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レコードショップ黎音堂の音楽怪異譚  作者: 甘月
第3話 スプーキー・ホラー・ショー
17/39

06 口笛の正体

 午後九時三十分。

 ババさんから連絡をもらった私は、指示された通りに向かって歩き出した。

 十一月も半ばを過ぎた夜はかなり寒い。コートの生地をすり抜けて入ってくる冷気が骨を刺すみたいだ。いつもは人が多い駅前も閑散としていて、余計に肌寒く感じる。


 高架下を通って住宅街へ抜ける。

 居酒屋の騒がしい明かりがなくなって、通りが別世界みたいに暗くなる。人のいない夜道を、街灯だけがうつろに照らしている。


 ポケットの中のスマホが振動した。


――葛原さん、今どこにいますか? 僕はI-って交差点にいるんですけど。

――多分、そこの二本手前の角です。


 ふーっと、静かに息を吐く。足が震える。大きくなっていく心臓の音に、何度も「大丈夫」と言い聞かせた。

 街灯の上にのぼる月が、嘘みたいに透きとおっていて憎らしい。

 

 ヒュイ。


 背後から口笛が聞こえた気がして振り返る。

 誰もいない。

 ただ、人っ子一人いない寂しい道が、ぽっかり黒い口を開けているだけだ。

 

「葛原さん」

「ひっ」

 ふいに肩を叩かれ、あやうく悲鳴をあげそうになる。

 白い月を背にして、背の高いババさんの影が、私を見下ろしていた。


「驚かさないでくださいよ……」

「いやでも、声かけるしかないでしょ。どうしたんです? 何か気にしてたみたいすけど」


 歩きながら、ババさんが背後の暗い通りを見透かすように視線を送る。 

 少し迷って、口笛のことを話した。SNSで犯人が吹いていたと噂されていることも含めてだ。


「へえ、それは初耳ですねえ。葛原さん、事件のこと詳しいすね」

「いや、たまたまですよ。SNS見てたら気づいただけで……」

「でも、たまたま調べてそんな投稿見つけられるってことは、やっぱもってんじゃないですか。いいですね葛原さん。いいすよ」


 何がいいのかわからない。ババさんは迷いなく歩を進めていく。私たちの前にも後ろにも、他に人が歩いている気配はない。


「ババさん、オーナーはどこにいるんですか」

「ん? ああ、見失ってはないから安心してください。あまり距離詰めすぎると、バレちゃうでしょ」


 この人でも緊張することがあるんだろうか。声がいつもより上擦っている。


「さっきの話に戻りますけど。犯行前に口笛吹くなんて、よっぽど音楽が好きなんでしょうね。犯人は」


 街灯が私たちの足元を照らす。淡く浮き出た二つの影が、不気味に長く引き伸ばされる。背の高いババさんの影が、私の影を上から押さえつけようとしているみたいに見えた。


「オーナーはどんな曲が好きなんですか?」

「なぜ?」

「だって、口笛吹いてるのが犯人なら……オーナーが吹いてるってことですよね」


 私の言葉に、ババさんはいま思い出したかのように目を開いた。


「ああ……そうか、そういうことになりますね。んー、オーナーはあんまり口笛吹かないんすよねえ」

「口笛を吹いてるのは、犯人じゃないってことですか」

「いや、犯人だと思いますよ?」

 

 耳の奥でどくどくと血管が脈打ち始める。

 暗くて顔がよく見えなかったけど、声の調子からして相手は笑っているようだ。


「葛原さんは、犯人はどんな曲が好きなんだと思います?」

「どんなって言われても……全然わかんないです」

「僕、知ってますよ」


 ババさんが足を止めた。いつの間にか、私たちは小さな公園の入り口に立っていた。誰も住まなくなった家の跡地を無理やりならしたような、窮屈な公園だ。遊具はさびれたブランコと、シーソーだけ。


「こんな曲です」


 ブランコを見つめたままババさんが口笛を吹き始める。少しかすれた低い口笛が、夜の冷気にのって広がり……

 次の瞬間、私は心臓を氷の手で握りつぶされたようなショックに襲われた。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ど、どうして……その曲を……」

