ムースさんとはじめての喧嘩です 後編
『快晴の下、三千人もの観客が集まりました街の特設リングでは、スター流の闇野美琴と小鬼の集合体であるビックオーガの激闘が行われようとしています』
実況の声に美琴は敵対する鬼を上目遣いで見据えた。黄色い目が血走って口からポタポタと溢れる涎が獰猛さを嫌というほどあらわしている。
美琴はいつものようにおにぎりを差し出そうとして、あっと声を上げた。
腰巾着の中には握り飯の材料はひとつもない。
いつもの友愛は諦めざるを得なかったが、代わりに闘志を静かに燃やして自分のコーナーへと下がる。決戦の鐘は近い。
一方のロディは近くのパーラーでアメリカンホットドックを二本買ってきて、隣に座っているムースに差し出した。
「お前も食え。腹減ってるんだろ?」
「べ、別にわたくしは空腹ぐらい耐えられますわ」
強がった直後にムースの腹が鳴る。
「腹は正直じゃねぇか」
「お礼は言いませんわよ」
乱暴にロディの手からアメリカンドックを引ったくり、口に含む。途端にマスタードの辛さに涙目になった。
「なんですの、この辛いのは!」
「ハッハー、この辛さがたまらねぇのよ。お前もマスタードの虜になりな」
「遠慮いたしますわ。それに私は香辛料などより、もっと虜なものがありますの」
「ふーん……」
ムースの瞳はリング上の美琴を捉えて放さないが他人の色恋に立ち入るのも野暮だと考え、ロディは追及しないことにした。
試合開始。
先に仕掛けたのは鬼だ。巨体で突進すると、美琴を捕まえようと太い腕を伸ばす。
しかし美琴の姿はない。
目にもとまらぬ速さで背後を取っていた。
だが、ロディとムースは美琴が瞬きに満たぬ間――躊躇したのを見た。
優しさの影響かとも思ったが、どこか違う。
次の瞬間には投げっぱなしスープレックスで、鬼の巨体を投げ飛ばし、十分な滞空時間を与えて脳天をマットに強打させる。
『投げたーッ!美琴の投げはやはりすごいーッ!』
実況が称賛した刹那、硬直していた美琴の全身から血が噴き出し、膝から崩れ落ちた。
マットで倒れ伏し、ドクドクと血を流す美琴に会場は騒然となる。
当然ながらムースも動揺はあったが、なぜ先ほどスープレックスを躊躇ったのかが気になった。
美琴は圧倒的なスピードで後方を取って投げ技を繰り出す戦法を得意としている。
投げた直後に謎の流血。
気になったムースとロディが鬼の出方を待っていると、彼が背を向けた。
背中にヤマアラシの如く鋭利な棘が無数に生えていた。
「ズルいですわよ!」
「ちょっとヤベェな……」
ムースが抗議し、ロディが頭をかいて苦笑する。
スープレックスは相手の背中に密着する必要がある。
スープレックスに限らずあらゆる背面投げは無防備な背中を狙うことで効果を発揮する。
しかし背が棘に覆われていれば密着はできないし、仮に投げたとしても負傷は免れない。
美琴は虚ろな目になりながら、胸を薄く上下をさせて呼吸を開始。
追撃が来ないことを確かめてから、四肢に力を込めて立ち上がる。
小鬼たちの戦闘開始からぶっ続けで三時間が経過し、ここにきて棘のダメージは大きい。
両腕はだらりと下がり、荒い息で敵を見つめる。
鬼は容赦なく腕を振るって美琴の横顔を殴ると、彼女は糸が切れた人形のように倒れる。
「美琴様!」
「ムースさん……」
虫の息で名を呼んで、安心させるためなのか微笑を見せる。
鬼は美琴の細い足を掴んで逆さに持ち上げ、軽々とリング外へと放り出す。
「危ないっ!」
咄嗟にムースがクッションとなり、美琴を受け止めたおかげで、観客席への激突だけは免れた。
「ありがとうございます……」
「お礼には及びませんわ。わたくし、幸せですの。美琴様のクッションになれて」
フラつきながらも辛うじて起きた美琴は、一歩ずつリングへ歩みを進める。
どうにか三本ロープの一番上のロープに手をかけたところで、ロディが訊いた。
「美琴ちゃん。何か策はあるのか?」
「ありません。でも、負けるわけにはいかないんです……」
鬼は美琴の両頬を掴んで無理やりリングに戻し、更に腹を蹴り飛ばす。
