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4.「真実の愛だからこそなせる業ですわ」

 アデル・ド・サルー侯爵夫人のサロンには、若い令嬢もいれば侯爵夫人と同年代のマダムたちもいる。

 今日は詩の朗読会が開かれているが、ココの姿が見当たらない。


「アデル伯母様、ココ様は」


 小声で伯母に話しかけると、彼女の眉がピクリとミリ単位で動いた。


「どうやら体調不良らしいわよ」


 サルー侯爵夫人の隣にいた女性が口元を扇子で隠して教えてくれた。伯母であるアデルとは親しい間柄で、ココの教育についても聞き及んでいるという。


「まあ、そうなんですか、クレマン伯爵夫人。それは心配ですわね」


 シモーヌは静かに周りに視線を巡らせるが、ほかの誰も心配そうな顔は見せていない。

 こういった場で人脈を作ることも未来の公爵夫人として大切な仕事の一つなのに。そう思うものの、現状は自分より高位貴族しかいないサロンにいづらいというのも、理解できなくはない。

 本来、男爵家の令嬢であればこのサロンに招待されることはなかった。だが彼女が公爵家に嫁ぐという話になっているうえ、サルー侯爵夫人がココの教育を受け持っていることから、今回は爵位を問わずに令嬢や夫人たちが招待されていた。それもココだけが浮かないようにとのサルー侯爵夫人なりの気遣いだったが、ココには当然ながら伝わっていない。


「それよりシモーヌ嬢、聞きましたわよ。皇太子殿下とのこと」

「ええ、本当に身に余る光栄ですわ」


 シモーヌは今日もお下げ髪を禁止され、母の指示で低い位置でゆるくまとめたヘアスタイルをしている。顔の横にひと房垂らされた緩やかな巻き毛が風を受けて小さく揺れている。


 サルー侯爵夫人の自慢の庭園は、色とりどりの花が咲き乱れ、華やかな香りが鼻孔をくすぐる。

 降り注ぐ太陽の光は明るく、だけど日差しが強すぎることもなく、温かな風が心地良い。

 ところどころに設置されたパラソルの下では数人が談笑し、ガーデンテーブルにも数組ずつのグループができていた。

 未来の皇太子妃と、より強いパイプを作ろうと夫人や令嬢たちが輪を作る。

 サロンのメンバーが支持する詩人たちも、今は夫人とともにお茶を楽しんでいる。


 そんなガーデンパーティーの様子を、綺麗な刈り込みの影から窺い見ているのがココだった。

 形式的とはいえ招待を受け参加と返事をしたものの、あのシモーヌが来てはやりにくくて仕方ない。


 サルー侯爵夫人の教育はいまだに終わらず、厳しく叱責される毎日だった。

 刺繍や音楽、歴史や礼儀作法、云云かんぬん……来る日も来る日も同じことの繰り返し。

 夫人に言わせれば、ココは美しい姿勢を保つことすら難しいというありさまだ。

 匙を投げてくれればいいのにと、侯爵夫人に恨みがましい目を向けることもある。

 しかも頼りになるはずのクリストフは、相変わらず「真実の愛で結ばれたわたしたちなら大丈夫」と言うばかりで、ここから助け出してくれることもない。


「ココ様、こちらにいらっしゃったのですね。体調はもう大丈夫なのですか」


 刈り込みの向こうから、シモーヌが歩いてくる。

 悔しいが、優雅な動きだということは分かる。


「なっ、なんで」

「新しい朗読が始まりますわ、参りましょう」


 笑顔で促され、断ることもできない。

 しぶしぶ隣を歩くと、「靴が合わないのですか」と心配そうに覗き込まれた。


(この女、あたしの歩き方がおかしいって言ってんの?!)


