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創造のSILVER  作者: 雪野
Atri Boot Sequence
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8.オーウェンの庭

「……な、何ここ……」


 アトリは思わず声を()らした。


 オーウェン中佐の私室に足を踏み入れた瞬間、軍本部の冷たい空気が、まるで別の世界に切り替わった。足元には短く刈り込まれた芝が敷かれている。人工芝ではない。踏みしめると、ほんのわずかに弾力が返ってくる“本物”の芝だった。

 

 壁一面には白い花と(つる)が這うように植えられ、空調の微かな風に合わせてゆるやかに揺れている。天井の人工太陽灯が柔らかな影を落とし、土と葉の匂いがほのかに漂っていた。


「オーウェン中佐の庭」


 ギルダが投げやりな声で言う。

 慣れているけれど、納得はしていない── そんな温度がはっきり(にじ)んでいた。


「内装は……まあ、あの人の趣味」


 アトリは呆然と、緑に満たされた部屋を見渡すしかなかった。


「おーい、こっち座って」


 声のほうを見ると、部屋の中央にある丸いテーブルの椅子にリアが腰かけ、手を振っていた。その隣ではテオが静かにティーポットや菓子を並べている。


「審問、お疲れ。気が滅入っただろ」


 リアが近づいてきて、アトリの肩をぽん、と叩く。

 ギルダはアトリの椅子を引きながら尋ねた。


「中佐は?」


「後処理でちょっと手間取ってる。終わり次第こっちに来る」


 テオが短く答える。


 アトリは席に座りながら、もう一度、部屋をぐるりと見回した。軍本部の無機質な空気とはまるで違う、湿度と緑の匂いに満ちた空間。


「……オーウェン中佐って……もしかして、変わった人?」


「そう」「うん」「ああ」

 三人が同時に同意した。


 その時──


「いやあ。まいった、まいった」


 軽い声とともに、庭の扉が開いた。

 振り返ったアトリは、思わず瞬きをする。

 入ってきたのはオーウェンだった。


 だが、審問室で見た“張り詰めた審問官”の姿ではない。肩の力が抜け、歩き方もどこか軽い。ぐるりと肩を回しながら、白いテーブルへ近づいてくる。


「AIの審査は通ったのに、上がうるさくってね。判断できないなら口を出すなって感じですよ、まったく」


 オーウェンはそのまま椅子に腰を下ろした。眼鏡の奥の視線は穏やかで、審問室の鋭さは微塵もない。そして右手をアトリへ差し出した。


「改めまして、はじめまして。ヘルマン・オーウェンです。監査執行局(かんさしっこうきょく)で審問を担当してまして、ギルダ君、リア君、テオ君の指定指揮官も務めています」


 アトリは戸惑いながらも、その手を取った。


「……よろしく、お願いします」


「ええ。こちらこそ。僕の庭へようこそ」


 握手がほどける。


「堅い場で初対面というのも不本意でしてね。落ち着いた場所で話をしたかったのでお茶の席を用意しました」


 そう言うと、オーウェンは自然な動作でティーポットに手を伸ばした。


「アトリ君、紅茶は嫌いじゃないですか?」


 当然のように向けられた問いに、アトリは一瞬だけ戸惑う。紅茶を飲んだ記憶はなかったが、こくりと頷いた。白いティーカップに、琥珀色(こはくいろ)が注がれていく。香りがふわりと立ち上がる。


「君たちもどうぞ」


 オーウェンが各々のカップに注ぎ分ける。


「さて── 」


 オーウェンは自分のカップを手に取り、公務の声色をそっと閉じるように息を整えた。


「初めて来られた方には、必ずと言っていいほど質問されますので……先に説明しておきますね。左官以上になると、軍から執務室とは別に“私室”が与えられます。『好きに使ってよい』とのことでしたので、好きにした結果がこれです。特別な理由はありません」


 淡々とした説明だが、言葉の選び方は丁寧で、無駄がない。


「それと、この部屋には監視系の設備は入っていません。ここは完全に私的空間ですので、その点は安心してください」


 アトリは目を丸くする。どうりで空気が柔らかいはずだ。

 オーウェンは続けた。


「復元局での三日間、お疲れさまでした。あそこは……なかなか容赦がないですからね。ギルダ君も大変だったでしょう」


 ギルダは軽く会釈する。


「検査結果としては、義体も生体も問題なし。総合評価は“健康そのもの”でした。8年間、眠っていた人間の数値ではない、と医師が困惑していましたよ」


「良かったな、アトリ」


 リアが嬉しそうにアトリの肩を小突く。

 オーウェンは眼鏡の位置を指先で整え、淡々と続けた。


「そして……肝心の覚醒理由や記憶の欠如、内的ガイダンスですが。解析班が全力で調べた結果── “分からない”という結論に至りました。検査量と結論が比例しない、典型的なケースですね」