嘔吐して悶絶する美琴の姿を見て、ロディが呟いた。
「これがほんとのヤマアラシのジレンマって奴か」
美琴は体力の消耗を最小限に抑えるべく、立ち回りを変えた。
鬼が蹴りを放つとその蹴りを手の甲で受けてバランスを崩してから、軸足に払いをかけることでスリップさせ、膝十字固めに極める。がっちりとホールドして足裏を痛めつける。
鬼の口から絶叫が出るが、美琴は敵の筋肉の筋を破壊し、ブチブチという筋繊維が切れる音が会場に木霊していく。
それでも力の勝る鬼は美琴を振りほどき、立ち上がる。右足に力は入らないが、他は健在。
突進してくる鬼の勢いを利用して、美琴は彼を背負い投げに決める。
思い切りマットに叩きつけられた鬼は咆哮し、適度に美琴との距離を取ると、アルマジロのように身体を丸めて猛回転してきたではないか。棘付きタイヤが迫る。
真っ向から受け止めるだけの体力が残されていないため、美琴は真横のロープに身体ごと当たって回避し、その反動を活かして死角からの蹴りを見舞った。
棘タイヤになった鬼は縦からの攻撃には強くても、横は脆い。
体勢を崩されて倒れるが、さほどダメージはなく軽快に起きて掌底のラッシュで攻める。
顔面を渾身の力で張られ、美琴の頬は腫れ、血が吐き出される。
力任せの打撃にガードも崩され、サンドバック状態だ。
ロープ際に追い詰められて張り手を食らい続ける美琴を見て、ロディは自分の首に巻いた赤いスカーフを外してムースに渡した。
「なんの真似ですの?」
「わかってるだろ。投げるんだよ」
「そんなこと、できるわけ……」
タオル、もしくはそれに準ずるものを投げればTKOが決定する。
頭ではわかってはいるが、ムースは希望を捨てる気にはなれなかった。
「美琴様は何度も劣勢を覆し、勝利をもたらしてきましたわ。今回も勝ちますわよ」
「いや、正直かなり厳しい。今なら逃げるくらいならできるだろう」
「仮にタオルを投入して、あなたはどうするつもりですの?」
「俺が時間を稼ぐ。お前たちは逃げるんだ。こんな俺でも足止めにはならァ」
テンガロンハットを持ち上げ、口角を上げる。
この男は平然と自分を犠牲にするといってきたのだ。
なぜ、出会ってから間もない自分たちに命をかけることができるのか。
何の得にもならないはずなのに。
理解できないでいるムースの頭をロディは軽く撫でて。
「仲間のために命をかけるのは当然だろ」
「おバカな玩具ですわね、あなたは」
「バカなのが俺の自慢でねえ」
もしタオルを投げてロディが足止めをして逃げの手を打ったとしても、うまくいくかはわからない。美琴は傷つき、自分もまだ完全には体力が回復していない。
下手をすれば、全滅だってあり得る。
だけど、何もしないよりはずっといい。無謀な賭けでも、価値はある。
ムースは手に力を込めてタオルを投げようとした。
「タオルで決着がつくとは、些か拍子抜けですなあ。敗者は盛大に散ってこそ存在意義が高まりますからな」
「ジャドウ様!?」
「ジャドウ、お前がなんでここにいやがる」
白髪を後ろになでつけ、ガイゼル髭を生やした長身痩躯の老人は白い軍服を着て、尊大に足を組んで椅子に腰かけている。
スター流創始者、スター=アーナツメルツの側近を自負するこの男がいると、ロクなことが起きない。特にロディはジャドウと仲が悪い。
ロディの問いにジャドウは冷たい目を向けて答えた。
「吾輩はどこにでも現れることができる。暇を潰しにここへ赴いても不思議ではなかろう。
して、ムースよ。タオルを投げ入れる前に、ひとつ吾輩がこの試合の今後を占ってみるとしよう」
ジャドウは虚空からタロットカードを取り出し、マジシャンのように切ると、扇のように広げてムースに引くように指示する。
タロットをじっと見たムースは。
「タロットは二十二枚のはずなのに、あなたのは十三枚しかありませんわ。念のため、裏側も見せてほしいものですわ」
「よかろう」
ジャドウが裏面を見せると、カードの十三枚すべては死神の絵が描かれていた。
「どれを選んでも同じって最低の占いじゃねぇか!」
