01 クラブ・テラゾー
「紗瑛ちゃん、瀬崎くんとこのバイトはすっかり慣れたみたいね」
空気が透き通り始めた、肌寒い秋の夜。私は「よしの」で仕事終わりの夕食を食べていた。
「はい! 好きな音楽の仕事ができて毎日めちゃくちゃ楽しいです!女将さんが推薦してくれたおかげですよー」
「そりゃあよかったわ。でも瀬崎くん、気難しいとこあるでしょ。なんか嫌なことあったらすぐに言いなさいね。叱っといてやるから!」
「いやいや全然! 心配ご無用ですよ! すごくよくしてもらってますから!」
「あら」
女将さんは少し意外そうに眉を上げたけど、すぐに嬉しそうに口元を綻ばせ、おかわりのレモンチューハイを渡してくれた。
女将さん自慢のピリ辛水餃子を一口。溢れる肉汁の旨味を口中で堪能したあと、さっぱりとしたチューハイで脂を洗い流す。最高。これが「よしの」での私の定番セットだ。
この店に通い始めたのは一年半くらい前なのに、瀬崎さんに会ったのがつい数ヶ月前だなんて、なんだか不思議な感じだ。まさかそれがきっかけで、次のバイト先が決まるなんて思いもしなかったけど。引き合わせてくれた女将さんには、本当に感謝してもしきれない。
今まで、私はどんなバイトも長続きしなかった。一番もったもので5か月。当時住んでいたところの近くの、中華料理屋で働いたときだ。まかないも美味しくてわりといい職場だったんだけど、常連のおっさんのセクハラがひどくて辞めた。他のバイト先も、だいたい人間関係で苦しくなってすぐに辞めている。自分でも、堪え性がなくてほんとにだめな人間だなーとは思う。
それでも、今の黎音堂の仕事だけは。ちゃんと続けたい。
隅っこの壁に取り付けられたテレビが、夜のニュースを告げている。音は控えめだったけど、お客が少ないので男性アナウンサーのハキハキとした声がよく聞こえた。
「東京都杉並区のM公園で、ゴミ袋の中から切断された人体の一部が見つかった件についてです。警察は、先に起きた二件の事件との関連性を見て――」
「あらやだ」女将さんが顔を顰めると、リモコンを手に取ってチャンネルを変えた。
「食事してるときに見るようなニュースじゃないわ。それにしても、怖いわよねえ。前に起きた二件も、全部杉並区でしょ?そんなに遠い場所じゃないし、私も気が気じゃなくってさ」
「切断された人の遺体が、あちこちの公園で見つかってるって事件ですよね」
「そう。今日のお昼にもやってたけど、一件目も二件目も被害者は女性らしいわ。しかも違う人なんですって。だから三件目も……」
「連続殺人ってことですか?ニュースあんまり見ないんで、詳しく知らなくて」
「まあ!SNS以外でもちゃんとニュースを見なさいな。今どの局もこの事件で持ちきりなんだから。二週間前にW公園でバラバラ死体の入ったゴミ袋が見つかって、その次がT公園だったからしら?で、二日前にM公園よ」
「しかも見つかった死体って、ちゃんと調べてみたらどれも一つずつ部位が欠けてたって話でしょ?」
カウンターの離れた席に座っていたお客も話に入ってくる。
「らしいわねえ。怖いからあたしはあんまり覚えてないけど」
「ええと……W公園の死体が右腕、T公園が左脚、M公園が胴体だって」
スマホで調べていたらしいお客が顔を上げる。
「気味悪い事件だよねえ。欠けてる部分はまだ見つかってないって言うし」
「ほんとよ。犯人が早く捕まるといいんだけどねえ。ああやだやだ、日本はいつからこんな物騒な世の中になったのかしら」
女将さんはブルっと肩を震わせると、心配そうな視線を私に向けた。
「まだそんなに遅い時間じゃないけど、帰るときは気をつけるのよ、紗瑛ちゃん。こういう変態は、あなたみたいな若くて可愛い子を狙うんだから」
「いやいや女将さん、私なんてそんなーー」
「だめよ! こういう事件じゃ、自分に限ってありえないなんて考えちゃだめなの。なるべく人通りの多いところ通って帰りなさい。誰かに話しかけられても、止まっちゃだめ。無視するの。あなたいい子だから難しいかもしれないけどーー」
