ロッテン・ポテト
「おう瀬崎さん。最近、なんかいいレコード入ったかい」
仕事終わりに「よしの」に寄ると、奥の席にすっかりできあがったイッシーさんがいた。ぼさぼさの白髪に囲まれた顔を赤らめて、かなりご機嫌の様子だ。
「そうだなー。ま、ぼちぼちってとこかな」
適当に相槌を打ちながら横に座る。俺たちの間では、これが挨拶代わりのようなものだ。このオヤジは会うたび俺に同じことを聞いてくる。うちの店に来てくれたことは一度もないってのに。
だが、今日はどうも様子が違った。
「ロッテン・ポテトってバンドのレコードはないのかい?」
「ロッテン・ポテト?聞いたことないな」
イッシーさんから具体的なバンド名が挙がるのは初めてだ。
俺の返事を聞いたイッシーさんは、つまらなさそうに「ふうん」と言った。
「ないのかよ。しゃーねーなあ」
「日本のバンドなんすか?」
「当たり前よ。パンク・ロック系の、とにかくやかましくて騒々しいバンドさ。すぐに解散しちまったから、アルバムは一枚しかねえけど」
「好きなの?イッシーさん」
「まあな」
ぐいっとビールを煽リ、イッシーさんは歯を見せて笑う。
「昔のバンドだから、今となっちゃ聴く人間もそうそういねえだろうけど。結構いいバンドだ。俺は好きだな」
「へえ。じゃあ、もし入荷したら教えるよ」
「おお、ありがとな。そしたら、俺も瀬崎さんの店にレコード買いに行くよ」
「そりゃあ楽しみだ」
とりあえずそう答えたが、本気にはしていなかった。これだけ顔を真っ赤にして酔っぱらっているんだ。明日になれば、俺に会ったことを覚えているかすら怪しい。
「瀬崎さんも聴いてみてくれよ。いいバンドなんだぜ。本当にな」
空になったビール瓶を掲げながら、イッシーさんはそう言ってまた楽しそうに笑った。
不思議なことにイッシーさんとそんな話をした数日後、俺の店にロッテン・ポテトの中古レコードが入荷された。あまりのタイミングに怪しさを感じたが、出どころに不自然な箇所はない。いたって普通のコレクターから買い取ったものだ。ラインナップを見るに、昔の邦楽ロックが好きな人だったんだろう。
とはいえ、念には念を入れるにこしたことはない。俺はこのアルバムも、葛原と一緒に聴いてみることにした。
「なんというか……ジャケットのセンスは、あんまりないですね」
バックヤードでジャケットを手に取った葛原は、珍しく辛辣な意見だった。
それもいたしかたない。
葛原の言うとおり、件のジャケットはお世辞にも「かっこいい」とは言い難い代物だ。古病院の床みたいな緑色の背景に、バンドのメンバーらしき白黒写真が貼られているだけ。バンド名をそのまま冠したアルバムタイトルは、フリーフォントをそのまま使ったような書体だ。おまけに文字色はピンク。
名作といわれるアルバムは、ジャケットも印象的なものであることが多い。それでいうとこのアルバムは、聴く前から中身に期待はできなさそうだった。
「ま、百聞は一見にしかずだ。イッシーさんのおすすめのバンドなんだし、とりあえず聴いてみようぜ」
そう声をかけ、再生を始める。
二曲目が終わる頃にちらりと葛原を見ると、腕を組んで何やら難しい顔をしていた。
「なんかヤバいの? このレコード」
「あ、いえ全然! 違うんです、ただ……」
一旦言葉を切ると、続きを探すように視線を明後日の方向に走らせる。
「こんなことあんまり言いたくないんですけど……あんまり私向きの音楽じゃないなって」
「ああ」
なるほど。改めて流れている曲に耳を傾けた。
まあ、気持ちはわかる。
「うまくはないよな。演奏が」
「そう、そうなんです! すごく情熱はあって……やりたいことがあるのはとても伝わってくるんですけど……熱意が空回りしてる感じが」
「うん、わかるよ」
俺は小さくため息をついた。葛原の所感は的を射ている。イッシーさんの言うとおり騒がしい音を出すバンドだが、本当にそれだけなのだ。彼には悪いが、俺もあまり得意なタイプの音楽じゃない。
「じゃあ、このレコードに変なところはないんだな」
