#33『9戦目④ 〜勝ち越しのチャンスにて〜』
8回裏、下町ブレイブハーツの攻撃。
先頭の9番高崎がシャインズのセットアッパー左腕、フローレスの初球を捉えてフェンス直撃打を放ち、相手のクッション処理がもたつく間に三塁まで到達。
そうしてブレイブハーツは、ノーアウト三塁という絶好のチャンスを迎えていた。
──しかし。
『──さんしィィィんッッ!!! フローレス、最後はチェンジアップで1番諸星を三球三振に切って取りました!!!』
「あぁ、一輝ダメだったかぁ……」
「今の打席は打てそうなボールがなかったですね……。今日のフローレス投手、いつにも増してキレがありそうです」
そうして、引き続きモニター付きのボックス席にて。
そんな両チームのターニングポイントにおける、実の兄弟の打席の結果を目の当たりにした菜月と真彩の2人が呟く。
初球はアウトローに決まるキレキレのスライダーで空振り。
2球目は、インコースに豪快な160キロのストレートを投げ込み、バットをへし折ってファウル。
そして3球目は、140キロと前のボールから20キロもの差をつけた、ブレーキのかかった低めのチェンジアップ。
まさに、ボールの質もコースも完璧といえる様相で、ここまで開幕から37打数13安打の打率.351、四球も5つ選ぶなど絶好調の諸星一輝を、あっさり三球三振にしてみせたのだ。
真彩がしみじみと言ったように、立ち上がり初球のストレートを捉えられこそしたものの、今日のフローレスの出来は最高なのだろうと、そう思わせるような圧巻の投球であった。
『──しかし、なおもワンナウトランナー三塁。続く2番の人見が右バッターボックスに入ります』
「でも、ここでそーくんだ!! きっとやってくれるはず!」
「えぇ、前身守備でヒットゾーンも広く、正面以外の内野ゴロや外野フライでも勝ち越しの一点が入りうる状況。ここで三振率の低い蒼矢様を迎えるのは、相手としても嫌でしょうね……!」
そして、2人がそんな期待の言葉を口にする中、フローレスがサインに頷き、一球目を投じて────。
『──ボール!! フローレス、初球は低めのスライダーから入りましたが、僅かに外れました!』
『いやぁ、今のもキレのあるいいボールなんですが、人見選手、よくバットを止めましたね』
『そうですね。これでカウントはワンボール。さぁ、シャインズバッテリー、次はどのボールでいくのか!?』
そして、2球目。
フローレスが一度キャッチャーのサインに首を振って、一息ついてから、そのボールを投じ────。
『──あっと、人見バントの構え!! ここでスクイズだ!!』
……と、そんな実況の叫び声。
そして、フローレスの投じたボールはアウトコースの直球。
人見はそんな彼のボールを冷静に一塁方向へ転がして。
『──フェア、フェアです!! ホームは間に合わない、ファーストのデュラン、一塁に投げてバッターランナーの人見はアウト!! ここで仕掛けてきました5対4!! 8回裏。ブレイブハーツ、一点勝ち越しです!!』
「……お、おおおおおおおおおおおっっっ!!!!!」
菜月が、思わずそんな声を漏らす。
突然に。そして、あっという間に行われた一連のプレーに、球場が少し遅れて沸き立つ。
──5対4。
下町ブレイブハーツ対横浜シャインズの第3回戦。
8回裏。この試合において始めて、ブレイブハーツが1点ながらリードを奪ってみせたのであった。
『──いやぁ、ブレイブハーツ。ここでスクイズを仕掛けてきましたよ、解説の氷室さん!』
『えぇ、8回裏同点、一死三塁で2番打者。当然、相手もスクイズも警戒していることは分かっているはずです。それでも、こうして仕掛けてきた。この一点は大きいですよ』
『ここまで開幕から、スクイズどころか送りバントさえ1つもしてこなかった諸星英一新監督率いるブレイハーツ。それ故に、奇襲として機能した……と見ることもできるでしょうか』