「フフフフフ、吾輩の冗談は気に入っていただけましたかな」
「あなたには人の心がありませんの!」
ムースが憤慨するとジャドウは不敵に笑ったままで。
「地獄監獄の囚人の分際のお前が言えた口ではあるまい。まさか、美琴が監視者になる条件で一時的にスター様が同棲を認めたことを忘れたわけではあるまい」
「……ッ」
「監視者の美琴が死ねばお前は晴れて自由の身……否、地獄監獄に逆戻り。
お前としては少しでも地上の生活を謳歌するために、美琴に勝ってもらわねばなりませんな」
「あ、当たり前ですわよ!」
そっぽを向くムースに苦笑しながら、ロディが訊ねた。
「俺はお前のことが大嫌いだけどよ。お前は賢いから、何か策を授けてくれねぇか?」
「お前が吾輩を頼るとは珍しい。困った時には冥府の王でも頼りますかな」
「この際なんでもいいけどよ。何か知恵を貸してくれ!」
「美琴様のためなら、あなたの浅知恵でも少しは役に立つかもしれないですもの」
「……仕方あるまい。美琴が敗北すれば、スター様も悲しみになりますからな。
まずは、美琴の腹を満たさねばなるまい」
美琴は昼も食事を摂らずに戦っている。スタミナ不足で、力が鈍るのは当然だ。
盲点を突いたジャドウの指摘に、ロディとムースは矢のように飛び出した。
「わかりましたわ!」
「俺も有り金はたいて買ってくるぜ!」
ふたりを見送り、ジャドウは試合の観戦に集中することに決めた。
「美琴が負ける前に間に合うことを祈りますぞ」
美琴はロープから飛んで、鬼の額に渾身の頭突きを浴びせると、遂に鬼の額が割れて流血し、何度目かのダウンを奪った。
間髪入れずにコーナーポストの最上段に駆け上がり、フライングボディプレスやらミサイルキックやらを繰り出そうと試みる美琴だったが、体力は底をつき、コーナーの鉄柱で硬直したまま次の動作に移れなくなってしまった。
全身が鉛のように重く、ポタポタと流れる汗と荒い息が観客たちから見ても、疲労を感じさせるほどだ。
鬼は動けない彼女を掴まえて、デッドリー・ドライブでマットに投げ込んだ。
全身を強烈に打ち付け、痙攣を起こしている美琴に全体重を預けたボディプレスを見舞う。
二百キロ近い体重がのしかかれば美琴と言えども潰されるのは確実だ。
観客たちは無惨な最期を想像し、目を覆う者も出た。
しかし、ボディプレスが放たれた瞬間に両膝を立てて、自爆に誘い込む。
無防備で柔らかい腹を狙われ七転八倒する鬼を見ながら、美琴は立った。
もう攻撃するだけの体力は残っていない。
生きたサンドバック状態の彼女に勝機を見出した鬼は起き上がって腕を弓なりに引いて、止めの鉄拳を打ち込む――だが、拳が顔面を捉える前に美琴に変化が現れたのだ。
全身が発光しポロポロと涙を流している。
先ほどまでの負傷が癒え、服装も修復していく。
「鬼さん、本当に……ごめんなさい」
美琴の特殊能力『攻撃反射』が発動したのだ。
受けた攻撃を数倍にして相手に跳ね返す。単純にして極めて強力な攻撃。
これまで放った攻撃がすべて自分に跳ね返ってくるのだ。
上空で具現化された光の巨大な拳や足が鬼を幾度も踏みつけ、拳骨を放っていく。
四つのコーナーポールに現れた棘つきの巨大鉄球が四方向から迫り、鬼を鋭利な棘でひき潰していく。
「グオオオオオオッ!」
喉の奥から絶叫し、自慢の棘の装甲を破壊さらながらも、鬼は再び立ち上がる。
その目に宿すのは恐るべき勝利への執念だけだ。
能力による攻撃が終了し、我に返った美琴は優雅に構えて、笑顔を見せた。
「これで決めますッ」
正面から間合いを詰めて、太腿と両腕を極めて担ぎ上げ、一気に後方へ倒れこむ。
いわゆるバックフリップだが、装甲がない状態で直に背をマットに激突させられた鬼は堪らず吐血し、気絶。
美琴が技を解くと、鬼は倒れ、そのままどこかへと転送されてしまった。
『決まった~!長かった戦いを制したのは、最後まで勝利を諦めなかった美琴だあああああッ!』
実況の声と共に会場から万来の拍手が送られる。
一足遅く会場に山ほどの料理を抱えて戻ってきたムースとロディはリングに入って、美琴を介抱すると、彼女はへにゃっとした笑顔を見せて。
