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02 スナッフ・レコード

 その客は、一見普通のサラリーマンに見えた。

 灰谷に絡まれてから数日後の夜のことだ。閉店ぎりぎりの時間に一人の客が入ってきた。スーツをきっちり着こなしているのを見るに、音楽好きのおじさんが仕事終わりに趣味の音源を買いに立ち寄ったというところだろう。よくあるパターンだ。


 男はしばらく店内を見て回っていたが、やがてゆっくりと体をレジに向けた。はじめから目当ての品があって、それが店にないか探してから店主に声をかけようと思った。そんな動きだった。


 長身の体をゆすりながら、狭い通路を男が通ってくる。CDラックの整理をしていた葛原とぶつかりそうになり、慌てて葛原が「すみません」と道を空けた。


「どうも」


 男は礼儀正しく会釈する。なぜかその声は冷たく感じられた。


「閉店間際にすみません。探しているレコードがあるんですが。どの店にも置いてなくて」


 金属同士をこすり合わせるみたいな――妙に高くてざらついた感じのする声だ。首筋が粟立つような感覚を覚えながら、俺はレジ前に来た客を見据えた。


 丁寧に整えられた七三分けの髪。五十歳くらいだろうか。大手の会社の課長でもやっていそうな風格だ。

 眼鏡の奥の瞳は理知的で、まっすぐ俺を見返している。俺は落ち着かない気持ちになった。まるで自分がちっぽけな虫けらになって、籠に入れられて観察されているかのような気分だ。


 男は再度口を開いた。


「聞こえましたでしょうか。探しているレコードがある、と言ったのですが」

「あ、ああ、すみません。えーっと、どういったものをお探しなのでしょうか」


 男の背後で、手を止めた葛原が心配そうにこちらを見ている。俺は目線で「放っとけ」と合図すると、すぐ男に視線を戻した。


 男は相変わらず感情のこもらない瞳で俺を見ている。真一文字に結ばれた口が開き、金属的な声がバンドとアルバムの名前を告げた。


「ユージーンの『ネクローシス』というアルバムです」

「ユージーン……日本のバンドですか?」


 聞いたことのない名前だ。アルバム名にも、全く心当たりがない。

 男は頷くと、何かを思案するように顎に手を当てる。


「全く知らないとなると……少し、注意が必要かもしれません。このアルバムは、とある事情からネットで検索してもほとんど情報が出てこないんですよ。ジャケット画像すらね」

 

 この時点で嫌な予感しかしないが、まったく無視するわけにもいかない。内心盛大にため息を吐きつつ、俺は問いかけた。


「とある事情って、何です?」

「死体の画像を使っているんですよ。ジャケットデザインにね」


 ガタッと固い音がした。葛原がレコードラックにぶつかったのだ。

 男は振り返りもしない。俺は唾を飲み込むと、努めて冷静な声を出した。


「それは、つまり……ジャンルとしてはゴアグラインドとか、そっち方面の音楽ということでしょうか?」


 実際、世界的に見ればそういうことをしているバンドは一つや二つじゃない。俺が普段よく聴くジャンルではないが、パンクやメタル系の一部の界隈にはそういうバンドもいる。過激で攻撃的な側面を極限まで尖らせた結果、ジャケットに本物の死体の画像を使っているのだ。世界は広いということだろう。

 だが、男は無情に首を横に振った。


「そういったジャケットは、海外のニュース記事のサイトなんかからとってきた画像を使っているでしょう。『ネクローシス』はそんなものではないのです。そのアルバムのために本当に殺してしまった女性の……まさに殺害される場面をジャケットに使っているんですよ」


 静寂が落ちた。

 男の言葉に、俺も葛原も何も言い返さなかった。俺はただ、いま男が言ったことの意味を何度も頭の中で反芻していた。この発言に、どう返すのが最も正解なのだろうと考えながら。

 俺たちが何も言わないのにしびれを切らしたのか、男は再び話し始めた。


「スナッフ・フィルムという言葉を聞いたことはありませんか? 実際の殺人の様子を記録した映像です。娯楽目的でそういった映像を楽しむ層に向けてね。しかし、映像があるなら……音で楽しむコンテンツがあってもいい。そう思いませんか? わかりやすく言えば、()()()()()()()()()です」


 スナッフ・レコード。

 あまりに嫌な響きに、背中をウジ虫が這いまわるような感覚に襲われる。

 音楽にそんなおぞましいものを持ち込むなんて。いや、そもそもそんなものは音楽ですらない。


「ユージーンは、決してそういうバンドだったわけではありません。他に二枚ほどアルバムを出していますが、いたって普通のハード・ロックだと聞いています。ただ『ネクローシス』だけは、アルバム収録時に本当に女性を殺害した。そしてそのときの音源をアルバムの中に組み入れ……ジャケットにもそのときの写真を使ったそうです」