 唇が震えて言葉にならない。全身の血液が逆流する。

 間違いない。瀬崎さんが店で何回もかけていたから、よく覚えている――これは、()()()に行ったときに聴こえてきた曲だ。


「あれ、葛原さん、この曲知ってるんですか」

 こちらを振り返ったババさんの顔は、心底嬉しそうに笑っていた。


「やっぱいいですねえ、葛原さんは。わかってるなあ。顔も可愛いし、うん、あの方も気に入りそうです」


 キィィィィイイイイイイイイイン

 耳鳴りが聞こえる。どんどん大きくなる。やばい。やっぱりこの人おかしい。オーナーが犯人なんて嘘だ。逃げなきゃ。


 そのとき、私はまた思い出した。テラゾーで私の少し上方を見つめていた、女性の視線を。

 あれはオーナーを見ているんだと思った。でも違う。いくらオーナーがちょっと高いところに座ってたって、私のすぐ後ろにいてあんなに視線の位置が変わるわけがない。


 彼女が見ていたのは、もう少し高いところ……()()()()()()()()()()()()()P()A()()()だ。


「やっぱり、あなたが……犯人なんですね」


 ババさんは答えなかった。その顔を見れば、聞くまでもないことだった。


「どうして、あんなことをしたんですか」


 ババさんは頷くと、片頬を歪めて一歩を踏み出す。


「僕、昔から女性ヴォーカルの曲が大好きなんですよ」


 ざり。底の厚いスニーカーが土を擦る。


「ああでも、ジャニス・ジョプリンみたいな迫力のある声じゃないです。線が細くて透き通っていて、ポキリと折れちゃいそうな……か弱い女性の声が好きなんですよ」


 ゆっくり、こちらに近づいてくる。逃げたいのに足が強張って動かない。大声を出そうと口を開いたのに、漏れ出るのはかすれた呼吸音だけだ。


「前に話しましたよね。思い入れのあるレコードの話。あれは衝撃的だったなあ。まさに、僕の理想の歌声でした。生涯かけて愛せるような声に出会えたのに、アルバムがあの一枚しかないなんて……耐えられませんよ。だから、自分で作ることにしたんです」


 いつの間にか、ブランコの手前に追い詰められていた。公園の出入り口は一つだけ。これじゃ逃げられない。

 リュックを前に回したババさんが、前ポケットを開ける。街灯の光を反射して、黒々とした釘抜きがぬらりと手の中で輝いた。

 ドサリ、とリュックの落ちる音。

 両手でしっかり釘抜きを握りなおしながら、ババさんは口だけで微笑む。


「大丈夫。葛原さんなら、綺麗な歌になりますよ」


 釘抜きが大きく振りかぶられる。白く丸い月を、黒い金属の棒が二つに割る。意味なんてないとわかっていても、腕が勝手に前に出る。

 嫌だ。怖い。死にたくない。

 開けっぱなしの口からようやく何かしらの音が出そうになった、そのとき。


「やめろ!」


 公園の隅の木影から人が飛び出した。


「そ、そのから離れろ。警察も呼んでるから」


 瀬崎さんだ。ハアハアと肩で息をしながらスマホを掲げている。視線はまっすぐババさんを睨みつけていた。

 ババさんは細い目を大きく見開くと、ゆっくりと腕を下ろした。


「僕たちのこと、尾行して(つけて)たんですか」

「ああ……葛原さんが、教えてくれたからな。お前が怪しいって」

 声がわずかに裏返る。瀬崎さんは咳払いをして、すぐに続けた。


「彼女一人でお前と一緒に行かせるふりをして……ずっと追ってたんだ。まだお前が犯人と決まったわけじゃなかったからな。確証ができたら、警察に通報して葛原さんを助ける。お前がヨシダさんに対してやろうって言ってたのと、同じことをしてやったわけだ」

「へえ」


 ヒュウ、と短く息を吐くと、ババさんがこちらに向き直る。


「意外ですね。人に頼るタイプじゃないと思ってましたよ。テラゾーのときだって、気絶するまで我慢するくらいだし」

「……だから、私のことを狙ったんですか」

「まあ、それもありますけど。一番はいい耳持ってんなって思って。普段から色んな音が聞こえてるんでしょ? それ。そんな人だったら、凄い歌声になりそうだなーって思ったんですよ」


 ババさんの背後で瀬崎さんが必死に目配せしている。このまま話を続けさせて、時間を稼げということらしい。


「さっきもちらっと言ってましたけど。歌声になるってどういうことですか」

 手に汗がじっとりと滲む。警察はいつ来るんだろう。こういうときもパトカーはサイレンを鳴らしてくるんだろうか。早く、早くその音が聞こえてほしい。


「あの方が、気に入った女性を歌にするんですよ」

「あの方……って?」

 ババさんはただ肩をすくめるだけだ。

「なかなか、お眼鏡にかなう女性が見つからなくて。いつも、ほんの一部しか食べないんですよね。だから残った部分は捨てるしかなくて」


 私は凍り付いたように立ち尽くした。言葉の意味が理解できない。

 いま、この人はなんて言った?

 恐怖と嫌悪感が、足元からじわじわと全身を侵食し始める。

 ()()()()()()()()()