もう一人のお客さんも、「そうだ気をつけなくちゃいかんよ」と女将さんに同調する。
大人しく頷きながら、私はカウンターテーブルの上に目を落とした。
女将さんが考えてるほど私はいい子じゃないですよ、と思いながら。
店を出た私は、程よく冷たい夜気のなか、ワイヤレスのイヤホンを耳に付けた。すぐにスマホを操作する。ボストンの「幻想飛行」。楽しくお酒を飲んだあとに一人で帰るときって、どこか切ない曲を聞きたくなる。こんな肌寒い秋の夜は、とくに。
広大な宇宙の彼方に想いを馳せるような、幻想的なギターの音色。
私は歩き出した。
どこまでも伸びるハイトーンのヴォーカル。緻密に計算されたギターのハーモニー。このまま空を飛んで宇宙にも連れて行ってもらえそうな、ただただ美しいメロディ。
やっぱりロックっていいな。
歩きながら夜空を見上げる。街灯でいっぱいの商店街じゃ星なんて見えないけど、気分はよかった。
ロックを聴いてる間は、「嫌な音」を聞かなくてすむから。
「辞めたくないなあ」
自然と口から漏れていた。
黎音堂での仕事は楽しい。だってロックは私の生きがいだから。聞きたくもない音ばかり聞こえてきた私が、唯一心から聴きたいと思ったもの。そんな大切なものを守るための仕事だ。だから簡単に辞めるわけにはいかない。
たとえ、どんなに怖い目にあったとしても。
曲のリズムに合わせて振っていた手を、ぐっと握りしめる。アルコールで少し火照った頬に、冷たい夜気が心地よかった。
「よし、明日も頑張ろ」
脳裏に、無精髭を生やした無愛想な店主の顔が浮かぶ。
黎音堂での仕事を続けたいと思う理由は、もう一つあった。
***
「おーい、葛原さん」
瀬崎さんの呼ぶ声が聞こえ、私はバックルームの扉を開けた。見慣れた仏頂面が、手に持ったバインダーを掲げて見せる。
「悪いんだけど、ちょっとの間、店番しててくれる? 俺、回覧板まわしてこないといけないから」
「回覧板なんて、まだあるんですね」
母さんから聞いたことはあるけど、実物を見るのは初めてだ。瀬崎さんは面倒くさ
そうに肩をすくめた。
「この辺は自治会が強いからな。十分くらいで戻るから。よろしく」
必要なことだけ言うと、さっさと店を出て行く。瀬崎さんはいつもドライだ。私から雑談を振ればなんだかんだと応じてはくれるけど、向こうから仕事以外で話しかけてくることはまずない。私のプライベートに興味なんてないんだと思う。
それが心地よかった。
昔から私は人付き合いが苦手だ。というより、人と仲良くなるのが苦手だ。どんなに仲良くなっても、みんな最後には私を気味悪がって離れていくから。仲良くなってから失望されるのは、最初から関わりを持たないよりもずっとつらい。
レコードショップ特有の古紙の匂いを大きく吸い込み、息を吐く。いい匂いだとは思わないけど、何年もショップに通い続けた身には落ち着く匂いだ。
そのまま私はレジの裏の、自分用の席に腰を下ろした。
瀬崎さんは、私の能力を気味悪がらなかった初めての人だ。それどころか、その能力を積極的に活用してくれさえする。
「この店に妙なレコードが持ち込まれたとき、その危険性を君に判断してほしい」
バイトとして雇われた初日にそう言われたのは、とても驚いたけど同じくらい嬉しかった。求められてないと思うので本人に伝えたことはないけれど。
私が言うことじゃないけど、変わった人だなと思う。女将さんは「気難しい」と言ってたけど、多分ちょっと違う。正確には、とても合理的な人だ。必要と判断すればどんな力でも借りるし、分け隔てなく接してくれる。一方で、必要のない馴れ合いはしない。そういう割り切ったところが、他の人からは冷たく見えたり気難しく見えたりするのかもしれない。
そんな人だから私もある意味、気楽に付き合えている。もちろん、頑固で融通が利かなくてイライラするときもあるし、レジのカウンターの上はいつも散らかってて汚いし、自分の好きなバンドの話になると突然早口になって知識マウントを取ってくるところは鬱陶しいな、と思ったりもするけれど。
