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婚約者を庇って死んだ私が、二度目の人生で恋をした相手は執事でした  作者: 黒猫と珈琲


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11/14

番外編 あなたは俺をどうしたいのですか①

 その日、アルベルトは朝からどこか落ち着かなかった。


 屋敷の玄関には一台の馬車。荷物はすでに積み込まれている。最後にもう一度確認してから、小さく息を吐いた。


「……よし」


 珍しく独り言が漏れる。執事として働いていた頃なら考えられないことだった。


「アルベルト?」


 振り返ると、イルザが不思議そうな顔で立っていた。


 淡いクリーム色の外套に身を包み、首元には白い毛糸のマフラーを巻いている。頬は少し赤く、冬の朝の冷たい空気に肩をすくめていた。


「準備できた?」

「はい」

 アルベルトは微笑む。

「行きましょうか」

「本当に教えてくれないの?」

「着いてからのお楽しみです」


 イルザは頬を膨らませた。


「ずるい」

「ごめんなさい」

「そうやって謝れば許されると思ってるでしょう?」

「……ばれてしまいましたか」

「もう」


 笑いながら、イルザはアルベルトの腕へ自分の腕を絡めた。


「今日は逃がさないんだから」


 その一言だけで、アルベルトの鼓動が少し速くなる。


 結婚して数か月。それでも、こうして自然に触れられることにはまだ慣れない。


「アルベルト、寒い?」

 イルザが覗き込む。

「いえ」

「耳、なんだか赤いけど?」

「……寒さのせいでしょう」

「ふふっ」


 楽しそうに笑う。その笑顔を見るだけで、今日この旅を計画してよかったと思えた。



 馬車はゆっくりと王都を離れていく。


 街並みが少しずつ遠ざかり、代わりに白い景色が広がっていった。昨日から降り続いた雪が、森も丘も静かに染め上げている。


「わぁ、きれい……」


 イルザは窓へ身を寄せ、子どものように目を輝かせた。


「アルベルト、見て! 雪がこんなに積もってる! 一面が真っ白!」


 窓ガラスへ手を添え、次々と流れていく景色を眺める。


「ふふ、旅の本で見た景色みたい」


 その言葉に、アルベルトは小さく笑った。


「ねえ、覚えてる?」

 イルザが振り返る。

「昔、雪の国の本を見ながら話したこと」

「もちろん覚えています」

「とっても昔のことなのに、よく覚えてるわね」

「イルザのことなら、忘れませんから」


 照れもなく答えられたのは、嘘ではないからだ。


 イルザは少し照れたように笑った。


「私ね」


 窓の外を見つめながら呟く。


「子どもの頃、本当に行けると思ってたの」

「はい」

「世界には、まだ見たことのない景色がたくさんあるんだって」


 少し笑う。


「だからいつか全部見に行こうって」


 アルベルトは静かにその横顔を見つめた。


 あの日、雪の中で自分を助けてくれた少女。


 旅の話をする時だけは、いつも瞳が輝いていた。


 婚約していた頃、その旅の本は閉じられ、笑顔も少しずつ消えていった。


 だから、この旅だけはどうしても贈りたかった。



 昼を過ぎる頃、馬車は深い森へ入った。


 木々には雪が積もり、枝先まで真っ白になっている。


 静かだった。聞こえるのは馬車の音だけ。


「ねえ」


 イルザが窓の外を指差した。


「鹿!」


 森の奥を、小さな鹿が駆け抜けていく。


「かわいい……」


 目を細めるイルザを見て、アルベルトは思わず笑みを漏らした。


「アルベルト」

「はい」

「笑ったわね」

「え?」

「今、笑ったでしょう?」

「……そうかもしれません」

「最近、笑うことが増えたね」


 アルベルトは少し驚いた。自分では気付いていなかった。


「そうでしょうか」

「うん」


 イルザは嬉しそうに頷く。


「アルベルトの笑顔、好きよ」


 さらりと言う。何の迷いもなく、何の照れもなく。


 だから困る。


 アルベルトは視線を窓の外へ逃がした。


 鼓動が速い。


 本当に。


 この人は。


 どれだけ無自覚なのだろう。



「着きました」


 馬車がゆっくり止まる。


 扉が開いた瞬間、イルザは息を呑んだ。


「……わあ」


 白銀の森。


 降り続く雪。


 その奥に、暖かな灯りが漏れる小さな宿が建っていた。


 まるで絵本の中の景色だった。


 暖炉の火が窓から優しく揺れている。


 静かで。


 温かくて。


 雪だけが音もなく降り積もっていた。


「素敵……」


 イルザはその場から動けなかった。


 アルベルトは静かに微笑む。


「気に入っていただけましたか」

「すごく」


 イルザは目を潤ませながら頷いた。


「こんな場所、本当にあるのね」

「覚えていますか?」


 アルベルトは宿を見つめながら穏やかに笑う。


「旅の本を抱えて、『いつか行ってみたい』と話してくれたこと」


 イルザは目を見開いた。


「十年以上も前のことよ?」

「はい」


 少し照れたように笑う。


「ずっと忘れられませんでした」


 イルザは何も言えなかった。


 そんな昔のことを。自分が何気なく口にした夢を、ずっと大切に覚えていてくれた。


 胸がいっぱいになる。


「アルベルト……」


 小さく名前を呼ぶ。


 するとアルベルトは照れ隠しのように咳払いをした。


「中へ入りましょう」

「……うん」


 イルザは笑った。


 あの日、旅の本を抱えて夢を語っていた少女のように。


 心から嬉しそうな笑顔で。


 その笑顔を見て、アルベルトは胸の奥でそっと呟く。


(連れて来られて、本当によかった)


 宿の扉が静かに開く。


 暖炉の温かな火と木の香りが二人を迎えた。


 そしてアルベルトは、まだ知らない。


 この旅が、自分の理性を試される旅になることを。


 イルザもまた、知らなかった。


 この雪の日が。


 二人にとって、一生忘れられない思い出になることを。




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