「ロディさん、ムースさん、私、勝ちましたよ……」
「さすが美琴様ですわ! わたくしは勝てるって信じていましたわ!」
「すげぇ姉ちゃんだぜ。ホラ、遠慮なく食いな!」
ロディが差し出したのはコンビニで買ってきたおにぎりだ。
「ありがとうございます!いただきます!」
美琴は瞬く間にそれを食べ終わり、ホットドックやハンバーガー、アメリカンドッグも完食し、オレンジジュースも飲み干してから、こんなことを言った。
「お腹、空きました。おふたりとも、良かったら何か食べに行きませんか?」
「ハハ……参ったね、こりゃ。でも、勝利祝いだ。俺が奢ってやるから、食いに行こうぜ!」
「もちろんわたくしも便乗しますわよ!」
ふたりの肩を借りてリングを降りた美琴とジャドウが目を合わせた。
ジャドウは顔を青くして棒立ちになっている。
いつもとは異なる様子の彼に、ムースとロディが怪訝そうな顔をした。
「ジャドウ様、あなたも顔色が悪いですわよ」
「どうしたんだ?」
「少々、美琴の勝利の美酒が回っただけのこと。それでは、吾輩は失礼する」
青い顔に汗をかきながら、ジャドウは瞬間移動でその場を離れた。
「ま、ジャドウは相当なじぃさんだし、刺激の強い試合は身体に良くないんだろ」
「ですわね」
ふたりは合点したが、美琴だけは彼のただならぬ様子が気がかりだった。
会場から遠く離れた崖の上でジャドウは青空にできた亀裂を睨み、言った。
「この異変はもはやスター様の身にアレが起きたのではあるまいかー―」
最悪な想像が彼の頭をよぎり、掌はぐっしょりと汗で濡れていた。
ハンバーガーショップにやってきた美琴は列に並んで喜びで胸を弾ませていた。
彼女にとってハンバーガーは未知の食べ物であり、本格的に食べるのは今回が初だ。
列に並びながらメニューをキラキラと輝く黒い瞳で眺め、何を注文しようか思案する。
「おふたりは何にするか決まりましたか?」
「俺はチーズバーガーを三つとコーラだな」
「わたくしはハンバーガーとフライドポテト、
それからアップルパイをいただきたいですわ」
「わたしは、どうしましょうか……ライスバーガーもおいしそうですし、うーん……
フィッシュバーガーにします!」
各々のメニューを注文し、店内で食べることにして三人用のテーブル席に腰かける。
料理が運ばれる間、彼らは雑談に花を咲かせることにした。
「わたしはいつもおにぎり派なので、ハンバーガーは珍しいです」
「今日は雪が降るかもしれねぇな」
「ところで、美琴様。先ほどのジャドウ様の様子が気になっていたようですけれど」
ムースの問いに美琴は細い顎に指をあてて考える仕草をした。
「あの時のジャドウさんの様子、いつもとかなり違っていました。彼が慌てるほどの危機が地球に起きようとしているのかもしれません」
「まあ、気にしたってしょうがねぇだろ。あいつは他人の二手三手先を読む男だ。
何らかのやばいことが起きても絶対に無策ってことはねぇよ。
それに、難しい話をしたらせっかくの食事がマズくならァ。まずは、何も考えずに飯を楽しむこった」
「……ですね」
「ほんと、お気楽な頭ですこと」
「だろ?俺は悩まねぇし迷わねえ。だからこそ早く行動できるってね」
やがて待ちわびたハンバーガーが運ばれてきた。
ムースは細くてカリカリとするフライドポテトにケチャップを少しだけつけて食べ、ロディは豪快にハンバーガーにかぶりつく。
美琴は包みを丁寧にはがしてから、一口嚙んでみた。
柔らかいパンズに卵とマヨネーズの濃厚なタルタルソースが絡み、香ばしく焼けた魚のフライと相性が抜群で、いくらでも食べられそうだ。
「ハンバーガーってこんなに美味しかったんですね……」
「だろ?俺の母国の料理は誰の口にも合うんだよ。やっぱバーガーは最高だぜ」
「何を自分が広めたみたいに気取っているんですの」
「いいじゃねぇか、こういうのはノリが大事なんだよ!」
こうして楽しい食事は終わり、ロディはアメリカへ、美琴とムースはアパートへと帰っていった。




