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レコードショップ黎音堂の音楽怪異譚  作者: 甘月
第3話 スプーキー・ホラー・ショー
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05 耳鳴り

 ババさんの提案はシンプルだった。二人でオーナーが犯人の証拠を押さえよう、というのだ。


「僕にあの音が聞こえるのは、オーナーがテラゾーに来るときだけなんです。だからあの人が犯人なのは間違いないと思うんですが……残念ながら証拠がありません」


 こともなげに肩を竦めるババさんを、私は半信半疑で見つめた。


「でも、私にできることなんて何もないと思いますけど……」

「いや、そうでもないすよ」


 ババさんはあくまで冷静な態度を崩さない。


「あの事件が起きているのは、テラゾーが休みの日……少なくとも、僕はそう見ています。死体が発見された日の日付からして。で、オーナーの家はこの近辺です。オーナーが休みの日に何をしているのか……それがわかれば、かなり有力な証拠になると思いませんか」

「……つまり、オーナーを尾行するってことですか?」

「理解が早くて助かります」


 ババさんは片頬だけで一瞬微笑むと、スマホを差し出した。


「こんなこと相談できるの、葛原さんしかいないと思って。ぶっちゃけ、一人じゃ心細いんすよ。仲間がほしいんです。でも、変な音が聞こえるなんて言ったって、信じてくれる人いないでしょ。で、葛原さんに声をかけたってわけです。ひとまず、連絡先を教えてもらえませんか? 今は仕事中なわけですし。詳細はまた、のちほど相談するってことで」


 また耳鳴りが聞こえる。今さらだった。この提案が危険なものであることくらい、音がなくたって十分わかる。


 わかっていても、私の答えは決まっていた。

 この前のマスターの一件では、私は何もできなかった。私がもっと早くあのレコードの異常性に気づいていれば。いや、あのレコードを怪しいと思った時点で、マスターを説得するなりレコードを廃棄するなり……もっと行動に移せていれば。ああなるのを防げたかもしれないのに。


 私はただ、助けられたかもしれない人が取返しのつかない事態に陥っていくのを、安全圏から眺めていただけだった。


 ――なんで助けてくれない?

 昨日の女性は、私にそう言った。あのときはとても怖かったけれど、いま冷静になると、私に何かできるんじゃないかという気がしてくる。

 彼女の魂はあのライブハウスに留まっているんだ。殺人犯が捕まらないかぎり。あの音を聞いたあとでは、それもしょうがないと思えた。どんなにか怖くて、痛くて、無念だったろう。

 

 握りしめた手に力が入る。彼女のような犠牲者を、これ以上増やすわけにはいかない。


「わかりました。やりましょう」


 私は顔を上げると、ババさんのスマホを受け取った。


***

 それ以来、私はバイトの時間以外でババさんとしばしば会うようになった。作戦を練るためだ。場所は大体、高円寺駅の近くのカフェに集まった。ババさんの家はもっと遠いところにあるらしいけれど、いつも私に合わせてわざわざ高円寺まで来てくれる。私の家はこのすぐ近くなので、有難い気遣いだった。店が終わってから会うとなると、夜遅くなることが多い。件の事件のこともあるし、女一人で遠出するのはちょっと怖かった。


 二人で相談して、クラブ・テラゾーでライブがない日の夜にオーナーを尾行することにした。まず、ババさんがオーナーの家を見張る。そしてもしオーナーが出かけたら、私に連絡をする。そうしたら私もババさんと合流して、二人でオーナーのあとをつけるという算段だ。


「やる前にはっきりしておきたいんすけど、葛原さん、オーナーが犯人だと確信できるまで手を出しちゃだめですよ」

「誰か女性が襲われるまで、ただ見てるだけってことですか?そんなわけにはいきませんよ」

「気持ちはわかりますけど、下手に女性を助けようとしてこちらの動きを読まれたら、それこそ最悪です。逃げられるかもしれないし、もっと悪いのは僕らも襲われるかもしれない。相手は、すでに三人も拉致して殺してる凶悪犯なんですから」

「でも……」

「まあ、考えがないわけでもないです」


 そう言ってババさんは、明るいカフェの中で人目を憚るように首を振った。黒いリュックの前ポケットのジッパーをわずかに開ける。てらりと鈍く光る、黒く太い金属の棒が一瞬見えた。先が二股に分かれている。おそらく、釘抜きだ。


「場合によっては、こいつを使います」

 

 ババさんは相変わらず淡々とした調子で、椅子に置いたリュックの背中をポンポンと叩いた。私は何も言えなかった。

 少し離れた席に座っている大学生くらいのカップルの笑い声が、嘘みたいに明るく耳に響いた。


 ババさんとはいつもこんな話ばかりしていたわけじゃない。次のテラゾーの休みはいつか、オーナーの様子はどうだったか。そんな話の合間に、お互いに好きな音楽の話題で盛り上がることもあった。