 話していて興奮してきたのか、男は徐々に早口になっていく。


「実のところを言うと、私は別に根っからのロックファンというわけではないのです。いえ、そもそも音楽自体、普段から熱心に聴くわけではありません。私が興味のあるのはもっと刺激的で残虐なもの……猟奇犯罪です。古今東西、ありとあらゆるシリアルキラーの記録などを読み漁ってきました。そうするうちに、実際の殺人現場の写真なども目にするようになって……だんだんと、そういったものを収集することにもはまっていったのです。もちろん映像もね。だが、音だけの記録というものはまだコレクションしたことがない。あるなら、ぜひ手に入れたいのですよ。私のコレクションに加えたいのです。ジャケット画像も気になりますしね。なにせ、どんなに検索しても出てこないのですから」


 ふざけるな。

 俺は拳を握りしめた。世の中には色んな趣味の人がいることは理解している。そこにとやかく言うつもりはない。だが、俺の店は「音楽」を売る店だ。そんな悪趣味なものを売るためにあるんじゃない。


「お断りします」そう言おうと思って口を開きかけたとき。それまで黙っていた葛原が、突然「あの!」と声を上げた。


「わかりました。探してみます、そのレコード」


 男が振り返った。葛原は真っ青な顔でびくりと肩を震わせる。


 ちょっと待て。なに勝手なこと言ってる。怒りで拳に力が入る。そのまま振り上げ、カウンターに叩きつけようとした、そのとき。

 葛原が気づいたのか、素早く視線を送ってきた。必死に何かを訴えかける目。今までにも何度か見たことがある。あいつが、本気で恐怖を感じているときの目だ。


 俺は握りしめていた拳をゆっくり開いた。


 男はしばらく葛原を見つめていたが、ぜんまい仕掛けみたいなきっちりした動きで、首を前に戻した。


「では、お任せしましょう。二週間後に、ここにまた来ます」

「いや、あの、二週間後にご用意できてるって保証はないので……できれば連絡先を教えていただけたほうが」

 俺の言葉に、男はきっぱりと首を振った。

「それはできません。こういったものに購入記録を残したくないので。二週間後に、ここに来ます。そのときにレコードがまだなければ、また二週間後に。では、どうぞよろしくお願いします」

 男は来たときと同じ、ゆったりとした足取りで店を出て行った。



「なんであんな要求承諾したんだよ……って、まあ、聞かなくてもなんとなくわかるけど……」

 男の姿が見えなくなったあと。葛原は泣きそうになりながら何度も俺に謝ってきた。さっきはついカッとなったが、彼女が何の考えもなしにああいうことを言う奴じゃないのは俺にもわかっている。葛原は俺に負けないくらい音楽を愛している奴だ。スナッフ・レコードだなんて下劣なもの、想像するだけで虫唾が走るだろう。それにこうもあからさまに怯えているのを見ると、こちらとしても怒る気力が失せた。


「また、嫌な音が聞こえたのか?」


 葛原は蒼白な顔で頷く。


「瀬崎さんが断ろうとしたとき、凄い音が聞こえたんです。めちゃくちゃなノイズみたいな……すっごく不愉快な音が。だから断るのは危険なんだなって思って、咄嗟に。本当に、勝手なことしてすみません」

「……そういうことなら、どうしようもないな。もう謝んな。にしても……見つけられなかった場合もやばそうだな、それ」


 葛原がもう一度、暗い顔で頷いた。


「殺人の音が入ってるレコードなんて、そんな、音楽と呼べないようなもの……私も探したくないです。でも、いざやるって言ってもどこから手を付けたらいいのか……。普通のレコードを探すのとはわけが違いすぎます。闇サイトとか、もっとアングラな領域の話ですよ」

「だよなあ。俺たちの専門領域じゃないよな」


 そのとき、俺の脳裏を何かがよぎった。猟奇犯罪。オカルト。情報通。そのすべてに詳しそうな人物。


 俺は葛原に「ちょっと待ってろ」と声をかけると、バックヤードに駆け込んだ。自分のロッカーを開けると、コートのポケットをまさぐる。たしか、昨日入れてそのままになっていたはずだ。


「あった」


 しわくちゃの紙の感触を握りしめると、すぐに店に引き返す。困惑した表情を浮かべる葛原の前で、俺はゆっくり、昨日もらった名刺のしわを引き伸ばした。


「一人、心当たりのある奴がいる。だが、俺にとっても葛原さんにとっても、これはあまり愉快な話じゃないんだ。一つ、こいつに相談すべきかどうか意見をもらえないか?」

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