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5.「真実の愛だと分かるのが分かるまで、一緒に」

 クリストフとの婚約が滞りなく解消され、定期的に行われていたティータイムがなくなった。

 そしてその時間は、皇宮でのお妃教育の時間へと変わった。


 シリル殿下の帰国を祝う宴で、正式に二人の婚約が発表されたためだ。

 公爵家と婚約を解消したばかりで次の婚約はまだ早いのではないか、というトゥルナン侯爵の言葉に、シリルは同意しつつも、彼女を誰にも譲りたくないから、と直球を投げてきたのだ。

 祝宴の日、シモーヌはシリルに贈られたドレスを身にまとって参加した。

 それが皇太子であるシリルの象徴ともいえる濃紺色のドレスだったこともあり、「シモーヌが殿下に求められて婚約をした」と周りに印象付けられたのだ。


 週に数回は皇宮に向かい、授業が終わればそのあとはシリル殿下と二人の時間を過ごすことになっている。

 そんな日々がもう三か月になろうとしている。

 クリストフとのティータイムはせいぜい月に一回程度だったので、すでにクリストフとの数年分を、シリルとは会っている計算になる。

 そして週に一度は、シリルはシモーヌへ贈り物を渡していた。

 クリストフは誕生日に花やカードをくれたことはあったが、そのほかに何かをプレゼントされたことはなかったため、シモーヌは最初、ひどく動揺した。

 レザーのブックカバーから始まり、次は名入りのしおり、チャームのついたしおりやアロマキャンドルも贈られた。

 どれも読書好きのシモーヌにはぴったりのプレゼントだ。

 お礼はいらないとシリルは笑うが、そうもいかない。

 お返しをしなければと思うものの、しかし皇族のシリルに下手な物は贈れない。しかも毎回負担にならない程度の小さなプレゼントなので、シモーヌとしても大げさな物は渡せない。