「葛原さんはわりとオールド・ロックが好きなんですね。若いのに珍しいすよね」

「高校生のときにたまたま夜につけたTV番組で、懐かしの洋楽特集みたいなのをやってたんですよ」


 ババさんも同じくらいの年なんだけどなと思うけど、つっこまないでおく。


「そこでピンク・フロイドを聴いて、めちゃくちゃいいなって思って。初めて買ったレコードもピンク・フロイドでした」

「ふーん、渋いですね。思い出の一枚ってわけですか」

「ババさんにもありますか? そういうレコード」


 何の気なしに聞いた質問だったけど、ババさんの顔を見た私は思わずコーヒーカップを運ぶ手を止めた。


「そうすねえ。ありますよ、僕にも。思い入れのある一枚」


 ババさんは笑っていた。片頬だけで。目はまっすぐ私を見ていた。吸い込まれそうに黒い瞳。その奥に、いつものババさんの瞳にはないもの――暗い情欲のようなものが、ゆらゆらと炎みたいに蠢いていた。なんだか値踏みされているみたいな視線で、少し怖くなった。


「ある女性歌手のレコードなんですけどね。すごくいい歌声なんですよ。ほんと、あれには僕のこれまでの音楽観をひっくり返されましたね。葛原さんにも聴かせてあげたいなあ。あ、よかったら、今からうちに来ます? 僕の家、ここからだとちょっと遠いんですけど。なんなら泊まっていってもいいし」

「あ、あの」

 考えるより先に立ち上がっていた。

「ごめんなさい……別に、そういうつもりじゃなかったというか……今日はもう、帰ります」


 ババさんの答えを聞くより先に、私は大急ぎで店の外に出た。店にいる間に小雨が降ったらしく、路面がわずかに濡れ空気が一段と冷えていた。小刻みに吐く自分の息が、一瞬だけ白くなってすべて夜の闇に消えていく。


 キィィン。

 あの耳鳴りがまた聞こえる。いつから聞こえていたのか、実際よくわからない。あのライブから帰ってきてからというもの、ことあるごとに耳鳴りが聞こえてくる。多分、事件の犯人を捕まえるまでやまないんだろう。最近は結構慣れてきて、少しくらいの耳鳴りでは動じないようになったほどだ。


 でも、今はやたら胸騒ぎがしてしょうがなかった。怖かった。それが、異性にはじめて邪な目を向けられた気持ち悪さからきているのか、それとも事件に由来するものなのか、よくわからなかったけれど。

 早く帰りたくて、私は小走りで家の方角へ向かって走った。


 ババさんから連絡が来たのは、その三日後だった。


=====

今日はライブが一件もないので、テラゾーが休みです。僕は二十一時くらいからオーナーの家を見張ります。オーナーが外出したら葛原さんにも連絡するので、黎音堂の仕事が終わり次第、合流してください。

=====


 カフェでの一件には何も触れていない。

 すぐに返信はできなかった。まあ、あれは私も忘れたいし、お互いなかったことにしたほうがいいのかもしれないけど……。本当に、行って大丈夫だろうか。

 でも、これが犯人を捕まえるきっかけになるかもしれない。そう思うと断れない。


 スマホを片手に悩んでいると、バックヤードの扉がガチャリと開いた。

「葛原さん、昼ご飯終わった? そろそろ俺と交代してー」

「あ、すみません! そろそろ戻ろうと思ってたとこで」

 慌ててスマホの画面を閉じると、カフェラテの最後の一口。パンの袋と一緒にビニール袋に入れて、口を閉じたときだ。


「いった!」


 キィイイイイイイイイイイイイイイン

 今までになく強い耳鳴りに襲われ、思わず耳を押さえてうずくまった。瀬崎さんがぎょっとした様子でかけ寄ってくる。


「おい、大丈夫か」

「いた……めちゃくちゃ……痛いです」


 痛すぎて声がかすれる。耳の中に錐をねじ込まれているみたい。頭の中が内側から出血して、耳からどくどく溢れてきたような錯覚。熱い。苦しい。嫌だ。

 激しい痛みに反響するように、ヒュイ、と口笛が聞こえた。気がした。


 そのまま何分くらいそうしていたかわからない。痛みが引いて顔をあげたときには、瀬崎さんが途方にくれた顔つきでおろおろと見下ろしていた。


「すみません。もう……大丈夫です」

「大丈夫そうには見えなかったけどな。何があった?」


 何て答えるべきだろう。瀬崎さんはもう、すっかり怪しんでいる顔で私のことを見ている。


「葛原さん、何か隠してない?」

「へ? いやいや、何言ってるんですか。何も隠すことなんかないですって」


 無理やり笑顔を作ってみたけど、うまく誤魔化せただろうか。

 瀬崎さんの表情を見るかぎり駄目だったようだ。


「あのライブから帰ってきてから、様子がおかしいだろ。ときどき耳を押さえてたのも見てたぞ。今ほどじゃないけどな」


 瀬崎さんには、ババさんとのことは何も話していなかった。巻き込みたくなかったから。これは私が勝手にやっていることだ。殺人犯を捕まえたくて。やまない耳鳴りをとめたくて。

 しかも対象の殺人犯は瀬崎さんの知り合いらしいときてる。そんなこと、言えるわけない。そう思っていたんだ。


「前も言っただろ。上司に嘘はつくな。自分を安売りすんな。笑いたくないときに笑う必要はないって」


 眼鏡ごしにこちらを見る目は真剣だった。怒ってるんじゃない。本気で心配している目だ。

 瀬崎さんがこんな顔をするなんて信じられなかった。私のことなんて、一つも興味ないと思っていたのに。


 何か言わなきゃ。そう思って口を開いたのに、言葉が出てこなかった。口角を上げようとしたのに頬が動いてくれない。かわりに目の奥がじんわり熱くなって、鼻の奥がツンと痛くなって……。


 気づいたら、私は声を上げて泣いていた。

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