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レコードショップ黎音堂の音楽怪異譚  作者: 甘月
第3話 スプーキー・ホラー・ショー
14/39

03 殺人音楽

 クラブ・テラゾーは、西荻窪駅から歩いて十五分ほどの地下一階にあった。

 入口でドリンク代を払い、ステッカーをもらう。会場に入ってすぐ右のバーカウンターで、オレンジジュースと交換した。


 聞いていたとおり、小さなハコだ。ステージは観客席とほとんど高さが変わらず、背の低い手すりで仕切ってあるくらいで、距離がめちゃくちゃ近い。その手すりを先頭にしてパイプ椅子が五十席ほど並んでいたけど、もうほとんど埋まっていた。あとは立ち見席しかないってことか。


 私はぐるりと会場を見渡した。人は多いけど、立ち見ならまだ自由に場所を選べそうだ。見やすさを取るなら後ろのほうがいい。ステージから一番離れた壁際にはテーブルが三つほど並んでいて、出演バンドや会場の関係者らしい人たちが陣取っていた。その真正面に立ちふさがるのも気が引けて、少し離れたところに立つ。

 周りの客は瀬崎さんのようなおじさんばかり。完全にアウェイだけど、私が行くロックのライブなんて大体いつもそんな感じだから、もう慣れたものだ。


「お、葛原さん、早いね」

 振り返ると、プラスチックコップに入ったビールを片手に、瀬崎さんが立っていた。


「お疲れ様です! いま来たばっかですよ。瀬崎さんもですか?」

「おう。せっかくの休みだし、家でだらだらしてたら出遅れちまった。この年で立ち見はつらいなあ」

「いや瀬崎さん、そこまでの年じゃないですよね?」

「人間、三十五を超えると急にあちこちガタがくるんだよ。きみもそのうちわかる」


 悩ましげに頭をふるとビールを飲む。そのまま離れていくかと思ったけど、意外にも瀬崎さんは私の横で足をとめた。


「葛原さん、オレンジジュースなの?結構飲めるほうなんだと思ってたけど」

「あー、音楽聴くときはアルコールの力をあんまり借りたくないんです、私」

「音楽そのもので酔いたいってやつか。そういう考え方もあるわな」


 頷いてもう一口ビールを飲む。心なしか、いつもより機嫌がよさそうに見える。仕事中じゃなく、純粋に好きな音楽を楽しみに来ているからかもしれない。

 つられてオレンジジュースを飲みながら、私はふと、知り合いと一緒にライブ観戦するのは初めてなことに気がついた。

 他の人が相手だったら、もっと緊張していたのかもしれない。でも瀬崎さんなら、あまり気にならなかった。


「おお、瀬崎さん! 来てくれてありがとうございます! 例のチラシの件もどーも。おかげさまで、チケットも完売できまして」


 壁際の関係者席に座っていたおじさんがこちらに近づいてきた。


「あ、ヨシダさん。こちらこそチケットありがとうございました。僕もずっと見たいと思ってたバンドなんで、今日は楽しみですよ」


 ぞろりと長髪を伸ばしたおじさんが、人のよさそうな顔でにこにこと瀬崎さんと話している。瀬崎さんの言っていた、ここのオーナーなんだろう。私も挨拶するべきなのか迷っていると、先に向こうの視線がこちらを捉えた。


「こちらの方は?」

「この前話したうちのバイトですよ。最近入ったばかりなんですけど、こういうロックが好きだって言うんで、せっかくだから連れてきたんです」

「はじめまして、葛原といいます! あの、チケットありがとうございました」


 深々と頭を下げる。オーナーは一瞬驚いたように目を丸くし、すぐに破顔した。


「あーそうだったの! バイトが入ったって聞いたんでチケット二枚あげたんだけど、まさかこんな若い子だったとはねー。いや素晴らしいことだね、うん。若い子たちにも、もっともっと良いロックを聴いて、後世に残していってもらいたいからね。いやほんと、よろしくお願いしますよ」


 オーナーが分厚い手を差し出してくる。その手を握ると、強く握り返された。そのとき。


キィ……ン


 駅に着く前に聴いた、あの耳鳴りがまた聞こえた。


「ああ、そうそう。最近入ったといえば、うちにも最近サウンドエンジニアが一人、入りましてね。おおい、ババくん、ちょっと」


 オーナーがパッと手を離すと、ちょうどステージ横のスタッフルームから出てきた男性に声をかける。ババと呼ばれたその人は、怪訝そうな顔でこちらを見て、すぐに近づいてきた。


