表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/39

01 オカルト雑誌のライター

 無機質な時計の音が、無情に時を刻む。

 冷たい冬の夜だ。俺は一人、黎音堂に残っていた。今日中に終わらせておきたい請求書の整理があったからだ。葛原は先に帰らせた。バイトにそこまで付き合わせるのは申し訳ない。それに、そもそも黎音堂は定時が遅い。会社終わりにレコードを買いに寄るサラリーマンも見据えているから、閉店は十九時半だ。先日色々あったことを考慮しても、若い女性をそれ以上遅い時間まで店に留めておくのは賢明とは言えないだろう。

 まあ、あいつのことだから仕事終わりに「よしの」で一杯やってる、なんてことも考えられるが。


 俺も「よしの」に行って、熱燗でもひっかけてから帰るか。そんなことを思ったら、部屋が急に冷え込んでいるのに気づいた。いつもだって二人しかいないバックヤードだが、明るさの権化みたいな葛原がいないとやたらと寒く感じる。とくに、こんな冷えこんだ日は。


 請求書整理も大体目途がついたところだ。俺はこのあたりで帰ることにして、ローテーブルの上に広げた書類をかき集めた。


 店の表に出てシャッターを下ろしたとき、ふいに声をかけられた。


「瀬崎さん、でお間違いないですよね? 黎音堂の店主の?」


 心臓が止まったかと思った。こんな夜更けに、しかも繁華街から外れた人通りの少ない道で、一体誰が話しかけてくるというのか。


 慌てて振り向けば、電柱の下に一人の男が立っていた。俺が反応したのを見てそそくさと近づいてくる。街灯の光に浮き上がった顔は、にやにやと嫌らしい笑みを浮かべていた。知らない顔だ。


 男は俺の二、三歩前で立ち止まった。背の低い男だ。葛原とそう変わらないくらいだろう。彫りが深く目鼻立ちのはっきりした顔立ち。ちゃんとしていれば男前に見えるんだろうが、だらしのない無精髭やよれよれのスーツ、そしてどことなく胡散臭い雰囲気が、そんな印象を台無しにしていた。


「突然すみませんねえ、私、こういうものです」


 胸元を探ると、雑な仕草でカードケースを取り出す。差し出された名刺を街灯の明かりに照らして見ると、なんとかこれだけ判読することができた。


 灰谷浩 編集者

 株式会社 鶯谷出版


「うちの会社名、ご存知ないですか?ま、どってことない弱小出版社なんですけどねえ。サブカル系の雑誌とかで、そこそこ売れてんですよ。『月刊オカルトミステリー』とかって、聞いたことありません?」


 どこかねちゃついた嫌な喋り方だ。俺の頭の中で警戒信号が響き始めた。


「私はその、『月刊オカルトミステリー』の担当者なんですよ」


 心臓が一際大きく鼓動した気がした。

 改めて、灰谷という男のいけすかない顔を見据える。口元だけはへらへらとしているが、目は油断なく俺を見張っていた。気に食わない。オカルト雑誌の編集者なんかが、俺に何の用だ?


「寄越す人を間違えてませんか。ここはレコードショップですよ。それに、時間帯も非常識です。音楽関係の取材をされたいなら、日を改めて連絡してください」


「まーまー、そう言わずちょっと待ってくださいよ」


 軽くあしらって立ち去ろうとした俺の前に、灰谷がすばらく体を滑り込ませる。


「時間帯については謝ります。でも、瀬崎さんとしても営業中にこんな話されちゃあ困るかと思ったもので……こっちも気を遣ってんですよ」

「営業中にされて困るような話なんて、持ってないと思いますけどね」

「本当ですか?」


 それまでの軽薄な雰囲気が急に失われた声だった。俺はつい答えに口ごもる。そんな俺の様子を見て、灰谷が嬉しそうに笑った。


「杉並区連続バラバラ殺人事件の件でねえ、お伺いしたいことがありまして」

「……うちの店と、何の関係があるんです?」

「あの事件は謎が多いでしょう?オカルト的な観点から気にする読者も多いんで、うちの雑誌でも取り上げるのに良い話題なんですよ。もちろん、新聞が報道するような内容とは切り口が違いますけど」


