04 人を狂わすレコード
のりまきさんとは、新宿のカフェで落ちあった。
俺はブラックコーヒー、灰谷はジンジャーエール。のりまきさんはホットの紅茶を手に席に着く。葛原は来させなかった。灰谷がどう動くかわからない今、むやみにこいつと接触させるのは避けたいからだ。
店内は広かったが、昼過ぎの時間帯ということもあって混んでいる。どの席でも客が会話や勉強にいそしんでいた。
のりまきさんは紅茶を一口飲むと、不安そうに話し始めた。
「音楽記事の取材ってことでしたけど……いいんですか? 私なんかで。そりゃ昔はよくロックのライブも行ってましたけど、いまはただの主婦ですよ」
灰谷は慣れた様子で、「全く問題ありません」と笑いかける。
「先にご連絡したとおり、私どもは今度『70年代の邦ロック特集』という企画を考えておりまして。そこでバンドにフォーカスするだけでなく、当時のファン目線の記事も書きたいと思っているんですよ。ぜひ、のりまきさんの体験をお聞かせ願えればと」
灰谷と示し合わせ、俺たちはあくまで音楽雑誌の記者を装うことにしていた。
とはいえ、灰谷の音楽知識じゃすぐにボロが出る。だから質問項目は俺が作った。
そのために、わざわざユージーンのアルバムを一枚買って聴いたほどだ。たしかに既存のロックバンドの焼き直し感は否めず、いま聴くと目新しいものはない。当時こういう音楽が求められていたのはわかるが。
やり取り自体は場慣れしている灰谷に任せるに限る。俺は傍らでメモをとる役の振りをして、メモ帳を開いた。
初めは緊張していたのりまきさんも、話しているうちにだんだんと口がほぐれてきたらしい。予め用意した質問を数個クリアする頃には、当時の記憶が甦ってきたのか、身振り手振りを交えて楽しそうに話すようになっていた。
「しかし、ユージーンのメンバーはイケメンが多いですよねえ。女性ファンも、相当多かったんじゃないですか?」
灰谷が徐々に核心に近づいていく。のりまきさんは照れくさそうに笑うと、
「そりゃもう。嬉しいなあ、当時はそんなこと言うと『これだから女はミーハーなんだ』とか言われて。そういう話、全然できなかったんですよ。でもそう、ギターの木崎くんなんて本当にかっこよくて……まあ、私が一番好きだったのは、羽山くんでしたけど。いまの若い子が言う“推し”ってやつですね」
ぽっちゃりした手を振る。耳からぶら下がるでかい星型のイヤリングが揺れた。昔を思い出してつけてきたのかもしれない。
「我々男性からすると全く未知の世界なんですが、そういうのってファン同士で対立したりするもんなんですか? それこそ最近だと、“同担拒否”なんて言われてるような」
「うーん、別に対立とかはなかったですよ。普通に仲良くしてる子もいたし、反りが合わなそうな子とはつるまないし」
「若槻香夏子さんって人、心当たりありますか?彼女もユージーンの大ファンだったとか。もし連絡先を知っていたら、お話聞いてみたいなと思いまして」
のりまきさんの顔が、嫌なことを思い出したように歪む。
「その子は……行方不明なんです。それこそ、ユージーンのライブを観に行った帰りにどこかに消えて。それっきり行方知らずと、聞いてます」
それはそれは、と灰谷が白々しい声を出す。のりまきさんの表情は暗いままだ。
「のりまきさんは、その若槻さんと仲が良かったんですか?」
しばらく答えはなかった。が、やがてのりまきさんはため息をつくと、紅茶に入れたスティックシュガーの袋を弄びはじめた。
「正直言うと……あの子のことは、苦手でした。いなくなっちゃった人にこんなこと言うのも、あれですけど」
「苦手というと、どうして?」
「とにかく、自己顕示欲の強い子でした。自分がユージーンの一番のファンだって言ってはばからなくて。アルバムを出す前から応援している最古参のファンなんだって、いつも言ってました。私たちからしたら、それがどうしたって感じでしたけど。メンバーとも顔見知りで、楽屋にも出入りしてたみたいです。他のファンが知らない情報を得意げに周りに吹聴してました。ライブが終わったあとの物販でも、いっつも長々とメンバーとお喋りして。私たちに牽制してたんだと思いますよ」