「彼、ババくんって言うんだ。すごく優秀なPAでねー。半年くらい前から、うちで働いてもらってるんだ」

「どうも。ババです」


 三人が何か話していたけど、私にはほとんど聞こえなかった。耳鳴りがどんどん強くなっていく。音が高く、大きくなって……ズル、と湿った何かを引きずるような音が混じった。微かに悲鳴のような泣き声が聞こえる……。吐きそうになって、私は口をおさえた。


「大丈夫ですか」ババさんがこちらを見ていた。「体調悪そうに見えますけど」


 私より少し年上くらいの、端正な顔立ちの人だ。色素の薄い顔に大きな表情の変化はないけれど、こちらを見つめる瞳には心配の色が浮かんでいた。

 スゥッと、耳鳴りが消えていくのがわかった。


「ちょっと……人込み酔いしちゃって。もう大丈夫です、すみません」


 無理やり笑顔を作ってみせる。ババさんはなおも不審そうにこちらを見ていたが、やがてくるりとオーナーに向き直った。

「ヨシダさん、さっきトイレに行ったらまた虫が出ましたよ。殺虫剤まいとかないと」

 げえ、とオーナーが渋面を作る。

「虫よけネットもかけてんのになあ。ここ最近ずっとだよな。勘弁してほしいよまったく」

 ぶつくさ言いながらも、「じゃ、そろそろライブの準備があるので」と、オーナーとババさんは連れ立って去って行った。


「葛原さん、大丈夫?」


 二人がいなくなるやいなや、瀬崎さんが小声で聞いてくる。


「ごめん、俺オーナーと話してて全然気づいてなかったけど。ババくんの言ってたのって……まさかアレ関連? ここ何かあるの?」

「私にも……よくわからなくて」


 もう一度ぐるりと周囲を見回す。アルコール片手にライブの始まりを待つおじさんたち。ドラムやギターがセットされ、ライトのあたる小さなステージ。なんてことのないライブハウスの風景だった。


 私は正直に、ここに来る途中の駅でも妙な音が聞こえたことを瀬崎さんに話した。

「今は、何も聞こえないです。だから……多分、大丈夫だとは思うんですけど」


 瀬崎さんが何かを言おうとしたのか、口を開きかけた。そのとき、照明が落ちた。ステージだけが青白く浮かび上がる。パラパラと拍手が上がる。五人の人影が、ゆっくりと舞台袖から出てくる。


「どうも、逢魔ヶ刻ファイブです」


 ライブが、始まった。


 名前から勝手にデスメタル系のバンドかと思っていたけど、逢魔ヶ刻ファイブはサイケ色の強いオルタナティブ・ロック・バンドという感じだった。ヴォーカルの高くよく伸びる声が不気味な歌詞を朗々と歌い上げる。ギターが不穏な音をかき鳴らし、キーボードがはちゃめちゃな音で突っ走る。力強いベースが全体のグルーブを生み出し、明後日な方向に飛び散りそうな他の音をまとめあげている。

 私の好きな音だ。

 いつの間にか、体が音に合わせて小さく動き始めていた。


 一曲目は何事もなく終わった。二曲目も。

 私はほっとしながら拍手を送った。耳鳴りのことは気にはなったけど、このライブとは無関係のものに反応したのかもしれない。そう思い始めていた。


 でも三曲目が始まってしばらく経ったとき、そんなのは自分の都合のいい希望的観測でしかなかったことを思い知った。


 ギターがキーボードと迫力のある掛け合いを始めた瞬間、キィィ……と耳障りな音が響いた。一瞬、音響システムが故障したのかと思ったけど、周りの客は何の反応もしていない。すぐに、またキィ……と音がした。さっきよりも大きな音で。


 間違いない。この音は、私にしか聞こえていない。


 ガ……ピ……キイィィィィィィイイイイィィィ……


 壊れたラジオから流れてくるような、不快な雑音だった。胸がざわざわしてくる。何か……何かよくないものが、この会場にいる気がする。

 バンドのメンバーは誰も気に留めず演奏を続けている。この曲が代表曲のようで、もとからこのバンドのファンの人たちは興奮を抑えきれないようだ。会場にうずまく熱気が目に見えるようだった。


――夕暮れの影が きみを連れ去りにやってくる

――顔のない影が きみをどこかに連れ去っていく


 ヴォーカルの良く通る声が広がっていく。目の端に影のようなものが蠢いた気がして、私は顔を背けた。まっすぐステージだけに集中する。けれどバンドの音楽を聴こうとすればするほど、その周りで聞こえる壊れた音にもどんどん周波数が合っていくみたいだった。