『そうですね。繰り返しますが、当然シャインズ側にも警戒の意思はあったでしょう。それでも、実況の実松さんのおっしゃる通り、これまでのチームの傾向があり。そして、諸星一輝選手や初球の人見選手が打ちにいってること。そして、選球眼のいい人見選手を相手に、これ以上カウントを悪くはしたくないと働く心理的思考。このような観点から、シャインズ側が外してくる可能性は低い。仕掛ける価値がある……と諸星監督も判断した、ということなんでしょうね』
(──この解説の人。なかなかどうして、元プロ選手の解説者としては、論理的な分析力ですね……)
そんなモニターから流れてくる解説を聞いて、真彩は思う。
確かに、父。諸星英一監督は、このレギュラーシーズンにおいて、まだ一度もバントをさせていないのである。
その理由はやはり、現代のデータ野球が明らかにした、バントという戦略の『価値の低さ』にあるのだろう。
……しかし、これは彼女が以前から何度も父と野球談義もしたことがある故に分かるのだが。
彼は決してそういったデータを以って、「バントを無価値である」……という風には考えてはいないのだ。
おそらく、かつての野球ではセオリーであった「初回に先頭打者が出塁して無死一塁。からの2番に送りバント」……のような攻撃は、今後もさせることはないだろう。
しかし、試合終盤で接戦の場面。例えば、タイブレークで無死二塁。一点取ればサヨナラの場面。
もしくは、相手が極端なシフトを引いてきたとき。
このような場面だとすると、話は変わってくる。
──ようは、ケースバイケースなのだ。
バントだろうがエンドランだろうがヒッティングだろうが、その状況で最も勝利確率を上げ得る戦略こそベスト。
そう、今回のケースでいえば。
一点でもとれば勝ち越して、次の回を抑えれば勝利の場面。
三塁ランナーは俊足の高崎。バッターはかなり器用でバントのような小技全般にも定評のある人見。
相手投手はシャインズ屈指の好投手フローレスで、今日の調子は絶好調。ここから複数得点をあげられる確率は低い。
フローレスは左投手のため投球中に三塁ランナーは見えず、スタートを見て外したりすることは難しい。
そして、対する人見は右バッターボックスで、フローレスの大きく曲がるスライダーにも対応しやすく、キャッチャーの視界を遮ることもできる。
カウントはワンボール。ここまでスクイズを仕掛けてくる様子は見せておらず、比較的「外せ」のサインは出しづらい状況。
……このような様々な観点から、諸星英一は「強行の場合の得点期待値やスクイズの成功確率から考えて、『仕掛ける』価値がある」と見たのだろう。
ただ、ここで一点が欲しいから、仕掛けるのではない。
『仕掛ける価値がある場面』であり、かつ、『仕掛けられる状況』であるからやる。
それこそが、諸星英一という指導者の信念であった。
──ただ、いずれにしても。これで試合は5対4。
状況としては、ブレイブハーツが1点の勝ち越し。
すでに同点であろうと登板に向け準備を進めていたブレイブハーツの守護神、二階堂。
この男に、試合の運命が託されようとしているのであった。
【二階堂雅史(26) 選手名鑑】
《8年目》
下町ブレイブハーツの絶対的守護神。
チームの初年度ドラフトで2位指名を受けた最古参メンバーの1人であり、4年目以降はチームの抑えとして定着。昨季もリーグ3位となる32Sを記録している。
平均回転数2500とノビのあるストレートと、スプリットや縦スラの『落ち玉』で的を絞らせない投球術はリーグでも一線級。
チーム初のポストシーズン出場、そして優勝に向けて、来季もブルペンを牽引する。
[成績]右/左(先発)
53登板 50 2/3回 2.66 1勝 2敗 *4H 32S
58奪三振 与四球14 与死球2 被安打40 被本塁打5 自責15
K/9 10.30 BB/9 2.49 HR/9 0.89 K/BB 4.14 FIP 2.94
被打率.208(192-40) BABIP.271(129-35) WHIP 1.07




