第2話【消えた魔法学者】
王都北区にそびえ立つ、王立魔法研究所。
王国随一の頭脳が集うその象牙の塔から、警察本部に緊急通報が入った。
「魔法研究所で殺人事件です!」
夜の闇を切り裂き、王都特別捜査隊のゼインとバルトが現場へ急行した。
最上階の研究室前。そこでは青ざめた所長と、数人の研究員たちが震えていた。
「中に誰が?」
ゼインが低い声で尋ねる。
「魔法学者のアルベルト博士です。ただ……扉が内側から施錠されていて……」
ゼインはノブを回す。びくともしない。
バルトが窓を確認する。「窓も鍵がかかってる。ガラスに傷ひとつねえ」
「おまけに、部屋の周囲には最高強度の防犯結界が張られています」と所長。
「完全な密室、ってわけだ」
ゼインは短く吐き捨てると、警備用の合鍵で強引に扉を開けさせた。
部屋の中央。
巨大なデスクの脇に、アルベルト博士がうつ伏せに倒れていた。
床に散らばった黒いローブ。
机から転げ落ちた赤いインク瓶。
そして、壁には赤黒い文字が乱れ書きされていた。
『私は殺される』
バルトが顔をしかめる。「……血文字か。趣味が悪い」
ゼインは壁を見つめ、静かに目を細めた。
容疑者は三人。
博士と研究方針で口論していた助手のエリナ。
博士とライバル関係にある研究仲間のグレゴール。
そして、夜間見回りをしていた管理人。
全員に動機があり、全員に決定的なアリバイがない。
だが、ゼインの眼は別のものを捉えていた。
「バルト。これを見ろ」
部屋の隅に転がった古い置き時計。
針は『午後十一時十七分』で止まっている。
「犯行時刻か?」バルトが覗き込む。
「いや」ゼインは裏蓋を開けた。「壊れている。ゼンマイが熱で溶け落ちているんだ」
そこへ魔法鑑識官が到着した。
「ゼイン警部。結界や転移魔法の痕跡はゼロです。ただ一つ……壁の文字にだけ、微弱な『発熱魔法』の痕跡が」
「発熱魔法だと?」
「ええ。何らかの液体を壁に焼き付けたようです」
ゼインは壁の『血文字』、倒れた赤いインク瓶、そして溶けた時計を順番に見やり……小さく息を吐いた。
「謎は解けた」
バルトが目を丸くする。「マジかよ。早すぎないか?」
ゼインは答えず、うつ伏せの博士の首筋に指を当てた。
「……微かに脈がある。バルト、医者を呼べ。死体ごっこは終わりだ」
数分後。
簡易蘇生魔法を受けたアルベルト博士が、ゴホゴホとむせながら目を覚ました。
「ここは……私は一体……」
「自分の研究室ですよ、博士」ゼインが冷ややかに見下ろす。「そしてあなたは、殺されていません」
「なっ……何をバカな! 私は黒ずくめの男に襲撃され……!」
「無理に喋らなくていい。舌を噛みますよ」
ゼインは机の上に残された研究ノートを手に取った。
「特定のページが破り取られている。……『若返りの魔法』の項目ですね」
博士の肩がピクリと跳ねた。
「規則で持ち出しを禁じられた研究データを盗むため、あなたは自分が殺されたように偽装した。
自ら『仮死魔法』をかけ、密室を作り出し、混乱に乗じてデータを持ち去る計画だった」
「ば、馬鹿な! なら壁の血文字はどう説明する!」
「あれは血じゃない。机の『赤いインク』だ」
バルトが呆れたようにインク瓶を指差す。
ゼインは続ける。
「インクを壁に定着させるため、あなたは発熱魔法を使った。だが、焦っていたせいか熱量が強すぎた。結果として、すぐそばにあった時計のゼンマイまで溶かしてしまった」
「……!」
「つまり、あの時計が示している十一時十七分は、死亡時刻ではない。あなたが自作自演の偽装工作を行っていた時刻そのものだ」
沈黙が落ちた。
助手も、所長も、バルトでさえも、ポカンと口を開けている。
「でもよ、ゼイン」バルトが頭を掻く。「仮死魔法を使ったにしても、なんでこいつ、本当に気絶して倒れてたんだ?」
ゼインは哀れむような目で博士を見た。
「仮死魔法の呪文詠唱中に息を止めすぎて、ただの酸欠で気絶したんでしょう」
博士は両手で顔を覆った。
「……その通りです……」
「だっせぇ!!」バルトが盛大に吹き出した。
ゼインは容赦なくトドメを刺す。
「そもそも、自作自演なら『私は殺された』と過去形にするべきだ。『私は殺される』では、未来の犯行予告になってしまう」
「……そこまで頭が回りませんでした……」
消え入りそうな声で白状する天才魔法学者。
シリアスな本格ミステリーの舞台は、一瞬にして三流喜劇へと成り下がった。
事件は終わり、博士は研究所の規定違反で連行されていった。
夜の王都。冷たい風が二人のコートを揺らす。
「なあ、ゼイン」
「何だ」
バルトが、証拠品の研究ノートをペラペラとめくる。
「この『若返りの魔法』……成功率三パーセントって書いてあるぞ」
ゼインは足を止めた。
「たった三パーセントのために、あんな大掛かりな密室トリックを仕掛けたのか」
「学者の執念ってやつは、本格的なのか間抜けなのか分からねえな」
二人は顔を見合わせ、夜道に低い笑い声を響かせた。
翌日、魔法研究所の掲示板には新たな通達が貼り出された。
『自作自演による殺人偽装を禁ず』
その下には、さらに小さな文字でこう書き足されている。
『仮死魔法を使用する際は、酸欠に十分注意すること』
幻想の世界では、今日も平和で奇妙な事件が起きている。