 カッとなるものの、言葉にするのは何とか堪える。抑えきれない苛立ちが目つきにはっきりと浮かんでいるのを、ココ本人は気づいていない。


 もちろんシモーヌの言葉に裏はない。これは純粋な心配の気持ちからくる発言だった。


 そんなことがココに分かるはずもなく、馬鹿にされたと憤りつつも何とか平静を装う。

 このことはクリストフに言ってやろう。それだけを考えてこの時間に耐えている。


 詩人の朗読は、ココの耳には子守唄にしか聞こえない。

 何度か舟を漕いだかもしれないが、ココとしては頑張って起きていたつもりだ。

 サルー侯爵夫人に恐る恐る目をやると、いつも以上に冷ややかな視線が返ってきた。

 その後、詩人の次の新作についての話を聞いたり、感想を話し合ったりといった時間があったが、それもココにとっては退屈であった。


 ココは読書もしないし、音楽に特別興味があるわけでもない。両親とも芸術には疎かったため、幼いころからそういったものに触れる機会はほとんどなかった。

 男爵家では時々お菓子を作ることはあったが、それも目当ての男に渡すためであって、教育の一環というわけではない。


「ココ様、お体が優れないのですか」


 シモーヌが再び心配そうに覗き込んでくる。


「いえ、えっと」

「きっとクリストフ様のために寝る間も惜しんで大変な努力をされているのでしょう」


 崇高なものを見るような目を向けられ、ばつが悪くなる。


「真実の愛だからこそなせる業ですわ」


 純粋無垢な青い目を、まっすぐに見ていられない。

 ココは顔を逸らしてうつむいた。


「シモーヌ様、お妃教育はいつごろから始められるのですか」


 年の近い令嬢がシモーヌへ羨望のまなざしを投げかけている。


「まだ正式には決まっていませんの。ですができることから早めに取り掛かりたいと思っています。ルイーズ様はたしか外国語が堪能でいらっしゃるとか。わたくし、隣国の言葉は発音が苦手なのでぜひアドバイスをいただきたいですわ」

「そんなわたしなど、まだまだです。でもあちらの音楽などを聴いていると耳に馴染むと教わったことがありますわ」


 二人の会話を訝し気に見ていたココに、近くにいた年配女性が流し目をくれた。


「シモーヌ嬢は皇太子殿下とご婚約なさる予定だとか。おめでたいことですわね」

「は?」


 ココの間抜けな返答に、マダムはわずかに顔を顰めた。だがすぐに表情を戻し、別の夫人と話し始める。


 公爵令息の次は、皇太子殿下ですって?

 ココの胸の内で、ドス黒いものが湧き始める。

 せっかく婚約者を奪ってやったのに、田舎に引っ込んで泣き暮らすどころかさらに身分が上の男を手に入れるなんて許せない。

 それをさも当然のように受け入れて、いったい何様なのよ?


「次は上手くいくといいですわね」


 捻くれた口調になったことに、ココもさすがに気が付いた。だが何か一言言ってやらねば気が済まない。そんな気持ちになっていた。


「そう、ですわね。もし殿下にも運命の相手が現れたら、わたくしは真実の愛の請負人としての仕事を立ち上げることも考えていましてよ」


 さらりと返され、ココは自分の頭にカッと血が上るのを感じて勢いよく立ち上がった。


「申し訳ありません。気分がすぐれませんので、ここで失礼いたします」


 感情的にそう言って、その場を辞する。

 誰一人止める者も、咎める者もいなかった。


 肩をいからせて歩いていく後ろ姿を、シモーヌはじっと見守っていた。


 シモーヌにすれば、ココはいわば”ヒロイン”なのである。

 真実の愛を見つけた物語の主人公で、今の彼女は試練に立ち向かっている最中なのだ。


 淑女教育が試練の一部というのは物語のスパイスとしては甘いような気もするが、伯母曰く、ココは幼いころからきっちりと教育を受けたわけではないらしい。

 だとすればなかなかにうまく身についていかないのも、それに苛立ちが募るのも当然のことと言える。


 できるまで繰り返しやるしかない。

 体が覚えるまで反復するしかない。


 シモーヌの経験則として、そういった類の項目も、少なくはないのだ。

 だけどきっと、クリストフとの愛のためにこの試練に打ち勝ってくれる。

 シモーヌはそう願っていた。


 マダム・サルーの見立てとは大きな違いだ。


 いくら幼少期に満足のいく教育を受けられなかったといっても、ここまでみっちりと指導しているのに形ばかりも身につかないとは、淑女教育の名君として名高いサルー侯爵夫人とてお手上げの心境でもある。

 しかも可愛い姪の婚約者を寝取ったというのだから、手ほどきをすることさえ、本心としては受け付けない。


 姪が泣きついてきたのなら、持ちうるコネクションすべてを動員して男爵令嬢一人を社交界から追放することは容易い。

 だが姪自身が彼女の教育を依頼してきたのだから、伯母としては気持ちは複雑だ。


 ココを見て分かるのは、向上心や知識欲はなく、あるのは野心ということだけ。

 内心ではすでに見切りをつけている。この国の貴族として、あのような娘を公爵家に嫁がせるわけにはいかない。まだ二人が婚約を交わしていないことが、唯一の幸いと言える。

 早々に放り出すのは簡単だが、サルー侯爵夫人が手を抜かないのは、「サルー侯爵夫人がここまで手を尽くしたのにどうにもならなかった問題児」になってもらうほうが、公爵家に入らせないためには確実だからである。


 真実の愛だのとのたまうなら、クリストフが男爵家に婿入りでもすればいい。公爵家にはあと一人、まだ幼い息子がいるのだから後継については心配ない。


 サルー侯爵夫人は姪の元婚約者であるクリストフについても厳しい意見である。誰にも悟られてはいないが、結構な姪バカなのでそれも致し方なし、なのだ。


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