 アトリはがっくりと肩を落とす。


「えー…あんなに検査したのに…」


「分からない、というのも正確な結果のひとつです。少なくとも、現時点で危険性は確認されていません。その点は安心してください」


「……はい」


 アトリが何とか納得したのを見て、オーウェンは軽くうなずいた。


「では、ひと息つきましょう。紅茶が冷めてしまいます」


 そう促されると、テーブルの上の空気がふっと緩んだ。


 焼き菓子の皿が中央に寄せられ、リアが真っ先に手を伸ばす。彼は遠慮という概念を持っていないらしく、貴重な砂糖を二つもカップに落とし、満足げにスプーンを鳴らした。テオは無言でそのまま口をつけ、ギルダはミルクを足す。


 アトリは、少し考えた末に角砂糖をひとつ紅茶に入れ、一口飲んだ。優しい甘さと香りが舌に広がり、さっきまで胸の奥に張りついていた緊張が少しずつほどけていく。


 オーウェンはカップを手にしたまま、その様子を静かに眺めていた。庭の湿った空気と紅茶の香りが混ざり合い、時間がゆっくりと流れていく。


 やがて、彼はカップをそっと置いた。


「君の今後について話をしたいのですが……」


 アトリが顔を上げる。彼の表情は柔らかいままだが、響きの奥にわずかな固さが混じった。


「それを決める前に、もう少し君に説明が必要だと判断しました。審問での建前ではなく、もう少し踏み込んだ話です」


 庭の空気が、わずかに引き締まる。


「まず、Second(セカンド)計画についてですね。 あの場では“医療技術の高度化が目的”とお伝えしました。……ですが、あれは軍が外部へ向けた説明にすぎません」


 ギルダは表情を動かさず、静かにカップを傾けた。


「実際のSecond(セカンド)計画は、軍用……つまり“兵器”として活用されてきました。君のように“機械との同期が強い人間”は、戦術的価値が非常に高い。“人間の判断を維持したまま戦場で使う”ための技術です」


 オーウェンは一度だけ視線をアトリに向け、静かに告げる。


「── 現在、君を除く6名のセカンドが軍に所属して活動しています」


 アトリは息を詰めた。

 ギルダが見せてくれた写真を思い出す。そこには確か、9名写っていたはずだ。


「……あと2人は?」


「死亡しました」


 ギルダは目を伏せ、リアは唇を結び、テオは静かに視線を落とした。

 三人の沈黙が、答えの重さを補足する。


「両名とも、神経系の負荷が原因とされています。……ただ、詳細は一般には開示されていません」


 オーウェンは淡々と続ける。


「創造規制法が施行されて以来、高グレードの改造は完全に違法になりました。しかし、既存のSecond(セカンド)は“規制前の合法な資産”であり、軍の矛盾そのものです。強い力を持ちながら、増やせず、しかし必要とされる。政治的にも技術的にも、すべての派閥が興味を示す存在です。


 うまく立ち回らなければ、君の意思に関係なく利用されてしまう。ましてや今の君は“記憶の空白”を抱えている。つけ入るには、これほど都合のいい状態はありません」


 アトリはティーカップを置き、指先をぎゅっと握った。


「……ぼくは、どうすればいいんでしょうか」


 オーウェンはすぐには答えなかった。紅茶を一口だけ含み、静かにカップを戻す。その小さな音が、庭の空気に溶けていく。


「君はどうしたいですか」


 アトリは視線を落としたまま、しばらく言葉を探した。


「……わかりません、ただ……」


 オーウェンは遮らず、ただ待つ。


「……あまり、ここにはいたくない……」


 アトリは胸の奥を探るように、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「みんなのことがイヤなわけじゃなくて……その、うまく言えないんですけど……“ここにいちゃいけない気がする”」