――帰り道 きみは路地を歩く その先に何がいるかも知らずに

 ヒュー……ヒュー……と、息を潜めた呼吸音のような音が聞こえた。ゴッ。硬いものをぶつけ合う音がする。


――黄昏が空を染めあげるころ 影がきみに近づく

 女の悲鳴が聞こえた。グチャッ、と何かを潰す音。また悲鳴。今度は「やめて」と聞こえた気がした。


――夕暮れの影が きみを連れ去りにやってくる

――顔のない影が きみをどこかに連れ去ってしまう

 誰かのすすり泣く声が聞こえる。

「お願い……殺さないで」カチャ、カツン、ガラガラガラ

「こっちに来ないで! やめて!」ウィィィィイン

「なんでもするから! お願い! 助けて! 誰か、誰かあ!」ギリギリ……ガリガリゴリガリ……


 耳を塞ぎたくなるような、おぞましい悲鳴が何回も聞こえて……。ズチャ、ズル、ベチャ。ライブ前にも聞こえた、湿った音が続く。そして……。

 低い口笛。


 全身の毛が一気に逆立った。心臓がどくどくと早鐘を打ち始める。気分が悪くて吐きたくなったけど、そんな余裕すらなかった。

 もしかしなくても……これは、今話題のあの事件の音なんだろうか?

 だとしたらなぜ?どうしてこんなところで?T公園もM公園も、死体が発見された公園はどれもここから遠い場所のはず。事件とこの場所に関係があるとは思えない。

 まさか……犯人が、この会場の中にいるとか?


 ぎゅ、と手を握りしめる。一体誰が……と思わず会場を見回して、すぐ自分の過ちに気づいた。さっき、目の端にうつる影を見ないようにしていたばかりだったのに。

 そう思ったときには、私の視界はその影を捉えていた。

 影だと思ったのは、長い髪だった。女の人の髪だ。前方の席の右端に座っている。

 なんだ髪の毛か、と思って、すぐ何かがおかしいと感じた。


 いまはライブの真っ最中だ。照明はステージにしか当たっておらず、客席は真っ暗。お客はみんな前を向いている。なのにどうして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだろう?


 答えは簡単だった。

 その女は()()()()()()()()()()()()()()()()()


 何が起きているのかすぐに理解できなかった。女の顔はまっすぐこちらに正対している。首が180度回らない限り、椅子に座ったままそんな姿勢をとることはできない。照明が当たっているわけでもないのに、顔が白っぽく浮き上がっている。のっぺりとした生気のない顔にはなんの感情も浮かんでいなかった。ただ淡々と、私の方を見据えているだけだ。


 すぐにでも瀬崎さんに知らせてここを出たかった。なのに体が動かなかった。女はたしかに私に視線を向けている。でも、見ているのは私じゃない、という気がしたから。私の頭より少し上にある何かを見ているようだ。

 だから今はむしろ、この女に「私が気づいている」ことを気づかれるほうがヤバい。


 いつの間にか逢魔ヶ刻ファイブの演奏はラストの曲に入っていた。これが終われば次のバンドとの間に休憩が入る。そこで帰ろう。それまで気づかれないようにすればいいだけだ。

 

 ライブの演奏にまじる“音”はますますひどくなっていく。もはやバンドの演奏なんてほとんど聞こえなかった。


 ギャアアアアアアアアアアア


 ゴリゴリゴリゴリ、ガキッ


 ア゛アアアアアアアアアアアア


 ボリ、バキン、ズチャ、ズチャ、ズル


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い


 ギリギリギリギリギリギリギリ……


 何の音かなんて想像もしたくない。耳を塞ぐのを堪えるのに必死だった。どうして。ロックを聴いてる間だけは、こんな音聞かなくてすむって思ってたのに。

 怖くて苦しくて、たまらず目を瞑った。この音がはやく終わりますように。そして、あの女がどうか最後まで私に気づきませんように。

 今までにないほど必死に祈った。鼻の奥がツンとして、恐怖と悔しさと、よくわからない感情で涙が出てきた。


 そのとき、バンドの演奏が終わった。


「逢魔ヶ刻ファイブでしたー! 皆さん、どうもありがとうございましたー!」


 音楽が終わるのとともに、聞こえていた“音”が薄まっていく。おそるおそる目を開けた。照明はまだ明るくなっていないが、少なくともさっきの場所に女の顔はない。私は幾分ほっとして、瀬崎さんに声をかけようと横を向いた。


 そこに、女の顔があった。血の気の失せた白い顔に、ぽっかりと開いた眼窩。そこから黒い血がたらたらと流れ落ちている。


「オマエ、聞こえてるんだろ? なんで助けてくれない?」


 私は悲鳴を上げると、そのまま意識を失った。


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