3.「真実の愛って、わたくしにも見つけられるのでしょうか」
謁見の間。
高く吹き抜けた空間は空気が澄んでいる。
階段の上に玉座、その背後の壁はるか上にある薔薇窓からは燦々と明かりが降り注いでいる。
玉座には皇帝陛下が坐していて、その横に皇太子殿下が立っていた。
トゥルナン侯爵家の面々は顔を見せないようお辞儀の姿勢を保っている。
「楽にしてくれ」
シモーヌがようやく顔を上げると、すぐさまシリルと目が合った。ずっと見られていたのだ。
眼鏡がないぶん、ダイレクトに視線を感じて顔が熱くなる。
いつものお下げ髪も眼鏡も、母に絶対にダメだと断固として反対された。
だから今日は緩やかなウェーブをベースに、サイドを編み込んで顔周りをすっきりとまとめた上品なスタイルに仕上げられている。
「侯爵よ。もう知っているだろうが、息子のシリルが帰国した」
「はい、存じております」
「もう十九だというのに、本人のわがままもあって相手を決めあぐねていてな」
そういう話か。
三人ともが察したが、目線をあげられないでいる。
決して、けっして拒否するつもりはないが、諸手を挙げて喜ぶのも違う気がするというのが、家族の共通認識だった。
「急な話で驚かれたでしょう、トゥルナン侯爵」
シリルが一歩前に出た。
「幸運にもシモーヌ嬢と話をする機会を得まして、その聡明さに心を打たれました」
「まこと、もったいないお言葉でございます」
恭しく答える父を、シモーヌはそっと盗み見た。だけど斜め後ろのこの角度からは表情も何もわからない。
「こちらの申し出を受け入れてくださるなら、婚約期間は一年単位となるでしょう。その間に妃教育を受けてもらう必要もある。シモーヌ嬢であれば心配はありませんが、負担をかけてしまうことに違いはありません。その点も踏まえ、ぜひ前向きに検討していただきたい」
「シリル、圧が強いぞ」
皇帝陛下がたしなめるように言う。
忠実な臣下に否はない。否はないのだ。
娘の嫁ぐ先が公爵家ではなく皇家となり、公爵夫人ではなく皇太子妃に変わるだけだ。雲泥の差、というほどではない。
……いや、そんなわけがない。
皇太子妃ともなれば、一挙一動に注目されるような立場だ。
公爵家と婚約をしていたことは社交界中が知っている。その解消の理由も皇家が知らないはずはない。
それでもシモーヌを望まれるというのは、侯爵家にとってありがたいことこの上ない。
しかしまだまだ夢見がちな少女が、公務の重圧に耐えられるだろうか。
父は「かしこまりました」とさらにもう一段頭を下げ、妻も娘もそれに倣う。
短いながら濃い謁見を終え、馬車へと向かう道すがら、シモーヌを追いかけてくる足音がある。
振り返ると花束を抱えた青年がいた。
青みがかった黒髪と、星空のような濃紺色の瞳が特徴的な皇太子殿下、シリルだ。
「シモーヌ嬢、少しいいかな」
「もちろんです、シリル殿下」
カーテシーで答え、シリルの手元に目をやると花束のほかに、一冊の本を持っていた。
その裏表紙に、シモーヌの目が光る。
「やはり花よりこちらに興味がありそうだね」
くすくすと笑うシリルに、シモーヌは思わず赤面した。
「例の作者の本、これはラテン語の初版なんだけど。読んでみるかい」
「よろしいのですか」
すでに古典語のような扱いになっている言語ではあるが、シモーヌは語学が好きで、堪能だった。話すのは少し怪しいが、読むのにはそこまでの苦労はない。
しかも大好きな作家の初版と聞けば、飛びつく以外の選択肢が浮かばないのだ。
「この小説は初版がなかなか手に入りませんのに」
「遊学中に古書店で見つけたんだ」
シリルは隣国へ遊学していたが、最近帰国した。
近々、帰国祝いの宴が開かれる予定となっている。
それが終わると、今後は本格的に執政への道を歩み出す。
「そんな貴重なものを」
「よければ感想を聞かせに来てくれ」
シリルは侯爵家の馬車の見送りまでしてくれて、三人ともが恐縮しきりだった。
シモーヌはシリルの本を大切に胸に抱き、馬車に乗り込むと早々にページを開きたくてうずうずしていた。
「シモーヌ、おまえはどうしたい?」