 言い終えた瞬間、アトリは自分でも驚くほど胸が軽くなった。ずっと喉の奥に引っかかっていたものが、ようやく形になったからだ。


 オーウェンはその変化を見逃さず、穏やかな声で続けた。


「大丈夫です。そう感じるのは、間違いでも不忠でもありません。理由を説明できなくても、その感覚自体は正しい。“君の体が覚えている”こともありますからね」


 その言い方は、慰めではなく“事実としての肯定”だった。


「君が望むなら、“ここ”を離れる方法はいくつもありますよ」


 オーウェンはにこりと微笑んだ。庭の光が眼鏡に反射し、どこか冗談めいた軽さすら漂う。


「……例えば、こうするのはどうですか。ギルダ君と同じく、外縁の第47基地に“派遣”として移る」


「── ええ?」


 驚いたのはアトリではなく、ギルダの方だった。


「嫌ですか?」


 ギルダは即答できず、視線の端に映ったアトリの“しょんぼりした顔”に気づいた瞬間、喉が詰まった。


「うッ…嫌というわけでは……ただ……」


 ギルダは眉間に手を当てた。


「その…ただでさえ、ややこしいアトリの立場が……私といると……ますます、ややこしくなるのでは……」


 弱々しい声だった。アトリの方を見ないようにしているのが、痛いほど伝わる。


「“守るべき者を集中的に管理できる拠点に置く”と捉えてください。第47基地なら、余計な監視や政治的干渉が入りづらい。── それに外縁でも事案は増えていますし、そろそろ人員補充は必要でしょう?」


 リアがすかさず口を挟む。


「いいじゃん、そうしなよ。ここに残ったら司令本部に囲われるだけだし」


 テオも静かに頷いた。


「オレも、この状態のアトリを本部に置いておくのは……あまり良くないと思う」


 ギルダは口を閉じた。反論が、自然に抜け落ちていく。

 オーウェンがアトリへ視線を向ける。


「どうでしょう、アトリ君。君が良ければ、ですが」


「……はい。ぼくは、それが良いです」


 その言葉と同時に、アトリはギルダの方を見た。不安と期待が入り混じった、子どもみたいな目だった。


「……はああああ……」


 ギルダは天井を仰いだ。その長い溜息に、いろんな要素が一気に押し寄せて混線しているのが手に取るようにわかる。


 全部がせめぎ合い、そして── 折れた。


「……わかったよ。アトリが良いなら、行こう。基地に来るなら、私がなんとかする」


 その言葉に、アトリの顔がぱっと明るくなる。

 オーウェンは満足げに頷き、さらりと言った。


「いやあ、良かった。実はですね、許可申請は僕の権限内で進めておいたので、あとは君の了承だけだったんですよ」


 リアが思わず吹き出した。


「なんだ、それじゃ決定事項じゃないですか」


「外縁事案の増加に対して適正な人員配置を行うだけです。……というのは建前でしてね。僕の直下にSecond(セカンド)をこれ以上置くと、司令本部が機嫌を損ねるんです。派閥間の力関係が崩れますから。なので、ギルダ君とアトリ君には“外”に出ていただくのが一番丸い、というわけです」


 軽い口調だが、言っている内容は妙に生々しい。

 ギルダは恨めしそうにオーウェンに目を向ける。


「……最初からそのつもりだったんですね」


「もちろん。ギルダ君が断るとは思っていませんでしたし」


「断るつもりだったんですけど……」


 ギルダはぼそりと返しながら、ちらりとアトリを見る。

 アトリは、安心したようにふわりと笑った。


「ありがとうございます…オーウェン中佐」


「礼はいりません。これが僕の仕事ですから」


 淡く笑ったその声は柔らかかった。だが次の瞬間、ふっと調子が変わる。


「それに── 選択肢を提示したように見せて、実は僕の思惑どおりに“はめただけ”かもしれませんよ」


 声は穏やかなのに、言葉の端にだけ、氷のような硬さが混じっていた。

 アトリは反射的に瞬きをし、真正面から受け取ったまま問い返す。


「……そうなんですか?」


 張り詰めた空気のなかで、オーウェンはふっと肩を震わせ──

 小さく「あはは」と笑った。


「いや、アトリ君は本当に素直ですね。上に立つ人間の言葉を、あまり鵜呑(うのみ)みにしないほうがいいという話です。特に── こういう制服を着る立場の連中の話は」


 そう言って、軽く胸元の階級章に触れながら、冗談めかした口調で続ける。


「彼らは基本的に、自分が優位に立てるかどうかにしか興味がありません。君の心配なんて……まあ、後回しです。だからこそ“自分のために選ぶ”練習をしていきましょう。そうすれば、誰の思惑にも絡め取られずに済みます」