 いったん言葉を切ると、灰谷は一歩俺に近寄る。


「あの事件の犯人――ババが自殺したときに、一緒にいたんでしょ?」


 空気が、突然錆びついたかのようだった。

 落ち着くために、一つ深く息を吸う。渋い苦味が鼻から抜けるような気がした。


「どうして、そう思うんです?」

「まあ、こっちにも色々ツテがあるんでねえ。まあ警察関係者にも熱心なオカルト好きは少なくないってところですか。で、どうなんです?本当のところ」

「答える義務はないですね」

「ふうん、そうですか。でもその反応みるかぎり、やっぱりいたんでしょ?実際。あなたと、もう一人のバイトの女の子が」


 灰谷はにやにや笑いを崩さない。風にのって、タバコの臭いが俺の鼻まで届いた。普段からよく吸っているんだろう。


「あの娘、目立つ髪型してるでしょ。事件前に、ババとあの娘が一緒にいるのを見たって目撃情報がありまして。ああそうそう、あなたとバイトの子と、ババが働いていたライブハウスに一緒にライブを観に行ってるんでしたなあ。そこで、バイトが倒れたって話も――」

「何が言いたいんです?」


 俺の言葉に、灰谷はしてやったりと眼を歪ませた。


「あの事件の詳細を知りたいんですよ。どうもあの事件は普通じゃない。たしかに猟奇的で恐ろしい事件ですが、それだけじゃない不気味さがある。昔のババは、どこにでもいるような普通の音楽好きの青年だったようです。それがなぜ、あんな事件を起こしたのか。動機も目的もまったくわからないのが、どうにも収まり悪くってねえ。犯行前に口笛を吹いてた、とか妙な噂もありますし……あなたたちに聞けば、そのあたりのことがわかるかもしれないと思って」


 それに、と灰谷は顔を横に向けると、黎音堂の閉じられたシャッターを一瞥した。


「この店にも、色々気になる点がありましてね。ババのことがあったから、この店のことも色々調べたんです。そしたら噂で聞いたんですよ。この店でレコード買った客が、行方不明になったって」


 背筋を嫌なものが駆け上がる。この男……一体、どこまで知ってる?


「ああ、安心してください。あなたの店をどうこうするつもりはないんです。陳腐な言葉になりますがね、この店の周りはどうもきな臭い。私の勘がそう言ってるんです。ここはネタの宝庫だってね」


 言葉を切ると、灰谷ははじめて真剣な顔つきをした。


「ここだけの話、私いまちょっとやばくてですねえ。ヒット記事が全然出せなくて、そろそろ担当を降ろされちまうかもしれないんですよ。もしあなた方の店で、()()を提供してもらえるなら……こんなに助かることはないんです」

「断る、と言ったら?」


 当然だ。こんな得体の知れない男に、この店のことや俺が今まで扱った奇妙なレコードや――ましてや葛原の能力のことなんて、教えてやる義理はない。

 だが相手は、あくまで不遜な態度を崩さず薄笑いを浮かべた。


「『月刊オカルトミステリー』は、オカルトファンにはそこそこ知名度の高い雑誌でしてね。それなりに部数も出てるんですよ。そこに、杉並区連続バラバラ殺人の犯人とこの店が関わりあるなんて書いたら……ま、結構な反響にはなるでしょうな」

「そんなもの眉唾だ」

「あなたの意見なんて聞いちゃいませんよ。大事なのは、読者がどう思うかです」

 

 灰谷は肩を竦めると、


「私はこの店がそっち方面で有名になっても全く困りませんが……そして、あなたもまあ、謂れのない誹謗中傷や好奇の目にそこそこ強そうには見えますが……バイトの子は、どうでしょうな?」


 俺は答えなかった。灰谷はそんな俺を見て、「まあ考えといてくださいよ」と手を振った。


「ババの件は、何なら後回しでもいいです。今後、何かネタになりそうなものがあったら一報くれませんか。記事にするために、調べもののお手伝いくらいならできますしね」


 灰谷は満足げに頷くと、「じゃあ私はこれで」と一礼し、夜の闇に消えていった。

 俺は奴から渡された名刺を握ったまま、しばらくその場に立ちすくんでいた。街灯の明かりが点滅し、手元の紙切れを照らす。暗い夜の空気に慣れてきた目には、さっきは見えなかった文字も読み取ることができた。


 灰谷浩 編集者

 株式会社 鶯谷出版

 雑誌編集部 『月刊オカルトミステリー』担当課

 

 瞬時に、この紙切れをびりびりに引き裂いてやりたい衝動にかられる。だがやめた。


 結局、俺はこの忌々しい紙切れを手の中でぐしゃぐしゃに潰すと、そのままコートのポケットに入れて歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