「もちろん早く読みたいわ!」
「そうじゃない」
「殿下との婚約、お受けするしかないわよね」
「断る理由がないからな」
「そういえばわたくしは一人娘なのに、侯爵家はどうなるのですか」
「傍系から養子をとるか、いずれシモーヌが子どもを産んだらその子に継がせることになるかな」
「その点はブラッスール公爵家ともそういう話になっていましたものね」
「お相手は皇太子殿下だ。臣籍降下はありえまい」
「身分を捨てて一緒になる! って真実の愛みたいね」
「シモーヌ……」
両親が額に手をやっているのをしり目に、シモーヌは渡された小説の表紙をそっと撫でる。
「真実の愛って、わたくしにも見つけられるのでしょうか」
ぽつりと呟いた言葉に、父と母が揃って顔を向ける。
「出会ってすぐにそのお相手が運命の人だって分かるものだと思っていたの。わたくしの読んだ物語はだいたいそうでした。でもそうじゃない人のほうが多いのでしょう?」
「それはまぁ、そうね」
シリルとは出会ったその日に意気投合し、趣味の話から政治論まで、話した分野は幅広い。
だがまだお互いを知り尽くした間柄でもない。
クリストフとは七年間婚約していたが、それでも彼が衝動的な恋をする人間だとは知らなかった。
ドラマチックなことが自分の人生に起こるはずがないと思っているのに、成り行きのように決まる婚約をすんなり受け入れるのも、なんだか癪に障るのだ。
「どうやって真実の愛を見つければいいのかしら」
「ゆっくり育んでいくという道もあるのよ、私たちみたいに」
母と父がうっとり見つめ合っている。
仲良しの両親を見ていると、ぽぽぽっと頬が赤くなる。
貴族は政略結婚が多いと聞くが、シモーヌの両親は恋愛を経て結婚した。
だからこそシモーヌは「真実の愛」や「運命」を信じるようになったのかもしれない。
一目で恋に落ちる衝動的な愛と、ゆっくり育んでいく愛。
そのどちらも経験できれば最高かもしれない、とは思うものの、残念ながらシモーヌは男性の見た目に一目で惹かれる性質ではなかった。
シリル殿下は整っているとも、美しい男性だとも思う。
だけど見るだけで強く惹かれるか、と問われれば答えを躊躇してしまう。
「シモーヌ。一目見て恋に落ちるだけが真実の愛ではないのかもしれないわよ」
母が優しく諭すように言う。
確かに自分は「一目見て恋に落ちる」ことにこだわっているのかもしれない。
「一目であなたに恋をする男性は多くいるでしょうけどね」
波打つ金髪をそっと撫でられ、「まさかぁ」と笑う。
同じような金髪の女性はよくいるし、青い瞳も珍しくはない。
クリストフも同じ金髪で、青い目をしている。
「わたくし、一目惚れをされるような容姿ではないでしょう?」
ココのように、燃えるような赤毛にヘーゼル色の意志の強そうな瞳は男性を惹きつけた。
しかも長く婚約をしている相手がいるというのにも関わらず。
きっと何かしら、強く惹かれる要素が必要なのだろう。
シモーヌはそんな風に分析をしていた。
「シモーヌ……あなたをもう少したくさんの人と会わせるべきだったわね」
本ばかり読ませていたことを、母が悔いたようだ。
シモーヌ自身はそんな夢のような環境にいさせてくれた両親に感謝をしているのだが。
クリストフとの婚約が解消となった今、新しい相手を見つけるのは、現実的には厳しい。他国の誰か、というのはそれこそ現実的ではない。トゥルナン侯爵が許すはずもない。
シリル殿下以外の選択肢が、消えたのだ。
皇族を押しのけてまでシモーヌを妻に選ぶ貴族家はいない。
それこそ「真実の愛」で結ばれた相手でなければ、ありえない。
そしてシモーヌにも、身分を捨ててまで一緒になりたい、と願う相手がこの十七年の人生で一度も現れたことはない。
「お父さま、お母さま。シリル殿下との婚約、謹んでお受けしますわ」
「いいのかい、シモーヌ」
「もちろんです。光栄なお話ですし、何より……シリル殿下との会話が、楽しかったのです。とても」
打てば響くとはこのことか、と思える会話の応酬。
尽きることのない話題。
クリストフとの婚約期間で、一度も覚えたことのない高揚感だった。




