる葛原の手が、震えている。
目の端で、灰谷が足を組みなおすのが見えた。
「へえ。やっぱり、その土地に何かあるんですか? そりゃあ、面白いことになってきましたねえ」
「やっぱりって?どういうことだ」
灰谷は鞄の中を探ると、一枚の封筒を取り出した。中に入っている紙切れを取り出す。写真のようだ。
「これ、ユージーンのメンバーの写真です。アー写ってやつになるんですかね。ネットに転がってたものの、拾いもんですけど」
目が、獲物を狙う豹のようにらんらんと輝いている。
写真を覗きこんだ瞬間、俺は息を止めた。やや遅れて、気づいた葛原がはっと身を引く。
白黒写真だ。写っているのはユージーンのメンバー四人。建物の前で思い思いのポーズをとっている。
裾広がりのジーンズ。胸元の開いたワイシャツ。斜にかまえたアンニュイな表情。一見すると、ありふれたアーティストの宣材写真としか思えない。
だが問題なのは、この写真が撮られた場所だ。
メンバーが立っているその場所に――正確に言えばその背景に、俺はたしかに見覚えがあった。
数カ月前に行ったばかりだ。いまの外壁はこんなに綺麗じゃないし、扉も開き戸ではなく自動ドアになっている。それでも、壁に埋め込まれた会社名のプレートは見間違えようがない。
パピ・レコード。
サカキさんのレコードの歌い手を突き止めるために、訪れたレコード会社だ。
小さく舌打ちした。癪にさわる話だが、こいつの情報力はなかなかのものだ。つまり、ここでお互いの知っていることを出し惜しみするのは得策じゃない。
俺は両手を広げると、葛原を見た。
「これは長くなりそうだな。悪いけど、やっぱりおもての自販機でコーヒー三人分、買ってきてもらえるか?」