 アトリはますます混乱した顔で固まった。

 その表情を見かねて、テオがたまらず口を挟む。


「中佐、アトリが余計混乱しています」


「すみません…この年になると、つい余計なことまで言ってしまいますね」


 オーウェンは軽く息をつき、アトリの方へ向き直る。今度の声音は、まっすぐで、驚くほど優しかった。

 

「でもね、アトリ君。少なくとも、ここにいる三人は、君を利用しようとか、都合よく扱おうなんて考えていませんよ」


 アトリの肩がわずかに揺れる。


「── みんな、君の“大切な友人”でしたからね」


 その言葉に、三人の空気がふっと変わった。けれど、アトリの方を見たその表情には、 照れくささと、安心と、そして確かな温かさが同時に滲んでいた。 その表情だけで、アトリがどれほど大切に思われているかが分かる。

 

 アトリは胸の奥がじんと熱くなり、ぱっと顔を上げた。


「……はい!」


 その返事を聞いたオーウェンが、ふと「あ、そうでした」と軽く手を叩いた。


「アトリ君に、これを渡さないといけないんでした」


 彼が制服の内ポケットから取り出したのは、小型の端末。薄い金属光沢を帯びたプレートで、手のひらにすっぽり収まる大きさだ。

 

 アトリはそっと受け取り、首をかしげる。


「……これは何ですか?」


N-Link(エヌ‐リンク)という、Second(セカンド)専用のデバイスです。……こちらで適切に保管していました。本来は君の持ち物ですので、お返しします」


 横からギルダが身を寄せ、覗き込む。


「ハッキングや、データ処理の補助端末だよ。私たちの脳と現場の機器をつなぐ“接点”みたいなもの。ここに来る前、リアがユニットのログを抜くのに使ってたし……ほら、テオの腕にもついてる」


 テオが自分の左手を上げ、手首に装着された黒い端末を示した。


「これだ。同期やアクセスの制御……まあ、いろいろできる」


 オーウェンが補足する。


「詳しい使い方はテオ君に教えてもらってください。彼が一番、実戦的な運用を理解していますから」


 アトリは手の中の N-Link (エヌ‐リンク)をじっと見つめた。

 薄い金属光沢が、庭から差し込む光を受けて静かに揺れ、小さなモニターに映った自分の顔が、淡く反射して揺らいでいた。


 ***


 一通りの説明と温かい紅茶が終わり、「じゃ、行くか」とリアが大きく伸びをする。テオは静かに立ち上がり、ギルダもアトリの肩を軽く押して扉へ向かわせようとした。


 ── その時。


「あ、すみません。ギルダ君だけ残ってもらえます?」


 オーウェンの声が背中に落ちた。

 ギルダの肩が、ぴく、と反応する。


「……なんでしょう?」


「室内喫煙の件で、厳重注意です」


「ブッ── !」


 リアが盛大に吹き出した。


「ほら言ったじゃん、バレてんだよ!」


 テオは視線をそらし、その肩がわずかに震えている。笑いを必死に堪えているようだった。

 ギルダは慌てて反論する。


「ちょっと待ってください!こいつらも吸っ── 」


 しかしオーウェンは、微笑みを崩さぬまま静かに言葉を重ねた。


「残って、もらえますか」


 逃げ道を塞ぐような、やわらかい圧。


「……はい」


 リアとテオは、ニヤニヤを隠す気もなく扉へ向かう。

 アトリは気まずそうにギルダを一度だけ振り返ったが、 ギルダが小さく「行ってろ」と顎で合図するのを見て、そっと部屋を出ていった。


 扉が閉まった直後、リアのくぐもった笑い声が廊下に漏れた。

 アトリが不安そうに小声で尋ねる。


「……ギルダ、大丈夫?」


「大丈夫、大丈夫」


 リアは手をひらひらさせて笑う。


「アトリ、ギルが説教されてる間にさ、監査執行局を案内してやるよ。ついでに N-Link (エヌ‐リンク)も試してみようぜ」


 テオも静かに頷く。

 そして三人は、ゆっくりと廊下を歩き出した。


オーウェン中佐のお庭でのお茶会の回でした。

アトリ目覚めてから初めて自分の意志で選択したシーンです。


次回は、N-Linkというアイテムの紹介。

そして、オーウェンとギルダの密談があります。

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