それでも、あの人の店に対する愛情は本物だ。
それだけじゃない。
黎音堂は、私にとっても思い出の場所だ。生まれて初めてレコードを買った店。それも、人生で一番好きなアルバムの。
そんな店の主が、店を守るために私の能力を必要としている。
このバイトを続けたいと思う理由には、それだけで十分すぎるくらいだった。
***
「え、な、なんですか、これ……」
回覧板を回すだけにしては、やけに長い時間外に出ていた瀬崎さんが帰ってきたあと。渡されたものを見た私は、絶句して手の中のものと瀬崎さんの顔を交互に見比べた。
「何って、ライヴ・チケットだけど。そんな驚くようなことか?」
「いやそれはわかりますけど! どういう意味ですかこれ?」
「見りゃわかるだろ。十一月三日。夜七時。西荻窪のクラブ・テラゾー。出演は逢魔ヶ刻ファイブと、太陽の靴下」
「太陽の……なんて? いやそうじゃなくて! 瀬崎さんと一緒に行くってことですか?」
「別に、どうせ現地で会うんだから一緒に行く必要はないだろ。さっき商店街でテラゾーのオーナーに会って、もらったんだよ。ちょうどうちに来ようとしてたみたいでな。チケット渡す代わりに、チラシをうちの店に置いて宣伝してくれないかって」
「ああ……なるほど」
なんだ、そういうことか。ほっとして息をつく。瀬崎さんはそんな私を怪訝そうに見たあと、手に持ったチケットに目を落とした。
「逢魔ヶ刻ファイブは見たことあるんだが、太陽の靴下はまだないんだ。若手なんだが結構いいバンドらしいから、この機会に行ってみようかと思って。聞いた限りでは、多分葛原さんも好きなバンドだと思うよ。アヴァンギャルド系のロックバンドで、ギターの演奏がめちゃくちゃ巧いらしい」
「へえー! それは面白そうですね」
瀬崎さんに何の下心もないとわかって安心した私は、改めてチケットの情報を見直した。考えてみれば当然のことだ。この人は音楽にしか興味がないんだから。私と同じように。
「クラブ・テラゾーって、名前は聞いたことあるけど行くのは初めてです」
「小さなハコだけど音響は悪くないぞ。何年も前からある老舗ライブハウスの一つで、とくにオルタナ系のロックファンには有名なところだ。駅から若干遠いのと、入り口がわかりにくいのが難点だが……」
スマホに名前を打ち込むと、すぐに情報が出てきた。瀬崎さんのいう通り、五十席くらいの小さなライブハウスだ。検索エンジンの口コミ評価は高く、五点満点中、平均で四点を出している。どれも「良いライブを観れた」「音響が良かった」と絶賛する声ばかりだ。そんな中、最新の口コミにだけ、何件か低評価をつけているコメントがあった。
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★☆☆☆☆
トイレが汚い。でっかい虫が出てきて、死ぬかと思うほどびっくりした。
人が使うところはちゃんと掃除してほしい。
★☆☆☆☆
虫が多い
★☆☆☆☆
皆さん音響を褒めてますけど、最悪でした。
ライブ中に変なノイズが入って全然集中できなかったです。
PAは何をやってるんですか?
好きなバンドが出てたのに、人生で最悪のライブになりました。星一つも付けたくありません。
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どんないい場所でも、逆張りなのかこういうコメントを残す人は一定数いるものだ。低評価が最新のコメントにばかり集中しているのは若干気になったけど、瀬崎さんが「音響がいい」というならそれは間違いないだろう。
でも、念のためトイレだけは使わないようにしようかな。虫は私も苦手だから。
スマホのスケジュールを立ち上げ、私は十一月三日の欄に「ライブ@クラブ・テラゾー」と打ち込んだ。