 ということでシモーヌは毎回消えものを選んでいた。

 クッキーや紅茶は読書のおともに最適だと思うし、立場上、街にはあまり出かけられないというシリルのために侯爵家で焼いたケーキを持参することもあった。


「シモーヌが焼いたのかい?」


 目の前のザッハトルテに優しい笑みを浮かべながら、シリルは頬杖をついてシモーヌを見つめる。

 皇族専用のエリアに設えられた庭のガゼボで、シリルの背後には花が咲いている。


「我が家のシェフは優秀ですので、わたくしはオーブンの前で焼き具合を見ていただけですわ」

「厨房には入ったんだね」

「……はっ」


 くすっと笑うシリルに、シモーヌは頬を染めた。

 本当はシェフに指導を受けながら一人で焼いてみたのだが、どうやらバレている。彼相手に隠し事はできないらしい。


「出来上がりがいびつだったのかしら。それともどこかに焦げでも……?」


 ぶつぶつと言いながら、次回のためにと問題と改善点を探るべくケーキを凝視する。

 ハーフアップにした髪が風に揺れて頬に当たる。それを指先で抑えながらあちこちから自作のザッハトルテを睨みつけている。

 お妃教育の日、つまり殿下と会う日はお下げ髪を禁止されている。最近の母は普段でも眼鏡とお下げ髪を許してくれないことがある。

 実用的だし、邪魔にならなくていいのだけれど。

 シモーヌのそんな言葉は当然聞き入れてもらえない。


「そうだ、シモーヌ」


 シリルは言いながらリボンがかけられた小さな箱を差し出した。手のひらほどのそれを、シモーヌはケーキと同じようにまじまじと見つめる。


「殿下……」

「シリル」


 笑顔だが圧のある顔で訂正を要求される。ここのところはずっとこうだ。

 シリルはシモーヌに名前を呼ばせたがっている。


「シリル、様」


 様はいらないんだけど。小声だが、シモーヌに聞き取れる音量は計算されている。


「結婚したら、そうお呼びしますわ」


 シモーヌの返答も、こなれてきたものだ。

 最初はどぎまぎとさせられていたが、シリルはこちらの反応を見て楽しんでいる節があると理解してからは、毎回と言っていいほど「結婚したら」と返すようにした。

 シリルを、ひいては皇族を怒らせるようなことはしてはいけない。そう理解しているが、もしこの程度のことで怒るようなら不敬でも結婚自体を考え直したい。

 顔色をうかがって機嫌を取り続けるような真似を、一生はできない。シモーヌはそういった自分の性格をきちんと把握できていた。

 それにこれまでのシリルとの顔合わせで見てきた限り、彼はこのやり取りすら楽しんでいるようだ。


「開けても?」

「もちろん」


 包みをそっと剥がして箱を開けると、そこにあったのはきれいな指輪だった。だがその青い石は、明らかに希少な石だ。


「これは……サファイア……ではありませんよね」

「よくわかったね。さすがはシモーヌだ。石言葉に過去との決別、というのがあるらしくてね。きみの瞳の色によく似ていると思って」


 にこやかにそう言いつつ、この石が何なのかは教えてくれない。だけどいつものプレゼントとは桁が違う。宝石に明るくないシモーヌに分かるのはそれだけだ。


「シリル様、ひとつお伺いしてもよろしいですか」

「何だい?」

「わたくし、運命や真実の愛というものを信じていますし、そんなお話が大好きです」

「そうだね」


 そう答えるシリルの視線はやわらかい。


「そういった物語の中で、男性が宝石を贈るのは運命の相手だったり、愛している相手だったりします」

「確かに、そういう展開はよく見るね」

「まさかシリル殿下はわたくしにそのような感情をお持ちだということはありませんわよね?」


 自意識過剰と思われてもいい。シモーヌはそんな心境でシリルに向き合っていた。


「……なぜそう思うのか聞いても?」


 少しだけ目を見開いてシモーヌの言葉を聞いていたシリルが、また優し気に目を細めて続きを促す。


「わたくしが誰かの目や感情を引き付けるような存在ではないから、ですわ」

「……シモーヌ、それ本気で言っているのかい?」

「もちろんです。わたくしは凡庸な存在で、正直にお話ししますと殿下とこうしてお会いするのすら、恐れ多いことと思っております」


 シモーヌの言葉に、シリルが軽いため息をつきつつ片手で目を覆った。

 そして。


「きみが凡庸な存在だとしたら、ほかの令嬢は道端の石ころにすらなれないよ」


 美しい笑みを浮かべながら、シリルがそう言った。

 シモーヌは己の耳がおかしくなったかと目を瞬かせた。


「私がそういった感情をきみに持つのが嫌だとか、迷惑というわけではないんだよね?」

「迷惑だなんてそんなことはもちろんありませんわ」

「きみの言葉を借りるなら、私は運命を感じた、と言っても過言ではないよ」


 シリルは組んだ手に顎を乗せ、シモーヌを見つめる。


「数ある街の書店の中で、あの時間にあの場所で同じ作者の本を取ろうとした」

「……ええ、そうでしたわね」

「あの日、私はお忍びで帰国したばかりで、護衛以外は誰も私がそこにいるとは知るはずもないのに」

「そうだったのですね」

「そのあとカフェに移動して、いろんな話をした。途切れることなく夕暮れまでね」

「ええ」

「読んでいる本の種類はさすがにまったく同じとは言えないけど、趣味が重なる部分も多いし、きみの話は面白い。小説の解釈や考察も、似ている部分は当然だけど新しい視点や視座が見えてくるし発見もある」