改めて葛原に確認すると、「そう思いますよ」と返事が返ってきた。
それだけ聞ければ十分だ。
俺は回転を続けるレコードに近づくと、静かに針を上げた。
次の日「よしの」に行ってみたが、イッシーさんには会わなかった。まあ、そういうこともあるだろう。これまでだって、毎回「よしの」に行くたびにあのおっさんに会っていたわけじゃない。あの人はおそらく週に二、三回は「よしの」に行っているはずだから、そのうち会えるはずだ。
そのときの俺は、それくらいにしか思わなかった。
異変が起きたのは、その次の日の夜だった。
営業時間が終了し、バックヤードで葛原と帰り支度をしていたときのことだ。
先に気づいたのは、葛原だった。
「なんか聞こえません?」
手に持っていたリュックを下に落とすと、小走りでドアに駆け寄り開ける。途端に、ガチャガチャした演奏の音が部屋に流れ込んできた。
俺も急いで駆けつけると、葛原と一緒に店側に出た。
聞き覚えのある曲――イッシーさんがおすすめしていた、あのバンドの曲だ。
葛原が困惑した顔で俺を見た。
「これ、瀬崎さんにも聴こえてますよね?」
「あ、ああ。葛原さん、BGMちゃんと消した?」
「消しましたよ! それにそもそも、このバンドの曲ってBGMに取り込んでないですよね?」
俺は頷くと、レジ横に置いてあるノートパソコンに目を走らせた。
彼女の言う通りだ。黎音堂でかけるBGMはすべて俺がパソコンの中に音源を取り入れ、それをステレオにつないでかけている。だから大体、俺自身がCDで持っている音源であることがほとんどだ。もちろんレコードの音だってパソコンに取り込むことは可能だが、面倒だ。ましてやこのバンドの音なんて、わざわざ取り込むはずもない。
「どこから流れてるんだ?」
ステレオの電源も落ちている。これも葛原の言った通りだ。俺は途方にくれて、再度彼女と顔を見合わせた。
「これってもしかして、やばい感じ?」
「いえ、危ない音はしないです。多分、私と瀬崎さんでまったく同じ音が聴こえてます」
「だとしても、どうやって消せばいいんだこれ。このまま帰るわけにもいかんし」
そう言った瞬間、突如音がやんだ。一回目のサビがちょうど終わったところだった。
突然静かになった店内で、俺と葛原は二人、ぽつんと立ち尽くした。葛原はまん丸に瞳を見開いて、不思議そうにキョロキョロしている。
「……消えましたね」
「じゃあ……帰るか」
「ええ!?」
素っ頓狂な声をあげる葛原をおいて、俺は足早にバックヤードに戻る。
「ちょっと、なんか調べたりとかしなくていいんですか? このままにしておくのも気味が悪いじゃないですか」
「きみが聴いて大丈夫だったんだろ? なら、放っといてもいいだろ」
棚から悪趣味な緑色のレコードを手に取る。イッシーさんに会うまでは、店に出さず取っておこうと思ったのだ。見たところ、レコード自体に異常がある感じはない。
「音楽が流れるだけで済むなら、無害なもんだ。とりあえず、しばらく様子見にしよう」
納得のいっていなさそうな顔をする葛原を急き立て、俺は店を出るとシャッターを下ろした。
それからしばらくの間、閉店後に「ロッテン・ポテト」の曲が聞こえる現象は続いた。
毎日ではないが、二、三日に一回くらいの頻度だ。俺と葛原がバックヤードで帰り支度をしていると、突然店側で「ロッテン・ポテト」の一曲目が流れ出す。
葛原はしきりに首をひねってステレオやパソコンの電源をチェックしていたが、原因はわからなかった。せめてもの救いは、客がいるときに流れることはないことだろうか。これが原因で店に変な噂が立っては困る。今のところその心配はなさそうだ。
とはいえ、この現象がストレスにならないかというとそれは別の話だ。最初は放っておけばいいと思っていた俺も、こうも続くとだんだん薄気味悪くなってきた。だが、どう対処すればいいかわからない。本当に、ただ音楽が流れるだけなのだ。毎回「ロッテン・ポテト」の一曲目が頭からかかり、一回目のサビが終わると消える。そこに何の意味があるのか、よくわからない。