そのときのことを思い出したのか、のりまきさんが鼻にしわをよせる。人のよさそうなつぶらな瞳が、汚いものでも見るように細くなった。
「バンドメンバーと寝ている。そんな噂もありました。いえ、事実だったんだと思います。本人がそう自慢しているのを聞いたことありますから。あら、すみません、こんなこと……でも、当時はそういう話がわりとどこにでもあって」
「いやいや構いませんよ。今だって、バンドマンは女好きで手が早いなんてイメージはありますからねえ。もっと色々自由だった時代なら、そりゃあそんな話の一つや二つあるでしょう。しかしそこまで大っぴらにしていたとなると、さすがに関係者も怒りそうなもんですが」
「はあ、そうですね。実は、あの」
のりまきさんが言い淀んで顔を下げる。スティックシュガーを弄る手の動きはますます早くなり、紙はもはや毬のように丸められてボロボロだった。
「私、見たことあるんです……彼女が、バンドのマネージャーと言い争っているところを。ライブハウスの裏口でした。その日、羽山くんの誕生日だったので、私どうしてもプレゼントを渡したくって。そこで待ってたら出てくるかと思って」
「そのマネージャーは、どんな方なんですか?」
「さあ、もう覚えてませんけど……カナコ、あ、若槻さんが、言ってたことがあるんです。ユージーンのマネージャーは気持ち悪い奴だって。バンドメンバーは最高なのに、あいつのせいでバンドが駄目になるんだって。
で、それに続けて『あのマネージャーは病気なんだ』って言ったんです。なんでそんなこと知ってるのかって聞いたら、『メンバーに聞いたから』って。なんでも、羽山くんだか木崎くんだか……誰かが買ってきたレコードを聴いたら、そこから様子がおかしくなったんだそうです。
そのときは、またいつもの自慢かと思って……それにしては突拍子もない内容なので、ついにこの子は嘘もつくようになったのかと思って、無視したんですけど。妙に印象に残ってて」
ここでのりまきさんは俺の方を見て、心配そうに眉を寄せた。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いようですけど」
「え、ええ。おかまいなく」
横から灰谷の視線を痛いほど感じる。俺は唇をなめると、声を絞り出した。
「ユージーンの解散後は……メンバーの動向などは、ご存知ないですか。いまネットで調べても、まったく情報が出てこないんですよ」
さあ、とのりまきさんは困ったように微笑んだ。
「解散するちょっと前から、私もあんまり興味がなくなっちゃって。他に好きなバンドが出てきたし。ほんと、いまではなんであんなにはまってたのか、わかんないくらいですよ。まあこれも、青春の一ページってやつですかね」
カフェの前でのりまきさんと別れたあと、灰谷は「ちょっと」と俺に身を寄せてきた。
「瀬崎さん、あの最後に言ってたレコードの件、心当たりがあるんですか。凄い顔してましたよ」
「え? あ、いや、あれは……」
「何かあるんですね、やっぱり」
灰谷は身を引くとにやりとする。すぐに、奴には珍しく神妙な顔つきになって口元に手を添えた。
「実は、私も似たような話を聞いたことがある気がするんですよ。昔、何かの記事で実話怪談か何かを書いてて……そのとき、読んだ気がするんです。なんだったかなあ、あれ」
俺は黙っていた。
聴いた人間を狂わすレコード。心当たりは、ありすぎるほどあった。
サカキさん。そしてこの前、葛原を襲ったババ。彼も、凶行に走った原因はレコードにあるようなことを口走っていなかったか。
「もし何か知ってることがあるなら、教えてください。いや、ちょっと待って。私も調べてみます。わかり次第、また店に行きますから。そのとき話しましょう」
さっとコートを翻すと、灰谷は足早に人込みの中に去っていく。
黒い影が人にまみれてだんだん小さくなっていくのを見送りながら、俺は不吉な予感が胸を侵食していくのを感じていた。