「残念だなあ。葛原さんだったら、絶対気に入ってもらえたと思うんだけどなあ」

「おい」


 言葉を失った私を見かねたのか、瀬崎さんが焦ったように声を出す。


「俺からも、聞きたいことがある。さっき、お前が口笛を吹いていた歌だ。あの歌が入っているレコードを、どこで手に入れた?」


 ババさんは振り返ると鼻で笑った。


「おたくの店じゃありませんよ。あれは……ネットオークションで買ったんです。誰から買ったのか、もう忘れましたけど」

「あのアルバムはタイトルがないはずだ。そんなもの、なんで買おうと思った」

「いや、タイトルはありますよ。たしか……」


 そこまで言ったとき、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

 一瞬、私はババさんが逃げるかと思った。それなら瀬崎さんと二人がかりで止めるしかない。でもババさんは少し肩をこわばらせたあと、すぐに力を抜いて諦めたように笑った。


「残念です。最後にもう一度、あのレコードが聴ければよかったんですけど」


 ババさんが釘抜きを握った腕を持ち上げる。尖った切っ先が、白く柔らかそうな喉笛にそっと押し当てられる。


「捕まったら、もう二度とあの歌が聴けなくなるでしょ。そんな人生、生きててもしょうがないです」


「おい、やめろ!」


 瀬崎さんが走り出すのと、私が悲鳴を上げるのが同時だった。

 黒く鋭い釘抜きの先が、ババさんの頸動脈を貫く。どす黒い血が噴水のように吹き出す。バタタッと音がして、土の上に放射状の模様ができる。ババさんの大きな体が、ぐしゃりとその上に倒れこんだ。


 瀬崎さんも私も、何も言わなかった。言えなかった。

 遠くで聞こえていたパトカーの音が、どんどん近づいてきていた。


***

 警察が到着したときには、ババさんはすでに絶命していた。

 大変な騒ぎになると思ったけど、私も瀬崎さんも世間の好奇の目にさらされることはなかった。警察が発見時の情報を伏せてくれたおかげだ。もちろん、事情聴取は受けたけれど。


 ババさんの死後、家宅捜索により彼が犯人であることは確定したらしい。けど、動機は最後までわからなかった。事情聴取で聞かれもしたけど、私も瀬崎さんもはっきり答えることができなかった。私たちだって、何が起きたのかよくわかっていないんだから。


 ただ、「あるレコードを聞いてからおかしくなったようだ」とは伝えた。瀬崎さんも同じことを言ったらしい。

 事情聴取を担当していた警察官の反応を見るかぎり、信じてもらえた可能性は限りなく低い。


 瀬崎さんはレコードの行く末をかなり気にしていた。ババさんの家からは、証拠品と一緒に何十枚もレコードが押収されたらしい。その中に例のレコードがあったかどうかはわからない。警察はそこまで教えてくれなかった。おそらく、事件の後処理が全部終わったら廃棄されるんだろう。


 ワイドショーは連日「音楽好きの青年の心の闇」なんて見出しで騒ぎ立てている。これを機にロックファンの肩身が狭くならなきゃいいなと思っていたけど、SNSではそんなことを言っている人はごく少数だった。あと一、二週間もすれば、事件全体に対する関心自体薄まっていくんだと思う。


 事情聴取が終わって色々と落ち着いてから、私は瀬崎さんと改めて話をした。何より、謝らなくちゃいけないと思っていた。私がババさんの口車にのせられたせいで、瀬崎さんを巻き込んでしまったのだから。今回、私は最初から最後まで迷惑しかかけてない。バイトをクビになっても文句は言えないと思っていた。


「いや、別に謝らんでもいいけど」


 開店前。

 バックヤードで深く頭を下げる私に、瀬崎さんは困惑したように言い放った。


「え、で、でも……私が余計なことしたせいで……」

「その余計なことってのは何を言ってる? ババと一緒に犯人を捕まえようとしたことか? まあ、たしかに無謀ではある。俺が早い段階で知ってたら絶対止めてた。でも、そうしなきゃ耳鳴り治んなかっただろ」


 俯く私に、瀬崎さんは「で? 耳鳴りなくなったのか?」と聞いてくる。


「あ、はい! 今はもう、ばっちり毎日快適です!」

「それなら万事解決だ」


 この話はもう終わり、とばかりに両手をあげる。でも私の顔に納得のいかなさが浮き出ていたのか、やれやれとため息をついた。


「きみは何、俺に怒られたいの?」

「え、いや、怒られるのは嫌です……」

「じゃあそんな顔するな」

「でも……」

「むしろ褒めてもいい」

「は?」


 ぽかんとする私に、瀬崎さんは若干うんざりしたような顔を向ける。


「ちゃんと嫌なことを言えただろ。ババのところに行きたくない、怖いって。笑顔を安売りすんなって上司の指示をちゃんと守れた。おかげで、俺は優秀なバイトを失わずにすんだ」


 頭の中に大量の疑問符が広がる。私のちっぽけなCPUじゃ、情報処理能力が追いつかない。

 かたまる私を一瞥すると、瀬崎さんは店内につながる扉を開ける。


「じゃ、そういうことだから。今日もよろしく」

「あ、ちょっと、待ってくださいよ!」


 慌ててあとを追いかける。瀬崎さんが店の鍵を開ける。私は立て看板を持って行って、店の外に出す。すれ違いざまに「ありがとうございます」と言ったけど、返事はなかった。

 立て看板を設置して空を見上げる。十二月も間近となると、昼近くになっても空気は冷たい。でも、今は全然気にならなかった。むしろ、この澄み切った空気が心地いいとさえ感じた。

 

「よし、今日も頑張るぞ」

 

 一つ伸びをして、私は小さく笑った。

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