「アルバムを一枚通して聴けってことでしょうか」
ある日葛原がそう言い出したので、二人そろって閉店後に聴いたこともある。効果はなかった。次の日、やはり閉店後にドア越しから聴きなれた音楽が聞こえてきたとき、葛原はがっくりと肩を落として苦笑いを浮かべた。
「最初は合わないなって思いましたけど、これだけ聴いてるとだんだんよく聴こえてきますね。このベースラインとか、結構かっこいいですし」
「単純接触効果ってやつだな。何回も聴いてるうちに、最初は全然はまらなかった音楽も好きになることがある」
肩を竦めてそう言い返した俺に、葛原は「夢がない」と渋い顔をしてみせた。
***
イッシーさんが死んだと聞いたのは、「よしの」の女将からだった。
「私も全然知らなかったんだけどねえ。気の毒に、孤独死だったみたい。うちの常連でイッシーさんと一番仲がよかった人がね、しばらく会ってないから心配になって家を訪ねたらしいのよ。そしたら、亡くなってるのを見つけたんですって」
死因は詳しくはわからないが、病死だったらしい。
「身寄りもないから、葬儀もあげなかったみたい。少し前まで、あんなに元気だったのにねえ」
カウンター越しに女将が暗い顔で呟く。
「最後にこの店に来たのは、いつだったの?」
「さあ……私もしばらく見てなかったから、珍しいなーどうしたのかなーなんて思ってたのよ。あ、そうそう! ちょっと前にあんたがここ来たとき、イッシーさんと話してなかった? 多分、あのときが最後よ」
イッシーさんが初めて、俺の店に行くとはっきり言ったときだ。
俺はビールのグラスを傾けた。苦い味が口の中に広がる。テーブルの上に、グラスから垂れた水滴が小さな水たまりをつくっていた。
イッシーさんとは、別に特段仲がよかったわけではない。ただ、顔を合わせばそれなりに楽しく話すだけの常連同士だ。俺はあの人の仕事も交友関係も知らないし、何なら本名すら知らない。どうでもよかったから。それでも、胸の片隅が少しだけ、きゅっと痛むような感じはあった。せっかく、好きなバンドのレコードが入荷したっていうのに。
ため息をつくと、俺はいつもより多めにビールを煽った。
次の日葛原にその話をすると、彼女もイッシーさんとは知り合いだったらしい。俺以上にショックを受けたようで、しばらく呆然とソファに座りこんでいた。
ややあって、顔を上げた葛原がぽつりと言った。
「イッシーさん、瀬崎さんとの約束を守ろうとしたんですかね」
「は?」
「ここ最近、ずっとあのアルバムがかかってたの。あれって、もしかしてイッシーさんがうちに来てたんじゃないですか?」
その発想はなかった。
思わず、少し笑みが漏れる。それが本当なら、妙なところで律儀なおっさんだ。そんなふうには全然見えなかったのに。
それにしても、レコードショップに来て自分の好きな音楽だけかけて帰るとは……傍若無人というか、まあ、あのおっさんらしいと言えばらしいのかもしれない。
「葛原さん、棚から『ロッテン・ポテト』のレコードを出してきてもらっていい?」
そんなに聴きたいなら、かけてやろうじゃないか。
俺は店に出ると、試聴用に出しているレコードプレーヤーをステレオにつなぎなおした。これで、このプレーヤーでかけているLPはBGMとして店に流れることになる。
すぐにバックヤードから葛原が出てきて、俺に緑色のジャケットを手渡してくれた。だが様子が少しおかしい。白い頬がわずかに上気して、丸い目がキラキラと興奮した光を帯びている。
「瀬崎さん、これ! これ見てください!」
葛原が差し出してきたのはライナーノーツだった。ジャケットの中に入っていたものが滑り落ちたんだろう。そういえばちゃんと見ていなかったな、と思って彼女が示す箇所を覗きこむ。
細い指は、ライナーノーツの最上部……一曲目のクレジットを指していた。
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作曲:石井タケル(Ba.)