「それはわたくしも感じています。シリル殿下とのお話はとても楽しくて時間を忘れて夢中になってしまいますし、シリル殿下ならどうお考えになるのだろうって思うと」

「シリル、ね」

「あ、はい」


 こんなときまで呼び方を訂正され、シモーヌは少し肩の力が抜けてしまった。


「本の話だけではなく、教育や福祉、政治についての話も同じだ」


 そう言ったシリルの目は真剣だ。


「きみとは目指す方向が似ていると思ったんだよ。だからいいパートナーになれる、ともね」

「そう言っていただけて光栄ですわ」

「本当は婚約発表の場で着けてもらいたかったんだけど、間に合わなくて申し訳ない」


 シリルがおもむろに指輪を手に取り、反対の手でシモーヌの手をすくい上げる。


「あ、膝をついたほうがいいかな」

「おっ、おやめくださいそんな」


 制止もむなしく、シリルはシモーヌの前にひざまずいた。

 物語で幾度となく読んだ、プロポーズのシーンさながらである。


「シモーヌ。私はきみに惹かれているし、会って話をするたびに感情を揺さぶられている。楽しそうに話す姿は美しく、可愛いとも思っている」


 シモーヌの指にそっと嵌められた青い宝石が、きらりと輝く。小さいながら存在感のあるそれが、肌になじんでいるのが不思議だった。


「シリル様」

「熱烈に愛している、とまではまだ確証が持てないのは許してほしいけど、それはきみも同じだろう? だから、一緒に気持ちを育てていかないか」

「一緒に……?」

「真実の愛だと分かるのがたとえば五十年後だとしたら、それまで、一緒に」

「……素敵」


 シモーヌはシリルの手を握ったまま立ち上がり、彼と向かい合う。少し見上げるシリルの顔には、ほんのりと朱が差している。


「どちらが先に気づくか、競争ということですわね」

「それなら圧倒的に私が有利だろうね」

「まあ、いじわるな人」


 シリルの笑顔につられ、シモーヌも笑った。

 クリストフとはこんな風に打ち解けた空気になったことがなかった。幼なじみ特有の気安さはあれど、心から笑いあったことなど、おそらくは一度も。

 彼にとって自分が「運命」でなかったように、シモーヌにとってもクリストフは「運命」ではなかった。改めてそう認識すると、目の前のシリルが発光して見える。

 正確にはシリルの纏う空気や雰囲気が、輝いている。


「殿下」

「シリル」

「シリル様。正直に申し上げると、皇太子妃という立場について少し気負っていたのです」

「そう見せないのはさすがだね」

「ですが、シリル様のおかげで希望が持てましたし、シリル様と歩む人生がとても楽しみになりましたわ」


 シモーヌはシリルの手を握りながらそう告げた。


 青い瞳とアウイナイトの指輪が太陽の光を受けて、二人の未来を照らすようにキラキラと輝いている。


婚約発表があった祝宴の日、クリストフとココは姿を見せなかった。

サルー侯爵夫人の計画は完璧だったようで、ココの態度は一向に改善が見られず、成長もしない。そのため、これ以上は手の施しようがないという結論が出た。サルー侯爵夫人はこれに責任を感じるために淑女教育からは引退すると宣言し、そのこともココを公爵家に入れてはならないという後押しとなった。

クリストフはココへの真実の愛の証として公爵家を離れようとしたが、ココがそれを断固拒絶し、しかもその理由が貧乏なままなのが嫌だから、というもので、最終的に二人は破局したという。

シモーヌはそれを知ったとき、ひどく落ち込んだ。真実の愛が結実しないなんてことがあるのかと。嬉しそうにココのことを話していたクリストフを思えば同情してしまうが、両親には会いに行くことは止められた。

残念だが「運命」でも「真実の愛」でもなかったというだけのこと。

そう諭されれば元婚約者のシモーヌにできることは何もなかった。


伯母であるサルー侯爵夫人からはその後、より頻繁に二人だけの茶会に誘われるようになった。

淑女教育を引退した伯母が時間を持て余し、姪バカを炸裂させているだけというのをシモーヌは当然のことながら知る由もない。


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