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「Ba.」とはベースの略記号だ。
「これ、石井って……イッシーさんのことじゃないですか? 前に、バンドでベース弾いてたって、聞いたことあるんですよ! それで改めてメンバーの写真見てみたら……ほら、多分この人ですよ! 面影ありますもん!」
葛原が、今度はジャケットを差し出す。たしかに、右端に写る男はイッシーさんによく似ていた。俺が知るイッシーさんよりずっと若く、はるかに精悍な顔立ちをしていて髪も黒いけれど。このだんご鼻と、どんなに真面目に見せかけてもにやけた感じの隠せない口元は、イッシーさんのものだ。
俺は今度こそ声を上げて笑ってしまった。葛原が「ひっ」と小さく悲鳴をあげて身を引いたが、構わない。あのおっさん、本当にバンドでベースやってたのか。なにが有名なバンドだ、見栄はりやがって。しかも、人の店に来て自分の作った曲ばかりかけるなんて。俺の店に来たかったんじゃない、自分の曲聴かせたかっただけだろう。
まったく傍若無人なおっさんだ。でも、ロックやる人間はそうでなくちゃな。
俺はプレーヤーにレコードをセットすると、針を落とした。これは俺なりの、イッシーさんへの弔いだ。
店のなかに、ドカドカうるさい音が鳴り響いた。
「ミュージシャンって、いいですよね」
一曲目のサビが終わる頃、葛原が小さくつぶやいた。
「死んじゃっても、こうやって作品は残るじゃないですか。自分の生きた証を残すみたいで、かっこいいですよね」
私も音楽の才能があればなあ、なんてぼやいている。
「葛原さん、生きた証残したいの?」
「あ、えっと、そういうわけじゃないですけど……そういうことができる才能のある人って、やっぱりすごいなって」
「まあな。でも、世の中作曲して演奏する奴ばっかりじゃ回らない。俺たちみたいに聴く奴がいないと、残るもんも残らんだろ」
俺がそう言ったときだ。
店に一人の客が入ってきた。大学生くらいの若い男だ。ギターケースを担いでいるのを見るに、軽音サークルにでも入っているんだろう。
男はしばらくぐるりと店内を見渡していたが、考えごとをするように頭を傾けた。店内を流れる音楽に集中しているようだ。くるりと体をこちらに向けると、興奮した面持ちでレジに向かってくる。
「あの! 今流れてるこの曲って、どのバンドのですか? 音源あります?」
「あ、はい、ちょうどいまかけてるそのレコードですけど……よかったら、購入されます?」
「いいんですか?」
男は大喜びで何度も頷いた。葛原がいそいそとレコードを詰めなおす間、俺にべらべらと喋りかけてくる。
「俺、パンク・ロックが大好きで。今度大学の軽音部のメンバーと、日本の70年代くらいの、パンクでかっこいいやつカバーしたいなって話してたんですよ。これ、イメージにぴったりです。エネルギーがあって、ロック好きなんだなってのがめちゃくちゃ伝わってきて……俺めっちゃ好きです、こういうの」
若者は「ロッテン・ポテト」の入ったレコード袋を下げ、意気揚々と店を出て行った。
それから、閉店後に「ロッテン・ポテト」の音楽が鳴ることは二度となかった。




